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宝物は何

物語の主人公というものは、みな旅に出るものだ。

──ある劇作評


うさぎ。地球。前奏曲。王冠。立方体。嵐。騎士。魔法使い。真紅。晴れ。中心。自由。永遠。春。

一見、何の関わりもなさそうな単語たち。
ですが、これらは、あるひとつの共通点を持っています。
日本車の名前、というところに。


元はそれぞれ英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語などで、なるほど、こんなイメージを伝えたいのかと納得の名前もあれば、どうにも意図をつかみかね、首をかしげたくなるものまで様々です。

外国語が気になる私は、街中で見かける車の“ネームプレートエンブレム”にも、つい見入ってしまうのですが、先にあげたものの他、大いに気になるのが〈オデッセイ


すぐさま、ギリシア神話を長短短格の六脚韻で綴った、ホメーロスの長編叙事詩『オデュッセイア』を思い出します。

こんな典雅な名前をつけるとは、と初めて接した時には特に感慨深いものがあったのですが、ひとつ疑問が。
“オデッセイ”の意味は“困難を伴う長期の漂泊”であり、ファミリーカーの命名として、果たしてそれで良いものか。


どうにも気がかりなため、販売元企業のホームページを確認すると

「オデッセイは“長い冒険旅行”という意味。ロング・ドライブでも、家族や仲間がみんな一緒に、快適に安全にワクワクドキドキの冒険旅行が楽しめる、そんな思いを込めて命名された」

とありました。


この件に関わったデザイナーあるいはコピーライターは、英雄が祖国に帰還するまでの十年に及ぶ艱難辛苦の道のりを、“ワクワクドキドキの冒険旅行”に変換したのだな、と軽い脱力感をおぼえます。

もちろん、物語の捉え方はそれぞれですし、何ら悪態をつきたいわけでもないのですが。


黄金の林檎で始まり、巨大な木馬で終わるトロイア戦争。
その顛末を描いた『イーリアス』の後日譚『オデュッセイア』は、前作と同じくイタケーの王オデュッセウスを主人公に据え、彼が神々の妨害をも知恵と勇気で乗り切り、祖国に帰り着くまでを描きます。

これはおそらく、後の世界に最も大きな影響を与えた〈英雄の旅ヒーローズ・ジャーニー〉と言えるでしょう。


〈英雄の旅〉は神話学者ジョゼフ・キャンベルが唱えた類型で、世界中の有名な物語には、この構造を持つものが無数に存在します。

〈英雄の旅〉で主人公は順に〔日常、誘い、拒絶、師弟、関門、出会い、試練、報酬、帰路、復活]という道筋を辿り、非日常世界へ旅に出たのち、何らかの通過儀礼イニシエーションを経て、成長した姿で元の世界へと帰還します。


映画なら『スター・ウォーズ』のルーク、『ターミネーター』のジョン、『ホビット』のビルボなどがわかりやすいイメージでしょうか。

もちろん、男性だけでなく女の子が主人公の物語もあり、『千と千尋の神隠し』で千尋は異世界の湯屋で働き、『オズの魔法い』でドロシーはルビーの靴で魔女と戦い、『パンズ・ラビリンス』でオフェリアは地上と地下迷宮を行き来しながら苦闘します。


いずれも架空の話と知りつつ皆が夢中になるのは、私たちもまた不条理で不確実な世界に生き、何かと戦っているからかもしれません。

それぞれの人が自分の人生における主人公で、〈英雄の旅〉のどこかの段階にいる。
だからこそ、そんな物語から慰めや勇気を受け取り、生きる糧やインスピレーションとしているのではとも感じます。

そうでなければ、古今東西の作家たちが繰り返し同じパターンの物語を紡ぎ、人々に愛され続けるはずがありません。


もしも、あなたも主人公です……などという表現にむず痒さを感じるならば、それが本来は禅語である、という点に思いを馳せてみるのはどうでしょう。

主人公〉は禅の世界では“本来の自分”“自己の本質”を意味しています。
そのため、ある高僧は、毎朝鏡に向かい
「主人公。今日もしっかりしろ。騙されるなよ」
と自分自身に言い聞かせているといいます。

決してヒロインやヒーローを気取らずとも、皆が〈主人公〉たる本来の自分を見つけ、何かを叶える旅として、一人一人の〈オデッセイ〉を生きている。
私はそんな風に考えます。


ちなみに、物語の最後でイタケーに帰還したオデュッセウスは、愛する王妃と共に再び王座に着きます。
けれども、彼が獲たのは金銀財宝ではありません。

私はその宝に感動しますが、人それぞれに価値観は違い、もっとわかりやすい褒美が好みの方もおられるでしょう。
それはそれで、存分に好きなものを求めて良い気がします。

何よりも、時に激しい逆風が吹き、試練にさらされることもある旅が、納得のいく終わりを迎えることが大切だからです。

私たちそれぞれが、どんな難局もひるまず切り抜け、最後には輝かしい成果を上げる、真のオデッセイを生きられますように。




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