世界はいつも決定的瞬間
「そうしてると、いかにも"カメラの人"っぽいね」
家族がそんな風に冷やかしてくるのは、私が片手にミラーレス一眼カメラ、もう片方の手に埃を払うブロワーを持ち、真剣な顔つきをしているからです。
それでも久しぶりに引っ張り出した大切なカメラですし、手入れは慎重にするに越したことはありません。
このカメラは以前の仕事で幸運にも経費購入が認められて手にしたもので、さらに幸運なことに、その職を離れた今も私の手元に残っています。
自分で吟味して買い求めただけあり、公私問わずどこへ行くにも持ち歩いていたのですが、去年の春先、思わぬ体調に陥ったことがきっかけでその習慣が途絶えました。
なぜか写真を撮ることが億劫になったのです。
体調の悪さのせいか、ファインダーを覗くと妙な気持ち悪さが込み上げてきて、まるで乗り物酔いのような状態でした。
おそらく自律神経が乱れていたに違いなく、スマートフォンの画面のスクロールにも同じ感覚がありました。
小さな画面に目を凝らして集中するのは今は無理だ、そう悟った私はカメラを戸棚にしまい、それから気づけば数カ月が経っていました。
習慣というのは意外に壊れやすいものらしく、あれほど毎日のように身の回りのあれこれを撮していたのに、もうすっかりそんな気分にもなりません。
今は仕事で使うわけでもなく、単なる完全な趣味なのだから、無理をして撮影をする必要もない。
あまり深くは考え過ぎず、そう思っておくことにしました。
それでも写真そのものへの興味を失ったわけではなく、元はといえば、私は撮るよりも観る方が好きなタイプです。
美術館やギャラリーの写真展にも足を運びますし、自室の本棚には幾冊かの写真集があり、チェストの上には星野道夫さんによる風景写真が、洗面所にはブラッサイのポートレイトが飾られています。
先月読んだ写真家アンリ・カルティエ・ブレッソンの自伝、その少し前のアウシュヴィッツでの4枚の写真に関するノンフィクション、ゲルダ・タローについてのドキュメントも深く印象に残るものでした。
自分がこれほど写真や写真家に惹かれる理由は不明ながら、絵画や映画と同じくらいに、心を動かされる芸術であるのは確かです。
『VOGE』や『ヴァニティ・フェア』などでファッションフォトグラファーとして活躍したリー・ミラーやヘルムート・ニュートン、リチャード・アヴェドン、エレーン・ヴォン・アンワースの華麗でドラマティックな写真はもちろんのこと、それらとは真逆の世界を撮した戦争写真家とその作品にも、強く心を惹かれます。
先ほど名前をあげたゲルダ・タローは特に興味深い存在で、彼女よりはるかに有名なロバート・キャパの写真の何割かは彼女の作品であり、"キャパ"のクレジットは二人の共作でもあったことがこの数年で明らかになっています。
あとほんの数年、活動期間が長ければ世界のトップフォトグラファーの仲間入りを果たしていただろう、と言われる彼女は、26歳の若さで戦車に轢死されるという悲劇的な最期を迎えています。
これは余談ながら、彼女の名前"Taro"は本名ではなく、その由来は画家の岡本太郎です。
パリで友人だった太郎さんの名前を気に入って名乗り始めたそうで、これにはびっくりした、と太郎さん自身が書いています。
さらに余談ながら、パリでの太郎さんの交友関係は凄まじく、ピカソにダリにカンディンスキーなどの画家、ブルトンにエルンストにバタイユなどの作家、写真家ならキャパにマン・レイにブラッサイと、目もくらみそうな芸術家たちの名前が並びます。
その人たちとの並外れたエピソードも数多いため、そのうちにぜひ取り上げたいところです。
そして話を元に戻すと、ゲルダ・タローの恋人で相棒だったロバート・キャパもまた、撮影中に地雷の爆発で亡くなりました。
そのキャパの撮った、ノルマンディー上陸作戦時のフィルムをボツにしてしまった、という汚名を着せられたのがラリー・バロウズで、この人は乗っていたヘリコプターを撃墜されて死亡するまで、およそ9年もの長期間、ベトナム戦争の実態をカメラに収め続けました。
他にもベトナムで命を落とした写真家は多く、ディッキー・チャペルも忘れてはならない一人です。
第二次世界大戦、アルジェリア戦争、ベトナム戦争と数多の戦場に赴いた彼女のことを、フィデル・カストロは「その体にはトラの血が流れている」と評しています。
実戦でのパラシュート降下も許されるほどの女性ながら、最後はベトナムで敵の罠に掛かっての即死でした。
日本人の戦争カメラマンならば、カンボジア内戦に赴いた一ノ瀬泰造と沢田教一が有名でしょう。
一ノ瀬さんの生涯は映画化され、沢田さんはピュリツァー賞を受賞した、それぞれに素晴らしい写真家です。
けれども二人は26歳と34歳の時、極左過激組織クメール・ルージュによって惨殺されました。
こうした戦争写真家たちの運命を知ると気分も沈むのですが、戦場で命の保証はないことを熟知しつつ、それでも写真家たちが現地に赴くことを止めなかったのは、アーヴィング・ペンが語る言葉が全てでしょう。
「優れた写真は、真実を伝え、心に触れ、それを目にした人を変える」
また、キャパの言葉はさらにその先の未来について語っています。
「戦争写真家の悲願は失業すること」
危険極まる戦地に身を置き、戦争の現実を撮り続けた過去の写真家たち、今現在もどこかの戦場でカメラを手にする人たちに、心からの敬意を捧げたく思います。
そして、再びカメラを取り出し、また趣味のひとつとして復活させようと試みる私は、ハービー・山口さんの言うような写真を目指せればと願います。
「人々の笑顔や優しい目、世界が決して、失くしてはいけないものを、撮り残しておきたい」