お好みのアクセサリーは?
お正月休みにあまり外出していないことがわかってしまいそうですが、暇を見ては、これまで撮り溜めていたテレビ番組を観ています。
そのうちのひとつに『COOL JAPAN』があり、日本の文化や風習について、取材映像とスタジオのトークとで毎回違う分野の内情に迫るという、なかなかに面白い番組です。
番組の去年最後の放送タイトルが「アクセサリー」で、日本のアクセサリー事情を探る、が全体のテーマでした。
その冒頭の疑問“日本人はなぜ小さなアクセサリーばかりを身につけるのか?”には思わず笑ってしまいました。私が好きだったり、持っているものもほとんどが小さなもので、まさに自分について言われているようだったからです。
この好みは世界的には珍しく、他国では男女ともに、身につけたアクセサリーをできる限り目立たせ、人目を引くために使うそうです。
ところが日本人の、特に女性は近寄って目を凝らさなければ気づかないような小さなものを好むそうで、実際に街で取材に答えた女性たちは、プチネックレスや細い指輪、華奢なピアスをつけていました。
番組内でなされた考察は、控え目を良しとする日本人の気質や社会的制約が原因だろうというもので、飾りたいけれど目立ちたくない、ぎりぎりの譲歩が小さなアクセサリーに結びつくのだ、というものでした。
自分自身に照らし合わせて考えても、大いに納得できる話です。
もうひとつ、諸外国との違いとして挙げられたのが、ヘアアクセサリーの多彩さと、それをつける人の多いこと。
しかもこちらは先ほどとはうって変わって、控え目どころか、かなり華やかで派手なのです。リボンにラメ、大きな花のモチーフのクリップに、カラフルなゴム、ふわふわのシュシュ。
それも小さな子どもから70代のマダムまで、皆が思い思いに髪を飾り、楽しむ光景は外国では決して見られないということでした。
この点に関しても、スタジオではさまざまな意見が飛び交いましたが、コロンビアの若い男性が口にした「かんざし」というワードは、私も核心をついているように思います。
身の回りの全てに気を配り、何事にも細やかな美意識を発揮した日本人が触れなかった数少ない分野がアクセサリーです。
博物館で縄文時代の腕輪や耳飾りを見たことはあっても、その後のどの時代、たとえば絢爛豪華な文化が花開いた安土桃山時代でさえ、宝石をセットしたネックレスやリングというものは存在しません。
高価な絹の着物をまとい、襦袢、半襟、帯、帯揚げ、帯留、足袋、草履と完璧に支度をした女性たちも、仕上げにアクセサリーは求めなかったのです。
振り袖にリングやネックレスを合わせるような文化の登場はかなり後の時代まで待たねばならず、大正時代になってやっとそんな風俗を描いた美人画が流行しました。
それ以前の女性たちの工夫は全て髪に向かい、あらゆる意匠と材質の櫛やかんざし、髪留めが時代と共に現れては消えを繰り返したのです。
海外の人たちからすれば不思議に見えるヘアアクセサリーを巡る文化も、長い歴史を経て出来上がった価値観によるものであると思えば、その独自性は誇るべきものであると感じます。
大げさに言えば“遺伝子に刷り込まれているレベル”の話なのですから、少しくらいの一点豪華主義も大目に見てもらいたいもの。
私も、もちろんリボンやシュシュ、大振りなバレッタを持っています。これ以上、数を増やさないようにしよう、という決心が揺らがないよう気を引き締めつつ、小さなアクセサリーとミックスして楽しみたいと思います。