魚を喰らう

やなで鮎の塩焼きを食べました
昔から魚を食べるのが下手くそで内臓やら骨やら食べ分けるのが苦手でした
結果どこを食べたのかわからないような残骸だけがのこり食べ方がとても汚いです
ですが実のところ鮎あたりならば皮も骨も腸も食べられないわけではなくただ気持ちの上で食べたくないだけでした
それならばいっそ丸ごとたべてしまったほうがよいであろうと思い至りました
頭はいまだにのこしてしまいますが

こういった心境の変化は人生において何度かあり
偏食がおおくとくに野菜嫌いでしたが中学生のころにおいしいからではなく必要だからたべるという意識になりよほどのものでない限りあまりきにせずたべるようになりました

世の中というものは個人の好みでなりたっているわけではなく様々な要因で成り立っています
ですので個人の好みなど場合によってはどうでもよいときもあります
常に欲求を満たすやり方では欲望の奴隷にしかならなく
好きなことしかやらないのは自由なのではなく可能性の幅を狭めているだけなのではないかとおもいました
おやつばかりたべていては健康を崩すし
面倒だからと運動をしないでいると不調を抱えたりするのです

ですので人生というものは好みという一つの指標にこだわらず
幅広い観点でトータルにコントロールしていかなくてはならないのだと感じました

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