着想したシーンを再現しようとしてた自分から、より面白くしようと腕まくりをする自分になったかも
フワッとあるシーンが浮かんできて、そのシーンのためにキャラクターの設定や物語の展開を考える、というのが、これまでのわたしの着想パターンだった。
そしてその着想は、起きてる時の思いつきだったり、どなたかの作品を読んだり見たりしていて閃いたり、面白かった夢が元だったりする。
着想自体は今も昔も変わらないけれど、その後の自分の視野が広くなったなぁと気付いた。
思いついたシーンを書きたくてお話を考えていくとき、時としてそのシーンはわたしの頭の中では映像や画像になっている。ゆえに、キャラクターのビジュアルがふんわり決まっていて、年齢や性別などは変えてはならない要素だった。
思いついたイメージや面白かった夢を再現しようとしていたからこその視野の狭さである。
さて、ではなぜそれらを過去形で語っているのか、というと。
つい昨日のこと。
シャワーを浴びながら思いついた「すずめの戸締まりの閉じ師みたいな家業を好きなアーティストの曲を聴きながら淡々とこなしている男の子が、好きなアーティスト(女性)がその家業で封じている異界のものであったと気付いたら」というネタを、何パターンもこねくり回している自分に気づいたからである。
これまでなら、主人公は男の子のまま、異界のアーティストは女性で、きっと憧れから恋に変わって、という部分は変えずにどうにか形にしようとしていた。
ただ、主人公の年齢ひとつとっても
思春期の悩みもあいまった10代なら?
成人して少し落ち着いてきた20代なら?
家業にこなれて後進を育て始める30代なら?
と考えたり、主人公と異界のアーティストの関係を
10代後半の少年と見た目20代前半の女性
10代後半の少年と同い年の少女
17歳ぐらいの少女同士
10代後半の少年と少し年上の同性が憧れる男性
20代前半の女性と同い年の男性
と考えたりして、固定しようとしなくなっていた。
どのパターンにしても、元の着想はそのままに、それぞれ別の展開になるし、どれが一番書きたいことを書けるかな、と考えられるようになってきた、ような気がする。
恋愛が絡んでも面白いし、それは異性愛でも同性愛でもいい。憧れを軸に展開して友情エンドでもいいし、異性バディの展開もアツイ。
ラピュタのパズーがシータを助けようとするみたいな無垢な感じもいい(この場合、家業の背後にある組織が敵になる)し、普通に自分が憧れてた相手を害する存在であることに葛藤する流れもおいしい。
もののけ姫のアシタカとサンみたいに、それぞれの場所で暮らしながらも会いに行くよと約束する関係もいいな。
もちろん大好きな耳をすませばにならって「結婚しよう!」でもいい。大変よい。
いくつかお話を完成させてきてやっと、お話を面白くする、という視点を持てたなと思う。
思いつきの面白さを再現しよう、ではなくて、さぁここからもっと面白くするにはどうしたら? と考えるようになった。
そしてその作業はめちゃくちゃ楽しい。
ネタ出しの段階では、脳内の物語は最高傑作なので、楽しくて仕方ないのは当然なのだそうだ。
そして、実際に本文を書き始めると「この話本当に面白いの?」「え、もっとここは面白くなるはずでは? 上手く書けないんだが???」と苦しみ始める。
でも苦しいながらも、ネタ出しとプロットを固めるところで納得して書き始めた物語は、書き上げてしばらく経ったときに「拙いけれど愛しいな」と思える「我が子」になることを知った。体験できた。
この経験をもっと増やしてやっていくぞとやる気に燃える今日が、ちょうど週末なのって最高にナイスタイミングだと思う。