末は博士かオオアリクイか
私がよく買い物に訪れるスーパーに、カウンターと数脚の椅子を備えた、ささやかな休憩スペースがあります。
その入り口に据えられた掲示板に、変わった写真を見つけました。
盛大な飾り付けの笹を片手に、スーツ姿の男性が深々とお辞儀する姿をとらえた一枚で、場所はどこかの神社のようです。
よく見ると隣にはこんな説明文が。
〈皆様のご健康を心から祈念して。
七夕飾りの短冊は、無事に御焚き上げいただきました〉
それは、このお店の店長さんが、氏神様で七夕笹の奉納を済ませてきた、という報告でした。
七夕シーズン中、お店に飾られていた笹には買い物客が思い思いに願掛けをした短冊が飾られており、そこには小さな子が書いたらしい、こんな印象的なものもありました。
〈おとなになったらオオアリクイになれますように〉
オオアリクイ。
そのややマニアックな選択に、どんな背景があるのか興味をそそられますし、もしかすると、オオアリクイが活躍する絵本を読むか、素敵な密着番組でも観たのでしょうか。
とはいえオオアリクイの生息地は南米の湿地帯や密林で、絶滅危惧種で仲間は少なく、天敵はピューマやワニと、かなり厳しい環境です。
蟻塚を崩して素早く蟻を掬うにも技術が必要ですし、毎食の昆虫食に飽きがこないでしょうか。
眠るのも他の動物の捨てた巣穴や岩の窪みを探し歩きと、大変そう。
そんな風に考えたなら、大人になってオオアリクイになるよりも、時々オオアリクイに会いに行くとか、オオアリクイをサポートする人になる方が良いかもしれない、という気がします。
たとえば南米の密林で、各国の専門家と協力して研究に勤しむとか、動物や自然の保護に尽力するとか。
考えただけで素敵でわくわくしてきます。
実際にそんな方はいて、その方は一年の大半を彼の地で過ごし、残りの日々は研究発表や報告会をする、という生活をなさっています。
そこだけを聞けば夢のようながら、実際には相当な危険が連続するなど、現地では片時も気が抜けず、特に密林の奥地での単独調査では、自分以外に頼れるものはありません。
先ごろの現地調査でも、思いもよらないアクシデントに見舞われた、どうにかその場を切り抜けたけれど、悪くすると腕か命が無くなるところだった、とその方は取材映像で笑っていました。
都会でゆるま湯生活の私には到底つとまりそうもなく、インタビュアーも同じような心許無さを感じたのか、こんな質問を繰り出しました。
「大変素晴らしい活動をさなっていますが、それだけに大変なことも多いのでは?」
「まあねえ、ストレスがないとは言えないけど、好きでやってますからね」
なかなかに正直なお答えを得て、インタビュアーはさらに質問を重ねます。
「同じような道を志す人に、何かこれがあれば役に立つよ、というようなアドバイスはありますか?」
「そういうものは言い始めるとキリがありません」
「では、最低限、これだけあれば、というものは?」
なかなかに良い質問ですし、秘境生活で必要不可欠なものは何か、私も想像してみます。
体力、知力、鈍感力、コミュニケーションスキル、それとも根性?
あれこれと考えてはみたものの、答えはそのどれとも違っていました。
「“自分の食べたいものを自分で作って食べられること”ですね」
おそらくもっと別の回答を期待していた様子のインタビュアーに、淡々と説明がなされます。
「人間、どこにいたって食べなきゃなりません。食べ物が合わないとすぐに心身が崩れます。けど、食べたいものをさっと自分で作れたら、そんな心配もいらないわけです。下手な料理で材料も有り合わせでも、なんとかなります。おかげで、どこでも元気で機嫌良くいられるわけです」
聞けば納得のお話で、“食べる”という生存上の基礎の部分を押さえるあたり、やはり秘境を生き抜く人は違います。
しかもこれは、たとえ今アマゾンの奥地に居なくとも、誰もがすぐ使えるテクニックです。
自分の生活の基底部分を、自分で支え、満たしておくこと。
それさえ叶えば、本当に、後はどうにでもなるのではないでしょうか。
私たちはたぶんオオアリクイにはなれないし、南米でピラニアと戦いつつカヌーを漕ぐこともありませんが、まずは今ここで、自分のご機嫌を取り、やれることをやっていくのが、何より有益なことかもしれません。
さて、今日はどんなおいしいものを作りましょうか。