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『文句は聞こえるように言え』
あまり人から好かれなさそうな性質は数あれど、おそらくどのような調査でもその上位に上がるのは、〈愚痴っぽい〉〈文句を言う〉ことではないでしょうか。
これは、まず一緒にいて楽しくないし、場が暗くなり、気分や運気も下がりそう。なるべくそんな人には近づきたくないうえ、もし自分がしばしばそういうモードに突入するなら、真剣な対処法を考えたほうが良さそうです。
愚痴や文句のあるところに幸福はない、は私の根強い考えですが、ある方の一言で、それもあっさり覆えされました。
長年、社会活動家として企業や行政にさまざまな働きがけをしてきた女性のインタビューで、その方が自身について語った一コマでのこと。主な活動紹介に続いて、その方が明快におっしゃったのです。
「『文句は聞こえるように言え』が私のモットーです」
それを耳にし、言葉の意味を理解した瞬間、自分は今までなんて視野の狭い考え方をしてきたのだろうと恥ずかしくなりました。
その方の考える〈文句〉のスケールの大きさは、私とはまるで違っていました。
不貞腐れた独り言とはかけ離れており、ひがみっぽさや、鬱々とした印象もありません。
この活動家の女性の言う『文句は聞こえるように』とは、しかるべき場所でしかるべき相手に向かい、正当な訴えと要求を口にすべし、ということでしょう。
それは単なる不満ではない、真っ当な主張です。
そんな〈文句〉は、ふつうイメージされる陰気なものとはまるで違う様相を帯びています。凛として強く、覚悟があります。
それは、的に対し正面から投げかけられる、中途半端な不平不満を超えた抗議です。内心では気の進まないことを嫌々呑み込む弱さではなく、挑むための言葉です。
こう考えた時、文句はにわかにさまざまな可能性を帯び、変化や改革のための優秀な道具へと変化します。
かつてヨーロッパのある有名レストランのオーナーシェフが「最も手強いお客は日本人である」と述べていました。
これは何も、日本人がとりわけ味にうるさかったり、チャレンジングな特別対応を強いるという意味ではありません。
むしろその逆で、日本人のお客は沈黙を保ちます。難しい要求や無理難題を吹っかけず、静かに食事し、丁寧な挨拶をして退店します。
それでいて、二度とお店には来ないのです。
できうる限りもてなしたし、満足してお帰りになったはずなのになぜ。そんな風にいぶかるうちに、偶然に漏れ聞こえた噂話や、後になって書かれたレビューで、実はそのお客が強い不満でいっぱいだったとわかり、オーナーシェフは愕然としたといいます。
それならばなぜ、その場で伝えてくれなかったのか。そうすればいくらでも対応のしようもあったものを。そんな疑問と悔しさが頭をよぎったにせよ、後の祭りに過ぎません。
そして同じことが二度、三度と続くうちに〈決して面だって文句は言わない、それが日本人の特性だ〉と悟ったそうです。
あとは、先回りして不満の解消に努めるべく神経を使うしかない、すっかりあきらめの様子で、オーナーシェフはそう語っていました。
誰も何も得られない、不幸の典型のようなケースですが、似たような話はよく耳にします。
こんな場合は、やはりまず聞こえるように文句を言わないとはじまらないのです。
そこできちんと要求が伝われば、案外簡単に改善もできたかもしれません。
そうすれば、お客は楽しく食事を終えられ、お店も顧客を失わずに済んだのです。
言いにくい頼みごとや、断り文句。半分あきらめていたことでさえ、口にしたとたんあっさり通って驚くことはよくあります。
慎ましさや秘める文化は優れたものですが、声に出して伝えたり、はっきりと口にされなければ汲み取れないことは多いもの。
言うべきことは勇気を持って伝えること、遠慮や我慢を重ねすぎないことは、ことさら心がけたほうが良いことのひとつかもしれません。
冷静に伝えられたある文句が、今いる場所や関係ややりかたを、もっと良いものに変えていくかもしれないとしたら。
今度、もし何か思うところがあった時、はっきりと声に出して文句を言ってみるのはどうでしょう。
その先に、思わぬ展開が待っているかもしれませんよ。