11/4:BUMP OF CHICKEN「aurora ark」のこと
初めて行ったBUMP OF CHICKENのライブが衝撃的だったので、どのへんが衝撃だったのか書き残しておこうと思います。
私自身は特段BUMP OF CHICKENのファンというわけではないし、普段ライブに行かないので、めちゃくちゃ的外れなことを書くかもしれません。
やばいと感じたらそっ閉じしてね。
◇ ◇ ◇
妹が彼氏と行くはずだったライブに、私が代わりに行くことになった。
それが、BUMP OF CHICKENの全国ツア-「aurora ark」の最終日だった――(前フリ)。
ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ
(新世界)
スクリーンに歌詞が映し出されて観客みんなで「ベイビーアイラブユー」と歌う。客観的な出来事としてはありふれたライブでの光景だと思うけど、これがめちゃくちゃ美しかった。
花道に立つ一人の作り手に向けられた無数のアイラブユー。
世に放たれた創作物の美しい帰結だ、と感じた。
何かを作って世に放つことは、暗闇に石を投げるようなものだと思う。
本当に届けたい相手に届くかどうかは分からないまま、どうか届くようにと祈りながら投げるのだ。
BUMP OF CHICKENという「僕」から「君」へ、祈りをもって放たれたアイラブユーがひとりひとりの「君」の胸に届き、時系列の中で反響して、今度は沢山の「君」から「僕」へのアイラブユーとして返っていく。
あれはそういう光景だと思った。
世に放たれた創作物の、ひとつのハッピーエンドだ。
アイラブユーがやけに心に響いた理由の一部、というか前提として、明確に彼らが(ざっくりした「聴衆」とかではなく)「たった一人」の「君」に向けてメッセージを届けようとしていることが、それまでの曲や言葉から理解できたというのがある。
意図的に、徹底して、そうしているのが、ファンでない私にもわかった。
うん。BUMP OF CHICKENさん、かなり誠実。
…この時点ではその程度にしか思っていなかった。
◇ ◇ ◇
たった一人の「君」に向けてメッセージを送ることの他にも、いくつかの一貫した姿勢があるようだった。
そのうちの一つが「痛みを否定しない」ことだと思ったが、どうにも違和感があった。痛みを否定しないとして、それでどうするの?という疑問が消えなかったからだ。
答えはアンコールのMCであった。
「俺たちの歌は、お前のこと絶対に一人にしないから」
あ~~~~~~それだ~~~~~!!!
そうだった、確かにずっとそうだった。
あいつの痛みはあいつものも 分けて貰う手段が解らない
だけど 力になりたがる こいつの痛みも こいつのもの
~
大切な人に唄いたい 聴こえているのかも解らない
だからせめて続けたい 続ける意味さえ解らない
(真っ赤な空を見ただろうか)
痛みを肩代わりすることはできないが、音楽で寄り添おうとしてきたのだ。
オセロで角を取って盤面の色が一気に塗り替わるように、ここまでの曲の見え方が変わってくる。
さらにはその前に言った言葉の意味も重みを持つ。
「絶対に一人にしないから」の前に彼はこう言っているのだ。
「いつかお前が辛いとき、今日の歌を思い出せないかもしれないけど、
思い出せるような手伝いを俺たちがするよ」※意訳
BUMP OF CHICKENの音楽は、普段ラジオもテレビもあんまり見聞しない私のところへも、CMやアニメや映画の主題歌なんかを通して届いている。
ライブで演奏された音楽もほとんどが何かのタイアップ曲だ。
もしかして、これも「思い出せるような手伝い」の一環なのでは?
私たちがいつでも思い出せるように、見つけやすい所にいようとしてくれているのでは?
それって、全然簡単なことじゃないよね?
「絶対に一人にしない」約束を嘘にしないように、行動で示しているのだとしたら、BUMP OF CHICKENさん、誠実どころの話ではない。超絶怒涛に有言実行ではないですか。
いや、そのあたりの真偽(というかほとんど妄想なのだが)はともかくとしても、「絶対に一人にしない」約束に対する彼らの本気さを、そのときの私は感じてしまったのだ。
だから、そんなことがあった後、アンコール最後の最後での「花の名」は、とんでもない真実味をもって私の胸に迫った。
全文引用したくなるので歌詞は書かないが、もうエモーションのパンチドランカー状態である。あまりの多幸感に、えっこれ大丈夫?私来週あたり死なない?などと思ったが、なんと心配は無用。
いつの日か 抜け殻になったら 待ち合わせしようよ
(新世界)
BUMP OF CHICKENさん、手厚いからね!
<おわり>
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