【2020年7月頃】成田空港→PCR検査→ホテル待機→リリースまでの流れ
みなさん、こんにちは。
1年3か月の世界一周の旅からぶじ帰国し、実家の岡山で暮らし始めて2か月目のぼりーたです。ご縁があり仕事も決まり、100%在宅で仕事ができています。(仕事の話はまた今度)
※本題
2020年7月23日時点ではありますが、「成田空港から帰宅までの流れ(水際対策)」を知りたい方がいらっしゃるかも?と思い日記を書きます。
日々、日本の空港の対策は変わっていく(迅速になり、良くはなってるはず)ので、最新情報ではないこと、ご容赦ください。
4か月のコロンビア缶詰生活を経て、メキシコで一人タコス祭りを開催した後、「まだメキシコにいたい~~!!」と泣く泣く成田についたのが7月23日でした。涼しいボゴタからアジアの高湿度の日本に帰り、一気に体力を奪われたことを思い出します。(現在9/21)
↓ここは1週間だけ立ち寄ったメキシコシティ。素敵な街でした。このタワーの近くに5泊しました。
メキシコの郵便局からポストカードを出したけど、「届いたよ」とは誰からも連絡ない(泣)永遠に届かないのかもしれない・・・5年前にメキシコに行った時も、日本に出したポストカードはまだ届かない(笑)なんで?どこ行った?
まず成田についてどうなるの?
空港に着いたら、検疫(?)の職員さんらしき方に「こちらにきてください~」と誘導されます。ツアー旅行でガイドさんについていくような気持ち。
「PCR検査を受けていただきます。しばらくこちらでお待ちください」と、飛行機を降りて、スーツケースのピックアップの場所近くに並べられたパイプ椅子に一同腰掛けます。待つこと20分ほど。私達のPCR検査の番になりました。
テスト前に、飛行機で配られたアンケート用紙をスタッフの方に渡し、「お名前は?飛行機の便名は?どこから帰ってきましたか?連絡先を書いてください。テストの後は~~~」などなどの質問を受けます。思いっきり外国人の人にもふつうに日本語で話しかけていて、「おいおい容赦ないな」と思いました。ま、私もコロンビアの空港では、容赦なくスペイン語で質問されましたけどね。
次にPCR検査
白い防護服を着たお医者さん(耳鼻科の先生かな?)が、「はい、そこに座ってください。熱はありませんね~?お鼻に綿棒いれますね。力抜いてください」と、座ったと思ったら「ぐっ!!!」と綿棒を突っ込まれました。「思ったより5cm余分に突っ込んできたな、あんた!!」というのが感想。思わず手をキョンシーのように伸ばし、バタバタ!とさせてしまいました。ちょっと痛いし、咳が出る発作が起きました。30秒ほどで検査終了。あっけない。(空港でのPCR検査は無料です)
自宅は近いか?迎えがあるか?によって異なるルート
検査が終わったら、検閲のスタッフの方(なぜかネパール人の男性w←どこから来たの?と質問したから確実)に案内され、「ここで待っててください」とまた別のパイプ椅子に座ります。
【検査結果をどこで待つか】×【家族の迎えはあるか】×【2週間の自主隔離をどこでするか】
の組み合わせにより、進路が変わってきます。
例えば、タイプA
「検査結果が出るのを待たず、家族の迎えで自宅に帰る人」
検査が終わったら、自宅まで直帰可能。
※2020年7月時点ではPCR検査は結果学校でるまで2日かかりました。今は2時間。進歩!
タイプB
「空港から自宅が遠く、2週間の自主隔離は空港近くのホテル(自腹)で過ごしますって人」
私は②+αだったので、②を説明します。
私の場合、自宅は岡山。「2週間の自主隔離」が終わるまでは、公共交通機関を使ってはダメなので、当日には帰れません。ただし、友人Aが空港まで車で迎えにきてくれることになっていました。2週間の自主隔離に関しては、自宅に住まわせてくれる奇特な友人Bの家へ in 東京。
ただ、友人AにもBにも迷惑をかけてはならぬ!と思い、検査結果で「陰性」が出るのを2日間待って迎えにきてもらい、友人B宅に送ってもらいました。地方に自宅があり、迎えがない人たちも「検査結果をどこで待つか」は同じです。それは、「政府が用意してくれた空港近くのホテルに2泊3日待機」です。3食お弁当までついてます。ありがたき幸せ。
段ボールハウスで待機(ここ結構好きだった)
検査結果をホテルで待つ組の人たちは、写真の段ボールハウスで「ホテルまでの送迎バス」を待ちます。
ここ、すごく好きでした。「屈辱的!!き~~!」と思う人も中にはいたかもしれないけど。政府が用意してくれた段ボールハウスって一生に一回使えるかどうかですよね?面白くて終始ニヤニヤが止まりませんでした。記念撮影もパシャ。
なかなかの寝心地よん。すべすべ。
飛行機がお昼についた人は、この段ボール・キャッスルで3-4時間待ったらしい。(どうりでイライラしてる人いた)。私は飛行機が夕方ついたので、1-2時間待って、空港近くの「東急イン成田」にバスで送ってもらいました。東急さんに感謝。
ホテルは成田からバスで10分ほど。
バスの内部は写真撮ってないのですが、ビニールシートが張り巡らされ、物々しい感じ。「ああ。陽性前提の扱いあんだなぁ。当たり前かぁ。危険人物だなぁ、私」と思いました。運転手さんも防護服着用。
ホテル到着
「ホテルのスタッフ」の方は見た感じ一人もいらっしゃらず、検閲の人+アルバイトさんらしきスタッフの人たちが6,7名いらした感じ。チェックインは不要で、そのまま一人ずつ名前を呼ばれて部屋番号の紙を渡され、エレベーターで部屋に直行。カギは部屋の扉にかかってました。疲れてるからこういうスムーズな感じ、嬉しかったです。
ホテルは20平米くらいの小さなビジホ。ツイン。一人だからツインじゃなくって、セミダブルにしてほしかった・・・なんて贅沢は言えません。
部屋につくと、宿泊者の人たちへのお願いごとが書いたしおりが6,7枚。「入所者の皆様へ」って刑務所じゃあるまいし・・・「お客様」とか、「ご滞在の皆様」とか、他に言いようがあるけどね。東横インさんではなく、検閲の方が書いた文章。(ま、そこ文句いっても仕方ない。タダで世話になるわけだし)
ここで8カ月ぶりに「湯舟」につかった私は、心の底から「あぁぁぁ~~~~~~~」と吠えました。どんな高級旅館の源泉かけ流しより感動的なお風呂タイムでした。感謝。
お食事は、1日3回。
3食お弁当。量は十分。おかずもバラエティに富んでいるし、おやつ的なものまである。ふつうのなんてことないお弁当がすっごく美味しく感じました。メキシコのタコスもいいけど、和食は最高。「お~いお茶」がこんなに美味いとは。
こんなお弁当。
美味しかったです!ランチパックやお味噌汁までついている。
スタッフの方と、コロナ陽性の可能性がある私たちの接触をさけるため、お弁当が配られる際は、「館内放送」がされます。
お約束として「お弁当を配る間は、絶対に部屋から出ないでください」というドキドキする指令が出されています(笑)「前振り」じゃないです。そういわれると、どんな人がお弁当を配ってくれてるのか?覗いて鉢合わせしたら、どんなリアクションをされるのか?もう、知りたくてうずうずです。でもグッと我慢の子。
「お弁当を配り終えました。みなさん、お召し上がりください」とまた館内放送があります。←ゆる~い南米コロンビアから帰ってきたばかりなので、この日本人の律儀さに爆笑。いちいち放送~~!!!って。
私の部屋の前の人は、ハラルフード。モスリムの人なんだなぁ。
最終日の朝、朝食を受け取るためにドアをぱっと開けたら、完全なるモスリムの白装束の格好をした40歳くらいの男性が立っていて、
「おはよう。あなたどこから来たの?」って。
いやいや、それ、私のセリフですから。
「私はコロンビアから来ました。これから岡山に帰ります」
「え?岡山?遠いね。(日本語相当、流ちょう!)。私はドバイにいたんだけどね、これから青森に帰るの。出身はアフガニスタン」
って。つっこみどころが多すぎて、頭の中、質問の大洪水。
「あああ、そうですか。アフガニスタン・・・パシュトゥーン人て美人が多いですよね。青森好きです。では。」
と適当に返事をして、部屋に入りました。なんせ、腹減ってるから。
出所の日の朝
最終日の朝(2泊3日)、お弁当を食べていたらホテルの内線電話がなり「陰性でしたよ」と嬉しい結果。晴れて”出所”できたのでした。
因みに、ここから「成田空港/成田近くのホテル」もしくは、「羽田空港/羽田近くのホテル」までバスで送ってくれます。希望言えば好きなところに。
その送りのバスは、ホテルに行くときの完全防備の車内がビニールに覆われたものではなくて、立派な観光バスでした。運転手さんも防護服は着てない。「あれ?まだ2週間の自主隔離が必要だし、偽陰性の疑いもあるのに、いきなりガードおろして大丈夫?」と拍子ぬけするくらい。
私は友人Aと待ち合わせをした羽田空港まで送ってもらいました。友人に会うまで、また検閲官が待っていて見張られるのか?と思ったものの、「はい、ここで。お疲れ様した~」と運転手さんは私の荷物をおろしてくれてブブーと去っていきました。「・・・あれ?ここで国内線に乗ってもばれないね・・・」という感じ。乗っちゃう人いると思う。乗らなかったけど。
無事、友人Aと落ち合って、ランチを食べて、友人B宅に送り届けてもらいました。
というハッピーエンドで今日はしめます。コロンビアからあっという間に日本へ。遠いようで近い、南米→日本でした。
今日も読んでくださりありがとうございました!!