タイムカプセルを抱えて

久々に弾くか、と引っ張り出した楽譜には7~8年前の書き込みが残っていた。当時の先生が書いたものだろう。ただ一言、「あわてすぎ」と。

情動で弾いていたあの頃を想う。どこか焦って生きる今を見る。
数年経っても私は変わらず「あわてすぎ」だった。

ラフマニノフ / Prelude Op.3-2『鐘』

性格と変化と性格

変わらなくて良い物ばかり変わってしまうし、どうしようもない性格ばかりが変わらず残る。
あの頃の情動はいつか失ってしまったし、近くに居た人はどこか遠くへ行ってしまった。年号が変わってクリスマス前の祝日は無くなった。
一方で音楽の楽しみ方は少しずつ広くなっていて良い変化だろうと思う。そして相も変わらず好きなアーティストやクラシック、吹奏楽もずっと好きなまま。新曲に齧りつくことも歌うことも好きな私はきっと変わってはいない。

そしてこれを幸せと思える自分の性格にはそこそこ感謝している。

どうしようね?

たとえ自分が変わらなくても周りが変わっていく。
残念なことに人間は社会性を持つので、否応なしに周りの変化の影響を受ける。私の少ない友人たちは段々と幸せになったり、不幸せに向かって歩いていたりしている。以前のように一晩中話すとか一週間顔を合わせることも無くなった。ひょっとすると死ぬまでに会う日数は残り10日もないかもなとか思う。

失ってから気付くとは言ったもので、いやまだ完全に失っては無いのだけど、思い返して改めてそれが貴重だということを知る。
最近写真に残すことを覚えた。遅すぎではある。でもまだ間に合うと信じたい。

忘却は怖い。変化はもっと怖い

でも、本当に大切なこと以外のガラクタみたいな出来事なんてきっと殆ど忘れてしまっている。秋の夜が涼しかったこと。ピアノを弾くあなたをうつ伏せのベッドから見ていたこと。死ぬほど眠いカラオケで友人の歌を聴いていたこと。
すべて消えていくことが、それがどれだけ口惜しいことか数年後の自分はまだ理解できているだろうか?それすら思わなくなってしまう私の変化が、私はとても怖い。
忘れることで変化するし、変化すると忘れるのだから。

だからこそ、タイムカプセルを抱えて生きたいと思う。
忘却に対抗するトリガーたり得るものを道に落としておきたいのです。


変化の話からすっかり忘却の話になってしまった。
こんな駄文を書きたくなるくらいには楽譜に残った書き込みは嬉しかった。

この思い出は私のもの。
これを読むあなたにも何かが甦りますように。