80歳夫婦イタリア絵画旅行記 (21)
【イタリア・あの愛しい人達に】
マントーヴァ (3)
マンテーニャの【視点】
当記の(3)で取り上げたミラノのブレラ美術館『死せるキリスト』(*下の画像) マンテーニャ作・においては、この絵を見る人があたかもキリストの死の場面に直面したかのように、その足元からこの状況を現実に見ているかのような臨場感ある表現をしています。
短縮法とか遠近法とか言う以上に、"絵を見る人の視点'' と言うものを強く意識し【視点】と言うものによって臨場感や現実感(リアリティ)をもたらす効果を生み出すマンテーニャ独特の手法かと思えます。
こうした臨場感に基づく体感は、このマントーヴァの「結婚の間」においても部屋全体が一貫してそうした仕組みになっています。
西側壁面では"下の画像”で見てみると、右下の見学者婦人の目の位置【視点】は、立像群の足元(地面)より高く、絵の人物の足元を見下ろすこととなり、更にまた、画中の奥にある足や後ろに並ぶ人物ほどその足元は前列より高い位置に描かれ、見る者からすると空間的な奥行きを感じます。
また、前列の人物 (大人を対象として) の頭頂部は位置高く、後ろの人物ほどより低く描かれているのは、見る者の【視点】より見上げるものは、奥になるほど低く描かれていることになります。
これらはいわゆる遠近法に則して表現したもので…、例えば街中で少し離れた建物を見た時、自分の視点より高い位置は、見上げた手前の高さより奥(遠く)の方が低くなって行きます。また、自分の視点より低い位置は、見下ろしていた手前より奥(遠く)の方が高くなって行き、どちらも目の高さ・視点の高さ(地平線)に近付いて行き、消失点となって行くと言った遠近法に基づいたものです。
ここに描かれている立像群も、手前の人物 (大人を対象として) ほど高く大きく、奥 (後ろ)の人物ほど低く小さく描かれていることによって、空間的・立体感的に現実的な存在感をリアルに感じさせる効果となっています。この絵の前に立った鑑賞者の"視点"に合致して見えるように描かれている訳です。
この部屋は意外と小さく8m四方とのことで、そうしたあまり大き過ぎないからこそ、この特異な効果がより生かされているかとも思います。
ぐるぐる回ってやっと辿り着き、入口から一歩踏み込んだ時の感動が蘇ります。
可愛い天使達(プッティ)が掲げている碑文板には当時の年代と共にマンテーニャの名前も明記されているそうです。
上の画像の東方三博士?の壁画も、右にあった立像群と同じ高さに描かれていて、人物・馬・犬の足元の位置関係などなど、見る側の"視点"に合った描かれ方をしていることが確認出来ます。
そしてこの北側壁面の場面の場合、暖炉の上に描かれていて壁画全体は、左下の見学者のように "低い"視点"から見上げる形になります。 従って、描かれた前列に近い人物の足元は、壁画の底辺に接地して描かれています。また遠近法に従い、奥の方の人物の足元は、底辺の位置より下になることになり、足首から下が見えない(描けない) 位置から始まり、奥まった(遠い) 所にいる様子になります。頭頂部も奥の人物は、奥 (遠く) に行くほどより低く描かれ、まさに奥深く、より空間的に、より立体的に、沢山の人物による量感溢れる群像が実現されているかと思います。これらも見上げる形になった【視点】を生かし、暖炉上の壇上に威厳を持った一族郎党が居並ぶ存在感や実在感を強く感じさせる効果となっています。
頭上の天井さえも、この部屋に立ち入った人が見上げた"視点"をそのまま生かされた仕掛けで描かれています。
部屋の真ん中から見上げた頭上の天井中央部には、まるで吹き抜けから覗き見えるかのように青い空や雲が描かれ、生き生きとしたプット(天使 )や、まるで井戸を覗き込むかのような人物達が…。
今やここに平面とは思えない世界が繰り広げられ、見上げた人の【視点】を取り込んだマンテーニャの企みとも言える特異な表現が生き生きと実現されていると思うのです。
ここに描かれた壁画はあくまで平面でありながら、全ての壁面がそこに佇んだ者の【視点】と合致した仕組みで、現実的な空間を感じさせるように描かれているのです。
臨場感たっぷりな空間を感じるのは、描かれている人達が、あたかも・そこに・そのように・居るかのような実在感ある存在として表現され、そして、この部屋に立ち入った者も、この壁面に描かれた人達と共にあるような錯覚さえ憶えるのです。
この部屋に仕掛けられた企みは、マンテーニャの構想した狙い通りに実現したのでは…。
「だまし絵」と言う言い方がありますが、余りにも軽く、マンテーニャのこの重厚で実感迫るこの絵には、言葉として使い難い思いがします。
*拙い文をお読み頂きありがとうございました