憲剛さんの形の穴
中村憲剛選手の引退、と言うのは一番来て欲しくない出来事だった。何しろ存在が大きすぎて、多くの人に愛されすぎている。以前サッカー選手が「何を食べたらあの年まであんな風に活躍出来るのか。化け物だ」と言っていたが、年を重ねてもパフォーマンスが落ちるどころか毎年「中村憲剛史上最高」を更新している状態で、本人も「この年になっても成長できる」といつも言っているので、まだまだずっとずーっと先だと思っていた。
2020.10.31、等々力でバースデーゴールを決めて快勝。その翌日、まさかの引退会見に息を飲んだ。35歳の頃「40歳で引退」と決めた。そこから1年ごとにMVP、優勝、連覇、ルヴァンカップ制覇があり、その後全治7か月の大けがをして、壮絶なリハビリを経て復帰して、活躍して。引退に向けて強い気持ちを持っていたからこそ強いものを引き寄せられたし、またいろんなものが集約されていく。周りから求められ乞われる選手のまま引退したかったと。
憲剛選手が語る言葉には一点の曇りもなく、もっと言うと少しの綻びもなく完璧で「いや憲剛さん!それは違うでしょ!!」と言う余地がまったくなかったので、私たちは受け止められない気持ちを無理にでも受け止めて飲み下すしかなかった。「憲剛さんがいなくなる」と言うのは、そのまま憲剛さんの形の穴がぽっかりと空いてしまうことを意味する。そこを埋める術を私たちは知らない。
何しろ憲剛さんはフロンターレや等々力そのものであり、このクラブの温かさや強さや優しさ、明るさ、お茶目なところ、華やかさ、庶民的なところ、親しみやすさ、それからちょっとダメなところまですべてを兼ね備えていて、うまく言えないけど渾然一体となった金太郎飴みたいなもので分離出来ないところまで来ている。そのことの幸福や重圧を思うと遙かな気持ちになる。
2020年の今年、フロンターレは優勝に返り咲き舞台には金のバスタブがあった。そこに自然に入り、体にお湯をかける仕草をして、誰よりも嬉しそうにシャーレを模した風呂桶を掲げる憲剛さん。憲剛さんはフロンターレのすべてでした。そしてこれからも、すべてです。