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100にまつわるエトセトラ
これで100話目。たわいもない話を書き連ねつつ、ここまで回を重ねてきました。
これもやはり……というような書き出しで、ささやかに投稿100回目を祝おうというもくろみも、あえなく失敗。
それも私自身の単純なミスによるもので、そろそろ90話は超えたはず、具体的にあと何話で100話なんだろう、と確認すると、今回で114話目であり、とっくにその記念回をスルーしてしまっていることに気がつきました。
はかない希望を込めて何度か勘定し直してみても、やはり100話目は『歌わない日本人』というタイトルの話です。
こんなことなら、あんなに気楽な歌の話を書くんじゃなかった、と後悔するも時すでに遅しです。
こうなると本来の予定を変更し、ともかく100にちなんだ話を書くよりありません。
せっかくその気で、100にまつわるどんな話があっただろう、と考えたものが無駄になるのはもったいなさすぎます。
そのため、特に意味もなくあれこれと100に関する話を羅列するだけの、やや未練がましい回となりますが、よろしければお付き合いくださいませ。
さて、100にまつわる話といえば、私の脳裏にまず浮かぶのは、“百夜通い”の伝説です。
絶世の美女・小野小町に求婚し、自分の許に百夜通ってきたならその気持ちに報いよう、と告げられた深草少将を主人公とする、悲恋の物語です。
この話には様々なバージョンがあり、細部は違えど、小野小町邸に辿り着けず、深草少将が百夜目にして絶命する、という大枠は変わりません。
すんでのところで願いが叶わず、二人は永遠に結ばれることはないという、なんともやり切れない話です。
この連想をつなげると、特定の神社やお寺に百度通う“百度参り”があります。
別名お百度。神仏に願いをかけ、そこに通い詰めて願い祈り続けるという誓願行為です。
神社に参拝した際など、境内の百度石に触れてはまた去りという、信心深い人の姿をお見かけすることもあり、これが現代にも生きる習わしでもあるという点に、神秘的なものを感じます。
時と国を変え、古代ローマの“ケントゥリオ”。日本語で馴染みのある呼び名だと“百人隊長”。
塩野七生さんの『ローマ人の物語』に夢中だった頃、よく作中で出会った人物です。
神聖ローマ帝国を内そとから支えるローマ軍の基幹戦闘単位が百人隊であり、そのリーダーが百人隊長。隊の一切を取り仕切り、ローマ軍団の背骨とも称された猛者たちでした。
かのユリウス・カエサルも、彼らの活躍なしに宿敵ハンニバルを打ち破ることはできなかったに違いありません。
ローマからさらに時と場所を移し、20世紀の南米へ。そこには“百年の孤独を運命づけられた家系”についての、めくるめく夢幻的世界が広がっています。
コロンビアの作家ガルシア・マルケスによる20世紀を代表する大作『百年の孤独』
架空の町マコンドに生き、やがて消えゆく一族を描いた作品で、このあまりに奇妙で豪華絢爛たる物語をなんと表現して良いものか、私は正確な言葉を持ちません。
「この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる」
物語の最後になってやっと解読される予言の書が告げる真実と、その意味の凄まじさ。
マジック・リアリズムなどという表現では足りないほどの“錬金術で始まり近親相姦で終わる”一族と、蜃気楼の町マコンドの、100年の物語をとても無視することはできません。
そして同じくらいに奇妙で味わい深い、登場人物わずか二人の短編小説、夏目漱石『夢十夜』の〈第一夜〉
この短編集お決まりの書き出し「こんな夢を見た」から始まる物語の中で、主人公の男性はある女性の死と、彼女の再生を見守ります。
「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
彼女のいまわの際の言葉を守り、真珠貝で掘って星の破片を飾った墓のかたわらに佇んだ男性が、白百合の花弁に口づけしつつ“百年はもう来ていたんだな”と悟る最後。
無駄のない巧みな筆運びで描かれた、ぞっとするほどにシュールな詩的さと、言い知れぬ美しさを持った作品です。
このまま考え続けると、きりがなく100にまつわる物語が出てきそうなため、ひとまず打ち切りといたしましょう。
100を逃したあかつきには、やはり1000がふさわしいのか。
少し思い巡らせてみただけでも、三国志と映画で有名な“千里走単騎”、松岡正剛さんの偉業“千夜千冊”、決して避けては通れない“千夜一夜物語”などが浮かんできます。
1000も極めてバラエティ豊かで心をそそられる物語ばかりが並んでいるため、どうにかそこまで辿り着けると良いのですが。
そのためには、千里の道も一歩から。息切れなどしないよう、ゆったり歩んで行きたいと思います。