喜怒哀楽を前面に出せるのって″上の人間″に許された特権だよなぁ〜

こんにちは、カスのインサイド・ヘッド考察記事です。

誰かに見られてるというシチュエーションで感情を爆発させたことはあるだろうか。例えば、学校の授業中やホームルームで腹が立って怒ったり、納得いかなくて泣いたり、手を叩いて爆笑したり…

これ出来る人って、だいぶ強者側の人間なんじゃないかと思う。

人前で泣いたり喜んだりできる人は、その場を影響を与えてもいい人であり、そこにいることに理由がある人。公衆の面前でこういった感情の表現できるのは、スクールカーストの上位であったり、職場で発言権の強い″上の人間″だからこそできる行為だ。

だから、野球部は雨で練習中止になったら大はしゃぎしていいし、ヤンキーは気に食わなかったらキレてもいいし、可愛い女の子は嫌なことと遭遇したら泣いてもいいし、お局のパートは推しのアイドルのライブに当選したことを休憩室で楽しそうに語ってもいい。

一方、″下の人間″としては、感情を表現することに対して恐怖も不安もある。

だって、映画で役名もないようなモブキャラが出しゃばったらウザいじゃないですか。現実も同じで、モブキャラ同然の奴は、嬉しくても派手なガッツポーツ決めたり、悲しくてもむせび泣いたりできない。同級生Aや通行人Bが物語に参加していいわけがないので。

中学3年生の頃、先生の発言に笑っていたら、クラスメイトの一人から「◯◯めっちゃ笑うやんw」とツッコまれたことがある。

ツッコまれるということは、自分が笑うことはボケ(おかしなこと)として成立しているということなので、「俺って笑ったらアカンねや」とバッドエンドのフット後藤さんみたいなことを思っていた。

その日から絶対に笑ってはいけない中学24時が始まり、心おきなく笑えるのは気の合う同じ境遇の日陰者の仲間たちと教室の端の方でコソコソ雑談をしている時だけ。ただ笑うだけでも、ヤバい薬の取り引き並みの警戒が必要だった。喜怒哀楽の″楽″ぐらいはギリ許される雰囲気だったけれど、″喜″までいくとダメ。

怒るなんてもってのほかだ。下の人間がキレても恐怖にはならず滑稽にしか映らないから。

自分みたいなカースト下位の人間たちの中には、常日頃理不尽な扱いを受けてるので、理性を保てず感情が爆発してブチギレる奴もいたのだが、そんなことをしても、誰からも怖がられず周りからクスクスと笑われるだけ。

良いのか悪いのか分からないけれど、そういう友達の姿を見てきたので、「怒ってもどうにもならないしバカにされるだけだ」と哀れなアンガーマネジメントを習得した。

あと、怒るとはちょっと違うけれど、他人のために叱れる人ってすごいと思う。相手を良くしたいの一心で、嫌われたりハラスメントがどうこう言われるリスク背負ってまで説教できるって感覚が自分にはない。己のストレス発散のために叱る人の方がまだ理解できる。

下の人間は人畜無害、無味無臭、存在感がないから存在しててもいいみたいなところがあって、嫌われたら終わりなので、自分なら例え叱った方がいいと思っても絶対できない。叱るような立場になったことないけれど。

そして、人前では泣けない。

特に卒業式なんていう一世一代のイベントでは、自分みたいな者が派手に泣いてはいけない。卒業式でのヤンキーの涙の意外性はウケるけれど、陰キャの涙の意外性なんて需要がないし、中学の卒業式ではみんなの邪魔をしたらいけないと絶対泣かないつもりだった。そもそも学校にそんなに思い入れもなかったので泣くこともないと思ったが。

ただ、この時は誤算があり、クラスの一軍的な上の人たちの号泣に感化され、「卒業式なんて…」と思っていたであろう気の合う同じ境遇の日陰者の仲間たちまで泣き始めた。

「えぇ!?お前ら何を中学に対してそんな泣くことがあんの!?」とびっくりしたのだが、この状況だと逆に泣いてないのが浮くのでウソ泣きをして周りに合わせた。

成人式で卒業式の話になった時、自分はあれ以来一度も泣いてないと話したけれど、本当に最後に泣いたのは、それよりずっと前に見た帰ってきたドラえもんである。

そういう学生生活を送ってきた結果、「人前で喜びたくても決して前に出過ぎない、でも、無表情では場の空気を悪くするので、周りに喜んでいるということは最低限伝えるぐらいの絶妙な笑顔」がうまくなった。対人の笑顔はこれが精一杯だ。自分が心の底から笑顔になれるのは、「コイツそのうち炎上しそうだなぁ…」と予想し別垢でフォローして同行を追ってたアカウントが半年後ぐらいにマジで炎上した時だけ。

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