「仮面ライダーオーズ10th復活のコアメダル」を見て号泣しながら拍手せざるを得なかったオタクの感想

※2022年4月現在公開中の劇場作品「仮面ライダーオーズ10th復活のコアメダル」に関するゴリゴリのネタバレがガッツリ含まれますのでご了承の上ご覧下さい。


はじめに


 皆さんもう「復活のコアメダル」は見ましたか?私は近くに公開している映画館がない地域に住んでおり、公開直後に見ることは叶わなかったのですが、この度TTFC(東映特撮オフィシャル)にて特別配信が決定し、無事視聴できました。
 公開直後からできるだけネタバレは踏まないようにしてきたのですが、それでも漏れ出てくる感想やクソデカ感情のあれこれを避けること叶わず、いわく「賛否両論」「ファンは見るべき」「感情の整理がつかない」等々不穏なワードが出てくる出てくる…。
 そんな不安な状態の中で視聴し、まあ最初に結論から言うと個人的な感想としては、
「あの最終回から10年後にたどり着く終着点があるとすればこれしかなかったと納得できる作品」でした。


映司の死


 賛否両論とは言ったが様々な感想を目にすると体感「賛3否7」ぐらいのイメージで、その「否」のほとんどを占めるのがこの「主人公・火野映司の死」が描かれているという点だろう。
 正直賛否両論云々の意見を目にしたときから薄々誰か死ぬんだろうなみたいな嫌な予感はしていたが、伊達さんや後藤ちゃん等サブキャラのそれとしては反響が大きすぎるし、アンク自身が本当の死を迎えるのかとも思ったが、何度か描かれてきたアンクとの別れを再び描くのは食傷気味というかそれでこの感想にはならんやろというのがあったのでつまり導き出される答えは…という感じだったのだが、まさか本編開始時点で既に落命しているとは思いもよらなかった。
 これに対して憤りを感じる気持ちはわかる。実によくわかるぞ。それほどまでにこの映司の死というものが与えた衝撃は大きすぎた。
 しかしながら、じゃあ「アンクが復活して映司と再会し、力を合わせて敵を倒してハッピーエンド」…みたいな話で良かったか?と言われるとどうだろう。
 …良かった?
…うん、まあそれはそう。私の中にも当然そうであって欲しかったという気持ちが全くなかったかと言われると嘘になる。
 確かにそれで全っ然良かった。10年間応援してきたファンと苦しみ続けてきた火野映司を救う記念作品として素晴らしい大団円を迎えられたであろう。
 でもそれだとあの伝説とも言うべき本編最終回はなんだったのか?という話になる。ずっと利己的に自分の目的のために動いてきたアンクが最後の最後に選んだのが「映司を助けて散る」という自己犠牲の行いだった。その最後の選択の彼らしくなさ、そして美しさが、彼をもってして「命を得た」と言わしめ、象徴的な名シーンとなったのではないのか?
   多少乱暴な言い方になってしまうがやはり仮面ライダーオーズとは「アンクの死があったからこそ、アンクと映司という二人のキャラクターの人生、生き様を象徴する名作となった」のではないだろうか。「滅びの美学」に酔いしれるのは危険なことだとは思っているが、それでも桜が散る様に感じるものを抱かざるを得ないというのが性というもの。
 あの割れたタカメダルを見つめながら得た多くのファンの様々な感情が10年もの間作品に捧げられてきた熱量の源だったとするなら、それが一つのハッピーエンド、大団円によって昇華させられることは作中の表現を使うなら「欲望を失ってしまう」「満たされたことによって存在の消滅を受け入れてしまう」ということなのではないだろうか。
 制作陣をして「ハッピーエンドにすることは作品が死ぬこと」「覚悟をもって作った」というあの結末は、仮面ライダーオーズという作品が、あの衝撃的な最終回が生み出した巨大な感情をある意味永遠のものにしたということなのかもしれない。


初めに映司でないと気づいたのは誰か


 前述の通り映司は厳密には本編前に落命しており、冒頭から登場していた彼は実はその体に取り憑いたゴーダなるグリードであったことが明らかになる。あえて指摘するまでもなく、これは「本編で泉信吾に取り憑いて彼を延命させていたアンク」を思い起こさせる状況であるわけだが、それはともかく映司の仲間達が気づくよりも早く、体内のコアメダルを感知することによってアンクはその正体を看破していた。
 しかし本当に映司が彼ではないと最初に気づいたのは誰あろう、我々視聴者ではなかっただろうか
 これはねー、渡部秀氏の火野映司というキャラクターに対する理解力が半端なかったからだと思うんですよ。映司のような言動・振る舞いをしながら、どこか違和感を感じさせる演技が本当に上手かった。壮絶な戦闘の場に居合わせながらどこか人ごとのように穏やかな雰囲気で現れる映司、久し振りに再会したアンクの前でもそれらしい感情を微塵も見せない空々しさ、そして決定的に彼ではないと見せつけるかのような他人の命に対する執着のなさ…。火野映司という人間がそれとは逆に「他人の命に対して執着するあまりに自分の命を軽んじてしまう」人間ということを知っているからこそ気づく残酷な真実、そしてそれを絶妙に表現する演者のキャラクターへの理解の深さに、自分の中での作品に対する信頼感が増したのを感じた。


本当の意味で「命」を手に入れたアンク


 キャラクターの表現という意味ではアンクも素晴らしかった。台詞や周りのキャラクターに対する乱暴で跳ねっ返りな反応、しかしその裏でこれまで培ってきた絆を感じさせる微妙な優しさを感じさせる目線や間の取り方が絶妙で、これも三浦涼介氏のアンクというキャラクターへの深い造詣の深さが感じられた。
 しかし今回のアンクは「あの」アンクであることを間違いなく確信させる一方、これまでの彼とはどこか違った雰囲気を持ったキャラクターであることも同時に感じさせられた。
 映司のことになるととたんに感情を乱れさせるような表情、言動を敏感にするようになった。本編でも終盤との映司との問答で激情的になることは多かったが、あの時の感情をぶつけるような激しさとは少し違い、明らかに動揺している感じだった。ぶっきらぼうな口調は以前と変わらないのに明らかに映司の身を案じている様子を隠しきれていない。
 その様子を見て、これはやはりあの最終回を経て「命を得た」アンクなんだと感じた。
 もはや自分の利益だけを考えて利己的に動いていた彼はどこにもおらず、終始映司のために、彼を救うために戦うどこまでも人間らしいキャラクターがそこにいた。
 そんなアンクは今回初めて「泣いた」。映司がくれた命に、そしてその代償として失われる彼の命に、悲しくて、辛くて、泣いた。
 真に命ある「人間」になったアンクが、そこにいた。


これで映司は救われた


 結局、多くのファンが望んだハッピーエンドを蹴って、ファンとキャラクター達に深い悲しみを残してまでこの作品が描きたかったものはなんだったのだろうかと問われれば、それは「苦しみ続けてきた火野映司という人間を救ってあげること」であったのだろうと思う。
 今作中においても異質で計り知れないものとして描かれた「映司の欲望」。グリードをもってして持て余す、その膨大なエネルギーをもってして起こされた「奇跡」がアンクの復活であった。
 作中でも最も大きい欲望の器を持つとされた映司がその命を散らす瞬間の最後の強い願い、思いをもってしてやっと「手が届く」レベルの奇跡であった。
 一番望んだ願いが果たされたことで既に映司は救われていたかもしれないが、その後の精神世界でのアンクとの問答、タジャドルエタニティとなっての戦い、仲間に囲まれて息を引き取るまでのわずかな時間、その全てが、本来既に死んでいるはずの映司のために用意された、いわば救済であり、そして温情であった。
 今までゴーダとしてしか映司と会えていなかったアンクが、放り出された映司の体に憑依してついに彼との再会を果たした。映司は最後に死んだ自分の代わりに、いや、自分と一緒に戦ってくれと頼む。本編最終回と逆の構図である。
   タジャドルエタニティとなって戦うシーンは言うまでもなく本編最終回のラストバトルのオマージュである。アンクも自分がしたことを映司がなぞっているのを分かっているから、それが彼のやりたいこと、彼の願いだと分かっている。あの時友が応えてくれたように、自分も友に応える。真に通じ合ったパートナーシップが、あの最終回の感動が倍返しで襲ってくる。もうこの時点で画面の前の私は膝から崩れ落ちそうなくらいの感情の波にさらわれていた。
 そして戦いを終えたあと、わずかに息を吹き返した映司がアンクや仲間達と短い再会を果たす。時間にしてほんの3分かそこら、このシーンに映司への救いが詰め込まれていた
 本編最終回の「お前と会えたことは俺にとって得だった、間違いなくな」という同じ台詞をアンクは映司にかける。本編では手を伸ばした瞬間アンクは消え、手には砕けたメダル、現実のアンクの言葉だったのか、夢のようなものだったのか、映司は確信が持てなかったのではないだろうか。あるいは自分の都合良く生み出した幻だったのではないか、本当にアンクは満足して逝ったのだろうか。現実のアンクが同じ言葉をかけることでようやくそれが確信に変わった。あの時のアンクの言葉は、気持ちは嘘じゃなかったと知り、安堵したのではないか。
 そして死ぬ間際に命を守ろうとした少女が目の前に現れる。本編最終回、仲間達と手を繋ぐことで自分の手は無限に伸びることを知った映司。しかしその思いもまた「蓋をした思い」であって、過去自分の手が届かず目の前で消えた命をやっぱりずっと後悔し続けていたのではないか。最後の最後に今度こそ「自分の手が届いた」ことに満足して映司は息を引き取った。
 アンクの映司を救いたいという思い、比奈のまた3人で手を繋ぎたいという願いは望んだ形では叶わなかった。しかし映司だけは、ずっと抱えていた心の闇を晴らし、願いを叶え、満足して逝った。
 これらの展開をご都合主義と一蹴してしまうのは簡単だろう。しかしそんなご都合主義を叶えられるくらいの大きな、それはそれは大きな欲望を映司はもっていたはずであり、その彼が死という最後の命の輝きを使って、あまりに大きな代償を払って果たされる奇跡ならば、あるいはこれだけ都合が良くても許されてほしい、そう思わずにはいられなかった。
 かくして火野映司は逝き、物語は幕を閉じる。
 表題の「これで映司は救われた」は渡部秀氏の発言である。見れば納得、これは目の前で失われる命に苦しみ続けてきた男がずっと夢見てきた、命に自分の手が届く「いつかの明日」が描かれた作品であった。


最後に


 10周年記念で「いつかの明日」が描かれると知ったとき、もちろん嬉しい気持ちではあったが、同時に「でもそれでいいのか?」という不安もあった。
 アンクの復活によって映司が救われて欲しいという気持ちはあったものの安易なハッピーエンドにしてほしくないという厄介オタクな感情は間違いなくあった。
 あらすじを最初に見たとき、またちょっと不安になったことは隠さずにおこう。荒廃した世界で復活した過去オーズとグリードが暴れ回っている…あまりに最終回後の世界観から飛躍した設定に正直「大丈夫かこれ…?」という思いを抱かずにはいられなかった。
 実際に視聴してみて、不満がなかったかと言えばまあそういうわけではない。主に尺の都合に関することだからある程度はしょうがないが、せっかくオリジナルキャストが揃っているのにバース周りやグリード周りがあっさりした描写でしかなかったのが消化不良といえばそうである。
 しかしその限られた時間の中で、映司とアンク(と一応比奈も入れておこうか)の関係性とその行き着く先についてはこれでもかと言うほど濃厚なものを見せつけられた。
 あの本編最終回を見たときの馬鹿でかい感情に殴られた衝撃、そしてずっと尾を引いていた胸のしこりを10周年記念の作品でまた違った形で持つことになるとは思わなかった。
 これに対して憤懣やるかたない思いを持つ人が多いのも納得、しかし個人的にはどこか腑に落ちたというか、納得した気持ちの方が大きかった
 映司なら、アンクならこうしただろう、そうあってしまうだろうという表現に全く解釈違いはなかったし、またこれからの10年を仮面ライダーオーズに対する処理しきれないほどの感情と共に過ごすことになることがむしろ嬉しいまである、と言うと言い過ぎか。
 今更ではあるが本文章はこの作品に対する様々な意見・批判を否定するものでもなければ、過度に擁護するものでもない。単なる一オタクの感想に過ぎないものを断っておく。
 その上であえて言うが、私はこの作品が見られて本当に良かったと思っている。どうしようもなく火野映司という人物の人生、生き様を表現した彼のための作品であった。10年もの長きに渡って愛されてきた仮面ライダーオーズというコンテンツの一つの終着点としてこの上ないもの、これ以外あり得なかったものだと思っている。
 願わくばこの先にまた別の物語が、さらなる「いつかの明日」が見られることを祈りつつ…。

 稚拙な文章でしたが読んでいただいた方に感じるものがあれば幸いです。
 ありがとうございました。



…あれ、いつかあるかもしれない剛とチェイスの再会も急に不安になって
きたが…???

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