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AIはまだ覇権を握れない

AI(人工知能)というモノがそれなりに広まった昨今だが
それほどAIは人間から仕事を奪ってくれていない。
それどころか、AIはトラブルメーカーという印象が強い。
そしてAIもまたITツールなので、使い方を理解出来ない人は使えない。
人間が労働から解放されるユートピアに到達するための大きな問題が、まだ積みあがっている段階である。


倫理と法令遵守とAI

プログラムとAIは違う
プログラムは、例えるなら指示書である。
書いてあることを書いてある通りに動作する。
原則として、それ以上のことはやらない。
(トラブルにより『それ以上』のことが起きることもある。頭が痛い。)

だが、AIは例えるなら人間の脳みそだけを抽出し
それに高性能な演算能力と膨大な記憶容量を搭載したようなものだ。
プログラムは確かにプログラムした人の成果物だが
AIのアウトプットした成果物はAIを組み立てた人の成果物かと言われると
それはちょっと違うのである。
じゃあAIのアウトプットしたモノに何か問題があったらどうするんだと。
それが人間様にとって有害・・・いわば都合が悪い場合どうするんだと。
そういう騒ぎが静まらないのである。

ミキサーのメーカーはミキサーを作るけれど
そのミキサーを使って作ったジュースの品質まで保証しないのと同じで
AIを作った人が、不特定多数の人間がいろんな情報を吹き込んだAIから
排出された演算結果や答えの品質まで保証するのはおかしな話なのである。
しかし、ミキサーは所有者で勝手にどうぞで終わるが
AIの場合、コンプライアンス違反及びモラルに反する結果が出てきた場合、一体これはどうしてくれるのかと。
そういうお話になってしまうのである。
AIを作った人だけを悪者として処断するのは道理が通らないし、とはいえAIに情報を吹き込んだ人間全員を処断したら大変なことになる。

まあどうしてくれるのかもこうしてくれるのかもないでしょ。って私は思うんですけどね。
だって、所詮AIっていうのは人間の脳みその模造品なわけで
人間がAIに求めている真価は「人間ではいろんな制約がかかるが故に言えないこと」を言ってくれる代弁者だと思うんですよ。
AIならではの、人間では考えられないようなアイデア
そういうものの算出をAIに期待している。
なのに、人間と同様に倫理だの法令遵守だのを求めてしまったら、AIなんて人間の劣化版に過ぎない。
人間と同じモノで縛り上げるが
人間では思いつかないような核心をついたアイデアを出せとは・・・
ターミネーターが現実になってもおかしくはない。

機械の言うことに、モラルだのコンプライアンスだのを求めるとは
ここまで人類が愚かだとはさすがに思っていなかった。
「ゴイスーでクリーンでレボリューションなアイデアを生み出すマッシーン」
恐らく、AIをこのようなモノだと思っている人が大多数なのだ。
残念だが、そんなものは存在しない。
漫画やアニメの見過ぎである。実在のAIは、ファンタジーではない。
人間と同じ枷をはめたなら、そこにあるのは劣化版人間の脳みそだ。

人間たちの求めるモノ

AIは一度覚えたものを忘れない。算数の計算を間違えない。
人間より優れている点はここらへんである。
では、人間はAIにそれを本当に求めているのか?という話である。
答えはNOだ。
チャットGPTで最初は少し遊んだ人も、既に飽きているくらいの頃合いだろう。
ご覧の通りである。AIなど、一般民衆からしてみればちょっと面白そうなカンジがする玩具止まりだ。

AIが人間の仕事の代用をするのも、現状では無理と言った方が正解だろう。
というのも、人間は結局人間を求める。
そもそもAIを「ゴイスーでクリーンでレボリューションなアイデアを生み出すマッシーン」程度にしか捉えていない大多数の人間がAIを活用することが出来るとは言い難い。
道具は適切な使い方を知らなければ、無用の長物だからだ。

特定事項に応答できるAI、チャットボットを置き、解決しない場合のみ人間スタッフに連絡を取れるようにしているWebページが昨今は多い。
たしかに、人間スタッフの労力はそれなりに減少する。
では0になるかというと、0にはならない。
チャットボットは一定の「使い方」がある。
それを掴めない人間は人間スタッフの対応を希望するからだ。

コールセンターに、とにかくクドクドと話をしたがる人間が電話をかけてくるという話は割とよく聞く。
私は学生時代、バイト先で客から「態度が気に入らない」と難癖を付けられたことがある。そのあと、客は店長と3時間くらい話をしていた。割と楽しそうに。ちなみに一人客だった。
こういう、迷惑な時間泥棒客というのは割とどこにでもいる。
彼らは往々にして孤独で、暇である。
ああいう客の行き場も、自動化・IT化の行き届いた社会は破壊するだろう。

もちろん、それを彼らが許すかと言えば許さない。
なんなら、大体の人が許さないと私は断言できる。
結局、AIの使い方などわからない人間・IT化にあまりついていけない人間がこの社会の大多数を占めている。
そういう人達向けのサービスにしなければ、市場で生き残っていくことは不可能だ。

人間は結局、自分の労力は最小限に抑えたいが困った時には『人間』に助けてほしいのである。
だって、機械は同じことしか言えない。吹き込まれた情報しか知らない。しかも、自分が欲しい情報の引き出し方にもコツがいる。
人間相手なら伝わる言い方でも、それは機械に通用しないことが往々にしてある。
そして何より、人間は人間と接することでしか得られない「何か」をサービス業に従事する人間に求めている。
資本主義社会において、それを軽視することは出来ない。

結論

以上2点のことから、AIが本当の意味で普及する時代はまだまだ先だと私は考えている。
特にAIに嵌められた倫理・法令遵守の足枷は重い。
それに重きにおくなら、はっきり言って人間の方が高いパフォーマンスを発揮できるからだ。
元々倫理や法律は人間の都合で作られた、人間のためのものであり、そこには複雑な背景や人間ならではの感受性、価値基準がある。
それをAIに理解させる労力に比べたら、新入社員に教える労力の方が圧倒的に低く済む。
そこまでの労力を払って、AIを使う意味って何?という結論に至るのである。




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