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〈詩〉×〈テクノロジー〉=〈!〉
この時期、動物と暮らしている人にとってあるあるなのが、暑い屋外からやっとのことで帰宅した際、しっかり冷えた涼しい部屋で、“うちの子”が余裕たっぷりに出迎えてくれる、という状況でしょう。
もちろん、家族同然の大切な動物たちが、快適に過ごせるのが一番です。
自分も犬になりたい…!と瞬間的に願うだけで、一切の文句はありません。
かわいい“うちの子”のためならば、常軌を逸した暑さも厭わず、どんな仕事や雑用だってこなします。
先週末も、昼間にどうしても外せない用があって、太陽が最も高い時刻に外出しました。
風の通るゆるめの服に、日除けの帽子、ストールという格好で自転車に乗り、なるだけ影づたいに進むなど、精一杯の工夫は凝らすものの、容赦ない陽射しと熱風相手では、どんな対策もほとんど意味をなしません。
しかも私の住む家は、土地の形状から、東西南北どの目的地へも坂道の登り降り必須、という条件がついてきます。
ここでかなりの気力と体力を奪われる上、私の愛車は、由緒正しい人力式です。
そのため、長い坂道をのろのろと進む私の脇を、電動機付き自転車に乗ったマダムやお年寄りが、颯爽と追い抜き登っていきます。
真夏の昼間でも路上を行き交う人は意外に多く、歩きや自転車の人に混じり、日傘を差した電動車椅子の老紳士もいます。
その方は私とは逆に坂を下りつつ、何やらつぶやいているようですが、こちらはとてもそんなことに気を取られている余裕はありません。
もういっそ自転車を降り、ハンドルを押しながら歩くかどうかという瀬戸際なのです。
ところが、いよいよその方とすれ違う際、私の耳にも、はっきりとその声が聞こえました。
「もうちょっと。がんばれ、がんばれ」
驚いて見ると、老紳士もこちらを振り向き、私たちは小さな笑みを交わしました。
まるで、マラソン選手と沿道の応援者さながらです。
そして、その瞬間、私たちの“世間的優劣”が、見事に入れ替わったのを感じます。
だって、“年若い健常者”と“年輩の障害者”では、どちらが“優位”にあるか、世の中では当然のように“順位”がつきます。
けれどもその時、私を励まし、元気づけてくれたのは、電動車椅子の老紳士であり、余裕たっぷりに涼しい顔をしていた“勝ち組”は、その方のほうだったのです。
その鮮やかな逆転は、なんだか胸のすくような楽しいもので、私は笑いたい気分になりました。
同時に頭に浮かんだのは、『TEDトーク』でエイミー・マリンズが話していたエピソードです。
モデルでアスリートのエイミー・マリンズは、世界的なプレゼンテーションイベント『TEDトーク』で、〈12組の足〉というスピーチを行いました。
彼女は“先天性脛骨欠損症”のため、わずか一歳で両脚を切断しながら、短距離走で活躍。今では陸上界でもスタンダードの“チーター型義足”を、パラリンピックで初めて使用して有名になりました。
スピーチでは、一度目の『TEDトーク』出演後に講演で世界中を回ったこと、アレキサンダー・マックイーンのショーに素晴らしい義足と共に出演したこと、子どもたちから義足は大人気なのだということなど、“気の毒な身体障害者”の固定観念を覆す逸話が次々に披露されます。
中でも会場を沸かせたのは或るパーティでの出来事で、“5種類の身長”を持つ彼女は、その夜は185cmになれる義足をチョイスしました。
ところが173cmの彼女しか知らない友人は、その姿に驚嘆し、思わず漏らします。
「でも、エイミー、そんなのずるい」
“健常者”の友人が、“障害者”の彼女を羨ましがる、おかしくも微笑ましい逆転現象に、会場はあたたかな笑いに包まれました。
「時代は変わった、“人間らしさ”の最大の可能性は、“誰もが持つ長所や偉大な欠点を褒め称えること”によって叶う」
と彼女はその時に感じたと語っています。
そして、そのために役立つのは、ロボットやバイオニスクなどの先端技術と、詩をミックスすること。
たとえば彼女の義足はただ実用的なだけでなく、独創的で人目を引く様々な仕掛けがあります。
それは彼女が“詩は大切”だと信じるゆえです。
「詩は平凡でおざなりなものを芸術に変える。
人々の恐れを興味と理解に変えます」
「その先の人間らしさとそこに潜む可能性が、私たちを美しくするのです」
これは、修道士で作家のトマス・ムーアが
「良い生き方に重要なものは魂である。
魂を大切にするとは、日常生活に詩を持ち込むようなものだと想像しよう」
と語ることそのものです。
エイミー・マリンズの義足は、彼女の言うように最先端技術と詩の融合であり、そこには“可能性の美”が満ちています。
真夏の昼間、滑らかに走る電動車椅子から、苦労して坂道を上る、見知らぬ相手を励ます老紳士にも。
詩とテクノロジー。
この一見かけ離れた古いものと新しいものの融合は、ますます大きな希望を生み出すかもしれません。
それにしても、ポエジーを超えたこの暑さが、最新テクノロジーでもう少しどうにかなれば最高なのですが。