後悔と反省の違いを考察してみた
辞書を開けば、すぐに答えが出るのかもしれない。
だが、自分の経験から得た言葉を使って今日は表現しようと思う。
一度ここで読むのをやめて、あなたも考えてみてほしい。
ちなみに答え合わせの場ではないので「この人はこういう考え方なんだ。」という目で見てほしい。
後悔と反省は、どちらも過去の事実に対しての言葉だ。
その事実の存在に○(まる)をつけているのか✕(ばつ)をつけているのかによって、使う言葉を分けているように思う。
「後悔」は✕をつけていると捉える。
後悔は、過去のある場面においての「行動」を無かったことにして、別の行動にすり替えたいという欲求である。
過去の時点の行動 ”→” 頭の中にある(過去時点でもあった)行動
「反省」は○をつけていると捉える。
反省は、過去のある場面においての「行動」は、その時に出来た最大の行動だと認めている。
一方で別の行動をした場合の方が、より良い結果を生んでいたかもしれないという期待である。
過去の時点の行動 ”<” 頭の中にある(過去時点でもあった)行動
私はこのように考えているので、「後悔はないが、反省点のある場面だった」と思うことはよくある。
過去の行為を振り返って「見る」とき、その行為が変更されることはないが、物事の捉え方によって自分の心を救うことはできる。
必要以上に自分を傷つける必要はない。
そうしなくても、外的要因で不意に傷つく機会が訪れてしまうものだから。
他者が関与するものであれば、後悔や反省した際の「頭の中にある(過去時点でもあった)行動」を改めて行う選択肢もあると思う。
私は、よくやる。
例えば、友人が彼氏の愚痴を言う。
それを聞いて「そんな彼氏やめときなよ」とまでは言わないが、もっとこうしてみたらなどとアドバイスをしてしまうことがある。
でも、その後よく考えてみたら、友人の彼氏のことを友人以上には知らない。付き合っているということは、彼にはいい部分もたくさんあるから付き合っているということだと思う。
惚気をあまり人に言わないタイプの人もいる。
だから、友人から聞いた言葉だけの情報で彼を判断し、かってにアドバイスしてしまったんだなと気づく。
そして謝る。
とか、よくある。
どうしてその場面でもっと深く考えられないのか…、とは思うが、こういう経験を反省して考える回数を増やしていくしかないのだ。
他者が関与していても、現時点では既にどうしようもないときは。
何度も過去の行動をループして、「ああすればよかった」「こうすればよかった」と最適解を模索してしまうこともあるだろう。
もうそれは、時間が解決するのを待つしかない。
私の中には、その答えがまだないから。
記憶にはキャパシティがある。
新しい記憶を追加し続け、過去の記憶が薄れ、消えていくのをじっと耐える。
今の時点では、それが最善解。