話題だったので「あたしおかあさんだから」がエンディング曲で放送されたHuluオリジナル番組を視聴した上で感想を書きました。
Twitterが主な生息地なので、ここ数日の #あたしおかあさんだけど #あたしおかあさんだから の流れを追って思ったことをツイートしました。
「了」で締めくくっておいて、ちょっと時間が経って読み返したら
…ってな具合で、ツイートするには俯瞰して文章を見ることができないテーマだな、と思い直したので、改めてnoteに書くことにしました。(1つめのツイートに消し忘れ文字見つけたw 「Hulu契約してるし見てみるか、と思って」みたいな一文があったんですが、文字数足りなくて削ったのです。そしたらまぁ変な文字だけ残っちまったィww)
わたし個人の中での結論は、上記のツイート群のとおり「歌としての作り方がまずいのでは」というものです。ただ、noteでもこの件について書いている人がいないかな、と検索して拝読したこちらのnoteに「なるほど」とも思いました。
この方の文章の中でなるほどと思わされたのは下記の部分(引用させていただきます)。
おそらくは
物語の楽しみや疑似体験を通してメッセージを伝える絵本作家
ではなく
保護者が言葉にできない思いを形にする絵本作家
として、絵本作家のぶみ、がいるのです。
のぶみさんは、声をあげることのできない人、あるいは、自分の気持ちをうまく言葉に表現できない人の声を、拾っている。
のぶみさんの作品を批判する、ということは「声なき人の声」をさらに潰してしまう気がして、私は何とも言えない気持ちになるのです。
※ぜひ本文を最初から最後まで読んでいただきたいnoteです。少なくともわたしにはない視点だったのでとても参考になりました。
今回の「あたしおかあさんだから」に関して、
・歌詞の作り方がまずい(主題はサビまたは歌詞全体で表現した方がよかったのでは)
・そのまずい歌詞を、宣伝のために文字で見せたのがまずい(だいすけお兄さんが一生懸命表現した「歌」としての第一印象と、歌詞のみの印象に差がある。だいすけお兄さんが歌ってはじめて主題が伝わるような作りなのだとしたら尚のこと)
というのがわたしの意見なのですが、…もしかして歌詞の作りも、宣伝のために歌詞を見せたのも、Huluオリジナル番組を確認させるための炎上商法だったりするのかしら。勘繰り過ぎかしら。
とはいえ、だいすけお兄さんの歌唱力・表現力で主題がわかったような気はしたけれど、最後まで歌で聴かないとヤダな〜って気持ちが薄れない歌なので、わたしは「あたしおかあさんだから」は好きじゃありません。
耳で聴いても目で読んでも好きだと思える歌詞にしてくれないかなぁ、と思います(聴覚障害を持ったおかあさんだっているでしょう?)
そして、Twitterだけでも沢山の怒りの声が見られますが、そこで語られた「呪い」のような意図がこの歌詞に込められていたとしても、わたしはそれを受け取りません。この呪いを受けてわたしのことを「おかあさんなのに」と責めてくる人がいてもその責めを受け取りません。
「あなたの中のおかあさん像はそうなんですね。わたしはこういうおかあさんなんですよ」
そうは言えない人たちのために、過去に呪いを受けて傷ついたり苦しんだ人たちが声をあげたのが「あたしおかあさんだけど」のハッシュタグだったのだろうなと思います。
それにとどまらずのぶみさん個人への攻撃を展開している人や、それまで我慢してこらえてなんとかやってきたのが爆発してしまった人もいらっしゃるように見えますが、そこら辺はお互いなんとかやっていきましょう。Twitter互助会で解毒ハッシュタグが広まったのを始めとして、どんどんみんなが生きやすくなって、早く社会が「のぶみさんの代弁」を必要としなくなればいいなぁ、と思います。
なお、あちこちで誤解されている方が多いのですが、この歌が放送されたのはNHKの番組ではなく、Huluオリジナル番組の最終回エンディングです。
だいすけお兄さんが子どもたちとわちゃわちゃ楽しく過ごす、Eテレ的な番組っぽかったです(件の第9回しか視聴していないので間違ってるかもしれません)。
※一度投稿したのを編集しました。本当はちゃんと書いたものを何度か推敲したり、構成を考えたりすべきだと思ったんですが…眠い…!!
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