IPCC「日本企業の気候変動戦略における羅針盤」
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1. IPCCの定義と役割
IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)は、1988年に国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)によって設立された国際機関です。IPCCの主な役割は以下の通りです。
気候変動に関する最新の科学的知見を評価し、包括的な報告書を定期的に作成する。
気候変動の影響、適応策、緩和策に関する情報を政策決定者に提供する。
気候変動に関する国際交渉の科学的根拠を提供する。
IPCCは直接的な研究は行わず、世界中の研究者による既存の研究成果を収集・分析し、総合的な評価を行います。
2. IPCCの評価報告書と主要な知見
IPCCは定期的に評価報告書を発表しており、最新の第6次評価報告書(AR6)は2021年から2022年にかけて公表されました。AR6の主要な知見は以下の通りです。
人間活動の影響: 人間活動が気候システムを温暖化させていることは「疑う余地がない」。
気温上昇: 産業革命前と比べて既に約1.1℃の気温上昇が観測されている。
将来予測: 現状の対策では今世紀末までに3℃以上の気温上昇が予想される。
1.5℃目標: 1.5℃目標の達成には、2030年までにCO2排出量を2010年比で45%削減し、2050年頃にネットゼロ排出を達成する必要がある。
極端現象: 気温上昇に伴い、熱波、大雨、干ばつなどの極端現象が頻発化・激甚化する。
不可逆的な変化: 海面上昇や生態系の変化など、一部の影響は数百年から数千年にわたって不可逆的である可能性が高い。
3. 日本企業におけるIPCC報告書の活用状況
日本企業のIPCC報告書の活用状況は、以下のような特徴があります。
大手企業を中心とした活用: 特に環境負荷の大きい製造業や金融機関を中心に、IPCC報告書の知見を経営戦略に反映する動きが見られます。
シナリオ分析への利用: TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言に基づくシナリオ分析において、IPCC報告書のシナリオが多く活用されています。
長期目標設定の根拠: SBT(Science Based Targets)の設定など、長期的な温室効果ガス削減目標の設定にIPCC報告書の知見が活用されています。
サプライチェーンへの展開: 一部の大手企業では、サプライヤーに対してもIPCC報告書に基づく気候変動対策を要請しています。
一方で、中小企業や非製造業におけるIPCC報告書の活用はまだ限定的であり、普及の余地が大きいと言えます。
4. IPCC報告書に基づく事業リスクと機会
IPCC報告書の知見に基づき、日本企業が直面する主な事業リスクと機会は以下の通りです。
リスク
物理的リスク:
極端気象による生産設備の損壊
原材料調達の不安定化
従業員の健康被害
移行リスク:
カーボンプライシングによるコスト増
脱炭素技術への移行に伴う既存資産の座礁化
消費者の嗜好変化による需要減少
評判リスク:
気候変動対策の遅れによる企業イメージの悪化
投資家からの評価低下
機会
新市場の創出:
再生可能エネルギー関連製品・サービス
気候変動適応ソリューション
資源効率の向上:
エネルギー効率の改善によるコスト削減
循環型ビジネスモデルの構築
レジリエンスの強化:
サプライチェーンの多様化・強靭化
事業継続計画(BCP)の高度化
イノベーションの促進:
脱炭素技術の開発
新たなビジネスモデルの創出
5. 日本企業のIPCC対応の先進事例
事例1:化学メーカーA社
IPCC報告書の知見を基に、2050年カーボンニュートラル目標を設定。従来の石油由来製品から植物由来原料への転換を進め、バイオマスプラスチックの開発・普及に注力。同時に、CCU(Carbon Capture and Utilization)技術を活用した炭素循環型ビジネスモデルの構築を推進。
事例2:総合商社B社
IPCC報告書のシナリオを活用し、2℃シナリオと4℃シナリオに基づく詳細なポートフォリオ分析を実施。その結果、石炭事業からの段階的撤退と再生可能エネルギー事業の大幅拡大を決定。同時に、気候変動適応ビジネス(防災インフラ、農業技術等)にも注力。
事例3:金融機関C社
IPCC報告書の知見を融資・投資方針に反映。石炭火力発電所向け新規融資の停止や、再生可能エネルギープロジェクトへの優遇金利の適用を実施。また、気候変動リスク評価モデルを開発し、取引先企業の気候変動リスクを定量的に評価する体制を構築。
6. IPCC報告書を活用した新たな事業戦略
IPCC報告書の知見を活用し、日本企業が取り組むべき新たな事業戦略として以下が考えられます。
セクターカップリング戦略: 電力、運輸、産業など、異なるセクター間でのエネルギー融通や技術連携を通じて、システム全体での脱炭素化を実現する戦略。例えば、再生可能エネルギーの余剰電力を利用した水素生産と、その水素の産業利用など。
ネガティブエミッション技術の実用化: IPCC報告書で重要性が指摘されている大気中のCO2除去技術(DACCS、BECCS等)の開発・実用化に注力。日本の技術力を活かした独自ソリューションの創出を目指す。
気候変動適応ビジネスの本格展開: IPCC報告書で予測されている気候変動影響への適応策をビジネス化。例えば、耐熱作物の開発、都市冷却システムの構築、海面上昇に対応した建築技術の開発など。
サーキュラーエコノミーの深化: 資源採取→生産→消費→廃棄という直線型経済から、資源循環型経済への移行を加速。IPCC報告書の知見を踏まえ、製品設計から廃棄物管理まで一貫した循環型ビジネスモデルを構築。
気候変動教育事業の展開: IPCC報告書の内容を分かりやすく解説し、企業や一般市民の気候変動リテラシーを向上させるための教育プログラムやコンサルティングサービスを展開。
7. 日本企業におけるIPCC知見の戦略的活用
日本企業がIPCC報告書の知見を戦略的に活用し、気候変動対策と企業成長を両立するための提言をいたします。
マテリアリティ分析の高度化: IPCC報告書の最新知見を踏まえ、気候変動関連のマテリアリティ(重要課題)を定期的に見直し、優先順位を再設定する。特に、これまで見過ごされてきた長期的・間接的な影響にも注目する。
ダイナミック・シナリオプランニングの導入: IPCC報告書の複数シナリオを基に、自社のビジネスモデルの強靭性を継続的に評価する「ダイナミック・シナリオプランニング」を導入。定期的なシナリオ更新と戦略の柔軟な修正を行う。
サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)の推進: IPCC報告書の知見を踏まえ、気候変動対策を中心としたサステナビリティ課題への取り組みを、企業変革の中核に位置付ける。DX(デジタルトランスフォーメーション)とSXの融合を図り、革新的な脱炭素ソリューションの創出を目指す。
気候変動インテリジェンス機能の強化: IPCC報告書を含む気候変動関連情報を常時モニタリングし、経営戦略に反映する専門チームを設置。AI技術も活用し、気候変動に関する膨大な情報から自社に関連する重要情報を抽出・分析する体制を構築する。
バリューチェーン協働の推進: IPCC報告書の知見をサプライヤーや顧客と共有し、バリューチェーン全体での協調的な気候変動対策を推進する。特に、Scope 3排出量の削減に向けた協働プロジェクトの立ち上げを積極的に行う。
地域別気候変動戦略の策定: IPCC報告書で示された地域別の気候変動影響予測を基に、事業展開地域ごとの詳細な気候変動戦略を策定する。特に、気候変動の影響が深刻化すると予測されている地域での事業継続計画(BCP)の見直しを優先的に行う。
気候変動人材の育成: IPCC報告書を活用した社内教育プログラムを開発し、全従業員の気候変動リテラシーを向上させる。同時に、気候変動専門人材(気候科学、脱炭素技術、環境経営等)の育成・採用を戦略的に進める。
日本企業はIPCC報告書の知見を単なる参考情報ではなく、経営戦略の中核を形成する重要な要素として活用することができるでしょう。これらの取り組みを主導し、全社的な気候変動対策の推進役となることが期待されています。IPCC報告書を企業の羅針盤として、持続可能な成長と脱炭素社会の実現に向けた変革を加速させることが求められています。
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