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「室井慎次 敗れざる者・生き続ける者」は「踊る大捜査線」だったのか

はじめに

 現在公開中の映画、「室井慎次 敗れざる者(前編)」「室井慎次 生き続ける者(後編)」を視聴しました。「踊る」シリーズを最後に見たのはもう何年前か思い出せないほどでしたが、令和の世になってまさかの続編ということでどんな物語になっているのか楽しみにしていました。いつもの自分なら面白かった、つまらなかったと自分の中で感想を消化して終わりにしているところですが、それだけでは言い尽くせない複雑な感想を持ったのでまとめておきます。個人の感想となりますので、その点踏まえご覧下さい。
 なお、本文には同映画の内容および結末等に対する重大なネタバレを含むので、万が一これを読もうとされる際にはその点について十分ご注意を。
 また表記の簡便化の都合上、キャラクターや俳優の皆様方に敬称をつけずに語る形にしており、これについては該当の人物や作品への非難等含む意味は全くなく、あくまで表記上の都合であると予めご了承下さい。

重厚な演技と表現力

 まずは良かった点から。とにかく役者陣の演技が良すぎる。ベテランの役者もさることながら若手・子役に至るまで、細部にわたって感情がこもった、引き込まれるような演技に圧倒された。
 室井慎次役、主演の柳葉敏郎の演技の素晴らしさに関してはもはやあえて言葉を重ねるまでもない。言葉少なながら表情や仕草で苦悩や苦しみ、悲しみを表現しきる姿はキャラクターが重ねてきた歴史も相まって、凄まじさすら感じる。今の彼を表現するための、柳葉敏郎という俳優のための映画だと言ってもいい。彼のファンは迷わず劇場へ足を運ぶべきだ。
 日向杏役の福本莉子もすごかった。すん、と笑顔を消したときの暗さ際立つ眼差しとその奥に抱える闇を感じさせる冷たい表情に不安をかき立てられる。シリーズ屈指の悪役、日向真奈美の娘であるという説得力が画面から伝わってきた。
 悪役の演技もいい。前編では生駒里奈演じる、貴仁の母を殺害した男の弁護士が短い出番ながら存在感があった。こちらを見ているようで見ていない目、親身になっているようで自己中心的な態度、冷静を装っているようで暴走している、権威と正論を盾にして功を焦る若手弁護士の姿は実に憎たらしく映った。その分、室井のカウンター(君が家に来て最初にすることは彼の母親に手を合わせることだったんじゃないのか?)を受けて撃沈し固まった姿に一種の爽快感すら感じた。
 後編では加藤浩次演じる凜久の父親に恐怖を感じた。どこか虚ろで怒りをたたえた表情、落ち着かなさげな仕草や動きは、台詞の穏やかさや表面上の丁寧さすらかえって恐怖に変えてしまうほどの凄みがあった。
 脇役にいたっても魅力的な人物が多い。いしだあゆみ演じる商店の主は達観・諦観を感じさせつつも暖かな優しさで室井や凜久に寄り添う姿が印象的だった。矢本悠馬演じる交番の若手警官は作品の癒やしといっていい存在だった。お調子者で頼りないが、常に明るく、また終始室井達の味方で居続けていてくれた。なんなら、父元へ引き取られていく凜久を見送りその場を動かずに佇み続ける犬のシンペイすらもいい演技だと思った。
 一人一人語っていけばキリが無いほど、素晴らしい役者陣によって作られた重厚な人間ドラマだった。

貴仁と凜久の成長

 演技の話で言うならもちろん貴仁と凜久の話を外すわけにはいかない。室井との関わりの中でこの二人が成長していく展開と描写こそ、本作の大きな見どころである。
 前編の山場はなんといっても貴仁(タカ)の物語である。被害者遺族である彼が他人とのコミュニケーションにどこか怯えを感じて目を泳がせる様子や、親しくなった想い人に対して浮き立つ心を抑えきれない初々しさ、凜久や杏の前では精一杯兄貴役を演じようとする健気さを齋藤潤が見事に演じきっていた。前編終盤、大人の事情に翻弄されながらも母を殺害した犯人と向き合う覚悟を決め、憎き相手の前で啖呵を切るシーンは本当に自分の子供を見ているかのような緊張と感慨を室井と共に感じていた。室井が彼を「大きくなった」と評したシーンで結ばれる一連の展開は、一つの父子のドラマとして完成されており、物語に大きな共感を覚えた。
 小さい方の「息子」、凜久(リク)と室井との関わりも物語の軸として大きな要素であった。虐待を受けていたが故に他人との関わり方を知らず、良い意味でも悪い意味でも純真な彼に対して、室井は終始優しく暖かく彼を受け入れる。決して怒ったり手を上げたりしない。多くを語るわけでもない。しかし着実に室井の影響を受けて彼も成長してゆく。いじめっ子に立ち向かい、万引きした店にも一人で謝りに行く。彼が明確に変わるきっかけが劇的な出来事ともにもたらされたわけではないため、室井からの影響であるとやや感じにくい描写ではあったが、先に室井の背中を見て成長した貴仁の姿があるので、凜久もそうであると感じさせるに難くはないだろう。それが故に、出所した父親の元に引き取られる凜久の姿に、傷ついた姿で戻ってきた彼の姿に大きく心を動かされる。父親として、家族として室井達が凜久の父親と対峙するシーンは並々ならぬ緊迫感をもってクライマックスを盛り上げた。

「事件」と物語の関わりの希薄さ

 ここからは一転、作品を見て感じた違和感、もやもやポイント、ぶっちゃけて言うと悪口となるのでご注意を。
 「踊る」シリーズ待望の新作、ということで「室井慎次、生涯最後の事件に挑む!」みたいな作品を期待した人にはかなり肩すかしではなかったかと思う。結論から言うと本作は刑事ドラマ「踊る大捜査線」ではなかった。作中で発生した死体遺棄事件、その被害者がかつてのレインボーブリッジ事件の犯人の一人だったという展開は、思いのほか物語の本筋として機能しなかった。てっきり、刑事としての性から逃れられない室井、過去の因縁に絡められ苦悩する彼の物語、みたいな感じの話が展開されると思ってたのだが…。後編に入って犯人からの電話が捜査当局に入ってきて、いよいよ事件が動き出すと思いきや、あっさり犯人の居場所特定から警官隊の突入、逮捕まであれよあれよと済んでしまう。犯人特定に室井の助言が関係した部分もあったにせよ、彼が大きく事件の解決に寄与したという印象は薄い。その後の犯人との対峙、数十年ぶりのかつての刑事と犯人の対決がついに、というシーンも肩すかし感が否めない。まさか令和の世になって「お前にも家族がいるだろう」で犯人を落とすシーンを見るハメになるとは…。長年の投獄を経て出所後懲りずに犯罪を繰り返した因縁のある犯人がそれで若干改心した風になるのもなんだか都合が良すぎる感じだ。おそらく事件関係者家族の辛さを知る人間・室井慎次を描きたかったのだろうかとも思うのだが、いずれにしても刑事ドラマとしての緊張感や醍醐味はそこにはなかった。その後の刑事の「他の仲間が捕まるのも時間の問題でしょう」という発言で事件は事実上解決を迎えてしまい、その後触れられることもない。勝手に「刑事ドラマ」を期待していたこちらが悪いといえば悪いが、あまりの事件のどうでもよさになんとも拍子抜けな感じを覚えた。
 しかしその後の桜刑事の「想像」の話で流れが変わる。全ては投獄中のかつての敵、日向真奈美の陰謀だったのではないか、彼女が信者や娘を操って室井を苦しめていたのではないかというのだ。室井は言う、「娘は彼女のようにはさせない」。ははーん、なるほど、これまでの事件は前振りに過ぎず、かつての敵である日向真奈美との再びの対決、そして彼女の呪縛から娘である杏を解放する展開がクライマックスとして、刑事でなくなった室井が刑事の魂と意地で臨む最後の「事件」となるのだ…。そう思っていたのだが、本作をご覧になった方はもうわかっているだろう、当然そんな展開は無い。日向真奈美の陰謀が本当にそうだったのか、また彼女自身のその後についても特に言及が無く、これっきりで終わる。一体何だったんだよ。これを肩すかしと言わずなんと言おうか。
 日向真奈美の娘、杏と室井との関わりも、貴仁や凜久のそれと比べるとやや性急というか唐突な着地を迎えたように感じた。貴仁や凜久と同じく人との関わり方が分からない少女、杏。そんな彼女の唯一の生きる道しるべは投獄中の母の言葉だった。他人を傷つけ憎むことでしか人と関われない少女。前編終盤、彼女は室井の家の倉庫に火をつけ取り返しの付かない過ちを犯してしまう。炎に包まれる室井の象徴とも言えるコート。感情の読めない目でそれを見つめる杏。彼女を室井はどう救うのか…絶望と不安を感じさせるシーンで前編は幕を閉じる。この「振り」で杏との関係を後編では重点的に煮詰めていくのかなという予感があった。しかし、後編でそれは実にあっけなく消化されてしまう。室井が猟銃を彼女に撃たせて凶器の恐怖を覚えさせるというシーンがある。まあこのシーン自体はいい。人を傷つけるということへの恐怖を初めて少女が実感するきっかけとしては十分なインパクトがあるだろう(免許無し猟銃の使用が法律的にどうのみたいなツッコミはあるとしても)。ただ、このシーンの後、杏はすっかり「良い子」になってしまう。自分の罪を心から涙して反省し、年下の弟分である凜久を真に思いやる優しいお姉ちゃんになる。…やはりいささか急すぎないか?わざわざ旧作の悪役の血縁者という関係性を引っ張り出してきたキャラクターなのに、肝心の母親の洗脳からの解放、決別というプロセスを経ずに、銃を撃ったら怖くなって改心しましたはちょっと単純すぎやしないか。その後彼女の口から母親に対する言及があった描写もない。貴仁の時は過去の出来事との向き合いを通じてその成長を描いていたのに、なぜ一番物語的においしいポジションの杏の改心にもう一展開作れなかったのか。一番変化を実感できるキャラクターだけに、そこに説得力を持たせて欲しかったという惜しい気持ちでいっぱいだ。
 かくしてレインボーブリッジ事件や日向真奈美といった過去の事件は室井の現在をかすりこそすれ、その運命に大きく絡むことなく出番を終えてしまった。
 改めて思うのはこの作品は「踊る大捜査線」シリーズ最新作の刑事ドラマ、という味付けの作品ではない。あくまで室井慎次と子供達との関係性を描くヒューマンドラマとしての色が強い。「踊る」という看板に釣られて前者のような作品を期待した人はなんだか釈然としない印象をもったのではないだろうか。

やや急速に感じた「雪解け」

 杏の件もそうだが、特に後編、登場人物達の室井への態度が急速に軟化する展開が続く。
 地区長である長部は前編から後編の序盤にかけて、特に室井のことを「よそ者」として敵視してきた。ことあるごとに彼に面倒事をもたらした元凶だと嫌みをいい、猟に同行させたときには実際に撃つ気はなかったにせよ、銃で室井を狙わせたかのような描写までありその嫌悪感はある種徹底していた。しかし、凜久が実父の元へ車で去るシーンを目撃した後、急に「今まで悪かったなあ」みたいなことを言い出すのである。…まあ流れは分かる。犯罪者の息子だと思ってた子が自分一人で万引きした店に謝りに訪れ、また彼が馴染んだ家・町を名残惜しそうに去って行く様子を見て哀愁を感じ、心を改める。分かりはする、のだが…やはりいささか急速な感は否めない。室井自身が地区長に彼の認識を改めさせるような特に印象的なことを言ったわけでもない。また、これだけの流れだとあくまで彼の忌々しい思いの向き先は犯罪者の息子である凜久であり、室井ではなくなってしまう。室井自身と地区長の会話は互いに平行線で交わらない部分が多く描写されていただけに、もうちょっと段階を踏んで歩み寄りがわかりやすく表現されていても良かったのでは…?。
 商店で暴れていた若者達についても思うところがある。彼らが商店で暴れた際、室井が「話をしよう」と彼らを連れ出す。場面はカットされ、後日室井家に彼らが手を合わせに訪れる。なるほど、室井が彼らに一喝するか何かして彼らの認識を改めさせたのか…。と、思いきや実際に描写された顛末は、暴力を振るう彼らに対して「君らには勝てん!お菓子、棚に戻そう…!」と必死に訴えかける室井の姿、で終わっている。…うん、まあ分かる、分かるんだ。暴力に屈しない室井の姿にその虚しさを覚えるとか何とか彼らが悟って心を改めたのだろうとその過程を想像はできる。できるが、やはりちょっと飛躍しすぎというか、単純に描写不足じゃないか?回想では若者達がはっと認識を改めるようなシーンまでは絶妙に描かれていない。商店の店主は「室井さんの想い、彼らに伝わってるよ…」と言うが、彼のどんな想いや言葉がどう彼らに響いたのか、どう彼らを変えたのか、見る側に都合の良い想像で補うしかない、というのはどうなんだろう。室井の言葉を受けて彼らが室井を掴んでいた腕を放して放心する…ぐらいの描写は必要だったのではないだろうか。
 秋田県警の本部長になった新城はシリーズ過去作のキャラクターということもあり、室井との関わりも大きい。彼は室井が警察人生をかけて取り組んだ「キャリアと現場の協力」という取り組みを引き継ぐことになるのだが、これについてもどこか唐突な感があった。室井と再会した新城は、自身のキャリアが挫かれたことや、室井が務めるはずだったポストを自身が務めることにあまり好感を抱いていなく、彼にやや嫌みったらしく接する。室井はそんな彼を今の自宅に誘う。新城は彼の現状や、挫かれた信念と未練についてそこで初めて知ることになるのである。なるほど、新城から室井への同情心の芽生えという点では印象的なシーンだ。しかしこの後特に新城について印象的な描写があるわけでもなく、新城が室井にその信念を引き継ぐことを宣言するシーンへ繋がる。うーん…室井家で新城が室井に理解を示すのは分かるが…。まるで昔からの理解者、近しい友人であったかのように彼の信念を自身のそれとして引き継ぐ展開は、無理があるとはいわないが、ちょうど過去作で絡みのあったキャラだし室井の信念は続いていくということを示したいがばかりに適当にあてがった感がある。新城が元々そういう思想だったという下地も示されていたわけではないし、一時の同情心から、尊敬する先達への強い共感心への変化を表現するには落差というか、急激な変化を感じてしまった。まだしもこれなら警察を目指す貴仁辺りが「僕が室井さんの想いを引き継ぎます」と発言して締めるほうが、実現性はともかく心情的には納得感が生まれたと思うのだが、どうだろうか。
 このように、どの登場人物も①室井への敵意や不信感、②室井への認識の変化のきっかけという段階はあるのだが、③室井への歩み寄りや理解の深化というプロセスを飛ばして④室井への態度の軟化に繋げられているため、どうも唐突な急カーブを描いて心情が変化しているような印象を受けた。
 比較的緩やかにその辺りが描写されている例もある。牧場主の石津がそうである。彼も地区長と同様、室井を敵視していた一人であるが、病院での会話から室井が子供達を預かる理由とその心情を知る。自分達も息子がいたが、自分たちの責で親元から去ってしまい、仲よさげな家庭が羨ましかったのだと。終盤、十数年帰ってなかった息子が牧場を訪れる。室井が警察に掛け合って探していてくれていたのだと。石津夫妻は室井に感謝し、息子とともに室井の墓前(墓ではないが)で手を合わせる…。病院での会話で認識を変化させ、息子の帰還で室井に対して心情的な歩み寄りをする。非常にわかりやすい展開だ(厳密に言うと病院のシーンで必要以上に室井への共感心を得すぎな気もするし、息子の帰還と村一丸で必死に室井の捜索をするシーンの前後関係が分からないので心情の変化の段階はこちらが思った通りではない可能性も高いが…)。
 こういう二段階右折ぐらいのプロセスを経て心情的な歩み寄りを表現してもらったほうが見ている方にも納得感が得やすいのではないだろうか。昨今、近頃の視聴者は全部説明しないと分からない、行間が読めないみたいなことがよく聞かれる。それに関しては確かにそう思うし、あえて描写をしないことによる行間の美があることもまた確かだ。しかし描写をしなかったことでシーンとシーンの間に不自然なつなぎ目が見えてくるのはまた違うだろう。不自然さを感じさせずに、あるいはそれを使って心情や描写に奥行きを感じさせるからこその行間ではないだろうか。
 どうしてこんな急カーブの心情変化が相次いだのか。前編でばらまきすぎた人間関係を後編で急速にまとめる必要があったというのもありそうだが、何より「室井慎次がいなくなっても、その想いや信念は引き継がれていくというテーマを、室井の墓前に次々と人々が訪れて手を合わせるというシーンで表現したかった」という描きたいシーンありきで構成したからなんじゃないかと思う。

「室井慎次」としてのピリオドの形

 前述の通りネタバレを気にせず結末を書くわけだが、この物語の最後、室井慎次は命を落とす(暫定)。これについては案の定、シリーズファンからは賛否両論相次いだようだ。シリーズを代表する長年親しまれてきたキャラクターの死は、それ自体がショッキングな出来事であるが、私自身はメインキャラクターの死自体についてはニュートラルな意見である(私は仮面ライダーオーズ復活のコアメダルをやや肯定的に見ている人間であると同時に、スターウォーズep8を見た後ep9を見る気を無くし、かと思えばアヴェンジャーズエンドゲームを最高の映画だったと評する人間でもある)。要は文脈が成立しているか、もっと簡単に言えば面白いかどうかという個人的な主観で語る部分で分かれる評価軸でしかない。
 では本作においてはどう感じたかという個人的な意見を述べるならば…別に死ぬ必要性なかったんじゃないか?と思っている。
 室井の死自体は内容によっては受け入れられたと思う。問題はそう、内容なのだ。そもそもこの室井の死に向かう流れが直前のシーンと繋がっていない。凜久の父親との対決のシーンだ。襲いかかる凜久の父親からかろうじて子供達を守り、彼に向かって「凜久は私が預かります」と改めて凜久の庇護者であることを宣言する。充実を覚えていた家族の生活から凜久を失い寂しさを覚えていた展開から、家族の絆を取り戻すシーンである。この直後、外に放り出された犬を探して吹雪の中で遭難し室井は絶命する。え、なんで?凜久を取り戻して父親としての責任を再び背負う覚悟のシーンだったんじゃないの?あと犬のシンペイはちょっと家の外に放り出されたくらいでそんなに遠くにいったの?あんなに家族に懐いていて、大して繋がれっぱなしみたいな描写もなかったのに?室井の死体から離れようとしないぐらいだったのに?唐突感と整合性のなさがあまりに強すぎる。この流れならむしろ実は生きてましたーのほうが自然だったまである。「凜久を預かると約束したからな…」とかなんとか言ってさ。やはり前述の通り、ラストの「室井の墓前に人々が手を合わせ、彼の想いや信念が引き継がれていく」というシーンを描きたいという思いが先行しすぎているような印象を受けた。
 また、何よりこの作品自体「踊る大捜査線の室井慎次」である必要性がないのでは?と思った。この作品が「柳葉敏郎主演、引退した警察キャリアが彼の老後、子供達や周囲の人々との関わりを通して彼の人生の意味を見いだす物語」という点で見れば、なるほど、一つの映画としてまとまっているような印象を受けなくもない。しかし、この作品はあくまで「踊る大捜査線シリーズの最新作」として作られた。二十年来のキャラクターである「室井慎次」の最後を飾る作品として生み出されたのだ。彼の人生とキャリア、物語の文脈の終着点としてふさわしいラストが示されて然るべきと考えたくなるのは、私でなくともあり得ることだろう。
 室井慎次の物語は、踊るシリーズの主人公である青島俊作ありきの物語といっても過言ではないだろう。青島との約束が警察としての室井を支えてきたという構造がシリーズの軸となってきた部分もある。しかし本作はこの軸をやや外し、室井と現在の周囲の人々(主には子供達)との関わりに焦点を当てた。番外編、スピンオフとしてそういう描き方をするのであればそういうのもアリだろう。しかし、室井の死まで描くのであれば、彼のシリーズを通してきた軸である約束、その中心人物である青島との関わり抜きで室井の物語を締めるのは、やはり納得しがたい部分がある。

青島と今後のシリーズについて

 当の青島俊作だが、本作のラストシーンでサプライズ的な登場を果たす。室井家を訪れる直前で電話がかかってきて、その場で引き返すことになる、というシーンだった。やはり青島抜きで映画が終わるのはどうかと思っていたタイミングだったので、ファンサービスとして純粋に嬉しくはあった。が、いくら急いでいるとはいえわざわざ秋田まで来て手も合わせずに帰るんかい!というツッコミはあった。おそらく誰かから室井の訃報を聞いて駆けつけたのであろうが、なんとなく不自然で本当にファンサービスのためだけの出演であると感じてしまったところがある。
 弁解の余地はあるだろう。例えば、室井の死を知らず、単にその消息を誰かから伝え聞いて訪ねてきたというケースならどうだろう。またゆっくりできるときに来ればいいや、とその場で急ぎの仕事に引き返す姿にもまあ納得できる部分がある。…じゃあやっぱり室井は生きてた方が良かったじゃねえか!今回ニアミスとなった旧友との再会を匂わせる形で続編への期待を高める…作品の締めとしても、シリーズ作品としての導線としても非常においしかったと思うのだが…。
 本作のシリーズでの意味づけを肯定的にする希望はまだ残されている。ラストの青島の登場と、「ODORU LEGEND STILL CONTINUE」の文字から、続編の予感を匂わせている。
 この物語の後時系列となる青島の物語で、室井の生き様やその最期が消化される可能性は残っている。約束の片割れである青島が室井の想いを受けて最後の物語を展開する。うん、期待しても良いかもしれない。そもそもの話、室井が死んだとは作品中誰も口にしていないし断定もされていない(室井の影も形もない家、家に手向けられる花と弔問に訪れる人々を描写して実は死んでないはまあまあまあかなり無理があるとは言われればそれはそう)。踊るシリーズはこういう「死ぬ死ぬ詐欺」的な演出を度々やってきた実績(前科?)もあるし、次回作で青島の前に急に室井が姿を現して「室井さん、生きてたんすか!」「…勝手に殺すな(眉間にしわを寄せながら)」みたいなシーンが出てきてもギリギリ許せる…かな?というぐらいの感覚はある。いずれにしてもこれが物語の終わりではなく、これからのシリーズ展開でファンが納得する結末を期待したいところである。

最後に


 さて、散々感想と称して散々書き殴ってきたが、あくまでこれは個人的な意見、こうだったら良かったのになあ程度の意見にすぎないのでご了承いただきたい。良い点は良い点として楽しめた映画であるし、シリーズファンに対するサービスを最大限込めようとした気持ちは感じた。一ファンとして今後のシリーズの動向を楽しみに待とうと思う。

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