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十日市場駅からの散歩
久々のポエムw
新治市民の森
最近散歩コースがマンネリになっていて、
ポエム書いていませんでした。
8月の最初の土日に、家から出ていないことに気付いて、
青葉台に散歩に行った事がキッカケで、
横浜線 十日市場駅から、
20分程歩いた所に水田と森があるのを見つけました。
以前から、よこはま動物園ズーラシアの周辺には
自然が多いとは思っていたのですが、想像以上でした。
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森の外周を1週したのですが、
森の中は木々が鬱蒼と茂っていて
森の向こう側に有るはずの水田や広場は見えませんでした。
森の中に入っていく道も、緑のトンネル状態で屈まないと通れない高さ…
断念しました。
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そのまま進むと、
薄っすら暗くなった頃に新治市民の森と三保市民の森の間の舗装された道に着いたので、
道なりにそのまま歩いていくと、
すっかり暗くなってしまい
たまに通る自動車のヘッドライトが頼りの状態になりました…
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実際は奥のカーブが殆ど分からない暗さでした…
道路の両側の木々が黒ぐろと覆いかぶさっていたので、35年くらい前に観たスタンド・バイ・ミー(映画)を思い出しました。
鬱蒼とした森の中を、死体を見るために冒険する…
という変なストーリの映画です。
とりあえず目標にしていたローソンに辿り着いて、
一息ついて、水を飲んでから駅に戻る道に入ったのですが、
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ウシガエルの鳴き声をBGMに歩きました
町中の道路にもかかわらず殆ど街灯が無かったので、
車に轢かれない道を選んで歩きましたw
本当に横浜市か?!
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新治市民の森を一周して、
十日市場駅手前で肉めし岡むらがオープン記念で値引きしていたので、
そこで夕飯を食べました。
そこでは懐かしい音楽が流れていて、
自分の年齢を再認識すると共に、
やり残したくない事について考えました。
インナーチャイルドを感じてみた
35年前の記憶と感情に繋がる事ができたので、
過去と未来について思いを馳せてみました。
何で読んだのか忘れましたが
「感情は人生を楽しむ最高の娯楽」という意味合いの言葉を知ったので、
今年は感情が刺激される事を実行しています。
先月は、
Youtuberの「統計のお姉さん サトマイさん」が
「あっという間に人は死ぬから」を出版した記念イベントで、
人生初のサッカー観戦を体験してきました。
昨日は、
朗読劇「夜に花サキ、君は笑む」を、
下北沢の会場で味わってきました。
※Xでハッシュタグ「#夜笑む」を検索してみて下さい、雰囲気が伝わると思います。
人の感情が空気を伝わってくる距離は、とても短い…
最近知りました。
EQがとても低いので、
これまでの人生は人が感情的に理解できる事を、
殆ど理解できずに生きてきました。
考えても仕方がないのですが、
もしも情緒的に人並みだったら、
真似事ではなく、
友人と共通の趣味で本当に楽しめたのではないか…
今月はそんな事を思うことが多いのです。
自分は情緒的に人並みではなかったので、
35年前にスタンド・バイ・ミーを観て、
死体を見に行く意味が解らなかったし、
誰が誰を支える話なのかも理解できませんでした。
死体は見つかったのか、警察に報告したのか、何故死体があるのか…
疑問しか残りませんでしたw
そういった感じで、今も年齢並みの成熟はしていないのでしょう。
だから、
人生についても自分なりの方法で考えてみようと思います。
葬式イメージしても人生のプランは浮かんでこない
よく人生を俯瞰して計画を考える時に
「葬式で自分はどんな人だったと言われたいか」を
考える方法が使われます。
この方法でも感情的に何となく分かった感じになれるので、
感情的に満足出来るのでしょう。
だけど、
そもそも人は、無いものについて考えるのは苦手なのです。
「なので自分が存在しない状況」について考える事は苦手なのです。
その方法で本当にやり残したくないことを想起できているのでしょうか。
自分にはそうは思えないのです。
そこで俺は、両親の寿命から自分の余生を推測して、
その期間でやり残したくないことについて考える事にしました。
人間は、挑戦してないことや、達成できなかったこと、
を後悔するように出来ているので、
「悔いのない人生」戦略で考えると、
やりきれない量のタスクに埋もれて、
簡単に実行可能な些末な
タスクばかりに手を付けてしまうのです。
残された時間から逆算する
俺は仕事と家庭作りで成功したかった…
趣味のコンピューターゲームやアートでも成功したかった。
けれど残された時間で全て挽回することは不可能と分かっています。
大抵の人は似たような状況では無いかと思います。
なのに失敗した仕事や結婚の夢を追って、
修復と維持するだけで中途半端に終わって満足でしょうか。
俺はそんなの嫌だw
だから、
「残された時間を出来るだけ有意義に使うには何をすればよいか」と、
考えることにしました。
当たり前ですが未達成なことよりも、
未挑戦な事を優先したいと思いました。
サンクコストというバイアスから開放されたのです。
残された時間で挽回可能ならば、
修復に取り組むことは有意義ですが、
SNSやYoutubeでは、
達成不可能な夢に挑戦し続ける事を美学として見せつけてきます。
そんなものに振り回されている時間は無いと気付いたのです。
やっても意味がないと分かっている事でも、
何故、挑戦してこなかったのか、その事が悔やまれますw
それから挑戦優先で考えてみると、
そのうち~、いつか~、出来れば~という言葉が
有害だと感じるようになります。
全て準備や失敗を前提にした考え方で、
時間が無限に使える前提なのです。
当然、必要な準備はありますし、
人間なので失敗します。
でも以下の前提で動かなければ、
先延ばしとやり直しで人生が終わるのです。
1.準備に漏れがない前提
2.挑戦するなら目標ラインを超える前提
先延ばしと、やり直しばかりで、
挑戦も達成も無いまま人生を終えて満足でしょうか。
俺は嫌だw
だから成果は小さな物だとしても、
やってみる事そのものに意味があると感じるのです。
落下する銀河
宇宙では、
天の川銀河に、別の小さな銀河が落下してくるそうです。
落下してくる小さな銀河は、
大きな銀河の回転に巻き込まれて散り散りになってしまうのですが、
質量(重さ)がある物同士は引き合うので、
集まってしまうのです。
自分が読んだ記事は、
「ハッブル宇宙望遠鏡の長年の観測で、ミドルサイズのブラックホールが見つかった」という内容でしたが、
何となくハリネズミのジレンマを想起させて、切なくなりました。
もう少し頭の整理が出来たらリライトしたいと思います。