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青く染まる

フィンセント・ファン・ゴッホがパリからアルルに越した時、その目当てはポール・ゴーギャンとの共同生活の他、自らの身をある国に似た環境に置くということもありました。

それが叶った喜びを、ゴッホは弟テオ宛ての手紙に書いています。

ここにいると、まるで日本に来たようだ!


19世紀後半のヨーロッパ、ことに美術界を席巻したジャポニスム日本趣味はゴッホの心も捉え、"陰鬱なフランス"とはかけ離れた、"光り輝く日本"への憧れを掻き立てました。

ゴッホが新天地を日本になぞらえたのは、その土地の気候と空の色が原因です。
一年中天気がぐずつき曇天続きのパリに比べ、南仏アルルは冬でも晴れ間が広がり、陽光に恵まれていたのです。

その澄んだ青空はゴッホを癒やし、アルルに移住できた幸福を、繰り返しテオに語りました。


ゴッホが日本美術、とりわけ浮世絵を深く愛したことは有名ですが、浮世絵の何にそれほど引き込まれたか、ふたつの大きな理由があります。

ひとつは画面の構図です。
近景拡大、簡略化、額縁効果、分割法など、様々なテクニックを駆使して描き出される見慣れぬ世界に、激しい驚きをおぼえたのです。

そして、もうひとつが色遣いです。
西洋画壇とは全く異なる、大胆かつあでやかな色、ことに息を飲んだのは、青色の深みと豊かさでした。


18世紀のベルリンで生まれた人工顔料 "プルシアンブルー" は江戸にも届き、市中で空前のブームを巻き起こします。
草木染めの穏やかな青を見慣れた人々の目にその色は眩しいほどで、和名で "ベロ藍 "とも呼ばれる顔料は、浮世絵師たちに桁違いの売れ行きをもたらしました。

そのため大御所たちもこぞって自らの作品にそれを取り入れ、ことに歌川広重は、〈東海道五十三次〉をはじめとした風景画にベロ藍を重用します。
当時の日本の海、川、空などの自然を描いた広重の絵に、ベロ藍はまたとない効果をもたらしたのです。


実は私はつい最近、じかにそれらの絵に接しました。
綿業で財を成した篤志家寄贈の、瀟洒な美術館が大阪府和泉いずみ市にあり、そこで広重の連作〈六十余州名所図会ろくじゅうよしゅうめいしょずえ〉が一同に会する展覧会が開催されたためです。

私が美術館を訪れたのは会期終了間際の8月下旬で、道路に陽炎かげろうが立つような猛暑日でした。
屋外のそんな暑さが嘘のように、会場内には冷気と静謐さが満ち、熱が一気に引いていったのを覚えています。

それはおそらく視覚的な効果であったものかもしれず、展示室を巡って歩くうち、ある色に浸されるような心持ちになったのです。
江戸の人々、ついには海外の芸術家たちにまで歓喜と驚嘆もたらした、あのベロ藍の青色です。


この絵具と木版画との相性は抜群で、一流の摺り師が丹念に摺り込みを行う紙には、耐久性と質感の良さを誇る奉書紙が使われます。
この奉書紙が、摺り込まれた絵具を長い繊維の奥に引き込み、鮮やかな発色を叶えるのです。

それらの作品のうち、最も古いものは嘉永6年1853年)に刷られましたが、171年前の作であるとは信じられないほど、生々しい鮮烈な迫力を備えていました。


私は西洋絵画を観るのも好きで、青色で連想するのは、画面を沈んだ青で塗り込めた "青の時代" のパブロ・ピカソと、"青の画家" ヨハネス・フェルメールです。

フェルメールの〈真珠の耳飾りの少女〉の真作の前に立った時のことは、今でもはっきり記憶しています。
真っ白な壁の展示室で、私は幸運にもたった一人で、その絵と差し向かいになる機会を与えられました。

黒い背景の前の少女がまとうターバンの、底光りするような青。そこに塗り込められたのは、ラピスラズリを砕いて作った稀少な絵具、その名も "フェルメールブルー" です。

"時間が止まる" という言い回しがふさわしい、魂を吸われるような絵画で、フェルメールに関心も無かったはずが、今では自室の壁に小さなタブロー複製画までかかっています。

美術の世界でその "フェルメールブルー" と並べて語られるのが ”ヒロシゲブルー" で、広重の絵の中の特別な青は、深い感嘆を観る者にもたらし続けています。


その展覧会の連作タイトル〈六十余州名所図会〉は、かつての日本が68の国に分かれ、その総称が "六十余州" とされていたことにちなみます。

近畿、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道に江戸。
それらの景色に目録を加えた70枚もの作品が、展示室に整然と並んだ様は圧巻としか言いようがありません。

そんな絵の前を時間をかけて移動しながら、感じたのは有り余るほどの豊穣でした。
かつて日本の各地に壮大な自然が広がり、その風景を空気感ごと巨匠の筆がとらえたこと、同時代の人々が当たり前にそれを享受し、その絵が今日まで受け継がれ、直に見つめられること。

そういった文化の厚い地層に触れ、自分が受けている恩恵に、感謝の念を抱かずにいられなかったのです。


一度にそれほどの数の浮世絵を観るのは初めてで、展示室を出る頃には別の時空を旅したような、酔ったような心地になっていました。

今でも、目眩めくるめくような絶景や、あまりにアヴァンギャルドな構図、田園風景を行く人の姿、明晰な青色が目の前に浮かんできます。
それらの素晴らしさはどうにも言葉にし辛く、こうして文章にできるまで、ひと月近くがかかりました。

青い薔薇の花と同様に、絵画でも美しい青の追求は美術家の悲願でした。その幸福な実現が、そこでは叶っていたのです。
それを自分の目で観られたこと。それもまた、私にとっての大きな幸福と言えそうです。





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