過去に根拠を求める話
ASDと誤診されることがあるものは、Hsp、愛着障害、スキゾイドと3つもある。
そうなってしまう理由は、心療内科で見ているのは本人の証言とその態度を元にした診断だから。
ウイルスや疾患のように物理的な原因が有っても診察方法によっては誤診に繋がるのだから、物理的な原因が確認できない心の診断で誤診が発生するのは仕方がないこと。
生き辛さの原因に、やたらとラベルを貼りたがる人がいるけれど、現象は行動の結果であって病気の結果ではないのだから、どんなにラベルの種類を言及しても生き辛さという結果が変わるわけではない。
自分の場合は、他人にペースを乱されることを嫌って、人を遠ざけることだけれど、人から影響を受けなければ、見知った場所をグルグル回っているだけに成ることも分かっていて、その板挟みが悩みの種だと考えている。
一時期は読書が解決してくれると考えたけれど、人からの影響がなければ、同じ分野の本ばかり読んでしまい、根本的な解決にはならなかった。
せいぜい本屋に行って、自分が普段見ないコーナーの本棚を眺めて見るくらい。でも何の知識もなければ手にとって読んでみようと思うものは稀で、買って帰るまでする本は殆どない。
そこで、なぜ人にペースを乱されるのが嫌なのかを考えてみることにした…
およそ半月前そんな事を考えていて、直後に私事の課題で忙しくなり、続けて仕事の課題で忙しくなり、今日まで思考をフリーズドライしていたので、解凍してまとめてみた。
まだまだ、課題の解決は先になるけれど、課題との共存に慣れてきたので今日はnoteにアップしようと考えた。
友へ、UNITYのこと未来に向けた課題のこと、進んでいなくてごめんなさい。
意識はしています、わずかでも行動します。
宜しくお願い致します。