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BAM Aug.25th, 1995 はジェリー・ガルシア追悼号

ジェリー・ガルシアが亡くなったのは1995年の8月9日。もう四半世紀以上が過ぎてしまった。

享年53歳。健康に生きていればもっと多くの音楽を創り出していたはずだったが、それを聴くことは叶わぬことになってしまった。

ところがテクノロジーの進歩もあって、適当に録音されていたライブ音源が尽きることなくリリースされ続け、とても全部はフォローできないような事態になっているのはなんとも皮肉である。

今も大切に保管しているBAM(Bay Area Music)マガジンの1995年8月25日号。
表紙に大きく写る顔で分かる通りのジェリー・ガルシア追悼号である。

サンフランシスコでこの雑誌を見つけてGarciaの死を知ったのか、誰かに訃報を聞いてシスコの街でBAMマガジンを探したのかは、どうにも思い出せない。

でもちゃんとこうしてBAMを入手し大切に保存していたことはそれだけ彼の存在を大きく意識していた証拠でもある。

このBAMのページをめくってみると、インターネット時代の直前(インターネットの商用利用は1990年から、WWWが利用されるようになったのは1993年から)のメディアと音楽シーンの様子が見えてくる。

歌の歌い方を教えます、ライブをやります、あのレコードが良かった、ギター売ります、スタジオ貸します、メンバー募集etc

なんということはない、1975年のロック雑誌やミニコミ誌と1995年のBAMで書かれていることは実質的には何も変わってない。
それは掲載されるメディアこそ変わった2015年も同じである。

音楽に関してこの半世紀でそれほど何か大きく変わったものはない。

音楽を奏で人に聴いてもらうための様々なアーティステックな技術、ノウハウ、情熱といったものは全く変わっていない。

いなくなってしまった人、新しく来た人はいるが、大きな枠組みで捉えると音楽に投入される人類のエネルギーの総和はほとんど変わっていないなぁと感じる。

インターネット以前の時代にアナログ的な方法でコミュニケーションを模索し続けたDeadとDeadheadsたちとジェリー・ガルシア。
北カリフォルニアという土地にデッドやガルシアがいて、同じような時期にシリコンチップに代表されるハードウェア、TCP/IPなどのソフトウェアによるコミュニケーションと情報革命の種が蒔かれたのは偶然ではないだろう。


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