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そんな口癖があったとは

誰かに何かを話すとき、まず自分自身がそれを聞いているのだ、とよく言われます。

けれど、案外そうでもないのかも、と思わされたのが、自分も気づいていない口ぐせを指摘された時です。


「あなたは、せっかくだから、ってよく言うよね?」
私にそう教えてくれたのは精神科医の友人で、私たちは図書館の喫茶室でお茶を飲んでいる最中でした。

「嘘だ、そんなの言わないと思う」
私の否定を、友人は笑って否定し返します。
「言ってた。今日も何回も聞いた」
「いつ?」
「せっかくだから階段の方へ回ろう、せっかくだからあの本を借りよう、せっかくだから変わったハーブティーを頼もう。計3回」

テーブルの上に置かれたリンデンフラワーティーのポットにいったん目を落としてから、私は友人の顔を見ます。
「確かに言ったかも」
「うん」
「なんかやだな」
「どうして?」
「だって、すごく執着してる感じがする。せっかくだから、ってやたらともったいながってるっていうか」

なるほど、と笑ってから、友人は斜め上に目をやり考える仕草をしつつ、別の答えを聞かせてくれます。
「それは、あなたの中のサービス精神だったり、場を盛り上げたい欲求の現れなんだと思う。その対象物がそこにあるなら、存分にその体験を味わおう、ってことなんじゃないの?」
「さすが精神科医。言うことにあんまり納得がいかない」
「たぶんそうだと思うんだけどな」


当の本人と精神科医、どちらの見立てが正しいか定かではありませんが、それ以来気をつけていると、確かに私は「せっかくだから」をよく口にしています。
それも、色々なシチュエーションでこの言葉を使うたび、ああ、まただ、と思うのですが、とりあえず害もないため、そのままにしています。

おそらく他にもこんな口ぐせはあるに違いなく、自らの発言をよく聞いてはいるつもりでも、やはり気づけないことはあるのかもしれません。

『○○な口ぐせには気をつけましょう』あちこちでそんな注意を見聞きはしますが、そうあっさりと変えられるものではないから口ぐせです。

かといって、無理にポジティブな言葉を口ぐせにして自分に刷り込み、物事を思い通りにしよう、というポジティブ・シンキングも、それほど上手くいくものかと、少し疑わしく感じられます。

それでもやるというならばこのくらい、と私が思うのは、アメリカ都市部のある学校で行われた、こんな変わった試みです。


その学校は様々な問題を抱えた生徒が集まり、犯罪率や、中退率の割合が高いことで有名でした。

そこに赴任し、あるクラスを任された担任の先生は、生徒にひとつだけ約束ごとを守らせます。
それは『「なぜ?」と聞かれたら、どんな場合でも必ず「なぜなら私は頭がいいからです」と答えること』というものです。
クラスでは「なぜ?」の質問にはその答え以外あり得ず、皆がそれを口ぐせにするように求められました。

生徒たちは最初は戸惑い、小馬鹿にしながら、「なぜ?」の質問に半笑いで「なぜなら私は頭がいいから」と答えます。

けれど、「なぜ昨日学校に来なかったのか」「なぜテストを受けなかったのか」「なぜ人にあんな口のききかたをしたのか」…「なぜ」「なぜ」の連続に、「なぜなら私は頭がいいからです」と答え続けるうちに、少しずつ生徒たちの表情が変わってきます。

そして、一人の男の子が
「なぜ答えを間違ったの。なぜあなたはこうだと思ったの」
と先生に聞かれた時「なぜなら私は頭がいいから」と答えながら、泣き出してしまいました。

先生はうなずきながら
「そうですね、あなたは今回は間違ってしまったけれど、自分で立派に考えましたね。あなたは頭がいいからです」
そう男の子に答えます。

その学校の子どもたちは周囲から与えられる評価に合わせ、自分たちも、自身の価値を低く見積もっていました。
けれど、自分は頭がいいと言い続けるうち、別の真実に気がつきました。
自分たちは周囲が決めつけるほど愚かではなく、それぞれに知性と思考能力を持った人間である、と。

以来、その学校の雰囲気は目に見えて変わっていき、著しく成長した生徒たちは、アメリカでドキュメンタリー番組に取り上げられるほどになりました。

半ば強制的な口ぐせが、子どもたちの新しい天性となったのか、元々隠れていた美点を掘り起こしたのか。
どちらにせよ、希望の持てる、素晴らしい話だと思います。


こんな風に、ある口ぐせが子どもたちの自尊心を高め、良い効果をもたらしたのなら、私たち大人にも同じ手は使える気がします。

「どうせ。だって。自分なんか。」
そんな、自分を痛めつけるような言葉より、「なぜなら私は頭がいいから」この言葉をそのまま、あるいは自分にフィットするようにアレンジして、口ぐせにしてしまうのはどうでしょう。

“頭”のかわりに“センス・人柄・性格”何を入れたって構いません。
大事なのは、無理にそれを信じ込もうとするのでなく、ふと疑問が生じた時に、自分を信頼できるようになることです。

脳は口にしたことと現実の乖離を嫌うため、自然と言葉が現実に寄り添い、何かが変わっていくかもしれません。

強い宣言のような、自分に光を当てる言葉。
ご一緒に新しい口ぐせを身につけるのはどうですか?
せっかくですから。

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