正しい選択だったのか、そんなことは死ぬまで分かるはずがない
マレーシアでのことだ。
ふと考えることには、やはりもう少しだけ頑張るべきだったのではないかと後悔に似た感覚を覚える時がある。
と、同時に、やはりどう頑張ってもどうしようもなかったのだと思う自分もいる。
毎日毎日苦痛に耐え、やり過ごしていけばおそらく1年住み続けられたかもしれない。
頑張りどころと諦めどきが、正直分からないのだ。
おそらく全人類から頑張らなければならないと言われたら、きっと頑張っていたと思う。無論そんなことがあるはずもなく。
ここは退散して諦めて別の生き方を探すべきなのかもしれないという気持ちが圧倒的に大きかったのだ。
諦めどきであると私は判断したわけだ。だから今こうして日本にいるわけなのだがとにかく、気力を消耗しすぎてもうとても会社へ行ける状態ではなかった。
そう判断したのにもかかわらず、やはりいつまでも迷いがある。
生きていく上で苦しいのは当たり前だし、こういった苦しみはなにも仕事に限った話ではないはずだ。
しかし、私はこの1年をそんな苦しみに耐え続け、時間を費やすのは無意味であると考えたわけだ。
私はお世辞にももう若いといえる年ではない。現在30歳である。
あの仕事で費やす1年、厳密には残りの約10か月を価値あるものとして考えることができなかった。
マレーシアという大地が私に勇気や希望を与え、成長させてくれるものとして、考えることができなかった。
語弊なきように断りを入れると、もちろんマレーシアが悪いわけではない。
ただ、あの仕事を1年続ける価値が見いだせなかったのだ。
マレーシアならば、日本ではない異国の地であれば、もしかしたら、つらく過酷な仕事も耐えきることができるのではないか、と期待したが、結果的にはできなかった。
仕事を続けるだけの意味を見出させてくれるような考え方が私にはできなかった。
勢いでどうにでもなると考えて渡馬したが、その考えはあっけなく打ち砕かれてしまった。
以前も書いたが、私は特段マレーシアという国に魅力を感じていたわけではなかった。
長年の夢であった海外移住という希望を安価に叶えてくれ、海外であるのにもかかわらず日本語のみで仕事ができるという謳い文句に惹かれ、飛び込んだに過ぎないのだ。
これからもし、マレーシアへ海外移住したいという方がいらっしゃったら、一度立ち止まって考えていただきたい。
テレビで報道されている情報はすべて、良い側面しか写していないということを。
当然、それにともなうリスクや弊害も多くあるのだ。当然番組はそれを隠したがる。
甘い話には裏がある。勢いだけではどうにもならないこともある。
繊細な人は特にだ。
一度噴出した疑問にはとことん向き合っていかなければ気が済まないタイプの人間は、苦痛だろう。
一方で、つらく苦しくても自分を騙して誤魔化していける人間は良いだろうと思う。
悪質な客のクレームに耐え忍び神経をすり減らしながら日々の仕事を無感情で完遂させ、土日で溜まった金で遊んで暮らして散在するのが趣味な人間にはマレーシアはもってこいだろう。
ただし最初の半年間は税金で28%も給料から持っていかれてしまうし、その給料だってたびたび振込額が間違っていて額面よりも少なかったりと海外ならではの問題は山積だ。
マレーシアは就労ビザが取りにくいこともあり、就労ビザの申請が通らずビザランなんてのも多くある。たいていの日系外資の会社がそうなのではなかろうか。
他にも問題は多くあった。その積み重ねが精神の疲弊を招いた。
こんなことで負けてしまうなんて正直、情けないだろう。これではまるで日本にいたころと変わりない。
のこのこ日本へ帰国した私が周囲から受け入れられるとは思っていない。一部の家族からは大ブーイングで、現在兄弟仲が壊れかけている。
まあ、そんなことで壊れる関係ならば致し方ないと思っているのだが。
しかし、それでもなお、やはり私は日本へ戻ってきたことは後悔していない。
それは自分と改めて向き合える時間を確保できたというのと、少しずつではあるが、自分の好きなことを始められるきっかけを手に入れられたからである。
ただ、日本へ帰ってきたことを後悔するわけではないが、それでもなんとかしてマレーシアに留まることはできなかったのかをたびたび考えてしまう。
今のところは、その手立てが見つからない。
しかし今後どういうふうに考え方が変わるかわからないので、きっとこれから先も悪あがきして、無駄に考え続けるのだと思う。
自分の行ったことを、自信をもって間違いであるはずがない、といえる勇気を持ちたい。