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とある東京の1日
東京は今週から潤いの季節。
中央線に乗って美術館へ行く。娘の風邪で何度か延期したマティス展。
マティスはすきだ。絵の向こうに暮らしが見える。色とりどりの感情が混じる日常。可愛らしさ。庭にあたらしい種を植えたくなる衝動。
車内から街を眺める。
中野あたりまで来ると、建物は少し高くなり、家は相変わらずひしめき合っている。それでもそれぞれの庭に緑があったり、並木道があったりと、自然があたりまえのように存在している。東京に出てきて一番驚いたのは、自然が身近なことだった。
湿気の多い私たちの国は、恵みもわさわさと育つ。
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そろそろ新宿。子どもの頃、東京は空が見えないと思っていたけれど、ちゃんと見える。どんよりとした日の西新宿を少し遠目に見れば、今にもゴジラが出てきそう。この街でも空を見るのはやっぱり楽しい。
東京の空が狭いのではない。空はいつでも永遠に広がっている。
東京を横切るこの電車に乗るとき、パリのメトロを思い出す。地下鉄なのにときどき地上に出てきて、街が垣間見える。
四ツ谷まで来ると、緑はより多くなる。川沿いに花や葉が生い茂り、釣り堀が見えてきて、そろそろ飯田橋へ。昔働いていた語学学校の近くだ。この路線を何度行き来しただろう。いろんな会社の看板を見るのがすきだった。
御茶ノ水間近になると、遊園地が見える。ふと、夏のパリに現れる移動遊園地を思う。大きな観覧車がある日何もなかったかのように片づけられる光景は、現実の中のファンタジーみたいだった。
神田で山手線に乗り換える。ここで私の気持ちは日常を離れ、お上りさんになる。
あれ、いつの間にか液晶画面(車内ビジョンというらしい)が座席の方にまでふえている。つい見てしまう、ブランドの広告、胃薬のCM。
秋葉原は、通る度に「次こっちに来たら行こう」と思うのにもう15年も降りていない。ふらり電車旅をしたら、きっと真っ先に降りる。娘がもう少し大きくなったらやってみたい。
…と、考えているうちに上野に着いた。「公園改札」を出るとあっという間に美術館が集まる場所に着く。雨の上野公園は落ち着く。予約までまだ時間があるからスタバでひと休みしよう。昔はいろんなことがぎりぎりで、時間の決められたことには焦ることが多かった。こんな風に立ちどまれるようになったこと。若いときは余裕がなくて人にも自分にも迷惑をかけてきたけれど、ようやく静かな心でものごとを楽しめるようになった。
店内は異国の雰囲気。めがねをかけた可愛い店員さんの柔らかい接客に、移動で少し疲れた気持ちがほころぶ。「楽しいことも、ストレスなのよ」二十歳の頃の私に母が言った。楽しくてはしゃいで疲れすぎてしまう私への一言だった。心に残っていたのに身に染みるまでだいぶかかった。
隣にインド人の観光客が数人座り、荷物もいっぱいだったので椅子をひとつ差し出した。若い女性が笑顔で「ありがとう」と言った。懐かしかった。フランスでよく向けられたのと同じ、他人からの無垢な微笑み。言葉と表情から、感謝が自然と溢れる。私は飢えていたのかもしれない。形だけではない、こんな小さなやり取りに。まだマティスを見ていないのに、今日出かけられたことの嬉しさが込み上げてきた。
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マティス展はスタバのすぐ後ろの美術館で開催されている。小雨になって歩きやすい。美術館の入口前には鍵付きの傘立てがずらっと並んでいる。かけられた傘は色とりどりで可愛い。いつからか街で見かける傘は黒や透明のビニールのものがふえた気がしていたけれど、ここにある傘は水彩画のような柄もたくさんある。場所柄だろうか、少しの間見惚れてしまった。
美術館は予約制で、作品が見やすい程度に人数が抑えられている。今回初めて音声ガイドを借りてみた。上白石萌歌ちゃんの声、とてもよい。いつも文字を読むのが少し煩わしかったので、耳で萌歌ちゃんの声や音楽を聴きながらマティスの絵を存分に味わえたのが嬉しかった。
1枚の何気ない日常の絵に惹かれた。そのポストカードを買おうとしたけれど、残念ながらそこにはさっき惹かれたはずの質感はなかった。ポストカードになっても持っていたい絵と、そうではないものがある。結局、マティスがアトリエで絵を描いている写真のカードを買った。とてもすてきで、165円を差し出すときに妙な満足感があった。
実は美術館に着く前、国際子ども図書館が歩いてすぐの場所にあるということに気がついた。
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とある絵本の翻訳出版に際して調べ物があったので、美術館から子ども図書館に直行した。ここに来れたら心強い。司書の方は誠実で、いろんなことを教えてくれた。あっという間に夕方になり、知的好奇心がほくほくに満たされてまた電車に乗った。
夕方の山手線と中央線は、1日の疲れを背負った人々がなだれ込んでくる。みんなの1日はどんなだったのだろう。母が言うように、大変なことも、楽しいことも、生きるということはストレスがかかる。そしてそれは、自然なことだ。こういう場所に来たら、フランス人の友だちに聞いたアミュレット(お守り)を思い出す。目を閉じて、すきな色の光を浴びる。自分のからだを、柔らかな繭で包み込む。ここは安心、ここは静かな世界。なんとなく気持ちがいいので、今日もやってみる。優しいピンクやむらさきを思い浮かべた。
あっという間に吉祥寺。初めの数ヶ月は右も左もわからなかったこの街が、今は私のhomeになっている。そのことに気づいて不思議な気分になる。
雨はすっかりあがった。夫は自転車で保育園に行き、娘はきっと公園に行きたがるだろう。私はブロッコリーを茹でて、ごはんとみそ汁をあたためる。庭に出て、茄子やピーマンの様子を見る。その横を家守が駆け抜ける。
マティスの未完の作ともいわれる、黒い窓の絵を思い出す。あの黒い景色には、塗りつぶされる前に何が描かれていたのだろう。私の家のようにラベンダーや野花が見えたり、小さな動物がいただろうか。彼が探し求めた、色と光がそこにはあっただろうか。
今日は、何かに突き動かされるようにnoteを書いた。
1日のうちにいろんなことを思っているものだ。
ふと、昔聞いたマティスの言葉を思い出す。
Un ton seul n’est qu’une couleur, deux tons c’est un accord, c’est la vie.
ひとつの色調は「色」にすぎない
ふたつの色調は「協調」である
人生である。
もうすぐふたりが帰ってくる。
3歳の娘は「おかえりー!」と言いながら。
「ただいまー!でしょ」と言えることが、いつにも増して嬉しい。