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「カフェ」と「本」、あるいは所謂「ブックカフェ」と呼ばれる場所の在り方についての自考自行。〜文鳥文庫さんのお取扱はじめました〜

素敵ですね、文鳥文庫さん。

カフェトリエでは、ちょっと意図があり、お取り扱いを推進いたしました。

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背景ですが、「カフェ×本」について考えるに当たり、最近はやりの「ブックカフェ」と呼ばれる場所たちに行ってみても、
「分離感」を感じることが多くありました。
本屋は本屋。カフェはカフェ。そして、ただ、それらが同じ空間に置いてあるだけ。
お客さん側としても、本好きさんと、カフェ好きさんでは、嗜好が大きく異なるかもしれません。同じ空間の作り方として、紡ぎ(編集)が必要です。


カフェにとって、置いてある本が、そのカフェのコンセプトと無関係な意志のないおしゃれインテリアやだったり、集客手段や、客寄せパンダであったら、

それこそカフェトリエとしてやりたくない「場所貸し」になるなぁというジレンマもあります。

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一方で、人生で足元がおぼつかなく買った時に、いつも私を前に進めてくれたのは、「人と会う」か「本を読む」でした。

そんな中、カフェと本(や、カフェの中のコンテンツ)の距離をちょっと縮めたい、接点を紡いで溶け合わせたい(=編集)、そんな方法を探していました。

カフェと共に本を届ける場所、ならではのありかたとは?

カフェ:コーヒーなどの飲み物と共に、良き時間を過ごす場所
本屋:本を届け、本との出会いを提供する場所

カフェは、コーヒーを飲みに来たり、スイーツを食べに来る以前に「時間を過ごす場所」。
スイーツのように、飲み物と共に、本をパラパラめくってプチ至福な時間は過ごせないものかと考えていました。
でも、本一冊だと、重い。
少なくとも多読家でもない私には、重い。激しんどい。
そして、なんだか本好きさんと自分の、本へのスタンスを比較すればするほど、本が遠のいていく。

本を読むことが、何か高尚なことなのか、賢いことなのか。
本が好きなことは、何か知的だったり、あるいは何かおしゃれなことなのか。
一部の本好きと本を読まない(読めない)人の間で、一方的で排他的な空気があることもあります。まったく虫唾が走る。


海が干上がり山は崩れるほど違いますね。勘違いですね。

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そこで、本好きじゃなくとも手軽に読めて、今居る世界とは異なる世界に触れられる、文鳥文庫さんに連絡をとりました。
カフェと、カフェの中にあるもの(本や、雑貨など)達を、手と手を取り合い、紡ぎ合わせて、伝える。
そんな仕組みを今後も増やしてまいります。

次回は、その先の展開・お膳立ての企てについて、お話します。

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