幻想を売る

幻想はお金になるなとおもった動画でした。

簡潔に説明すると希少性でもっていたダイヤモンドの価値が鉱山の発見で暴落するところを流通規制で希少性を維持し幻想でコーティングすることで価値を高めるという趣旨です。

物には価値があります。
サービス(行為)にももちろん価値があるでしょう。
信頼(ブランド)にも当然価値があります。
可能性であるチャンス(宝くじなど)にも価値があるのもわかります。
ただ幻想はどうなんでしょうか

自分もよく幻想を買います。手に入れたらこうに違いない。まだみぬ素晴らしいものがまってるにちがいない。それを手に入れることが証明に繋がる。そういった思い込みこそが幻想です。そのたびに実物を目の当たりにしてあれこんなもんかと根拠のない過剰な期待にがっかりしてます。今回のダイヤモンドの話はそれとはまた違うのかもしれませんが、他人、もしくは自分の作った根拠のない価値観というものを盲目的にのっかることはあとで後悔を生み出すことにならないかということです。
世の中には幻想があふれています。また意図的に勘違いを起こさせます。だって利益につながるから。そうすることがそうにつながると思い込ませ、いやそうだなんていいました?断言はしてませんけどみたいな顔をします。あるいは提供した側も本気で幻想を信じ、あるいは購入側がかってに思い込んでたというパターンもあるでしょう。現実的に本質を見極めて買うということは珍しいのかもしれません。いれこめばいれこむほど、高価であれば高価であるほど幻想というものは大きく膨らむ気がします。
そういった幻想が現実のと差を埋められなくなった時に騙されたと強く感じふざけるなと怒りを爆発させるのだとおもいます。

けっきょくのところ他人に価値観を委ねるのは危険な行為です。寄りかかれば寄りかかるほどそれが失われたときに立ち上がれなくなります。価値観を自分でのみ生み出せるとは思いませんがなにをもってどう判断するかは自分で取捨選択する自覚を持たなければ非常にアンバランスではないでしょうか。精神的な自立とはそこにあるとおもいます。
幻想を追い求めることは悪いことばかりではありません。ありませんがそこを追い求めすぎてしまうと幻想はあくまで幻想でしかなく、地に足がついたものではありません。幻想を追い求めるがあまり崖を飛び出していたということにつながりかねません。あるいはそのまま夢に生き続けることのほうが幸せなのかもしれませんが、どちらがよいかはわたしにはわかりかねます。

それにしてもこれだけ幻想神秘が解明され否定され続けてる世の中だというのに多く溢れ続けているのだから幻想というものは人が想像力をもつ以上なくなることはないのかしれません。誰だって甘い夢は見ていたいし虚像とわかっていながら騙される。現実をみたくないがために目をそらし、そらし続けるがゆえに誰かに利用される。夢を見せ続けている間は崇め奉られ裏切られたと感じたらそのつけを払わせる。あるいは甘い夢をみせてもらったと感謝をするのか・・・人の感性はおもしろいですね。


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