黒柴チビが生きた最期の日々
愛犬チビ(黒柴♂)が虹の橋を渡りました。
この記事をアップしている本日は、はじめての月命日です。
柴犬の平均寿命は12歳~15歳といわれています。
亡くなったときのチビは16歳、要介護のおじいちゃん犬でした。
われわれ人間と同様、かわいい愛犬も、生きていればいつかかならず老いを迎えます。
ぽっくり逝く子もいるけれど、犬も高齢化が進み、寝たきりになってしまう子も多いそうです。
チビも最期は寝たきり状態でした。
犬が年をとるとどうなるのか?
そのとき飼い主はなにをしてあげればよいのか?
愛犬を看取って、いろいろ思うこと など
時系列に沿って綴ってみたいと思います。
老齢期の行動と照らし合わせるため、まずは愛犬が若かったころの様子からふりかえります。
健康優良犬だった黒柴チビ
元々チビは亡き父が迎えた犬だった。
わたしがはじめてチビと出会ったのは実家に帰省していたとき。
まだ生後3か月にも満たないちっちゃな仔犬だったのを覚えている。
父からチビを引き継いだ13年ほど前から、ずっとそばにいてくれた子だ。
おとなしく、めったに鳴かない犬だった。
お散歩中にほかの犬にワンワン吠えられても、吠え返したことがない。
犬の鳴き方を忘れてしまったのでは?と心配になったほどだ。
ご飯の前に「ワン」と鳴く練習をしていたこともある。
ワンと言おうとしては声が出ず失敗.. 涙目になりながら何度目かのトライでやっと犬らしい鳴き声を発していた姿を昨日のことのように思い出す。
初対面の人に対しては警戒心ゼロ。誰にでもすぐに懐く。
外面はよいのだけど、飼い主にはちょっとツンデレ。甘え下手でシャイな子だった。
お散歩が大好き。どんな道でも一緒についてきてくれた。
神社の長い階段や急な坂道もお散歩コースに組み入れて、毎日1時間以上は歩いていたと思う。
年老いて脚力が弱り、やがてチビが歩けなくなる日がくるだなんて・・・
あの頃は微塵にも思っていなかった。
怖いのは「カミナリ」「獣医さん」。
怖いことに対しては性格が変貌する。
年に1度の狂犬病のワクチン接種は、きっとチビにとっては大イベントだったに違いない。
獣医さんをみると誰も手がつけられなくなるほど大あばれ。
やむを得ず、小さなオリに閉じ込めてからワクチンを打ってもらっていた。
身に何かをまとうことも大きらいだった。
いちど防寒用にと服を着せてみたら、ビリビリに嚙みちぎって脱いでしまったことがある。それ以来、服を着たことがない。
身の危険?を感じてか、抱っこもさせてくれなかった。
普段は従順だが、あることに対してだけは頑として人のいうことを聞かない・・・
頑固なところがあるといわれる柴犬らしい一面だったと思っている。
14歳になるまで病院にかかったことがない健康優良犬。
病気知らずが自慢だったチビの体調に初めて異変があったときは、ほんとうにオロオロした。
チビの既往歴(14歳~亡くなるまで)
ここで少し、チビの既往症についても触れておく。
【14歳0ヶ月】突発性前庭疾患を発症→後遺症が残る
【14歳4ヶ月】夏風邪をひく(7月)
【15歳2ヶ月】慢性の膵(すい)炎が発覚 腎臓の数値も悪化
【15歳9ヶ月】低体温症に(12月)
元気印だったチビも 14歳で前庭疾患を発症してから体調を崩しやすくなり、病院にかかることが増えていった。
治療と並行して、老いの兆候も少しづつ表れはじめた。
老犬になったチビ【最期の1年を回想】
わたしは老齢期のチビの顔が好きだ。
歳を重ね、目のまわりの毛が白くなり、やさしい表情になった。
あんなに怖がって拒絶していた獣医さんに対しても、14歳ごろからはすっかり従順になった。
老化のせいで筋肉がおち、いつの間にかおしりが小さくなったチビ。
散歩中まれによろけることはあったが、1時間越えのロングコースでも嫌がることなくついてきてくれていた。
しかし15歳になると、シニア期特有の症状が次々に表れるようになる。
イヌの1年はヒトの4年に相当するというが、チビの15歳は急速に体内時計が進んだ1年だった。
後ろ足が弱り、自力で歩くのが困難に
8月。15歳5ヶ月のとき、突然歩けなくなった。
後ろ左足が踏ん張れず、少し歩いては左に倒れてしまうのだ。
でも胴体の左側を支えてあげたら、なんとか歩くことができそうだった。
急遽、犬の下半身用ハーネスを探してみた。
何かを身に着けることをひどく拒否するチビなので「着脱しやすさ」を重視して購入したが、こちらが拍子抜けするほどおとなしく着けさせてくれた。
チビは歩くと重心が左へと寄ってくる。
ハーネスを左手に持ち、チビの下半身を右上に引っぱり上げながら歩くとバランスがとれることがわかった。
以来お散歩では、わたしの左側がチビの定位置となった。
チビがハーネスを着けるようになっても、毎日1時間近く散歩していた。
ハーネスを持つ左腕が腱鞘炎になったことも今ではいい思い出だ。
さすがに神社の長い階段はコースから外したが、歩けるうちはたくさん歩いて欲しいと思っていた。
歩くことは気分転換になるし、筋力の維持、便秘予防にもつながる。
なによりチビは「大のお散歩好き」だ。
好きなことをするのはいちばんの良薬にちがいない。
おぼつかない足取りで懸命に歩く老犬を見て「ワンちゃん、がんばれ!」と声をかけてくれるご近所のおばさま達。
温かな眼差しでエールを送ってくれる犬のお散歩仲間もいる。
ハーネスを着けたチビとのお散歩は、いつもやさしい時間だった。
食事中の前足にも異変(踏ん張れない)
左後ろ足が踏ん張れなくなったと思ったら、次は前足。
ご飯を食べていると、前足がずるずると滑って開脚犬!? になった。
↓ こんな感じだ。
前足が踏ん張りきかなくなったことに加え、肉球をみたら乾燥でカサカサになっていて・・・これは滑るよねと。
いろいろなアイテムを試してみたが、ネットで購入した「ペット用踏ん張りシート」はよかった。
足が安定して全然滑らないし、防水なのでお手入れも楽で助かる◎
「踏ん張りシート」を広げた上で、やっとチビは普通に落ち着いて食べられるようになった。
こんな感じで、チビの変化をみつけては試行錯誤する日々がいつのまにか始まっていた。
認知症(夜泣き・徘徊…)
11月。おとなしい性格で、めったに鳴かなかったチビが、夜泣きをするようになった。
聞きなれた太い声ではなく、細い声で「アォンアォン」と鳴く。
どんな小さな声でも、チビの声はわたしの心にズキンと刺さった。
一気に目が覚める。助けを求めるような辛い声なのだ。
深夜の2時だったり、4時だったり… そしてほぼ2時間おきに鳴くチビ。
そのたびに寄り添っては頭や身体をさすってなだめる。
ときには「ウンチかも?」と、夜な夜な外に連れ出して少し歩くこともあった。
ほぼ同じ時期に徘徊もはじまった。
たいていは夜、突然狂ったように歩き出す。
グルグル回るように歩くのだ。
そして左にバタンと倒れては、また必死で起き上がり歩いていた。
しまいには疲れ果てて、そのままコテンと眠ってしまう。
しかし眠っている時間もつかの間で、また足をバタバタさせて這い上がっては徘徊をはじめるのだった。
徘徊するときには、ものすごいパワーで猛進するチビ。
コントロールがきかないみたいで、わたしが目の前にいても頭からぶつかってくる。
目の前で徘徊がはじまると、胴回りにハーネスを着用させて、そのままお散歩へ行くようにしていた。
今思えば、徘徊がはじまったばかりのこの時期が、いちばん大変だった。
「チビがいなくなった」と家中探し回っても見つからない。
ようやく見つけたときには、とんでもない場所で宙づりになり身動きが取れなくなっていたことも何度かあった。
もう一時もチビから目が離せない状態だ。
このころわたしは帯状疱疹を発症した。
ワンオペ介護による寝不足で、おそらく免疫力が落ちていたのだろう。
(1ヶ月ほどで完治しました)
考えた末、中で歩き回れるほどの巨大ケージにチビを入れることにした。
今度は、ケージの隙間に力尽くで頭を突っ込もうとして、いつのまにか額の真ん中に十円玉大のケガをしてしまった。
ケージの内側を段ボール紙やプチプチで囲ってもみたが、額や鼻をぶつけながら歩くので、プチプチや段ボール紙もすぐボロボロになる。
チビのケージの内側は、修復のたびに進化していった。
同じところばかりぶつけるので傷口はなかなか治らず…
額に丸い生傷をつけたチビの顔は、まるで仏さまのようにもみえた。
夜泣きをする・単調な声で鳴き続ける
徘徊する・同じ場所をぐるぐる歩き回る
昼夜逆転生活になる
いろんなところにぶつかって(顔などに)ケガをする
狭いところにもぐりこもうとする
これらは認知症による行動らしいが、夜泣きの理由に関しては、これまで出来ていたことが出来なくなっていく不安もあったと思う。
チビがいなくなった今も、悲しげに呼ぶようなあの声が聞こえてきそうな気がしている。
老犬の冬支度
15歳になって、はじめてチビは素直に服を着てくれた。
老犬は体温調節が難しいからと、羊毛ニットのセーターを色違いで2着買ったのだ。
ちょうど同じころ、ペット用のホットカーペットも導入。これも買ってよかったアイテムだ。
かすかに温かいふとんの上に横になると、心地よさそうにしている。
心地がいいと安心するのかもしれない。夜泣きが少しマシになった。
ナックリングで足の甲を出血
外へお散歩に行くと、左後ろ足の歩き方がおかしい。
以前から左足が弱かったが、スリ足で足の甲を使って歩いている。
よくみると、足の甲が血で赤く染まっていた。
うまく足を着地させることができなくなる病気、ナックリングだ。
老齢になると発症することが多いらしい。
ケガを気にして、ハーネスで下半身をひっぱり上げ過ぎるのもなんだかかわいそうなので、お散歩用のブーツを買った。
まったく嫌がることなく、おとなしくブーツを履いてくれたチビが愛おしい。
「スリ足でも気にせず、またたくさん一緒に歩こうね」
と頭をなでると、チビは眼を細めて甘えたような顔をみせた。
ウンチの失敗と真夜中のお散歩
老齢になると、これまで出来ていたことが出来なくなる。
チビは外トイレしかしない子で、これまで家の中で粗相をしたことは一度もなかった。
(ちなみに柴犬は、家の中でトイレができない子が多いらしい)
それが朝みると、チビの周りに黒いウンチが転がり散乱、そのウンチを足で踏み踏みしてしまっていることが増えた。
用を足す目的...つまり寝るまえにウンチを出しきっておくための、真夜中のお散歩がチビとのルーティーンに加わった。
ハーネスとリードと、視力が低下したチビの視界を照らすための懐中電灯とを手に持ち、夜な夜な一緒に歩く日が続く。
まっすぐ歩くのが難しいチビ。リードを持つ手で進行方向を操作しながらの散歩だ。
左足元でよろよろと歩くチビを見ながら歩いていると、いつも下を向き、猫背がちになってしまっている自分がいた。
たまに視線を上げると、冬の夜空はいつも美しかった。
星は、まるでわたしたちを見守るかのようにキラキラしていたし、大きな月は、足元をやさしく照らしてくれた。
しかし雨の日の夜にも、ウンチをするまで歩かせ続けるのは忍びない。
12月に入り、チビはオムツをつけるようになった。
飲食時の介助
新しい年を迎えたころには、食事中に敷いていた「踏ん張りシート」の必要がなくなり、使わなくなっていた。
上半身を起こすと胴体が左に倒れるので、お座りもできなくなったのだ。
横になったままでの飲食は誤嚥性肺炎の危険があると聞き、チビの左側で身体を支えながらご飯を食べさせた。
首の筋力が弱って頭が下がるので、顎も手で持って支えてあげなければならない。
顎を支えているにもかかわらず、水を飲むときに鼻を水の中に浸けてしまい毎回クシュン クシュンとくしゃみをしていたチビ。
(うまく顎を支えてあげられなくてごめんね・・・)
お湯でふやかしたドッグフードが入った器を手に持ち、口元近くへ。
ときどきスプーンでドッグフードをかき集めてあげる。
チビは食べている途中、うとうと寝落ちしてしまうこともよくあった。
こんなふにゃふにゃな身体になっても朝夕なんとか完食し、まだ自力で水も飲めている。
懸命に「生きよう」とする老犬チビの姿は健気だった。
飼い主、腰痛を発症
3月のある日、突然わたしは腰痛になってしまった。
高齢で痩せたとはいっても、黒柴チビは中型犬だ。
一日に何度も中腰になって介助したり抱き上げたりすることに、腰が悲鳴をあげていたのだと思う。
老犬を介護していると、つい自分のことはなおざりになる。
腰痛がこれ以上悪化しないよう、無理な姿勢はあらため、自分の姿勢には十分気をつけるようになった。
老犬は愛おしく、かわいい
チビは老犬になって「赤ちゃん返り」した。
かつて抱っこされるのが大嫌いだったのが嘘のように、いつでも抱っこさせてくれた。
というよりは "されるがままになった" といった方が近いかもしれない。
完全に身をゆだねてくれてる…
わたしの腕の中にいるときの、チビの「うつろな目」や「呼吸」「体重」「ぬくもり」「におい」は忘れられない。
14歳までは、手のかからない犬だったチビ。
老犬になって、日々弱っていく姿をみては心配し、寄り添いお世話をしているうちに「手のかかる子」としてのかわいさも発見。
愛おしさが増していった。
愛読書 「星の王子さま」の一節で、王子さまにキツネが言った言葉が脳裏に浮かぶ。
チビの涙
冬には、チビはもう耳が聞こえなくなっていた。
いつも怖がっていたカミナリが鳴っていても、無反応。
わたしが呼びかけても、まったく気づいてくれなかった。
一日のほとんどを眠って過ごしていた。
寝ているチビを見ようとケージを覗くと、生気のない目を開けたまま、じっと横たわっていることもあった。
そんなときは体をさすってあげるのだが、チビは目の玉ひとつ動かすことなくじっとしていた。
一日はチビの生存確認からはじまる。
お腹をみて呼吸を確認し、「おはよう」と頭をなでた。
ときどき、急に足をバタバタして這い上がり徘徊、ぐるぐる歩く。
歩いては壁にぶつかって倒れ、そのまま寝てしまう。
ウンチはオムツの中にしてしまうこともあるが、おしっこはオムツにしたことがなかった。
なので、あいかわらず早朝と深夜のお散歩はぜったいに欠かせない。
日中も数時間おき、オムツをとり替える前には短い散歩が習慣になっていたので、チビはしょっちゅう外へ連れ出されていた。
頭が下がって地面に鼻がすれすれでも、背中が曲がっていても、後ろ足を引きずっていても、歩きたい気持ちはあるみたいで、お散歩をしていて自分から歩みを止めることはなかった。
「また明日ね」と言って寝かしつけて、ほんの数時間後…
夜泣きの声を聞けば飛び起き、チビの様子を見に駆けつける。
犬を飼っているご近所さんが多いことも幸いしてか「うるさくて寝られない」等の苦情はまだなかったが、内心ヒヤヒヤしていた。
「夜泣きがひどいときに飲ませてください」と、病院から精神安定剤をもらっていたが、結局さいごまで薬を使うことはなかった。
ときどきチビは泣いていた(ようにみえた)。
目頭から涙が流れているのを見つけてはそっと拭いてあげた。
「犬の涙は生理現象なので、辛いとか悲しいとかいうわけではないですよ」
と獣医の先生から聞いて胸をなでおろしたが、それでもチビの涙をみると胸が締め付けられた。
言葉を話さないチビ。
うつろで儚げな目から流れる涙の意味は?と、つい考えてしまう。
自力で歩けない体になっても生き続けることは、チビにとっては辛いだけなのかもしれない、とも思った。
とうとう立てなくなる
チビは16歳の誕生日を迎えた。そして春がやってきた。
もう長い距離の散歩はできなくなっていたが、ハーネスで下半身をひっぱり上げるとチビはよろよろと歩いた。
この様子なら、まだまだ生きてくれる。そう信じていた。
ある朝、いつものように用足しのため外へ連れ出そうとすると、前足にも力が入らない。
とうとうチビは、下半身用ハーネスを着用しても立てなくなった。
その日のうちに、犬用の歩行器をネットで探して注文。
首が座らなくなってもいたので「顎のせ台」付きの四輪歩行器にした。
歩行器が届くと、すぐチビをのせた。ぜんぜん嫌がらない。
顎のせ台にはクッションを巻きつけ、枕のようにしてみた。
こんな感じだ。↓
歩行器の上でだらんと頭を下げ、うつむくチビ。
首の筋力が弱り、もう自力で顔を上げることができない。
チビの顔を見たくて、顎を手で持ち上げてみる。
四輪歩行器にのったチビは、おそるおそる足を前に出した。そしてふたたび歩きはじめた!
といっても、まっすぐ歩くことはできない。
歩こうとすると、反射的に首が左に寄ってしまうからだ。
斜頸のせいで、反時計回りにぐるぐる円を描くように歩いた。
徘徊が始まりそうになると、何時でもチビを歩行器にのせて外を歩かせた。
厳密にいうと、歩行器に取り付けた棒で支えながら、同じ場所をぐるぐる歩き回らせた。
ありったけの力をふり絞り、一心不乱に歩くチビの姿をみて、わたしは嬉しかった。
垂れていたシッポがときどき左右に揺れ、チビも喜んでいるように見えた。
四輪歩行器は、チビの食事中の姿勢保持にも一役買った。
あいかわらず顎は手で支える必要があったが、四輪歩行器の上で飲食ができるようになり、ずいぶんと介助が楽になった。
立つ時間が増えれば、チビもきっと嬉しいにちがいない。
床ずれだって予防できる。
犬の歩行器は、わたしたちに新たな希望をくれた。
チビの死
四輪歩行器が届いて6日目、チビはあっけなく逝ってしまった。
亡くなった日の朝、いつものように目を開けたまま横たわっているチビをみたときに「危篤状態なのでは?」と一瞬思ったのを覚えている。
手足をさわると、いつもよりも冷たかった。
その後、起き上がれそうだったので、歩行器にのせたら少しだけ歩いた。
足どりは弱々しく、数メートル歩くのがやっと。いつもとは違う。
お昼にも歩行器にのせてみたが、あまり歩かなかった。
自力で寝返りもできず前足をバタバタさせるチビ。そのバタバタも、午後にはしなくなった。
いつもと違うと思っていたら、めずらしくチビは下痢になっていた。
午後に3回オムツを変え、汚物まみれのお尻をきれいに拭いた。
オムツをとりかえるたびに体位変換をして、タオルを折りたたんでつくった枕の上にそっと頭をのせてあげた。
18時50分過ぎ、チビの呼吸が変わった。
苦しそうな口呼吸になって1分もたたないうちに息を引き取った。
さいごに体位変換したときと、まったく同じ姿勢のままで横たわっているチビ。
いつものように生存確認を何度しても、もう動いてはくれなかった。
愛犬の最期を看取って
チビが旅立ってから、今日でちょうどひと月が経ちました。
遺品となってしまった小さなブーツを見るたび、胸がキュンとします。
靴底はぜんぜん傷んでいないのに、つま先だけ、すり減って穴があいたお散歩ブーツ。
チビはこのブーツをいつから履きはじめたんだっけ?
ふと気になり購入履歴を調べたところ、今年の1月9日に購入していました。
チビが虹の橋を渡ったのが4月15日。
ということはブーツを履いて歩いた期間は、わずか3ヶ月…(もっと長かったような気がしてたけど)。
寒空の下、うつむき加減で、後ろ足を引きずるようにして、わたしの左足元をよろよろと歩いていたチビの姿が思い出されます。
「たくさん歩いたんだね、よくがんばったね」
チビのことを思い出さない日はありません。
いわゆるペットロスです。
楽しかったときのことより、なぜか最晩年のチビのことをよく思い返します。
もっともっとたくさん、抱きしめてあげればよかった。
老犬チビに、もう一度逢いたい。
チビと過ごした最期の日々は、わたしにとって特別で濃厚な時間でした。
今思うと、チビから目が離せなくなってからの時間は、後悔のないお別れのためにもらった愛の受け渡し期間だったのかもしれません。
16年前、亡き父が家族に迎えた黒柴チビ。
今ごろは向こうで父と再会を果たし、元気な身体であちこちを駆け回っていたらいいなぁと思います。
「チビのこと、これからもずっと忘れないよ。ありがとう!」