「お客のいぬ間に」 #7
#7 ボンタン熱
パソコンを広げて「お客のいぬ間に」を書いていたら、お客さんがいらっしゃったのでパソコンを畳んだら、
「お仕事中にすいません…」とお客さんに恐縮されて、
「いえいえ、すいません…」と恐縮をお返しした。
わたしの仕事はカフェの店主だ。
「お客のいぬ間に」は、仕事の合間の暇つぶしというか、趣味というか、手慰みというか。
楽しいので書いているが、仕事かというとそうではない。
仕事をサボってると言えなくもない。
仕事をサボってることが仕事になるならうれしいが、今んとこそうではない。
しかし、少しして思った。
ん、
…わたしがカフェをしてる姿は、そもそも仕事をしてるように見えないのだろうか?
由緒ある喫茶店のマスターは、蝶ネクタイに黒いベストで背筋を伸ばしてコーヒーを淹れたりするが、由緒のないわたしは、Tシャツにもんぺで背中を丸くしてコーヒーを淹れている。
エプロンさえ、なんだかよそゆきみたいでつけていない。
でも、そんなカッコウも含めて、わたしのカフェの姿が仕事をしているように見えないのであれば、それはそれで嬉しきことかな、と思う。
音楽家の友人は自分がライブをしている姿を見て、あぁ今、彼は仕事をしているな…とお客さんに思われたらイヤだなぁと言っていた。
納得と共感。
わたしの仕事の理想は、バカンスでも楽しむように仕事を楽しむことだ。
何の仕事をしようかと思った時、どんなカッコウをするかというのは、その仕事を選ぶ決め手の一つになる。
子どもの頃、わたしは父が好きだったが、父が着る背広に憧れたことは一度もなかった。
背広を着る仕事はしたくないと思った。
ネクタイをしめたり外したりするのが面倒そうに見えた。
その時点で、堅い仕事は選択肢から外れた。
と同時に、カフェの店主は選択圏に入っていたことになる。
4歳か5歳の頃、お稚児さんのカッコウをさせられることになった。
白装束のようなヘンテコな服を着させられるという。
「なんでおれがこんなカッコウをしなけりゃいけないんだ。ぜったいイヤだ」
と、わたしは断固拒否した。
母と父は
「せっかくの記念だから」とか、
「この日のために借りてきたんだから」とか、
色んなコトバで説得を試みたが、わたしはがんとして聞かなかった。
動かざること山の如しだ。
しかし、そのうちそこへ祖母がやってきた。
わたしが祖母には弱いのを知っていて、父か母が呼んできたのだ。
大人はやり口が汚ない。
祖母は
「この日のために、パパとママがせっかく借りてきてくれたんだから、ひろし、ほんの少しでいいから着てやってね」
「一回だけ着てくれて、写真を撮ったらすぐに脱いでいいからね」
と、猫なで声でわたしを諭した。
悔しいかな、祖母に抵抗は出来なかった。
「写真を撮ったらすぐに脱ぐ」
という約束で、しぶしぶ着ることにした。
が、お稚児さんの装束を着たら、今度は顔に化粧をすると言う。
聞いてないよー、である。
だまし討ちである。
あとは野となれ山となれで、白粉を塗られ、唇に紅をさされ、おでこに二つ黒いのをつけられた。
妙ちくりんな顔だ。
そして、玄関の前で写真を撮った。
一世一代の不貞腐れた顔で写真に映った。
家族でどこかに出かける時、兄はよそゆきの革靴を履くのが好きだった。
わたしはおそろいで買ってもらったそれを
「なんで、おれがこれをはかなきゃならないんだ」と拒絶した。
いつものズックが好きだった。
自分が着るものくらい、自分の自由にさせてくれ、と思った。
中2の終わりの春休み、学生服のズボンをボンタンにしようとした。
わたしが育った清水市(今は静岡市清水区)は、当時、中学男子は坊主刈り、学生服は詰襟だった。
世は「ツッパリ・ハイスクール・ロックンロール」や「なめ猫」、3年B組は「腐ったミカンの方程式」の時代である。
校則はズボンはストレートなのに対し、太いシルエットのバギー、太くて裾がすぼまったボンタン、土管みたいにぶっといドカン、さらにその裾がすぼまった金魚などをはいたツッパリたちが廊下を闊歩していた。
ちなみにツッパリ女子のスカートは丈長め、プリーツ多め、だった。
中1、中2とわたしは標準の学生服を着ていた。
カッコいいわけはなかったが、そう決められてたからそうしていた。
が、わたしも色気づく時がきた。
バレー部の一つ上の先輩が、卒業する時にボンタンをくれると言ったことがきっかけだった。
先輩のズボンは良からぬ病が伝染りそうでやんわり断ったが、なぜかそれからわたしの中でボンタンが流行り出した。
もっとも、校則を破ったるぜ、なんなら校舎の窓を割ったるぜ…といった気概があるわけではない。
単にボンタンのシルエットはイイよな、きっとオレに似合うよな…と思ったからだ。
それで、清水駅前商店街の学生服のマルゼンでボンタンを買った。
ボンタンの中でも細めのノータックにした。
が、出来上がったボンタンを持って帰った日、母から即座に
「返してきなさい!!」
と一喝された。
わたしは
「だってこれ、ボンタンって言っても細いヤツで…」
くらいは言ったかもしれないが、
「だっても何もない。すぐに返してきなさい!!」
と、圧倒的な熱量で言われた。
今思うと、あれは母が生きている間、わたしに対してのもっとも断固とした拒否ではなかったか。
一歩たりと譲るつもりはないという覚悟があった。
さて、わたしの方はといえば、どこかでそれを予見していたのか、
「わかった、返してくる…」
と、あっさり白旗をあげた。
そして、ちゃりんこをこいで、マルゼンに返しに行った。
店にはどう言ったものかと思案して向かったのだが、店の方では珍しくもないのか、
「はい、じゃあこっちね」
と、あっさりストレートに交換してくれた。
わたしのボンタン熱はこうして終わった。
ちなみに、ボンタンははけなかったわたしだが、ヘアスタイルは諦めていなかった。
テクノカットだ。
当時、眉毛を極細に剃った者たちはいたが、もみあげを鋭角に剃ってたのは、清水四中ではわたしだけだった。
なんたってYMOファンである。
床屋のおじさんに、
「五分刈り。テクノカットで」
これを3年間通した。
周りで気づいていた人がいたかどうかは知らない。
大学4年、就職活動は右に倣えの紺のスーツだった。
せめて少しでもカッコいいのをと、マルイでコム・デ・ギャルソンのスーツを買ったが、さすがのコム・デ・ギャルソンも紺のスーツは紺のスーツ。タグ以外、量販店のものとなんら変わらなかった。
スーツ以外の選択肢を思いつかなかったし、初めて着るスーツにいくらか大人びた気分になっていたかもしれない。
しかし、そのカッコウのおかげで、その後の進路に大きく影響する出来事にあった。
それは、広告制作会社のCMディレクター職の試験でのこと。
そこではプロデューサー職とディレクター職が別途で募集されていた。
プロデューサーは、予算管理、スケジュール管理、スタッフィング、さらにクライアントとの窓口にもなるCM制作全体の管理者で、いわゆる営業的な資質も求められる。
一方ディレクターは、CMの企画や演出など、作品のクリエーティブ面における責任者で、芸術的な資質が求められる。
その会社の試験に、わたしはいつも通りの紺のスーツで行った。
会場にはざっと100人くらいがいただろうか。
さりげなく見渡していると、一際目を引く人が入ってきた。
長い髪を無造作に束ね、Tシャツに半ズボンにサンダル、手には分厚いペンケースを一つ持っていた。
美大系そのものといったカッコウである。
わたしはそれまでに30社ほどを受けていたが、彼ほど他と違う人は初めてだった。
わたしはその姿を見て、
(…負けた)
と思った。
彼と同じ土俵で戦って、勝ち抜いていけるとは思えなかった。
今までおれは何をしていたんだろうか…、今おれはまるで見当違いの場所にいるんじゃないかと、ぐらんぐらんに動揺した。
そんな気持ちのまま筆記試験をしたのだが、試験が終わると、面接官から重要な話がある…と言われた。
そして、現場の女性プロデューサーが現れて、こう話した。
「みなさん、今日はディレクター職で試験を受けてもらいましたが、ディレクター職は募集人員に対して応募者がたいへん多く、約40倍の倍率です。
それに対し、プロデューサー職は約15倍の倍率です。
もし、今ここで、プロデューサー職に変更したいという方がいましたら、これから1分間時間を差し上げますので、手を挙げてください」
突然の告知である。
10秒経った。誰も手を挙げない。
20秒経った。まだ誰も手を挙げない。
それはそうだろう、みな花形のディレクターになりたくてここにいるのだ、そう簡単に決断できるものではない。
25秒…、
「はい」
わたしは手を挙げた。
今ここで、この会社を落ちるわけにはいかなかった。
まずは、ともかくこの会社に入らなければと思った。
崖っぷちの気分だった。
結果、わたしはその会社にプロデューサー職で入った。
あの長い髪を束ねていた彼はディレクター職で入った。
数年後、彼は話題作を何本も演出する売れっこディレクターになり、同期で一番早くフリーになった。
一方、わたしはプロデューサーからディレクターに転向し、30年経って十分に熟れたところで早期退職をした。
彼は今もたまにカフェに遊びに来てくれる。
「ふるちんは、ちゃんとやりたいことをやっててスゴイよ」
なんて言ってくれるが、
「いやいや、おれはあの日のたくちゃんみたいになりたいのよ」
って、いつかお返ししたいと思ってる。
さて、この文章の中で一つ訂正したい箇所がある。
中2の春休み、ボンタン熱が終わった、と書いた。
が、今わたしが毎日のようにはいているもんぺのシルエットは、ボンタンをさらに太くしたようなシルエットである。
40年を経ても、わたしは中2のメンタルなままなのか…。
あ、お客さんが来た。