蚊帳の外からの有難いお説教
説教その1「熊を殺すな」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb6322d67e21772492dcdb6dc59552456d76a6a5
現在、人里に下りてくる熊が様々な地域に発生しており問題になっている。
地元の人達に対して
脳内フラワーガーデンな優しい人達からのお説教があるようだ。
①人間が熊の生活の場を侵していることが悪い
②人間の都合で熊を殺すな
③食事に困っているのだから、熊に食べ物をあげればよい
大変倫理的に正しいお説教がいかにありがた迷惑か、解説しよう。
①人間が熊の生活の場を侵していることが悪い
この理論でいくなら
熊が人里に下りてきて人間の生活の場を侵しているなら殺してもいい。
そういうことにならないだろうか。
今一度、自分が何を言っているのか冷静に考えていただきたい。
②人間の都合で熊を殺すな
熊は熊の都合で人間を殺すが、人間は人間の都合で熊を殺してはならない。
こんな不条理があろうか。
あなたは殺されても良いが、あなたは誰一人殺してはならない。
と言われて納得するであろうか。
③食事に困っているのだから、熊に食べ物をあげればよい
熊からすれば、食料が食料を背負って目の前に現れ
その後を追えば食糧庫にたどり着けるのだから笑いが止まらないだろう。
食べ物をあげるもなにも、人間は熊の食べ物になるのである。
人間からすれば、鶏や豚や牛が殊勝にもパンやご飯を持って目の前に現れるようなものだ。
熊の腕一振りで人間が一人死ぬというのに
やれ食べ物をあげれば良いだの、熊を殺してはいけないだの
倫理的でお優しいフラワーガーデンからのお便り。
その美しいフラワーガーデンに熊を連れて帰り、保護してあげる人間が一人もいないことに毎回驚く。
説教その2「野蛮な祭りはやめろ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/68135ba16d99b028a01d3fe0de4b68ff896e506c
提灯を破壊することで神様を喜ばせるという趣旨の祭りがある。
その提灯が現在流行のキャラクターであったため
キャラクターを愛する人々を大変ご不快にさせてしまったそうだ。
特に子供が泣いたことが大変ご不快であらせられたという。
ご不快になられた方々からのご指導ご鞭撻は、おおよそ以下の内容である。
①私はこの映像(提灯祭りの様)を見てとても不快になった
②作者に許可は取っているのか?
③今の時代にこんな野蛮な祭りがあるなんて許されない
④子供が泣いた。ひどい。
これらのご指導が如何にありがた迷惑か、解説しよう。
①私はこの映像(提灯祭りの様)を見てとても不快になった
「あなたの顔と声が不快なので人前に出ないように」と言われたならば
「はい、わかりました。」と素直に返事をされる聖人君主だろうか?
不快なものが社会にあるのは当たり前であり
自分もまた、誰かに不快な思いをさせる可能性を甘受しなければならない。
②作者に許可は取っているのか?
何処から目線のお説教なのだろうか。
作者と祭り開催担当者の間の問題であり、外野が口を突っ込む意味がどこにあるのか。
法律という叩き棒を欲しがっているようにしか見えない。
③今の時代にこんな野蛮な祭りがあるなんて許されない
祭りという行事を存続させるのに、地元の人間でもない外野の許可はいるのだろうか。
④子供が泣いた。ひどい。
子供は泣きながら強く育つものである。
恐らく親御さんと思われるが、ご自身は何一つショックを受けて泣くことなく育ったのかもしれない。
しかし、人の人生というものは全てがオリジナルであり、唯一無二のものである。
辛いこと、悲しいことを乗り越えることは成長に他ならない。
きっと、お子さんはこの体験で学ぶことがあったであろう。
むしろ、感謝するべきである。
地元の人間でもなく、伝統行事による利潤も理解していない外野が
ちょっと不快になったくらいで大騒ぎする理由が私にはよくわからない。
こうしたお祭りは賑やかに盛り上げるものだ。
そうして神様を喜ばせ、人間も楽しくなる。
なぜこのような行事が今も残っているのか、少しくらい考える頭を持ち合わせない理由は何だろうか。
不快だから、野蛮だから、今の時代にそぐわないから。
そういう理由で地元の行事を貶められ、仮に中止に追い込まれたならば
お祭りだからこそ集った人達、お祭りに便乗して商売をしている人達
彼らから、かけがえのない機会を奪うことになぜ気が付かないのだろう。
そんなことより、自分たちの視界に映るものが美しく、快適であることのほうが大事。
これをエゴと呼ばずなんと呼ぶのだろう。
関係がないのだから、見なかったことにすればよいだけだというのに
些末事を、あたかもこの世の終わりにように大騒ぎする。
平和の弊害なのかもしれないが、度が過ぎると最近は思う。
無理を通せば道理が引っ込む。
不快だから、何か嫌だから、なんとなく許せないから。
そのような感情で物を語り、正義面し、他人を侵害する人間が跋扈している。
このままでは、秩序などなくなるのではないかと憂慮している。
人の世は、人間社会は、隅々まで美しく快適であるはずがない。
そうなるはずがない。なぜならば、人間は誰一人として完璧ではないからである。
だからこそ、人間同士は許し合わなければいけない。
そうでなければ、共同生活は成り立たない。
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