季節外れのセミの声 〜嗚呼、職人の旅日記〜
職人の旅日記。
2013年9月27日。
自転車にキャンプ道具一式を積んで京都を出発してから10日ほどがたったころ、徳島県の美波町にきていた。
夕方の3時半頃、自分の影が長く伸びていることに気がつく。
川沿いの土手に彼岸花が咲いているのを見つけて、写真を撮ろうと自転車から降りた時だった。
日中はまだまだ暑いけれど、日増しに切なくなるような秋の気配が濃くなってきている。
休憩がてら、自転車を置いて少しあたりを散歩することにした。
海の近くにある広い境内の神社に入ると、見上げるほど大きな楠が立っていた。
もうすぐ10月だというのに、夕方の日差しを受けてセミがまばらに鳴いている。
新卒入社した会社を、「自転車で日本一周します。」と言って辞めての旅行だった。
会社の在籍期間は、2年と3ヶ月であった。
自転車で日本一周がしたくて会社を辞めたわけではなかった。
悶々とした会社勤めをなんとか打開する方法はないかと悩んでいたのだ。
もともと旅が好きなので、たまたま口走ったのが「自転車で日本一周」だった。
会社を辞めてから自転車で旅立つまでの約2ヶ月間は、不安と焦りに駆られてさらに悶々とする日々を過ごしていた。
今でこそ、「別にいいやん。」と言えるが、当時は世間一般で言われている「新卒入社してから最低3年」を守れなかったことに対する負い目もあった。
ついに旅に出発するという数日前には尽きない心配事も手伝ってか、夏風邪で高熱を出して丸3日間寝込んでしまった。
体力と一緒に気持ちも衰弱した影響からか、抑えていた不安感がはっきりと心に暗い影を落としはじめた。
寝込んでいた3日間、窓の外が夕焼け色に染まりはじめる18時頃にきまってアブラゼミが鳴くのを布団の中で聞いていた。
9月中旬の夕暮れに、一匹だけ取り残されたように鳴いているセミが自分と重なった。
徳島の神社の境内で、季節外れの音を聞いていたら、そのことを思い出した。
つい二週間前のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じる。
あのセミの声は、届くべき相手に届いたのだろうか。
家を出発してからたったの10日間だけれど、もう自分とあの時のセミは重ならなかった。