小さなお産のこと
麦茶、炭酸水、くだもの、葉っぱの野菜、お魚、お肉…できるだけ体にやさしく、新鮮な素材をいただくようになって、3週間。
私はいま、妊娠2ヶ月です。3ヶ月にさしかかるところ。
でも、今朝の検診で、赤ちゃんは小さな状態のまま、お空に帰ることになるのだと知りました。涙ののち、家に戻ると、「絵を描こう」「文章にしよう」という衝動がやってきて、どうしてもいま書かなければいけないと思い、noteを開きました。
このお話は、絶望とは逆の「希望」のお話のつもりですが、なんとなく読みたくないと直感に触れる場合は、このあたりでそうっと閉じていただけたらと思います。
でも、なにか光を感じる方、読んでみたいと思われる方は、ひとつの家族の小さな一歩と思って読んでみてもらえたら嬉しいです。
振り返ること今年の3月。
36歳にしてようやく自分のしたいことにまっすぐ進み始めた私は、毎日絵を描いていました。
ある日、ふとこんな絵が描けました。
あれ、私、お母さんになってる。
となりに、息子がいる。
あれ、あれれ。
なんだか嬉しくなって、とってもあたたかい気持ちになりました。
4月1日、私の母が遊びに来ました。
母は書を、私は絵を描いて、あっという間にすぎていった6日間。
いま思うと、創作のなかで、ふたりともちょっとした瞑想状態に入っていたのかもしれません。
夕方、ソファに横になっていた母は、ふしぎな夢をみたと言います。
どこかへみんなで旅に出ていて、温泉でのんびりしていた母のところに、私がやってきます。「お母さん、もういくよ〜。」みんな先に行ってしまって、探しにきた私が露天風呂の近くで母に呼びかけると、母の隣にいた19〜20歳頃の女性が、小さな赤ん坊を抱いてざぶんとお湯からあがっていきます。女性は、私の方へ歩いていったそうです。
「あの女の人、たぶんおばあちゃん(母のお母さん)。あの赤ちゃんは私だったのかしら。」
そしてしばらく考えて、「あれはあなたの赤ちゃんだったのかもしれないわ」と。
GWで実家に帰ったときに、この夢のことを母に話すと、夢を見た、という感覚は残っているけれど、内容は覚えていないとのことでした。
4月は創作活動に始まり、大阪出張、東京ビッグサイトでの展示通訳と、にぎやかで楽しい時期でした。
夫とも、いつものごとくたくさんの話をしました。
今日こんな人に出会ったよ、さっき刺しゅうをやってみたの、明日はちょっと挑戦の日なんだ…と、毎日語りたいことがいっぱい。彼のしごとの話を聞くのもあいかわらず楽しく、自分のなかにエネルギーを感じました。
ちょうど思っていたのは、赤ちゃんってとってもパワーのある存在だから、宿るなら、こんな感覚のときかもしれない、ということ。
GWにはふたりで私の実家へ帰り、夫は数日先に帰京。
北の街を存分に楽しんだおやすみでした。
ふと、妊娠しているような気がして妊娠検査薬を買い、どきどき試してみると、はっきりとした陽性!
おどろくというよりは、やっぱり、という感じ。
すぐに夫に知らせ、まだまだ安心できないとは言いつつも喜び合いました。
陽性の結果を見て、すぐに描けた絵がこちら。
神聖な気持ちでした。
GW開けの最初の平日。
東京に帰ってきた私は、早速近所の産婦人科へ。
ごま粒のような小さなものではあったけれど、胎嚢が確認できました。
1週間後、とても順調に大きくなった胎嚢。
まだ胎芽はよく見えません。
「2週間後に来てね。」と言われて始まった不安と期待の日々。
喜びで満たされた気持ちになったり、急に不安になって泣きじゃくる日があったり。赤ちゃんと向き合うと同時に、自分と向き合う時間でした。強烈な眠気が波のようにやってきては、ある時引いて意識がはっきりし、またしばらくすると眠くなる…の繰り返し。
この2週間で、今年始まった大好きなおしごとをひとつやめることにしました。タイミング…。タイミングとしか言いようのないことでした。
そして、だんだんと、自分のほんとうの気持ちが浮き彫りになってきます。思えば2月末に「心からの喜びだけを実践する」と決めた覚悟が、現実に現れてきたのだと思います。やめたおしごとは、新鮮でやりがいを感じていたし、チームのみんなも大好きで、何ひとつ遜色のない活動でした。
それだけ好きなしごとだったけど、もっと喜びを感じることがあったのです。なんて贅沢な悩みだろう、と思いますが、「でも一番惹かれているものを選ばなければ」という心持ちに変化していきます。
この2週間、あたたかいエッセイを渇望していました。
池川明先生の本は私の救いでした(胎内記憶に関する本などで有名な先生ですね*)。
池川先生の本を読み始めたのは、折しも、自分が生まれてくる前の、お空でまだ光の粒だったときのことを思い出した頃でした。雲の上から、お母さんとお姉ちゃんが見えて、とってもきれいだった(このお話も、きっと近いうちに書きます)。
ふしぎな話なので、「???」な方もいらっしゃるかもしれませんが、私にはとてもリアルな体験でした。
おなかの赤ちゃんが無事に成長しているか不安になったとき、穏やかに読めるものは限られていました。教科書のような本には、どれくらいの確率で心拍が確認できるか、という記載に何度も心を乱されるし、ネットの情報もいたずらに不安をあおります。
私は、赤ちゃんにも赤ちゃんの都合があるのだと思っています。
一度お空に帰って、また宿る赤ちゃんもいるかも。
私の都合だけで「産む」なんてことはできない。
信じているのは、すべては、ちょうど良いとき、いちばん良い形でやってくるということ。
そのことを再確認できるような、エッセイや物語を読みたかった。
でも、ほとんど存在していないようでした。または、出会えなかった、というほうが正しいかもしれません。
いろいろな感情が相まりながら、きっと無事に育っていると期待して検診へ行った今日。
おなかに機械をあてて、しばらく無言の先生。
卵嚢も胎芽もしっかり確認できますが、成長が10日くらいおそいらしく、この道数十年のおじいさん先生から見て、このまま数日後におそとにでてくるのはほぼ確実だということでした。
このことを「小さなお産」と呼ぶこともあるんですね。
しばらくは気丈にふるまっていたものの、診察室をでて、名前を呼ばれ、診察料分のお金をだすときに、急に涙があふれてきました。お金をだすだけの時間がとても長く感じて、どうにか院を後にしました。
ふるえた声で夫に電話。
これから1日のしごとが始まる彼に言うのは気が引けましたが、検診に行ったことを知っているので、思いきって結果を知らせました。
おどろいたような空気。
彼も待望の子の突然の知らせに衝撃を受けたと思います。
でもすぐに、「まぁくん(ふたりで呼んでいた名前)はまたすぐ来てくれるよ」と言いました。
夫は、どんなときでも一筋の光をくれます。
私はというと、涙は溢れてくるけれど、こころは…。
いままでになく、腹がすわっていました。
かなしいというのともどこか違う。いまは、まず、この圧倒的な事実をこころと体で理解しようとしていました。
帰宅して、絵を描いてみたら、いまの状況がまぼろしかのように、こんなにあたたかい絵がうまれました。
実際、私のなかには、あたたかい気持ちがあります。
まぁくんは消えるのではなく、もっと良いタイミングをうかがっているんだと。
こんなときに何ですが、一息ついた私の最初の気持ちは、「いまから本当の人生がはじまる」でした。わくわくさえしていました。
わくわくなんてふしぎに聞こえるかな。
私はこの世界に絶対的な信頼があるようなのです。
目の前のできごとで善悪の判断なんてできない。
池川先生の文章に、初期でお空に帰る子は、「もうすぐ行くからね」というメッセージを伝えにきたんだ、というようなものがありました(記憶する限りそんな文章でした.また本を読んでみよう)。何が起きるかわからないのです。
それはきっと、この世界に生きている私たちと一緒。
貴重な時間。
生まれてきてからも、子のタイミングを待つ、信頼する、というのはときにむずかしいのだと想像します。失敗しないように、できるだけ傷つかない道を進めるように…。
でも、子供は自分でそれを知りたいんだと思う。
経験したくて来ているから。
自分で感覚を掴んでいきたいから。
少なくとも私だったら。
だから、私も子供には自分が来たいと思ったときに、私のもとに来て欲しいと思うのです。
そして、いま。少し時間が経って、検診から5時間。
こうして書いていると、さっきの新鮮な気持ちをふたたび書ける気がしません。たったの5時間。書きたいと思ったときに書かなければ。時間についてあたらしい向き合い方になっていきそうです。
さいごに、とても不謹慎なことを書きます。
泣きおわった私は、実はほんの少し、ホッとしました。
妊娠がわかってから、自分と向き合ってみて、暮らしや食をあらためて見直してみました。もともと自然な食生活だったとはいえ、あたらしい、理想の食が浮かんだのです。こころ模様にも変化がありました。
だいじな人のタイミングを待てるように、自分を育て直そうと思ったこと。
いままで以上に、心に浮かぶ欲望を現実にしていこうと決めたこと。
それから、いますぐそばにある喜びについても。
これからの日常に希望が。
どんなことがあっても大丈夫という覚悟が。
少しでも違和感のあるものを手放す勇気が。
こんなにも気持ちを変えてくれた赤ちゃん。
私のところへ来てくれたこと、心から感謝しています。
きっと、いずれまた…*
と言っても、その子からのメッセージはこれまで通り、なんとなくの感覚ではあるけれど、降りてくるような気がします。
絵に出てくることもあるかもしれない。
さっき、合間を縫って一度帰ってきてくれた夫。
産科の先生が別の大きな病院に紹介状を書いてくださったので、明日また病院に行くのですが、
「明日、どんな状況になっても、とっさに状況を良いわるいで判断したりしないで、どうやって乗り越えて行くかを一緒に考えよう」と言っていました。
私たちはいま、生きる練習をしている。
生まれる前から、少しずつ親になっている。
半年前の披露宴で私が母に読んだ手紙のことを思い出しています。
母は、まわりの人のことを信頼して待つ天才でした。
そのことを話したあとの、文章です。
「待つことができる、ということは、自分の人生をまっとうしていることでもあると思います。人のこと、世の中のことは思うようにならないことも多いけれど、自分の日常さえ喜びをもって、自分の感受性くらいは自分で守って、おもいっきり生きていたら、大切なひとの、その人自身のタイミングをそっと見守れるような気がしています。」
私たちは実際にいま、この練習をしているんだと思います。なんて大きな課題!でも、やりがいがありそうです*
昨日描けたこのお花たちは、私たち自身への応援の花束だったのかも。
祝いの花束に思える。
もっと愛しい人生への祝い。
こんな風に感じることを変に思う人もいるかもしれない、と思ったけれど、すなおな気持ちを表すことに決めたのは、どこかにこの文章を読みたいひとが、ほんのひとりでもいるかもしれないと思ったからです。
この、くやしいながらあたたかく新鮮な気持ちを、私自身ときどき読み返そうと思います。
読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
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