現代の関守に会う
もう数年前に『今度は苗字が多すぎる!?』という話を書いたのですが、その時に調べたところ、日本の苗字のバリエーションは何と世界第三位の多様さを誇るといいます。
そうなると当然、読み方がわからないお名前も続出し、私が直接存じ上げている"東江"さんや
"月見里"さんなど超難読苗字だけでなく、"草柳"さんは"くさなぎ"か"くさやなぎ"か、"中島"さんは"なかしま"か"なかじま"かという発音の問題も発生します。
複雑な苗字の人は、人から聞き返されたり誤った読みをされることにも慣れていらっしゃるでしょうが、それでも失礼があってはいけないと、こちらも気を遣います。
そこで全ての苗字に振り仮名がついていれば、そんな問題はたちどころに解決すると思うのですが、先週、久しぶりにその考えを強くしました。
それというのも、"相宅"さんという方から名刺を頂戴したからです。
この方のお名前を"おおや"さんと初見で正しく読める人は、どれくらいいるでしょう。
もちろん私は"そうたく"さん以外の読み方を思いつきもしませんでした。
日本で数百人という相宅さんは、大阪府と和歌山県の境にルーツがあるといい、私が不思議な偶然で知り合ったその相宅さんも、先祖代々、そちらの土地で暮らしてきたそうです。
その日、私は腰にひどい痛みを抱える友人と共に、有名な療養泉に向かっていました。
山道を車で走っていると、ふいに視界が開け、道路の左側には細い川が、反対側の山の斜面には無数の幟旗がはためいているのが見えてきました。
その小さな紫色の旗には仏様と奉納者の名前が書かれており、《大師堂》という看板のかかった立派な日本家屋も見受けられます。
こんなところにお寺とは。ちょっと立ち寄ってお参りさせていただこう、と私たちは駐車スペースに車を停め、門前に立ちました。
ちょうど前庭で作業中の人の姿が見えたため、門の外から声をかけると、丁寧に対応してくださったのが相宅さんでした。
通りがかりに看板が目に入った、良ければぜひ拝観させていただきたいと告げると、返ってきたのは、こちらはいわゆる普通のお寺ではないのです、という説明です。
余命いくばくもない重病者、登校拒否や引きこもりのお子さんに親御さん、スランプで勝てなくなったオリンピアン、国民的アイドルグループのメンバー、赤字続きの会社の経営者など。
訪ねて来るのはほとんどが困りごとを抱えた人たちで、皆それぞれに切羽詰まり、救いを求めてここへ辿り着くといいます。
それがいかに多岐にわたるかは、立ち話の間も周囲で風にたなびく、無数の幟旗を見ても明らかでした。
相宅さんは僧侶としてそんな人たちの相談に乗りつつ、護摩行や祈祷、時節ごとの行事を執り行っているそうでした。
ほどなくして招き入れられた屋内の、上り框からしてすでに空気が変わる感覚は驚くべきものでした。
広々とした土間、黒光りする梁や柱、吹き抜けの高い天井は威厳に満ち、築三百年を超えるこのお邸で、相宅さんのご先祖は関所を守る関守として、代々暮しを営んできたそうです。
玄関を入ってすぐの仏間では、"いつの間にか集まってきた"という何尊もの仏様を前に、色々と不思議なお話も伺いました。
過去に私が医師から余命宣告をされたのと同じく、相宅さんも重い病を得た経験があり、全国で活躍するお弟子さんにもそんな人は珍しくないそうです。
癌のステージ4に至っても完治した人はいくらもいる、どのような心身の苦境にあろうと、決してあきらめる必要はない。そう実例を交えて聞けば、運命を動かす人の心の力について、一層の確信を深くします。
そんな力は誰もが持つものですが、発動には祈りや信念のみならず、ある種の開き直りや素直さ、明るさも重要だというのは納得のいくお話でした。
相宅さんは今の日本の在り方、人の心の有り様にも危惧を抱きつつ、絶望してはおられません。
たとえ周囲の世界がどのようであったとしても、我々はそこで生きて行く他はなく、受け入れるべきは受け入れ、変えられる部分は変えるべく努力をし、自暴自棄や厭世的になることは避けなければ、と私たちは話しました。
外に向かっては一切宣伝もせず、それでも人づてに話を聞いてひっきりなしにお客が来るという山間の聖地は、私の中に忘れがたい印象を残しました。
声高に喧伝せずとも、日々ただ淡々と、世の中の人のため自らの力を尽くす。
他にもきっとそんな人は各地におられ、その人たちこそがこの世界を下支えし、出来かけた綻びを繕ってくれているのかもしれません。
それは誇らしく輝かしい生き方であり、出来ることなら私もそんな一員になりたいと願います。
確かな使命感を持ちつつどこまでも軽やかな相宅さんは、私と友人を見送りに出た軒下で、これから芋を植えるところだ、と種芋入りのバケツを見せて笑いました。
ここに集う人たちと、畑で得た野菜を食べることは楽しみのひとつだそうです。
確実にさっきよりも腰が軽くなった、と真顔で言う友人と、早速霊験があるなんて最高だ、などと話しつつ、私たちは相宅さんに見送られてそこを後にしました。
世の中にはどこに思いもかけないことが転がっているかわからず、まだ目的地にも辿り着いていないのに、早くも一日のハイライトのような出来事でした。