【ショートショート】 個人事業主のウインブルドン
わたしはいま、夢にまでみたウインブルドン決勝のコートに立っている。
・・・、ボールとして。
決勝に進んだ二人は、審判から見て右側のコートにはアジア系米国人のシ・ホンカ、左側のコートにはポルトガルのプロ・レ・タリアが立っている。
どちらもパワーヒッターの名プレイヤーだ。
実力は拮抗している。この二人のラリーが続けば、ボールであるわたしの体はボロボロになってしまう。
「ただでさえ、個人事業主は労基もクソもなく働いて体がボロボロなんだ。これ以上ボロボロにされてたまるか」
身の危険を感じ、わたしは一計を案じた。
決勝まで勝ち上がってきたプレイヤーといえども人間だ。それぞれと仲良くなれば力一杯打たれることはないだろう。試合の勝敗なんてどうでもいい。自分だけが可愛いのだ。
ゲームが始まり、わたしはサービスを打つタリア選手の元に向かった。
「いやぁ、お互い労働者として大変だよね。一日何時間ぐらい働かされてんの?わたしなんかこの歳で一日13時間以上よ・・・」
わたしを握りしめて、冷たい声でタリア選手が言う。
「おまえは個人とはいえ、事業主だ。わたしたちのように働かされているわけではない!!」
そう言って目一杯の力でラケットを振り抜く。
「いたぁぁぁい!」
200km以上のスピードで飛ばされ、右側のコートに弾むと目の前にはホンカ選手のラケットが見えた。
「ホンカさん!こう見えても、わたしはあなたと同じ経営者なんですよ!経営者の孤独感は彼らにはわかりませんよね?」
ストロークの構えからホンカ選手が叫ぶ。
「小規模家族経営のくせに、なにが孤独だ!!」
サーブの勢いに負けない力強いレシーブでひっぱたく。
「いたぁぁぁい!」
左側のコートに弾んだわたしはタリア選手の元へ。
「いくら働いても搾取されていく。あなたのお気持ちわかりますよ。わたしも人一倍長く働いているのに収入は雀の涙ほど・・・」
「おまえの場合は経営手腕がないだけだろ!!」
見事なフォアハンドで打ち返す。
「いたぁぁぁい!よくご存知で〜!」
右側コートのホンカ選手の前で弾む。
「少ないとはいえ、生産設備を持っています。こう見えても、わたしもあなたと同じ資本家の端くれです!」
「あなたが持っているのは、負債の方だろ!」
ラケットをひねり、ドライブをかけて返した。
「あつぅぅぅい!!うちのバランスシートご覧になりました〜?」
このままでは身がもたない。それぞれの嗜好品の話で気をそらそう。
「タリアさん、やっぱり仕事終わりはビールに限りますよね?」
「カロリー気にしてハイボールに変えたんだよ!」
「いたぁぁぁ!プリン体もOFFですしね〜!」
「ホンカさん、わたしは夏はビールですが、冬はワインを飲んでるんです!やっぱお酒はワインに・・・」
「コンビニの安ワインと一緒にするなぁ!」
「いたぁぁぁ!けっこう美味しいんですよ〜!」
いかん。いよいよパンクしてしまう。しかしこの二人、バカ力で打つだけじゃなくてテクニックとか使えないのか?
「タリアさん、頭を使いましょう。相手は伝統を重んじる。正攻法では勝てない。力を抜いて、ちょこんと前の方に・・・」
「うるさい!現場の人間の気持ちも知らず、上から命令ばかりするな!」
パッコーン!!
「いたぁぁぁ!わたしは現場の最前線です〜!」
すばやく構えるホンカ選手のもとへ。
「ホンカさん、相手は強い権力に抵抗する。優しく前の方にちょーんと落としてやれば・・・」
「なにが権力への抵抗だ!ちょっと残業が続いたぐらいで、ブラックだなんだと言いやがって!」
バッコーン!!
「いたぁぁぁ!たたき上げの経営者はそう言いますよね〜」
こっちにくるなー!
いたぁぁ・・・
あっちへいけー!
いたぁぁ・・・
右へ左へ、ラリーはつづく。
零細個人事業主はどちらの側にも寄り添えない・・・。