
ペンギンと金塊の肌触り
こうも寒いと恋しくなるのがやわらかな寝具の温もりで、私も今使っているフランネルのシーツをもっと毛足の長いものに取り替えるべく、あれこれと下調べをしています。
週末には時間を作ってお店をまわるつもり、と話すと、友人から意外そうに尋ねられました。
「わざわざ行くの?家で"ぽちっ"とじゃなく?」
「わざわざ行くよ。触って確かめたいし」
もちろん私もネットショッピングは大好きですし、大いにお世話になってもいます。けれど、そこで寝具類はまず買いません。
パジャマやシーツ、毛布などは、出来うる限りその生地に触れたり撫でてみて、自分にとって最適なものを見つけ出したいからです。
「そっか。なんだか自分が雑に思えてきた。今までそんなの気にしたことない」
友人は目をぱちぱちさせていますが、気にならないならそれも結構、単に私が触感にこだわりたいタイプというだけです。
他にも、普段身につけるものも夏ならば麻、冬ならばウールやカシミアといった素材を選びたいし、シルクはどの季節であっても最高です。
アクセサリーも真珠ばかりを持っているのは、見た目と共に、肌触りが良いからです。しっとりと滑らかなあの感触はいかにも贅沢で、着ける度に喜びを感じます。
そういえばいつか読んだ昭和初期の女性作家の随筆にも、婚約者から真珠を贈られたという話がありました。それも、ネックレスでもイヤリングでもなく、最上等の珠をひと粒です。
「手のひらで転がして遊んでいてください」
その時は婚約者の言葉がよく分からず、真珠もいつの間にかどこかへいってしまったけれど、惜しいことをした。今ならば、静かな部屋の中であの真珠を手のひらに乗せ、一人で眺めている時間はどれほど素敵だったことかと思う。それは二人をより強く結びつけてくれたに違いない。けれど、私は幼すぎてその意図を汲めなかった、というお話でした。
残念ながら私はそんな粋な贈り物をもらったことはありませんが、つい最近、新鮮な驚きを受け取ったことならあります。
ある日の犬連れの散歩途中に、白杖を手にした高齢の男性に行き会い、どことなくお困りのようだったので声をかけました。
すると、久しぶりに知り合いの家を訪ねようとしたものの、方向がよくわからなくなってしまった、とのこと。
お知り合いのお宅は私の知る地域だったため、近くまでご案内することにし、並んで歩き始めました。
その方には私の左腕に触れていただき、近辺の様子の説明や世間話などをしつつでしたが、犬がいつもとは違う様子にそわそわとし、その方の前へ回り込んだり、早く先へ進みたがったり、やたらと落ち着きがありません。
それを謝る私の言葉に
「こちらこそ、お散歩のお邪魔をして。動物が好きなので、わんちゃんを撫でさせてもらえませんか」
その方はそう答え笑みを浮かべました。
犬の顔や体のあちこちを撫でるその方の手つきはとても優しく、犬も心地がいいのか、しきりに鼻先をその手に擦りつけます。
楽しげに笑いながら、その方は私の方を振り向きました。
「大事にされているのがわかります。ふかふかした、頼りがいのある子ですね」
いかにも親馬鹿のようですが、愛犬については、さらさら、なつっこい、やさしい、などといった周囲からの褒め言葉はしょっちゅうで、やや慣れっこになりつつあります。
けれども"ふかふか" "頼りがいのある"という言葉は初めてで、驚きと楽しさとを感じました。
それというのも、私の犬は短毛種のため、毛足の長い犬たちに比べて"ふかふかした"という印象を持たれることはまずありません。
それにまだ10ヶ月の幼犬のため、顔や体つきはいかにも幼く、"頼りがい"という状態からはほど遠いのです。
初めはその方の言葉に戸惑いつつ、やがて、それが見た目に頼らないからこその判断だと気がつきました。
見た目の印象には頼れず、犬との初対面が手のひらであったがゆえに、その方は極めてユニークな感想を抱かれたのです。
もちろんどちらが正解ということでなく、どちらも同じ犬を指していながら、ほぼ正反対の感想が出てくるのが面白いのです。
その方が素直な感想を伝えてくださったおかげで私もそれ知ることが出来、誰もが当たり前だと考える枠外には、もっと別の当たり前が存在するということに気がつけました。
"ほとんどの人が視覚から最も多くの情報を得る"という"常識"にズレが生じたとたん、ものの捉え方や認識もがらりと変わり、世界がもっと多面的な顔を見せる。
そこにきらめくような何かがあるように思えたのは、それこそがひとつの真理の光る瞬間だったからかもしれません。
私も自らの触覚によってそんな新しさを経験したことがあっただろうか、と思い返すと、ペンギンと二億円の金塊が浮かんできます。
ペンギンには水族館、金塊とは博物館で出会いましたが、体験イベントで実際にそれらに触れた感触は、忘れられるものではありません。
言葉で伝え辛いのが困ったところで、ざらざらしていて滑らか、ひんやりしていてほのかにあたたかかった、などとしか言えません。
どちらも極めて魅力的な肌触りであり、もしその機会があったなら、何を置いても触れてみるべき、ということは断言できますが。
きっと、これまでにどこでも味わったことのない感触に高揚感をおぼえる上、その後のペンギンと金塊への意識も変わるはず。
本当にすごいんですから、などとやや自慢たらしくなったのは、どうかご容赦を。