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マーケティングモデルはなぜ「認知」から始まるのか?

前回の記事の最後で「認知」について少し触れたが、「認知」にはマーケティング業界においての2つの前提がある。
1つめは「認知」とは「ブランドもしくは広告の認知」を指しているという前提だ。つまり広告主主体である。
これについて業界の方は当たり前すぎるかもしれないが改めて確認しておく必要がある。また、この前提に大きな問題はないと考えているが、「認知」の主体を人に変化させ「課題の認知」としているマーケティングモデルも出現しており、注意が必要だ。

「認知ファースト」という前提

そしてもう1つ、こちらが今回の本題なのだが「認知」はマーケティングモデルにおいて「まず最初にある」という前提がある。「認知ファースト」と呼んでもいいかもしれない。しかし、私はこの前提に疑問を感じている。
AIDMAから始まり、AISASなどのモデルやマーケティングファネルを観察していても、「A」つまり、Awareness/ Attention以外の始まりを見たことがほとんどない。なお、Attentionは認知ではないのでは?という指摘もあるかもしれないが、このステップのKPIをブランド/広告認知率で測っているケースが大半なので意味としては同じだろう。
ちなみにこの何年間で「A」から始まらないのは、私の記憶の中では2011年に発表された電通の佐藤尚之氏(当時)らによる「SIPS」ぐらいしかない。このモデルはソーシャルメディア主体に見えるが、拡大解釈していくと常識を破っている部分も多く、画期的だ。

情報量が限定されているということ

さて、この「認知ファースト」だが、マーケティングにとって「ブランド認知率」がかなり重要視されるKPIなのは、デジタル化以前からマーケティング業界にいる方であれば理解いただけるだろう。
それは何かを購入してもらうためのマーケティングコンテンツはメディアからの一方通行のものであり、その量も限定されていたことに起因する。
つまり、新聞にはページ数があり、テレビは1日24時間以上放送することはできない。さらにその中でも広告枠は明確に限定される。
こういった制限がある中では、ブランドはその存在感を発揮するために何が必要かと問われれば、陣取り合戦さながらの「認知」を取り合うのは効率的かつ必然だろうし、優先度の高いKPIになりうる。例えばSOV(シェアオブボイス)は情報量の上限があるからのこそ存在できるKPIだ。
もう少しブレイクダウンすると、情報量が限定されることは、社会の価値観がメイン(モノ)カルチャー化することにもつながる。そんな状況下では、より「認知」を取ることが有利である、という説明もできるだろう。

しかし、デジタル化の時代を過ぎ、デジタルネイティブの時代において情報の飽和は来るべきところまで来ている。つまり、社会に投下される情報量と自分が取り入れることのできる情報量との乖離は絶望的な比率になっており、自分の価値観に適合した情報を取り入れることはAIによるキュレーションでも完全に選別できない。
こうした状況下では「認知ファースト」はノイズになりかねない。なぜなら人が情報の有用性(自分の価値観に適合しているか?)を判断する以前にブランドを認知させようとしているからだ。
個人の体験で言えば、会ったこともないのにFacebookの友達申請をしてくるようなものだろう。たまにそういう人がいるが、個人的には「飲み会で同じテーブルだった人」という条件を設定しているため、もちろん却下である。

「興味」を考える

このような状況下において重要なのは、情報の有用性への気づきである。繰り返しになるが「自分の価値観に適合しそうか?」である。
これを私は「興味」という言葉で定義している。
「興味」とは「面白い」だけはない。ちょっとした望み、悩みや不安などのマイナス要素まで含まれる幅広いものだ。そして、こうした「興味」はマーティングコンテンツをスルーさせないことが目的である。
ここで、やっぱり「認知」を考えたいのであれば、それは「興味」の次ステップになければならない、ということが重要だ。
ブランドを、様々な望み・悩みを実現・解決してくれる存在として自分と紐づけられた時、初めて心の中にブランド名が「登録」されると考えているからだ。
再びFacebookの話に戻ると、飲み会で同じテーブルに座って語り合い、価値観に興味を持ったからこそ、友達申請を承諾するようなものである。

コメント 2020-05-15 154655

もちろん、従来の広告でもタレントなどの”興味”要素で人をつかむことはできたと思うし、今でも有効だ。しかし、デジタルネイティブという過剰な情報飽和の環境下では、もっと深いインサイトと関連した「興味」に紐づくことが重要であるし、「興味」の単ステップで1コンテンツが成立するほどの重要性を担っていると考えるべきだ。

間違えやすいバナー広告の役割

ここで少し話を変えるが、よく「バナー広告なんてクリックしない」という声を耳にする。しかし、優れたバナー広告は0.1%ほどのクリック率を持ち、ランディングページの離脱率も30%程度のことがある。
実は広告をクリックしない人が考える"バナー広告"と、優れた「バナー広告」は全く違う。
その違いは「ブランド名をメイン訴求しているか?」だ。
答えを先に言うと「ブランド名をメイン訴求していないバナー広告」のほうが優れている。もちろん広告主名掲載する必須ルールのため。どこかに明記してあるはずだが、メインで訴求するべきものは「興味」である。
そしてランディングページで興味を紐解き、その興味に関連する存在としてブランド名認知を促した時、その名前は心に「登録」されるだろう。
このように「興味」→「認知」であるべき典型的なパターンとしてバナー&ランディングページを例に出したが、この考え方はあらゆるマーケティングモデルに適用できると考えている。
なお、これからはPRの時代と言われて久しいが、PRも「興味」ステップでの非常に有効な打ち手である。

「興味」の計測

ここで「興味」をファーストステップとして考えた場合、KPIとは?という質問があるかもしれない。このステップでは「スルーされないことが目的だ」と説明した。そのためスルーされなかった率を計測すればよく、それはCTR(クリックスルーレート)かもしれないし、動画広告の視聴完了率かもしれない。測るべきことは「認知」ではなく、何に「興味」を感じてスルーしなかったか?(アクションしたか?)をチェックしていくことだ。

「興味」と「記号」

今回、記号については触れていない。しかし、この「興味」をファーストステップとする手法は、ブランド主体で見た場合、ブランド名の記号性を高めるのに効果的だ。
なぜなら人は「興味」を能動的に選び取りたいと思っている、そして自分が選んだものに意味を感じるが、ブランドが先に存在してしまう場合、興味はそのブランドがないと解決できないように見えてしまい、記号化のベクトルは反転する。そして、結果的に記号性を強めることに寄与しないことになってしまうのだ。ブランドとしてはコントローラブルかもしれないが、そもそもの目的を見失ってはいけない。

コメント 2020-05-15 155702

今回は「認知」と「興味」の問題についてデジタルネイティブな視点から考察してみたが、このようにデジタル化以前の前提に沿って考えてしまっている部分は他にもあるため、徐々に明らかにしていきたいと思う。

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