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広報担当の自己紹介

『コーヒーと日常』の広報担当をします、永井と申します。
ここでは、一体どんなヤツがこの記事を編集しているのか、名乗っておいた方が良いと思い、簡単なプロフィールを書いておこうと思います。

生まれた時から就職まで

・幼少期(狭山茶とコーラ)

1983年1月、東京の西多摩郡生まれです。東京都とはいえ、茶畑が周りにあるような地域で生まれました。実際、祖父は狭山茶の農家をやっていました。東京都出身なのに田舎者です(笑)
とはいえ、隣町は福生市という米軍の横田基地がある街で、ここはアメリカか!?と思うような地域も近所にあり、和洋入り混じった幼少期だった記憶です。
最たる例は食事で、普段はお茶農家らしく和食。食後はもちろん狭山茶を飲む日常でしたが、いざ外食となるとピザやハンバーガーを食べに行き、コーラで油分もスッキリ!のような事もしていました。

・学生生活(引っ込み思案の矯正)

親が工業系の会社員だった為なのか、自然と自分も同じ道を歩むのだろうと考えて、工業高等専門学校(高専というやつ)に進学。
中学までは、一人っ子を絵に描いたような1人遊び好きで、コミュニケーションは全くしたくない性格でしたが、
高専に入学してから、「実験の成果発表」「文化祭での研究発表」「研究学会発表」のように人前に出るイベントが半ば強制的に繰り返されるカリキュラムだったため、5年間の学生生活によって、自然に人前に出ても平気な性格に生まれ変わっていました。

・就職(カメラ野郎に)

高専で5年間の学生生活も終わり、就職先に選んだのは、『ニコン』というカメラメーカーでした。理由は2つあって、
1つは当時の就活担当の先生から「お前なら学校推薦書いてやる」と言われて、その気になった事。
もう1つは、父親がニコンのフィルムカメラ、F3を持っていた事。ちなみにこのF3、自分が生まれる直前に買ってきたものだそう。このF3で自分の成長が記録されています。
就活担当の先生から『ニコン』という社名が出てきた時に、何となく自然と受け入れられた気がしたのは、2つ目の理由があったからかもしれません。
ちなみに今ではF3は自分が持っていて、たまに撮影に使っています。

ニコンに就職して、配属となったのが、熊谷市にある製作所でした。
ここから現在に至るまで、熊谷・深谷に住み続けています。
もう住み始めて19年目なので、人生の半分は熊谷・深谷に居ることになります。

コーヒーとの出会い

・第1印象は最悪

最初にも書きましたが、子供の時は狭山茶に囲まれた生活だったため、コーヒーというものにはまともに触れたことがありませんでした。
子供の頃飲んでいたコーヒーといえば、ネスカフェゴールドにクリープ、さらに砂糖入りでした。
初めてブラックコーヒーというものに出会ったのは、就職してから。
先輩と出張など出かけた先での待ち時間に寄った喫茶店。当時はまだ店内で喫煙自由だったので、タバコの臭いを嗅ぎながら、苦い茶色の汁を飲む。
コーヒーに対してのプラスのイメージなんて全く有りませんでした。

・スペシャルティコーヒーとの出会い

スペシャルティコーヒーを初めて飲んだのは30歳くらいになった時。『コーヒーと日常』の運営が、熊谷市のあるイベントに出店していた時に買ったコーヒーでした。今にして思えば何とも運命的(笑)
あの時飲んだのは、記憶を辿るとケニアだったんだと思います。なぜならトマトジュースでも飲んでるんじゃないかと思うくらい、「酸っぱい!!」と思ったから。
今ならケニアといえばブラッドオレンジのような・・・なんて言えそうですが、コーヒーと言えば苦い茶色の汁だと思っていた当時の自分からすれば、このコーヒーは受け入れにくかったんだと思います。

離婚が産んだ人生の転機

・心のすき間を、カフェで埋める

ここまで来て言うのも難ですが、実は離婚歴があります。
結婚期間は6年ほどでしたが、
2人で生活していた人生から、急に独りになってしまったので、何をすれば良いのか分からないし、そもそも生きてる事自体意味無いんじゃないかとまで考えるような毎日になっていました。
そんな時、近所にあるロータスカフェが23時まで営業している事が分かり、(当時の話で、今は夕方までです) 夕飯のために恐る恐る行ってみる事にしました。
初めて行った時からオーナーの五十嵐さんから話し掛けてもらい、しかも他のお客さんと話題まで繋げてもらい、ここで会社以外の熊谷・深谷地域に住んでいる人と繋がる機会を与えてもらいました。
この時に繋がった皆様には仲良くして頂き、お陰で寂しさで空いた穴は見事に埋まり・・・どころか、自分のネットワークがものすごく広がっていった、まさに転機でした。
この時の離婚があって、ロータスカフェに行き始めた。この行動が無ければ、今ここで記事なんて書かなかったよな。なんて考えると、本当に人生が変わった瞬間だったなと思います。

・スペシャルティコーヒーとの再会

離婚から1年も経った頃には、仕事終わりにロータスカフェに行き、夕飯を食べ、食後にコーヒーを飲むルーティンが出来上がっていました。当初酸っぱいと思っていたスペシャルティコーヒーも、産地によって色々な風味があり、かつこの酸味によってコーヒーの個性があるのだという事を知り、ついに美味しく飲めるようになっていきました。
あ、ここで忘れてはいけない人物が。ロータスカフェのカウンター席の端っこにいる『凄い人』。(最初ロータスカフェ五十嵐さんから紹介されたとき、本当にこう言われた)
この『凄い人』が居たお陰で、スペシャルティコーヒーの香り、酸味、抽出、豆の管理など、常に解説付きでコーヒーを飲むことが出来る環境がありました。
コーヒーのプロたちが表現しているフレーバーが、なぜそんな表現になっているかは、ここでの時間によって勉強が出来ました。

『コーヒーと日常』のスタッフに

・最初はロータスカフェでの手伝い

ロータスカフェに週3ペースで行くようになっていた時、
あるイベントにロータスカフェが出店するものの、当日のスタッフが足りなくなって困っていた事を知り、手伝いとして、初めて出店者側の視点から参加する事になりました。
飲食店に携わること自体、これが初めての経験でした。最初の手伝いは、ガパオライスをパックに詰めて、お客様に渡すまでの手伝いでした。
今までは買う側からしか見てこなかったところに、新たに店側からお客様を見る視点を体験させてもらいました。

・『コーヒーと日常』の運営側に

ロータスカフェで手伝った経験、大変ではあったものの、達成感を強く感じていました。また手伝える機会があれば、手伝えるかな?なんて漠然と思っていましたが、今度は当日の運営スタッフが人員不足という事になっていました。
ここからついに、『コーヒーと日常』の運営スタッフとして当日の設営、駐車場の誘導などの裏方仕事をさせてもらうようになり、その手伝いの回数も増えてくると、そのうち当日の受付までさせてもらう事に。
さらにカメラが好きだというところで、当日のイベントの様子も撮影して、出店者さんに好きに使ってもらう事も始めました。もう、どっぷり漬かってますね。
ちなみに、運営スタッフとして頑張っていたご褒美なのか、実は今の彼女は、このイベントのお陰で出会っています。自分で自己紹介書きながら、なかなか繋がってるなと振り返ってしまいました(笑)

スタッフとしての原動力・まとめ

自分にとって『コーヒーと日常』のスタッフを行う事は、「恩返し」という一言に集約されます。
孤独から救ってくれ、友達の輪が広がり、彼女まで繋げてくれるなんて、“恩”以外の何物でもありません。
1度は最悪の人生だと思ったところから、ここまで充実した人生にさせてくれた人が多く関わっているイベント、これから多くの方に知って頂けるように最大限頑張りたいと思います。

これから発行する記事では、作家さんの想い・背景・こだわり・個性にフォーカスを当てたものが中心になります。
記事を読んで頂いてから、改めてその商品を見たときに、「ここがこだわりポイントですね!?」「だからこの色と形なのか!」なんて会話が生まれてくれる事を期待して。

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