児孫のために美田を買わず
"私は打ち明け話をされやすいタイプです"ということを、ちょうど3ヶ月前に『トーテムそれともアセンダント』という話で書きました。
これによく似た、私がその機会の多さを感じるものが相談事です。誰かからの悩み相談を聞くことが、ずいぶん頻繁にあるのです。
考えると不思議なことで、この際有り体に言ってしまうと、私は人の身の上話にほぼ関心がありません。
芸能人の私生活云々はもちろんのこと、自分がよく知る近しい人、たとえば家族や友人、恋人といった相手であっても、その人たちがどんな風に時間を過ごし、何を考え、何をしようが、まあどちらでもいいかなという具合です。
もちろん好きな人たちには幸福に暮らして欲しいものの、だからといってその行動を逐一おさえたいとは思いません。
それゆえ特に目的のない安否確認的やり取り、生活上の細かな報告、"おしゃべりのためのおしゃべり"が苦手であり、ずっとそんな時間が続き尚かつそこから逃れられない時は、魂を半分よそへ飛ばしています。
ところが何故か、そこで唐突に打ち明け話、あるいは悩み相談が始まることがあるのです。
それも私のぼんやり具合につられるかのように相手もぼんやりと話し始めていることがほとんどで、私は急に話が変わったなと思いながらもぼんやりと聞き、相手も自分が何を話をしているか気づかずぼんやりと話し続けと、ひたすらぼんやりが溢れかえる、一種の異次元的な状況です。
けれどこれは意外に重要なことであるかも知れず、ぼんやりとした空気が繭のように周囲を覆い、その中にいるからこそ話が進んでゆくのです。
普段通りにきちんと外向きの顔を作り、身構えた状態で、とても打ち明け話や悩み相談などできるはずがありません。
日常の中でほんの一瞬、図らずして気が緩むからこそ、口が滑らかになり、心の内を漏らしてしまうことにもなるのでしょう。
だからある瞬間に周囲を覆う繭が破れ我に返った時に、何事が起こったかわからぬような、驚きの表情をする人がいるのも理解できます。
そして普通そのようなことが起こったならば、そんな原因を作った相手、この場合なら私に対し、警戒心や反感を抱くものです。
けれど私がほとんどそのような目を向けられたことがないのは、私自身が、同じく曖昧模糊とした状態でいるからです。
その人たちは私の顔や様子を見て、私が話の内容自体には興味を持たず、何やらあらぬことを考えているらしいと悟ります。
私自身も、問われる前から
「あのね、似たような話を思い出してたんだけど、泉鏡花の小説に、有り得ない一目惚れの物語があって。ある男子学生が春の日に」
などと話し出すので、相手も一体何を言い出すのかと半分煙に巻かれる形で耳を貸し、普通とはちょっと違う展開になって行きます。
もしもっと真剣かつ実際的なアドバイスが欲しいならば、その人たちはそもそも私に相談などしないでしょうし、思いがけない打ち明け話や悩み相談からのそんな話題を、案外面白がってくれるのです。
そして最終的には、そういう話が聞きたかった、他からは決して出ないアイデアだ、などと喜んでももらえます。
気楽といえば気楽なやり取りであり、抱え持つ何かをとにかく吐き出してしまうのもまた、悩み事への有効な対処法なのかもしれません。
私が人のあれこれを見聞きするたび空想に耽ってしまうのは報道でも同じであり、たとえば数週間前に目にした事件も、読みながらあれこれと考えてしまいました。
そのニュースの内容は"とある地方都市の高齢男性が、子どもたちに生前贈与で資産の全てを与え、その数カ月後、自宅で孤独死しているのが見つかった"というものでした。
衰弱による自然死というのが警察の見立てですが、身体の弱った父親を子どもたちは気にもかけず、一切の介護もなされていなかったといいます。
私はこの見知らぬ高齢男性に深い同情の念を抱きつつ、この人が『ペール・ゴリオ』を読んでいたなら、と本気で悔しくてなりません。
オノレ・ド・バルザック作のこの物語を知っていたなら、間違っても子どもたちに自分の全財産を分け与えるような行動は、決して取らなかったはずだからです。
かつて実業家であったゴリオが愛娘たちのために私財の一切を投げ出し、代わりに侮蔑と拒否を得る姿はこの物語の見せ場のひとつです。
ゴリオは赤の他人が看取る前で、娘たちへの呪詛の言葉を吐きながら死んでいきます。
資産家だった頃には甘い顔を見せていた娘たちが、父親の破産を知った瞬間、目の前で罵り合い、冷徹に背中を向けたからです。
現代の日本での同じような出来事に、私が臍を噛む思いになったのもわかっていただけるのではと思います。
子のためを思っての過ちが生む悲劇といえば『ペール・ゴリオ』の他にもう一つ、『リア王』が思い浮かびます。
私は記事を読みつつこの物語を思い浮かべはしませんでしたが、頭のどこかにはあったのかもしれません。
そうでもないと、突然『リア王』の登場人物〈グロスター伯〉の名が脳裏から離れなくなる、などということが起こるはずもないからです。
ここでやっと、前回の話『そはかの人か、グロスター』に結びつきます。
〈グロスター伯〉は私の潜在意識を潜行し、数週間かけて顕在意識に浮かび上がってきたようです。
そのために、何年も思い出しもしなかったあの哀れな伯爵のことを唐突に思い出したのです。
この結論は、人間の意識の働きの不思議を感じさせます。
これにてグロスター伯を巡る、私のささやかな探求も終わりを迎え、やっとひと息つけそうです。
いつまた新たな思いがけない名前の来訪があるかも知れないものの、それも愉しみなところです。
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