2月の詩
『浅き春に寄せて』
今は 二月 たつたそれだけ
あたりには もう春がきこえてゐる
だけれども たつたそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない
今は 二月 たつた一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはゐない
だけれども たつた一度だけ
そのひとは 私のために ほほゑんだ
さう! 花は またひらくであらう
さうして鳥は かはらずに啼いて
人びとは春のなかに笑みかはすであらう
今は 二月 雪の面につづいた
私の みだれた足跡……それだけ
たつたそれだけ――私には……
この詩の作者は立原道造。夭折の天才としても知られる詩人です。
歌曲に興味のあるかたは、素晴らしい音楽と共に、この詩人の作品を味わったことがあるかもしれません。
詩集の発行こそ本人の死後となったものの、生前からその才能は広く知られていました。
その証拠に、東京府立三中では芥川以来の秀才と称され、一高在学中には後に『風立ちぬ』の著者となる堀辰雄と親しみ、すでに大家であった作家の室生犀星に師事しました。
類い稀な才能は他方面にも及び、建築家を目指して学んだ東京帝国大学でも、在学中から数多の建築関連の賞を受賞、一学年後輩の丹下健三らから羨望の眼差しを浴びたといいます。
大学卒業後には建築事務所に勤め、多くの設計図や自身の夢の家のスケッチを繰り返し描き、それは今、さいたま市の公園に建つ〈ヒヤシンスハウス〉として、訪れる人を迎えています。
けれども順風の中で結核を患った立原は、1939年の春に、短い生涯を閉じました。
まだ24歳の若すぎる死でした。
立原は残した詩の中で愛について叙情的にうたっていますが、実人生で経験したのは悲恋ばかりです。
特に有名なのは、地方の旧家の女性に恋をし、その人に会うため繰り返しその土地を訪れながら、結局想いは叶わず、その人は別の相手と結婚してしまった、という報われない恋のエピソードでしょうか。
死の前年、ようやく相思相愛となる女性と巡り会い、人生も詩もにわかに明るくなるのですが、そこにも別離の影がつきまといます。
幸福の絶頂であるはずなのに、立原はなぜか一人で転地し、彼女との間に距離を置くのです。
実はこの頃すでに、自分が不治の病に冒されていることを承知していたため、あえて彼女を遠ざけたのかもしれません。
この詩の最後の一文『私には……』に続くのは、“春はもう来ない”という言葉だともされています。
自分のいなくなった後の春の景色を想像し、この詩を書いたのだろうか。そう考えただけで胸が塞ぐ思いがします。
二月と聞くと思い出す、寂しさが光るような、私の大好きな詩です。