80歳夫婦イタリア絵画旅行記 (14)
【イタリア・あの愛しい人達に】
カスティリオーネ・オローナ
(5)マソリーノ 矛盾と魅力
画集などで詳細を確認してみると、ヘロデアなどの衣服には図柄紋様が、また後ろの壁にも幾何的な紋様などが部分的に残っています。このようにいずれも人体部分 (顔や手や足) 以外は、剥落や劣化によって平面化・色面化されて見えます。この効果?によって、却って人体部分が象徴化され、顔に見るひとりひとりの表情やまた仕草が浮かび上がって見えます。衣服等の平面化による簡潔さこそが、見る者からすると純化されたマソリーノの人物描写の有りようを直裁に感じることが出来ると思います。
上の図でも、衣服や壁の剥落劣化によって、描かれた当初の画面とかなり変わっているかと思われますが、却ってスッキリとした単的な絵になっていて、人物の一人一人の顔の表情が良く伝って来ます。画面全体として、平面絵画の持つ落ち着きや安定感が感じられ、壁の様子も結果的に重厚さが出て、画面として全体的に重みのある絵になって手応えを感じます。
上の図でも、襞のある立体的表現の衣服もすっかり平面化し、全体に違和感のない画面に見えて心地良いところです。6人の群像として見た時、皆んなが左を向いているのに対して、一人中央の人物が逆(右)に視線を走らせています。何故か光の方向も逆で、一人だけ左からの光を受けているようで、たいへん印象的にさえ感じます。こうした光の扱いにも、まだ分化されていない矛盾のようなものを孕んだところが中世らしく、或る種素朴で愛すべき思いで興味が持てます。
上の図、首を受取るヘロデアの衣服は大胆な図柄紋様が所々に残っていて、表現自体は平面化されたように見えます。それに対してサロメや後方の二人の女性は、襞が描かれて立体的に表された後が残っています。
ヘロデアの衣服の単純化された形や色面の中に見え隠れする紋様を探り見ていると、京都神護寺の「伝源頼朝像」(国宝) を間近かに見た時、黒一色と思っていた強装束の袍衣(ほうい)全面に地紋が描かれているのに気付き、驚いたのを思い出します。どこか類似した表現を見い出して、何か親しみを感じ、忘れられないものとなっていました。
上の図は、当洗礼堂より10年近く前に描かれたフィレンツェ・カルミネ教会の一部です。並んで歩く二人の右側の人物は、襞による立体的・陰影的な衣服に、そして帽子は大きな図柄による平面的表現に。左の人物は、薄緑の単色地に大胆な図柄紋様の平面的・装飾的表現の衣服と、陰影を伴う襞のある被り物。二人の間で、対角に表現描写を変えて描いています。
このように矛盾した表現差は(11)で紹介したワシントンのナショナルギャラリー所蔵の「受胎告知」(1420年後半)で既に見られます。その際は、マリアの衣服は立体的・陰影的であって光源の位置も明らかです。それに反して天使の衣服は対照的に平面的・装飾的な表現がなされています。
この洗礼堂より少し前(1428〜1431年頃)に描かれたローマのサン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂を見た時、主要な人物は衣服の襞を描かず、黒または緑青などの一色によるシルエット的な平面表現が多用されているように思いました。
こうして見て行くとマソリーノは、もともと当初より立体的・陰影表現と平面的・装飾的表現の両方を同一画面で共存させていたことが良く分かります。そして、このカスティリオーネ・オローナの洗礼堂では剥落劣化により、くしくも平面描写を目指したかのような結果となっていて、個人的にはたいへん共感を持って見ることが出来ました。
こうした表現差を共存した中に、ルネサンスに至る前の中世的な素朴さや大らかさや親しみ深い未分化な魅力を強く感じ、愛しくさえ思えるのです。
*拙い文をお読み頂きありがとうございます。