野宿の睡眠とはどんなもんか
2013年の日本一周 3日目
3日目の朝は兵庫県たつの市で迎えた。
野宿をすると太陽が昇る頃に自動的に目覚める。
朝から山と海岸の入り組んだ道を走っているうちに県境を越え、岡山県の日生(ひなせ)という町が現れた。
ところどころ小さな漁船がたくさん係留されている。
海岸は防波堤が低く、町の目の前が海!という印象だった。
昔ながらの街並みのそこかしこにカキのお好み焼き店があったので名物らしい。それらを眺めながら海沿いの道をゆっくり走るだけで気分が高揚する。
昼前に「海の駅 しおじ」という施設に立ち寄ったのだが、活ワタリガニに心を奪われる。
茹でたり味噌汁に入れたりしたら最高だろうなグヘヘと想像するだけでヨダレが出てきそうだ。
だがキャンプ場ならまだしも、野宿では調理や殻のに処分に困ることが目に見えているので断念。
夕方頃に瀬戸内市に入り、山道をえっちらおっちら登って道の駅に到着。
400円の餃子定食を一口ずつ噛みしめて味わい、陽が落ちたら適当な場所にテントを張る。
1回目の野宿よりもソワソワする気持ちが減った。
正確には、テントを張るまではソワソワしている。
けれど、テントを張って中に入ってしまうと不思議と落ち着くのである。
薄くても壁がある安心感なのだろうか。
中に入ってしまえば外からの視界は遮断されるので、「どんな奇人が出てくるか知れないのにわざわざ近づく人もいるまい」と、ある種の諦観ともいうべき落ち着きが芽生える。
あとは、一日中ペダルを漕いでいた疲労感が、横になった瞬間に心地よさに変わる。
そうなればもう野宿であろうがなかろうが、強制的に眠りの底に引きずりこまれる。
慣れてくるとこの瞬間がたまらなくなる。
大げさではなく、早ければ寝転んで十数秒で眠りに落ちているという事もよくあった。
同時に脳のどこかがいつもスタンバイしているようで、近くで足音などがするとバチっと目が開き、体もすぐ動かせる。
足音が遠ざかっていくと瞼が落ち、すぐに再入眠する。
そして明け方頃に空が白んでくると勝手に目が覚める。
途中で何度か目覚めても、睡眠の質はむしろ高かったように思う。
安心で快適な生活の中で存在すら忘れ去られていたスイッチが入った感じで、心も体もやけにギンギラしてくる。
翌年の夏、日本一周を終えるまであと数日というところで奈良の友人に会った時に、「顔が城島健司にそっくりになってる」と爆笑されたのもおそらく、ギンギラスイッチが入っていたせいだろう。
(城島健司さんは当時シアトルマリナーズか阪神タイガースでキャッチャーをしていた厳めしい顔つきの人)
普段は「眠そう」とよく言われる柔和な私の顔つきを城島健司にしてしまうのだから、自転車で体を動かす事と野宿がそうとう効いたらしい。