言葉との別れ
何らかのルールが必要だ。
シェーンベルクが考えていたのは、自分や他人を律する何かについてのことではなく、音楽作品一般のある特徴について、例えば時間の長さを持っているという特徴についての整合性を見出さなくてはいけないということであった。
自然の制約は芸術の足場を固める。それはジュピターと運命の関係なのだ。
例えばメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」が、ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという編成となったのはなぜか。その説明は簡潔で揺るぎのないものであった。しかし、その説明が難しい自由な状況の中では、あの名作でさえ足場が揺るぎかねないのである。自由であるべき芸術にそのような足場は必要ではないと、言いたい気持ちもあるけれど、言うだけで解決する世界に暮らそうとすれば、それこそ矛盾に押しつぶされるに決まっているのだ。
半音階による和声拡大の流れは、シェーンベルクの時代にはすでに行き着いたものとなっていて、主和音を離れた後、回帰までの道のりは果てしなく、どこまでも作曲家が望むだけ延ばしていけるものとなっていた。
しかし、音楽が音楽的思考の表現であり、音楽的思考が人間のロジックにかなっていなければならないと信じていたシェーンベルクにとって、ある作品の長さは、それ自身で説明がついていなければならないものであった。
いたずらに主和音から離れていき、それだけ長大に膨れ上がるだけの音楽は、シェーンベルクの目には意味のない音響として映った。
そこで、シェーンベルクが音楽作品の「長さ」の拠り所としたのが、ドビュッシー、R.シュトラウスそしてマーラーが同じ時代にそうしたのと同じく、「歌曲」であった。
歌曲であれば、言葉の終わるところで音楽が終わる。
転調の自由が言語の自在に近づくだけ、音楽も詩のように研ぎ澄まされた洗練を目指さなければいけない。
近代の巨匠は、まず言葉の芸術に寄り添う事で新しい形式を会得し、その形式を段々に長大な作品に移し替えていくことで少しずつ自由を獲得していった。
ドビュッシーが死に、遺言のように残された3つのソナタの中に、言葉と音楽の邂逅がほぼ一巡したという合図を見た時に、シェーンベルクは、言葉によらずとも音楽は音楽それ自体で説明がつくはずである、という信念と今一度向き合うことになった。
そこで、音楽に与えられた最小の単位、つまり12の音列を一つの言語として、音楽そのものの形式をはじめから打ち立てようとした。
1921年、シェーンベルクは12音技法による短いピアノ小品からなる「ピアノ組曲 作品25」の作曲をはじめた。
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「理解することと、気づくこと」
に続く