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双翼のシルフィード

 壁がある。
 高く、分厚く、それでいて古く、焼けて、ボロボロで、少しの衝撃でいつ崩れてしまうか分からない大きくて頼りない壁が。
 その壁が、人類を外の脅威から守ってきた。
 日照りの日も。雨の日も。嵐も核の爆風からも、慈悲も理性も何もない人類の強敵からも、この高くて分厚く古くさい壁は守ってきた。
 もう何十年も昔の話だ。
 セボリアと呼ばれるかつての国は、もはや国という体制を失って一つの地下都市と核シェルターにこもって徹底抗戦を続けていた。
 他の国々との通信は途絶え、歴はすでにその意味を無くし、今では人々はその壁の内側だけが世界であると思い込み、青く塗られた地下世界を空だと思い、人工照明を太陽と信じて、深く地中に隠れて生きていた。
 人類は誰と戦っているのか。その名前は、カートと言った。
 カートが何者であるのか。観測をやめた人類にとって、敵がいったいなんであるのかは分からないことだった。
ただ、外の世界を見る目だけはある。誰も外の世界を見てはいないが。
「この世界は化け物だらけだ」
 焼け焦げた壁のすみにしがみついた甲虫が、青い目玉を覗かせて兵士たちを見下ろす。
 硬い殻に閉じこもり、踏みつけられ、蹴られてもなお生き続けるために大地にしがみつき生き続ける昆虫。
 見回りの兵士が銃を持って、パワードスーツのゴーグル越しに外を覗いた。
 この世界では、軍人以外が壁の外を見ることはほとんどない。
 壁の中が世界であると、そう市民には言い聞かせないと戦い続けられないからだ。
 もう一人の兵士が望遠ヴァイノキュラーを目に当てて、遠く壁の外に配置された野戦基地を覗く。
「まったくだ」
「オレ達は楽でいいな。こうやって、見ているだけでアイツらが戦ってくれるんだから」
人類が戦うのをやめてからどれほどの時が経っただろうか。
暦が意味を為さず、いつか人々は、化け物と化け物が戦い合う世界の傍観者になっていた。

 地上滑走路の片隅で、ティルトコプターのパイロットがゴーグル越しに地上を見てハンドサインを送る。
 コパイロットも首だけで頷き冷静にギアレバーを操作すると、ローターのホバリング音とともに機体下部からランディングギアが解放され、機械音が機内に響いた。
 ヘリの下を覗き見ても、見えるのは砂と荒野、それからやつらに破壊され燃やし尽くされたかつての旧都市のビル群だけだ。
 砂の舞う封鎖区画内部。
 大戦でばらまかれた放射性微粒子が空を漂い、空からの侵入者から都市を守る壁だけが人類の希望となった世界。核シェルターと、要塞化したゲートで自身を守るだけの人類。
 セボリアのゲート付近には、この地下都市を守るオートキルゾーンが敷かれていた。
 トカゲのように横に広いた二本足の異形が、燃え残った何かの骨に食らいついている。
 カートと呼ばれる、肉とその集合体による生き物のような物体の総称。
 物を捕らえ、飲み込みその特性を自身の物に変えて侵略を続ける異形の物体。
 ゲートを守る無人兵器は黒煙を吹いている。

 戦役から人類を守っているのは壁と、もう一つはかつて人類が生み出したアンビギューターと呼ばれる世界最強の人工兵士集団だった。
 かつて彼らは、とある植民地惑星に移住する最の先発隊として開発されていた。
 だが彼らがいざ星に旅立とうとした日に、カートが突如降って沸いてきた。
 タワーと呼ばれる惑星移動用のカタパルトの最先端から、カートたちが逆に地球侵略を始めたのだ。
 このカートとの戦いにアンビギューターたちは急遽その任務を変更し、人類とカートの戦いで最前線に身を置いて戦うことになった。
 タワーは未だ地球に建っている。この地球から、衛星軌道上にあるスペースグラウンドを経由して植民地惑星へと続くガイドラインを未だ示し続けている。
 アンビギューターと人類の戦いは、長い時を経てタワーから徐々に撤退していった。
 タワーは発展と未来の象徴から、いつしか勝てない戦いの象徴として戦場の中心地にそびえ立つようになっていた。
人類は、カートとの戦いに勝つ事を諦めていた。
 カートが進撃し、アンビギューターが戦う時、人類は作られた壁の中でまがい物の平和と空だけを見て、傍観に徹し平和に生きることにしている。

 白と茶色の混じるカートが、人骨にかじりついて空を見あげる。
 その視線の先には、先ほどセボリアの地上滑走路を飛び立ったティルトコプター輸送機の翼。
 意思疎通もできない未知の生き物カートを飛び越えて、パイロットはヘリの中身と共にその最前線基地へと降り立った。
 コパイロットは最前線基地にヘリが降りると、せき立てるように機内の客を煽って下に降ろした。
「少尉、目的地に到着です。ではご健闘を祈ります」
 後部貨物室のハッチが閉まり、仕官が地面に降りると輸送ヘリは素早くエンジンを回して高度を取って、ふたたびセボリアの壁の中へと帰って行った。

第一章 イントゥリゲート

 地上作業員の振る緑と赤の誘導灯に従い、ティルトコプターは土煙を上げながらヘリ用エアポートを後にしていった。
 幅広の、しかし他に駐機している機体は一機も見えない大きな空港だ。
ソノイはヘリを降りると大きなバッグを肩にかけて基地の様子を見る。
 かすむ赤い太陽。周りには基地の住人と思われる人だかりがあって、それぞれ持ち場の仕事のため懸命に働いている。
 ヘリクルーの方は飛んでいったヘリを見送ると、そのまま基地の建物に向かって歩いていってしまった。
「迎えが来ないわ」
 一人エアポートに取り残されたソノイ・オーシカ少尉の周りを、特異なアーマーを着込んだ現地兵士たちが通り越していった。
 誰もソノイの姿に興味がないようだ。そこへ一台のジープが、四輪のタイヤをきしませながら走ってきた。
 運転手もまた、他の地上員と同じセラミックドアーマーを着込んでいた。

【部隊への道のり】

「ソノイ・オーシカ少尉ですか」
 静かに呼吸器を鳴らしながら、無骨な軍用車両に乗ってやってきたのはどう見ても試験管で生まれたタイプの、人造人間だった。
これは人間じゃない、アンビギューターだ。
 装甲服でガチガチに身をかためた人類史上最強の兵士集団の一人が、ゆっくりと車上からソノイを覗く。
 ソノイは黙って男のジープに荷物を投げ入れると、ドアのない助手席に乗り込んでベルトを締めた。
「この基地に人間はいないの」
「コマンダーなら一ヶ月前に頭を撃ち抜かれて死にました。今はゾーンガードのグレイブ・ジャトーヒル大佐が、コマンダーの代わりに指揮を執っています」
 白いアーマーの兵士は乱暴にアクセルを吹かすと、ハンドルを握って基地の建物へと車を走らせた。
「条約違反じゃないの。あなたたちアンビギューターが人間の指揮下から離れて行動することは、国連の条約にも、私たちの軍規にも違反しているわ」
「我々はこの一ヶ月で何度もコマンダー補充を本部に要請しました。それで来たのが、あなたです」
 アーマーの男は低く野太い声で、吸気の音のあとにゆっくりと現状を説明した。
「我々は撤退作戦中です。各所に分断され待機中のアンビギューター・サテロイドフォース各隊を生きてこの基地に迎え入れる必要があります」
 ジープが基地脇の小道を走っていると、ドックで整備中の大型兵器群の姿が見えてきた。
 最新型の白兵闘用モビオスーツ「ゴーゴン」、戦域偵察に特化した飛行タイプの「ノクターン」。
 どれも人間の形を模したように二本足と腕を持つ特殊な戦闘車両だったが、大きさはどれも人間の数倍ほどの高さと幅を有していた。
「何か質問ですか、少尉」
 兵士が乱暴にハンドルを切って、ジープがタイヤを斜めに滑らせていく。ソノイはあと少しでジープから振り落とされそうになりながら、自分の体と荷物を必死で抑えてジープにしがみついた。
「もう少し安全に運転できないの!?」
「気を付けましょう少尉」
 兵士は前を向きながらそっけなく答えた。
 基地にいる兵士たちはみな同じ形のアーマーで身を守っており、体中を覆う装甲は、顔も同時に守っていた。
 目の部分には黒いセンサーのようなものが着いており、マスクと、おそらくスコープや無線機も付属しているのだろう、ヘルメットと一体化していた。
 体を守るアーマーの基本形は全員同じようだったが、よく見れば兵士はそれぞれ細部に違いがあるようにも見えた。
 例えば、ヘルメットに施された指揮官用のカラーリングと体を守るアーマーの色が違うとか。
 片腕だけプロテクターの色が違うとか。
 目の部分だけ肥大化した別のセンサーを着けているとか。
 いろいろだ。隣の運転席に座っている兵士のように呼吸器を着けている者もいたが、赤色の肩章と青い指揮官用のアーマー、腕に赤、黄色、緑色のカラーリングを施した兵士はこの男一人だけのようだった。
 フルフェイスマスクの運転手はソノイの視線をちらりと見ながら、呼吸器の音を一段大きくならして外を向いた。
「あなた、もしかして名前はあるの」
「サテロイドフォースグランド、ユーイーマルニーナナゼロゼロナインスリー、ケーゼロエイト。初期型です」
「識別番号、量産型なのね」
「ユーヤー、とお呼びください」
「ユーヤ?」
「我々のイントゥリゲートへようこそ」
 ユーヤーのジープが、二人の歩哨が守っている建物入り口前で乱暴に止まった。
 暑苦しい砂混じりの風がふく荒野。それは過去この基地に墜落した、巨大な戦艦を再利用したシェルターだった。

【それぞれの思惑】

 ソノイが立ったイントゥリゲート基地は、セボリア国家がまだ国家だった頃は国境辺境にあるどこにでもあるような小さな村だった。
 ユーヤーとアーマーを着た兵士たちが我が物顔で村を占拠し、物資を持ち込んでせっせと村を要塞化している。
 村には元々住人がいたはずだったが、村人達はすでに村を出て行っていったようだった。
 家に人影は見えない。
「ずいぶん堅牢な造りね。それでもカートに勝てないって言うんだから、どうしようもないんだけど」
「ソノイ少尉、我々は全力を尽くしています」
「分かってるわ、でもそれは私の上に言ってちょうだい」
 ユーヤーがソノイの荷物を背負い、その後に続いてソノイも歩いていく。
 墜落したスペースシップは村の中央にあってその大半が地面に潜り込んでおり、村の半分近くはこの墜落したスペースシップで潰されていた。
 あとの敷地は、村の郊外、葡萄畑、放牧地、水源その他を含めてすべてコンクリート化されている。
 人類に敵対するカートたちは常に有機物あるいは無機物を欲していた。
集団で襲いかかり、取り込んで寄生し、寄生された物体の持つ能力を最大限まで高めて人間と戦うためだ。この葡萄畑もいつか潰されるだろう。
 世界最強の兵士集団、人の形をして人ではない者、アンビギューターはそのカートたちと戦う。
 アンビギューターは人類に絶対的な忠誠と無条件の服従、圧倒的な力、未来を約束する。
 砂に汚れたマスク越しに、無口なアンビギューター下士官がソノイ少尉に敬礼する。
 隣に立つユーヤーも敬礼した。
「最前線へようこそ、ソノイ少尉。いやわざわざこんな汚らしいところへお越しくださりアンビギューター一同光栄です」
 アンビギューターの中で一人だけ、ヘルメットを脱ぎ、だらしなく足を広げて椅子に座っている大男がいた。
「私の名前はグレイヴ。この基地の最高指揮官代理をしている」
「あなたが今の指揮官ね」
「この基地と、サテロイドフォース全軍の指揮は人間がとることになっている」
 大男は立ち上がる。背の高い、日に焼けた肌、彫りの深い無精髭、サングラス、グレイヴと名乗った男はニイと笑った。
「歓迎しますよ、少尉。私たちはこれから基地の北方にいる、孤立した友軍部隊を助けに行かなければならない」
「指揮は今誰がとっているの?」
「私だ。だが私はアンビギューターのプロトタイプであって属性は人類に近いが、規定ではやはり私に指揮権限は認められていない。我々は指揮官を要請していたのだ」
「残念だったわね。でもこれでも仕官なの、あなた階級は?」
「大佐です。彼は少尉だ」
「サテロイドフォース内部での階級は、私たちに通用しないわ」
 アーマーを着込みあくまでも冷静を保ち続けるグレイブの前で、ソノイは澄ました顔で答えた。
「でももうすぐ援軍が来る。そのときまでの指揮官代理なら私でもできます」
「それは光栄なことだ。やっと規定通り人間の指揮下に置かれることになって、我々も戦いやすくなることでしょう」
 グレイブが皮肉たっぷりに言い、隣でアンビギューターたちがひそひそと囁きだす。
 少尉の肩章を持つユーヤーは黙ったままソノイの隣に立ち続け、ソノイは司令室を見回した。
「基地の現状は?」
「カート、バーヴァリアン共の散発攻勢をしのいでいます」
 バーヴァリアンとは、カートの中でも特に知能の高い種族のことを言った。
「友軍救助のための準備にはもうすこし時間がかかります。少尉、あんたがどれだけ実戦経験豊富なのかは知らないが」
 グレイヴは、テーブルに置かれた葉巻をくわえながら、ソノイの小さな肩に手を置き軽く握る。
「この基地は、これでも敵勢力のどまんなかに位置する。いわば四方八方が敵だらけだ。友軍の支援は受けられない、些細なミスが命を落とす理由になる。だが……」
 グレイヴは手を置き、ゆっくりと視線を落としてソノイの胸を見た。
 嫌な予感がして、ソノイは急いでグレイヴの手を振り落とす。
「……学生か」
 左胸の上に、所属を示すバッヂが着けられていた。
「学生でも、これでも上級仕官候補過程を修了してるのよ」
「学生は新米だ。戦争の意味も分からずここに飛ばされてきたか?」
「私は志願してここに来た!」
「少尉! 彼女にこの基地と、戦場のことをその足で歩いて案内してやれ」
「イエッサー」
 少尉と呼ばれたアーマー兵士ユーヤーが敬礼し、ちらりとソノイを横目で見る。
「案内します、ソノイ少尉」
 ソノイはこの不穏な空気に圧倒されながらも、周りを見て、それからグレイヴをきつい目で睨み返し今来た通路に戻った。
 ここは戦場だった。
 人がいない、化け物と人外が戦い続ける不毛の荒野。

第二章 鼓動のはじまる時

【小さな侵入者】
 繰り返される勝てない戦いのはてに、人類は負けない戦い方を覚えた。それは、広大な壁を作り閉じこもることだ。
 イントゥリゲート基地の近隣に、ソノイの生まれ育ったセボリアの城塞都市がある。
 その出入り口が、この荒野には向けられていて、ソノイが立ったイントゥリゲート基地はこの出入り口を守るための出島の役割をしていた。。
 今朝のように風が穏やかな時は、赤い砂埃の向こう側に壁が霞んで見えることがある。
 反対側には、赤い空の彼方へまっすぐ伸びる、高いロレンツィニタワーの姿が見えた。
「ソノイ少尉はなぜここに来ようと思ったのですか?」
 基地外周の小道を歩きながら、先頭を歩くユーヤー少尉がマスク越しに話しかけた。
 ソノイは額の汗を腕でぬぐいながらこの無愛想な白い装甲服の歩兵の、あと耳に付くうるさい呼吸音にイライラしながらふうとため息をつく。
「壁の中はね。退屈なのよ」
「退屈」
 ユーヤーの歩幅は歩き始めた頃から一切変わっていない。単調に、大股で、早すぎず遅すぎないテンポで外周を歩く。
「退屈だからこの基地にやってきた?」
「そうじゃないわ、聞いて。壁の中はね、退屈なのよ。でもその退屈さって、何か違うの」
「違う」
 がしゃがしゃと装備をうるさくならしながら、ユーヤーは無駄口を叩かず基地外周の小道の一端に立つ。
 小道の中では一段高く、上から見ると基地の全貌と周辺一帯が見下ろせる格好の丘にソノイ達はやってきていた。
 無人の監視塔が空堀を監視し、基地の自動防衛システムが無人機を走らせている。
「ここがイントゥリゲート基地です。基地の全長は約三キロ、周回距離は約二十キロ。基地全体を水の入っていない掘で囲み、七百二十メートルの滑走路二本と基地防衛用のトーチカ、対空トーチカ、掩体壕を配備しています。主要なゲート三本と裏門が二門、無人警戒システム二十四時間体制で監視しており、基地の防備は万全です」
「掩体壕って、さっきの墜落したスペースシップの残骸?」
「地下にも広がっています。前任の指揮官は、ここで狙撃されて死にました」
 ユーヤーの抑揚のない言葉が呼吸音混じりで唐突に放たれ、ソノイはびくっと身構えてその場で体を縮ませる。
「どこから!?」
「ほら、あそこの岩陰から。安心してください、今は向こう側の砂山までが警戒監視エリアに置かれています。奴らの潜り込む隙間はもうありません」
 腰に下げた双眼鏡でユーヤーが外を覗きだし、ソノイも落ち着いて背筋を伸ばすと小さくコホンと咳をした。
「貸して」
「電子ヴァイノキュラーです。網膜を焼かないよう気を付けて」

 光度がかなり高めに設定されている電子双眼鏡のようなものを、ソノイはまぶたを半開きにしながら覗き込んだ。
 電子ノイズ混じりに砂だらけの荒野と地平線、砂丘から続く長い影と、その手前に小さな岩陰を距離計の数字も含めて捉える。
 ヴァイノキュラーを離して肉眼で見ると、岩陰と基地はかなり離れていた。
「ずいぶん遠いのね。スナイパーも相当の凄腕ね」
「カートとバーヴァリアンは別種だと考えるのが正しいでしょう。カートは粗暴で数と力で攻めてくるが、どれも短絡的で複雑なことをするのには向いていない」
「スナイパーはバーヴァリアンって奴だったの?」
「我々が確認した時は、すでにただの焼けたひき肉でした」
 不穏な言葉を呼吸音混じりに答えるユーヤーと、ソノイは一瞬イラッとしたがもう一度電子ヴァイノキュラーを覗いて周囲を見回す。
 その時基地外周小道の向こう側から、モーター音と無骨な機械が地面を蹴ってくる音が聞こえてきた。
「少尉! センサーに反応があって見に来たのですが、何かしましたか?」
「いいや何も!」
 ソノイはヴァイノキュラーを覗き込みながら、今やってきた逆間接型の機械化軽偵察車両と数人の警備兵たちを盗み見る。
 背格好はユーヤーと同じ、アーマーも細部の違いこそあれど典型的なクローン兵の見本品のようなもの。
 クローン警備兵たちは乗機した偵察車両の脚を止めると、センサー位置と地図を確認しだした。
「おかしいな、ここは一番警備が厳重な場所のはずだが」
「何かあったのか」
 ユーヤーはクローンたちを見あげながら地図を譲り受けた。
 ソノイはソノイで、基地の外側が気になるのでしばらくヴァイノキュラーを覗き続ける。
 代わり映えのしない荒野。そろそろ午後も遅くなって低く陰りだした太陽。
 燃えるように赤い砂地に広がる影たちが、少しずつその長さを延ばしだす。
「ん?」
 その影たちの中に、ソノイはなにか動くものを見たような気がした。
「ユーヤー少尉? いま、あそこで何か動いたんだけど」
「動いた?」
 警備兵クローンと地図を見ていたユーヤーが振り返り、ソノイと一緒に荒野を見る。
 確かに、荒野の向こう側に動く物体が見えた。
 横広に伸ばした二本足に、大きく膨らんだ腹部を後ろ側へだらしなく伸ばしている。
 典型的なカートの姿だ。ここら辺ではよく見かける寄生生物の最底辺、触手のようなものを頭先からちらちらと覗かせている。
「カートだ。数で攻められるとやっかいだが、一体だけなら問題ない。おそらく食事の時間なんだろう」
 ユーヤーはそういうと、警備兵クローンの方に向き直って地図を開き治す。
 だがソノイにはそのカートが、何か気になった。
「センサーが敵を見つけたら撃つんでしょう?」
「そうだな。そろそろ防衛システムも反応するはずだが」
 だが、堀の内側に配備された自動ガンターレットシステムは動く気配を見せない。
「センサーの異常か」
「待て、指揮所の方でもあのカートは把握してなかったぞ」
 警備クローンたちが互いに向き合い、ユーヤーは肩に担いだクローンガンをとりだして構える。
 空堀の下で、掘の小岩が崩れて踏まれる音がした。
 ソノイはハッとして、その場で身構える。電子ヴァイノキュラーを手に持ったまま。
「今、下で音がした……」
「少尉あぶない!」
 クローンが叫んで腕を伸ばし、ユーヤーも飛び跳ねて銃を掘りの下に向けて構える。
 だが運が悪いことに、ユーヤーが飛んだ先にはソノイがいた。
「あっ!?」
 バランスを崩し二人で倒れ込むと、掘りの下から緑色の腕が伸びてきて二人の足を掴んで握る。
 ソノイは訳も分からず掘りの中に引っ張られたが、その時になってようやく自動防衛機構が反応し掘りの内側に対してガンターレットを向けた。
「伏せろ!」
 掘りに引きずり込まれたソノイの頭をユーヤーが抑え込み、緑色の化け物が口を開いて威嚇の叫びを上げる。
 基地のガンターレットは縦横に銃撃を打ち込んだが、その射線軸上には敵のカートと、ソノイたちも含まれていた。

【一つ目の叫び】

 霞む視界が徐々に戻り、しだいに意識がはっきりしてくる。
 断続的に鳴り響く発砲音。クローンたちの怒声。軽くフワフワしたような感覚に少しずつ、重力の重みが戻ってくる。
「くっ、油断したわ」
「ソノイ少尉あぶない! まだ伏せていて!」
 力なく揺れる頭をソノイが抑えたとたん、真横からあのユーヤー少尉が飛び込んできてソノイの体を押さえ込む。
 その一瞬前にすぐ目の前で、何かが真っ赤な一つ目を見開き覗き込んでいた。
 ソノイは体中に寒気を覚えた。だがそれをユーヤー少尉が力技で横にはね飛ばし、カートに向かってめいいっぱいクローンガンを撃ちまくった。
「伏せていて! 身を低くそのまま動かないで!」
「今のは!?」
「カートだ! 奴らに喰われたらおしまいだ!」
 堀の底に生い茂る灰色のシダ類を押しのけて、緑色の肌をしたカートが悲鳴を上げながら逃げていく。
 化け物の咆哮。
 そのとき頭上の無人ガンターレットが砲身を傾け、シダ類に隠れるカートを狙い撃った。
 だがターレットはカートのいる茂み一帯を撃ったかと思うと、それに続いてソノイたちが隠れる窪みの方まで撃ってくる。
「ッ!!!!」
「ターレットを切れクローン! 命令だ!」
『カートが基地に入り込んでしまいます! 敵勢力は不明!』
「敵は三体だ! ターレットとパッシブマインをオフライン! 援護しろクローン!」
 ユーヤーはバズーカ並に巨大なクローンガンを茂みに向かって撃ち続け、掘りの上に立つクローンたちと共同して敵を追い払う。
 警備のクローンは手持ちの小火器と、偵察車両ライドウォーカーのミサイルを使って敵を追い詰めた。
 だが掘りの内側から長い腕が突如伸びると、ライドウォーカーの脚部を掴む。反応しきれなかった一機が掘りの中に引き込まれ、残った一機は数歩後退して援護銃撃を中止。
 引き込まれたライドウォーカーが爆発し、兵士の断末魔が無線に響いた。

【困難との邂逅】
 一つ目のカートが縦横にシダを揺らして駆け回り、ターゲットを見失ったガンターレットが掘り中を撃ちまくって穴だらけにする。
 暴走を繰り返すターレットが横一文字に茂みをぶち抜き、カートをかすめソノイたちの隠れる窪みに向かって火線を伸ばす。
「むう!!」
 頭を抱え死を覚悟したソノイの上に、ユーヤーが体を張って覆い被さる。
鈍い衝撃と地面の削れる音。ターレットの弾はユーヤーのアーマーを貫けず、そのまま別方向に火線を伸ばしてカートたちを追い回した。
「大丈夫ですか?」
「なっ、なんとか!」
「しばらくじっとしていて! ここは地雷原だ」
『少尉! パッシブマインをオフラインにしました! 今ターレットを手動操作中!』
「よくやったクローン!」
 銃声が鳴り響き、ユーヤーがソノイを振り返って手招きする。
「ソノイ少尉、近くに落ちた友軍機がいます。武器をとりに向かいます!」
「了解よ!」
 ソノイは腰の拳銃を引き抜き構えると、ゆっくりと腰を伸ばしシダの上から頭を覗かせた。
 上からは残ったクローン警備兵が銃を撃ち、掘りのあちこちから獣の叫び声と咆哮が聞こえてくる。
 ソノイはユーヤーの示すハンドサインに合わせて、背をかがめてシダの茂みを走り抜けた。

 背の高い茂みの向こう側から黒煙が漂っており、ソノイが駆け寄ると先ほど掘りに落ちた二脚型軽偵察車両ライドウォーカーの全容が分かった。
 パイロットの警備クローンは即死だった。
「こいつを持っていてください少尉」
 ユーヤーが倒れたクローンの持ち物から無線機をとりだし、スイッチを入れ直してソノイに投げる。
 ソノイは受け取ると、インカムを耳に押し当てて戦況を確認した。
『こちらは総合戦術本部、敵の小規模部隊が基地正門を突破しようとしている。増援は送れない!』
「聞こえましたかソノイ少尉。このッしつこいやつらが!」
 ユーヤーはソノイを背にしてクローンガンを担ぎ、白い発光を数度弾けさせながら銃を撃った。
 ガーッ!!!!????
 バズーカほどもあるクローンガンの直撃を受けて、カートの一体が白い泡を吐き出し吹き飛んでいく。
 大きな音をたてて獣は地面に倒れこみ、ついで長い両腕をわずかに動かすとそのまま息耐えた。
 ユーヤーが振り返ってクローンガンを放り、拳銃だけのソノイに投げて渡す。脇の死体から武器を受け取ると、装填し直してゆっくりと武器を構えて後退した。
「ここは危険です、いったん掘りの外に出ないと」
「どこか出られる場所があるの?」
「非常用のはしごがありますが、少し歩かないと」
 無人のガンターレットがチュイーンと音を鳴り響かせながら弾丸をまき散らし、空堀の向こうから入ってこようとする小型カートと掘りの中に隠れるカートたちを追い散らす。
 ソノイは煙を吹くライドウォーカーから顔を覗かせ周りを見ると、ユーヤーを振り返ってゆっくりうなずいた。
 先にソノイがガンを担いで前進し、その後に続いてユーヤーが後ろを見張りながら後退する。
 基地中で非常サイレンが鳴り響く。
 最後まで応戦していた警備のクローンは、敵に円盤状の投げ石を投げられその場で死んだ。

【小道の先へ】
 イントゥリゲート基地南端。基地の外と内側を繋ぐゲート脇の側溝。
 ソノイたちは味方と敵が撃ち合う、コンクリート製ゲートブリッジ脇まできていた。
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
「突っ込んでくる! 火線を絶やすな!」
「馬鹿ヤロウどこ狙ってやがる!!」
 クローンたちの罵声と罵り合いに、それの上にかぶせるように獣の甲高い奇声が聞こえてくる。
 ブリッジの向こう側は敵だらけだ。ソノイはガンを構えながらユーヤーを振り返った。
「どうするの?」
「はしごはあそこです」
 ユーヤーが後ろから追いかけてくるカートを撃ち抜き、ソノイに答えた。
カートは厚い鱗を前に構え、ユーヤーの弾をはじき返す。
 甲高い独特の声で鳴いた。
 しばらくすると一体のパワードスーツが基地内からやってきて、廉価ガトリング砲を構えて手足を固定する。
 人の能力を機械とバイオセンサーを駆使して最大限に拡張し、兵器として活用するモビオスーツ。
 タービンエンジンを唸らせ全身を微振動させる主力戦闘兵器、セイバーロードはバルカン砲を猛回転させ空薬莢を四方に撒いた。
『射線に注意しろ』
 真上でガトリング砲がうなり声をあげ、臭い不燃性ガスが上から吐きつけられる。
 ソノイは耳を塞ぎ目をつぶって顔を下に向けた。
 ダーン! とユーヤーが銃弾を撃つ。
 カートは側溝の中、側溝の外に大量にいる。
 はしごは基地の外側に向かって伸びていた。
「基地の外に出るの!?」
「それしかこの掘りを出られる道はありません」
 ダーン! と二発目の銃弾をユーヤーが撃つ。カートは長い鍵爪と腕を組み合わせ、ユーヤーの撃つ弾を弾いた。
「外は敵だらけよ!」
「ここにいたら切り刻まれます」
「誰かに引っ張ってもらえないの?」
 ダーン! と三発目の銃弾を撃って、ユーヤーはソノイを振り向いた。
「カートの基地侵入を許してしまいます。まずはあれをなんとかしないと」
カートは両腕を交差させ弾を弾くようにして構え、ゆっくり頭をもたげると緑の頭部に一つしかない真っ赤な目玉を見開き大きく瞬いた。
「両腕の鱗が厚い、この辺にはいないタイプだ」
「撃てないの?」
「近づいて撃つか、鱗のない腹か目を狙わないと」
「もっと大口径の火力で吹き飛ばしてもらったら?」
 下から覗き上げてソノイが提案した時、ブリッジ上に構えるセイバーロードがゆっくりと前進を始めた。
 ゲート脇に置かれた対地トーチカが正面に火力を集中させる。
 橋上で何かが大爆発し、どこかのクローンが「自爆兵だ!」と叫んで無線が途切れる。
『味方部隊、正門南東部五キロの地点に出現! 敵に攻撃されています!』
「なるほど、部隊を基地に入れさせないために奇襲をかけてきたんだな」
ユーヤーは冷静に戦況を分析しながら、四発目の銃弾をカートたちに向けて撃った。
 ソノイもその隣に立って銃を構える。
『撃たないで! その銃は人間が撃つには耐えられない』
「こんなところで、お荷物なんて言われたくないわ! 私はこれでも軍人よ!」
 ソノイはそう言って銃を肩に担ぎ、引き金を引いて撃った。
 バズーカ並みのクローンガンはすぐに反応して、銃口の先端で白い光を迸らせる。
 鉛弾の放たれる振動。空気を切り裂き渦を巻く衝撃波。
 ソノイは銃を撃ったと思ったら、ひっくり返って掘りの壁際に叩きつけられていた。
『その銃は人間では撃てません、ソノイ少尉』
 ユーヤーは難なく、クローンガンを数発発砲してカートたちを牽制している。
 ブリッジ上のセイバーロードが微速前進を続け、歩兵小隊が味方部隊救助のための緊急出動をはじめていた。
 崖の上から他のクローンがロープを投げ入れ、ソノイの上に垂らしてきた。
『さあ少尉! 今の内にこちらへ!』
 ソノイは言われたとおりにロープにしがみつき、ぐっと力を入れて掘りの上へと登りだす。
 ブリッジ上ではセイバーロードが前に進んだためか敵の攻勢は弱まっており、掘りの下ではユーヤーがクローンガンを連射して足下の敵を追い払っている。
 ソノイは自分のクローンガンを投げ捨てると、ユーヤーを振り返った。
「あなたも早くこっちへ!」
「いいえソノイ少尉、私はあなたに基地の案内をするよう命令されました。地獄へ案内するわけにはいかない」
 ユーヤーは振り返りもせず銃を撃ち続け、近づくカートの足を止めた。
「死ぬ気!?」
「友軍の支援があります」
「ソノイ少尉! 司令のグレイブ大佐がお呼びです、着いてきてください!」
 後ろから声をかけてきたクローン一般兵に振り返り、ソノイはユーヤーをもう一度見て掘りの下に向かって叫んだ。
「死なないでね!」
「は?」
「すぐ助けに戻るから! あとこれも!」
 ソノイは足下のクローンガンを掘りの中へ投げ入れると、腰につけていた拳銃も一緒にユーヤーに向かって投げ渡した。
「これも使っていいわ! その代わりあとで返して!」
「……了解」
 ユーヤーはソノイに渡されたガンと拳銃を受け取り、ソノイもクローン兵と一緒に司令部へ向けて走った。

第三章 それぞれのミッション

 ソノイが司令部にやってくると、グレイブはすでに出撃の用意を終わらせて自分のパイロットスーツを着込んでいた。
「基地はどうだったかね? 少尉、おまえは私のサポートだ。これから我々の戦争を教えてやる」
 グレイブ大佐がヘルメットを投げて寄こし、ソノイは両手で受け取って目を丸めた。
「我々の戦争?」
「そうだ。お前は非力な人間で、しかも頭の中身も空っぽだ。もっと使える人間を寄こしてこなかったおまえ達が悪いんだろうが、今はお前のようなひよっ子の方が……」
 言うと、グレイブはヘルメットをかぶって顎紐を締める。
「……俺にとって都合がいい」
 グレイブはそう言って、マスクをかぶる。
 ソノイは警戒しながらも自分のヘルメットをかぶった。
「戦闘処女はお終いだ。おまえの機体とデートコースを用意した、たっぷり仲良くするんだな」

 鋭利なノーズカバーに二枚のブレードアンテナ、後退気味の可変翼に機体と一体化したスラスター。カラーリングは白。
 脚はノーズ付近から出ている内蔵式のソリ。後ろ二つは排気ノズルが着いて機体を安定させている。
 エンジン付近には複数の燃料ホース、ケーブル。
 コクピット付近を静かに明滅さて、X―R九九シルフィードは待機状態を維持し続けていた。
シルフィードはもう一機あった。こちらは、紫のカラーリングをしている。
 地下格納庫に作業員はいない。

 ソノイが案内された場所は半地下型の格納庫だった。
「この機体の出撃を敵に関知されてはいけない。もちろん今回は、孤立した友軍基地の援護に向かうための出撃だったが、途中のタスクが二つほど増えた」
「分かりました。できるだけがんばります」
「頑張らなくていい、ミッションの基本は彼女がしてくれる』
「私はこれに乗るの?」
『いいや違う』

グレイヴはソノイの差した方を見ようともせずに否定した。
もちろんソノイが差した物がなんであるか分かっているからだが。
ソノイの指の先には、白い翼のシルフィードが格納されている。
『あの機体にはまだ頭脳が搭載されていないい。おまえは奴の動くことに指揮官として許可を与えるのが仕事だ。シルフィードは自分で判断し、行動する半自動兵器だ」
「私が許可を与えるだけ?」
『そうだ人間らしいだろう』
 ソノイはグレイブを振り返り、それから自分の乗り込むX―R九九シルフィードを見た。
こちらのシルフィードは紫色にカラーリングされていた。
機体と翼の先端を、暗い格納庫の中で静かに明滅させている。
「この戦場では、普通の人間は俺たちのように戦えない。だが人間は、俺たちが勝手に戦うことを恐れている。兵器の暴走は、使い手がもっとも恐れることだ。俺たちはおまえ達人間の生きたコマだ、だが安心しろ」
「安心? だからって、私には何もさせないで見ているだけにしろって言うの?」
「そうだ見ているだけでいい!」
 グレイブは葉巻を吸い込み、大きく胸を膨らませた。
 ヘルメットの下から葉巻が覗く。この構造は他の兵士にはできないようだった。
「それも、見て判断するだけだ。人間に危険な仕事はさせない、そのために作られたのが俺たちアンビギューター・サテロイドフォースだ」
 グレイブは人差し指を伸ばすと、ソノイの胸にゆっくりと立てた。
「戦場に口先だけの理想論はいらん。早とちりするなよ、これはミッションを成功させるために人間が決めたことだ。何かしたいなら役に立てるようにまず仕事を覚えることだな。俺は俺の相棒に乗る」
 立てた指を引き、葉巻を捨てた。
「お前はコイツとだ、二人のデートコースに案内してやろう」
 グレイブが案内したのは、やっぱりというか、目の前に鎮座している紫の方のX―R九九シルフィードだった。

 スライド式のコクピットカバーが上面に開き、中のパイロットシートがせり上がる。
 ソノイはシートに収まると、地上で自分を見ているグレイブの顔を見た。
「ソノイ、乗ります」
「さっさと乗り込めソノイ少尉、あとは彼女の邪魔にならないようにな」
「くっそ! さっきから言いたい放題いってェ!」
 ソノイはヘルメットの中で誰にも聞こえないようつぶやいた。
 シートをスライドさせ機体立ち上げの準備を始める。
 計器チェックを始めようとすると、シルフィードの起動シーケンスが自動で始まりコクピットは蒼色の光りに包まれた。
「ん!?」
『さっきからずいぶんと反抗的じゃないか少尉! 俺の階級がなんだか言ってみろ!』
「ぐれいっ……た、大佐?」
『上等だ、少尉! さっさと機体を立ち上げろ! もたもたするな! おまえのような半人前が、無事にこの基地にこれただけでも神の成し遂げられた奇跡ってやつだろう! 無事に出られたなら世界は救われたも同然だ! さっさとエンジンを始動しろ!』
「りょ了解! ところで……さっきから言ってる」
『なんだまだ質問かひよっ子のコパイロット!』
 光りの点ったディスプレイに、地下整備場を歩くグレイブ大佐の後ろ姿が見えた。
 X―R九九のコクピットは外と完全に隔離されていた。カメラセンサーが外の様子をすべて捉え、パイロットは画面越しに外の様子をモニターすることができる。
「デートって誰と?」
『デート? デートだと!? あのデコハゲそんなこと言ったのか!?』
「でっでこッ?」
『い、いやあんたのことを言ったわけじゃんんんッ! ぁーウオッホン!』
 グレイブのハスキーな声が中途半端に途切れて、しばらく無音と小さなノイズが入る。
 今度はディスプレイに映し出されたOS画面と連動する、よく澄んだ少女の声だった。
『シルフィード、OS起動、セルフチェック開始、エンジン始動を開始します』
「大佐? 大佐???」
『機体チェック終了、シルフィード離陸を開始します』
 どういうことなの。
 ソノイは突然切れた無線を気にしながら、ヘルメットのイヤホンをとんとんと叩いた。
 スロットルが前に進み、スティックとペダルが自動で動き出す。
 ソノイはマイクをたぐり寄せ、小さく話しかけた。
「大佐?」
『……どーも。あたしの名前は紅炎。このシルフィードのメインパイロットよ」
「えっ?」
『あたしが、紅炎ですっ。シートベルト締めたよね?』
「紅炎? だれ?」
『ひどい! 人がせっかく挨拶してあげてるってのに!』
機内のディスプレイ下部から人型の小さなホログラフィックが伸びた。
紫色の背景と緑の体を揺らしながら、小さな映像の紅炎は不機嫌そうに腕を振った。
『よろしくって言ったら、よろしくって言うものじゃないの?』
「よ、よろしく」
『人間のぶんざいでこのあたしに命令するなんて百年早いわよ。とにかく、あたしが紅炎ね。この機体のパイロットがあたし。いいわね、よろしくっ!』
「わ、私がソノイ・オーシカよ」
『システム異常なし。機体セルフチェックも異常なし。エンジン始動前チェックも異常なしなんだけど』
紅炎は仮想パネルを横に開くと、キーを叩いてシルフィードの起動シーケンスを打ち込んだ。
『始動してもよろしい?』
「ムッ、いいわよ」
ソノイは新しいパートナーの言葉に頷き、ヘルメットのファイバーグラスを目にかけてシートに背を当てた。
ちょっとムカッとする。
「始めて」
 ソノイのかけ声と同時にスピーカーから聞こえる紅炎の声と、シート下にあるエンジンが少しずつ震えはじめた。


【地下からの出撃】
 地下のドックから悲鳴のようなエンジン始動音が響きだし、その甲高い音は地上にいる兵士たちの耳にも入るようになる。
 地上にいるユーヤーたちと通常のクローン兵にとっては、命令を聞き、戦い、生き伸びて死ぬことが与えられたタスクだった。
 今こなさなければいけないタスクは、基地ゲートとブリッジを守る事。
 掘りから助け出されたユーヤーは、瓦礫の山を盾にして獣の侵入者達を蜂の巣にすることに専念していた。
「くるぞ! あいつの足を止めろ!」
 ボロ切れをまとった一つ目のカートが、背と腹に時限爆弾を抱えて突っ込んでくる。
 ユーヤーは仲間に指示すると、自身も銃を構えて敵カートの足を狙った。
 銃声が一発、二発、自身の狙撃スキルが功を奏しカートの足を弾が貫通する。
 自爆カートはうめき声を上げながらブリッジ上で転倒し、光りと白い煙をまき散らしながら吹き飛ぶ。
「また来るぞ!」
 自爆の煙と砂埃が舞う橋の上を、別の二匹のカートが走ってきて爆弾を放り込む。ユーヤーは仲間と共にカートを狙い撃った。
 その時、掘りの中から新手のカートが這い上がってきた。
「クソッ! 諦めの悪い奴だ!」
 ユーヤーはクローンガンを肩に担ぐと、敵の足下に身を飛び込ませる。
「これでどうだッ!!」
 カートの巨体の真下から、鱗のない白い肌をクローンガンで撃ち抜く。カートは思わず激痛の悲鳴をあげて倒れるが、三体目のカートがユウヤに目を着けて腕と鍵爪を振りあげた。
 迫る長い腕。あの鋭い先端に触れれば、間違いなくアーマーもろとも肉も裂かれるだろう。即死か。
 一瞬覚悟した。だがこの時、別のタスクがユーヤーの脳裏に蘇る。
 気付くとユーヤーは、クローンガンの銃床で敵の攻撃を受け止めていた。
『ウグゥゥゥゥ!!! ン゛ーーーミ゛ーーャ゛ャ゛ャ゛ャ゛ーーーーア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!』
 二振り目の鍵爪でクローンガンは切り裂かれ、すんでの所で体を捻り落ちていた別の武器を手に取る。
 三撃目。ユーヤーは微妙な体制で攻撃を避けた。だがまだ体を起こしきれていない。
「くそったれ!」
 体を捻りガンを構えるが、全長が長すぎて思うように構えられない。そのまま強引にトリガーを引くと、弾はカートの脇をすり抜けて空の彼方へと飛んでいった。
 激高したカートが鍵爪を振りかざし、クローンガンを銃口から突きさし彼方へと投げ捨てる。
 ユーヤーは最後の武器、ソノイから渡された拳銃を引き抜いて何度も何度もカートを撃った。
「死ね! 死ね! ケダモノが!」
人間用に作られた拳銃をユーヤーは連射し、薬莢がすべて撃ち尽くされてもユーヤーは諦めずに拳銃のグリップを握りしめた。
「オーダーだ!」
カートを殺せ。侵入者を生きて帰すな。ユーヤーはグリップを強く握ると、カートの赤目に向かって行き追いよく振り下ろした。
カートは突然の格闘に反応できず、もろに目玉にグリップを当てられ悲鳴を上げた。
キギャーァァァ……!
打撃で倒れたカートに蹴りをくわえて、ユーヤーは拳銃を左手に持ち替えてすぐに引く。
カートは倒された状態のまますぐに掘りの中に逃げ込み、反撃のチャンスを狙うために茂みに隠れた。
ユーヤーは地面に転がる自身のクローンガンを拾うと、弾倉を入れ替えて茂みの中の黒いものを狙い撃った。
オフライン化されたパッシブマインに弾が当たり、衝撃を受けた地雷が連鎖して爆発していく。
カートは悲鳴を上げながら地雷の爆発に巻き込まれ、ジェル状の何かを吐き出しながら吹き飛んで死んだ。
カートの赤い返り血がユーヤーの白いアーマーにかかる。
「今の俺へのオーダーは、生きることだ。お前を殺してな」
掘りの茂みを風が揺らし、頭上から友軍機が降りてきて地上に大きな影を落とした。
「ユーヤー少尉は生きてるか! 新しいミッションだ!」
「はい大佐」
空の上に併走艦が降りてきて、噴射剤をユーヤーたちの頭上に吐きかけてきた。
同時に一機のモビオスーツが、前方に投下される。
基地奥の地下格納庫からモビオスーツが出撃し、それに続いて見慣れない形のファイターが浮上した。
紫の機影に、後退した可変翼、降着装置が見あたらないがファイターにしては大きすぎる。
他のクローンが銃を構え、正門に集まるカートを撃ち抜く。
新しい敵がゆっくりと荒野に姿を現し、大きな丸い拳を振りかざし風のような呼吸音を鳴らした。
先を行くセイバーロードがガトリング砲を回転させ、今し方横から現れた新しい敵に向き直る。
その反応は遅く、巨大な鋼鉄兵器はカメラを敵に向けてもしばらくまともに動けない。それを、肉と骨でつくられた巨大なカートは拳で殴りつけて黙らせた。
鉄の破片が空を飛び、砕けたフレームと装甲板とパイロットの死体がブリッジ上にまき散らされる。ユーヤーのモビオスーツは降下艇から落とされると、倒れた友軍機に足下を狂わされ橋の下に落ちた。
「拾え! 侵入を阻止し敵を排除しろ、俺はこれからこいつらを片付ける!」
降下艇が翼とブースターを駆使して引き下がると入れ替わるように新しいモビオスーツが飛び出して来て、ユーヤーとクローン兵の前に立ちはだかった。
赤い翼。長い脚。鋭いフィン、短期決戦用の大出力ブースター、グレイブ大佐の空飛ぶモビオスーツ”トマホーク”はゆっくりと脚を開いた。

【空飛ぶ電子妖精、紅炎】


『ボス級のやつがそっちに向かってる、任せるぞ!』
『いい? 今のが大佐からのメッセージっ。でもって、こっちのが下にいるあいつらのメッセージログでー』
「ちょ、ちょっと! 私たち、こんなところでこんなことしてていいわけ!?」
『あんた人の話聞かない人なのねー』
相変わらず生意気そうな、ホログラフィの電子の少女は腕を組んでむっとした。
『あたしが聞けって言ってんだからすなおに聞きなさいよコパイッ!』
「戦場って言ったら、戦うんでしょう!? ここ戦場でしょ!?」 
『だーからあんたがまともに戦えるようにここで教えてあげてるんでしょーがーッ』
紅炎はホログラフィの中で、円錐状の光りの帯の中で所狭そうに腕を振りあげる。
『あんたはあたしのなに!』
「デートって言うから男の子かと思ったじゃない」
『あ、あんですとー!? やいっ、デコハゲっ!』
紅炎がホログラフィの中で手を伸ばし、シートに座るソノイを指さした。
「でこ!?」
『デコハゲっ! 今からあんたは、あたしの言う事を聞きなさいっ、分かった?』
紅炎とソノイが言い合いをしている間にも、戦況は次々に移り変わっていく。
シルフィードはエンジンを高鳴りさせ翼を動かし、機体チェックを終わらせる。

グレイブのモビオスーツが腕を動かすと、翼とブースターを開き一気に基地の外へと飛んでいった。
敵の数は三体。
基地から新らしく出てきた白兵用のゴーゴンが、ミサイルを撃って動作を止める。
撃たれた巨大なカートはなんなくミサイルを跳ね返し、代わりにゴーゴンに向けて足下の石を投げ飛ばした。
整備不良のゴーゴン機が石にやられて倒れ、地上のクローンたちが物陰に隠れる。

「誰も戦える人がいないなら、私たちが戦うしかないじゃない!」
『ちょーっと待った! 死ぬ気!? あんた死ぬ気なの!?』
「さっきからコパイだとか、あんたは許可するだけだとか言ってたけれど私はこれでも軍人なのよ! 分かる?」
『あんた仲良くしなさいって、あのデコハゲにも言われてたじゃない!』
「仲良くしてあげるわよー実践的にね! えーと、このボタンは?」
ソノイが操縦桿の横、レバー脇のボタンを押すとシルフィードはゆっくりと、前側へ傾いていった。
変形中の警告がディスプレイに表示され、外を移すシルフィードの画面がゆっくりと移動していく。
『こちら地上部隊! 上空のモビオスーツ何をやっている!』
『ほら! ほらほらほらッ! あンたどこで何やってるのさ!』
「いちいち口で教わってできるもんじゃないわー!」
高機動可変型モビオスーツシルフィードはメインブースター噴射剤の吐き出す角度を、トリムマイナス九十から十五まで上げる。脚のサブブースターを使用しながら姿勢を前傾させ、水平位置だけを維持しゆっくりと地上へ脚を伸ばす。

着地完了。シルフィードのセンサーアイが機体上部から外を覗き、迫る敵機を捉えて青く光った。
「なにこれ! なにこれ!」
『あんたってば。人の話は聞かなきゃダメだってお母さんに言われなかったの、ソノイちゃん?』
「まずはこっちから攻めてやるわよ!」
『人の話は聞いてちょうだいアンタっ!』
変形を完了し半人型モードへと切り替わったシルフィードは、翼を広げブースターを吹かし空に浮く。
グレイブのトマホークがブースターを開き基地正門を離れたところで、カートがこちらの存在に気付いた。
地上のクローン兵たちはカートの突撃部隊に手一杯で前進できず、ユーヤーはまだ自分のモビオスーツに乗りこんでいない。
地平線の向こう側で、新たな閃光と煙が昇り始めた。
「先手必勝よ!」
『だから人の話を聞けーっ!!』
力を得た紫のシルフィードは、専用のバルカン砲を取り出すと一気にブーストを開いた。


【空飛ぶ戦士の登場】
シルフィードは翼を畳み自機を変形させると、三角型のフィン、薄い装甲板で覆われた長い脚と腕部を覗かせ肢体を開いた。
白い翼に光りが灯る。
「いくわよ! シルフィード前進っ!」
粉塵をまき散らしてシルフィードがゆっくりと上昇を始め、低速で前に進みながらカートの頭上を捉える。
「さあこいつの出番よ!!」
シルフィードが兵器として稼働するのは、かつて実験棟で動いていたあの日から数十年ぶり。シルフィードのFCSに生体兵器カートの姿がロックされる。
「食らいなさいっ!」
『私が撃つんだってば!』
二人の少女が声を合わせてトリガーを引き合い、シルフィードは即座に反応してマルチガンを発射する
『この機体は、あたしが動かすように調整されてんの! そんじょそこらの素人が出てきていきなり動かそうったってそうは……』
トリガーを引いてしばらく、シルフィードは空中でびくりとも動かなかった。だがワンテンポ置いて少し動くと、今度はスムーズに照準を合わせ敵の眉間をとらえる。
試験用に開発された携行マルチガンの銃口が渦を巻くように高速回転し、空気を切り裂く。
しかし、赤目の巨大カートは倒れなかった。
弾は全弾外れている。
「撃てたじゃない!」
『当てなきゃ意味ないでしょお!!?』
ウオオオオォォォォォォーーーーーーン!
赤い肉、白い牙を覗かせ恨めしそうに呻き、カートは拳を振るって空中に向かって無差別に殴りあげる。
シルフィードは機体を翻すと銃口を構え直し、敵を捉えて見下ろした。
『ほら言ったじゃん! 狙って撃たないから仕留められなかった!』
「それでも私が撃つ! 私が動かす!」
『ムーリーッ! これはあたしのあっコラッ!!??』
藻掻くカートの上空でシルフィードが姿勢を崩し、入れ替わるようにして基地内からモビオスーツが出てくる。
先ほどミサイルを撃って機能停止した、整備不良のゴーゴンだ。
再起動をこなしたゴーゴンがカートの体に正面からぶつかって、巨体と装甲を活かしてカートを外に押し出そうとしている。
クローンが歓声をあげ、ついにブリッジから落下していたモビオスーツにユーヤーが乗り込む様子が見えた。
「こちらユーイーマルニーナナゼロゼロナインスリーケーゼロエイト、ユーヤー。シートに乗り込んだ、エマーリフトアップまであと三十秒」
銃弾が飛び交う戦場の真ん中でユーヤーが機体に乗り込む。残った二体のカートが鈍い足音を響かせて、ゴーゴン撃破と同時に砂嵐を引き連れて姿を現した。
『ほらみろッ! あれがプロの軍人よ!』
「ぐぬぅー!!!」
ソノイはシルフィードを操作するとブリッジ上に降ろした。
「食い止めればいいのよね紅炎?」
『そういうのあたしがすることなんだけど!』
「何にもしないでただ見てろだなんて、言われてハイなんて言えるかっ」
シルフィードが腕を上げ、まだ煙を吹いているマルチガンをカートに向ける。カートは赤い一つ目を大きく広げると、肉食獣のそれと同じ縦の瞳孔を広げてシルフィードを見た。
物を言わない者から発せられる無言の圧力、シルフィードのFCSがターゲットサイトを外してしまう。
「こっこの!」
ターゲット再ロック。シルフィードはソノイの指示通りに銃口の再調整をとると、先ほど撃った弾の照準調整もこなしながら弾を撃った。
一発、二発、三発と、弾がカートの赤い肉を矧ぎ削いでいく。今度は倒れた。だがカートは死んでいない。
それに他のカートたちもまだ大量に残っていた。
『ソノイちゃん前!』
「!?」
二体目のカートが拳をあげ、倒れたカートを乗り越えシルフィードめがけて腕を振り下ろしてくる。
激しい衝撃と機体を揺さぶる衝撃が、シルフィードのフレーム全体を軋ませる。ソノイはフットペダルを踏み込むとシルフィードに後退の指示を出した。
シルフィードはソノイの言うとおりに機体を動かし、マルチガンを盾代わりにして敵の拳を受け流す。鉄球のような拳だ。指がない。
翼を広げブースターを広げると、シルフィードは一歩飛び退きカートと対峙した。
「紅炎! 今のダメージは!?」
『ちょっと待って、右腕に軽度の……って、これあんたコパイの仕』
「まだいけるわよね! 次、いくわよ!」
『あたしがパイロットだーっ!!!』
ソノイと共にシルフィードが機体を持ち上げ、そこでついにユーヤーのトマホークが立ち上がった。
「リフトオン。最終調整チェック……」
量産型モビオスーツ・トマホークが翼のフィンを動かしバーニアに光りを灯す。
「正面に大型カートが二、背後に五」
シルフィードを後ろにして、トマホークがマシンガンを構え威嚇射撃をする。基地正面ゲートにいる敵と同じく、基地南側にも敵勢力と、味方の小隊が攻撃を受けていた。
トマホークはマシンガンを上空へ投げた。
「オーダー、敵を排除する」

熱く小さなそよ風が、砂とともに舞い上がる。ゲートと基地とトマホークの翼に、赤い太陽の光が映る。
赤さびと黒煙の漂う世界でほんの束の間。一瞬の静寂。
銀色の閃光が、赤い世界に輝いた。
トマホークが抜いた小さなブレードソードだった。
カートが音もなく左右に割れて血しぶきを上げ、続いて後に続くカートが一歩足を引く。
トマホークもカメラアイを搭載している。
冷酷に状況を分析し、敵を見抜いて青白く輝く機械仕掛けの一つ目。赤く不毛な世界を冷酷に睨む。
ふたたび小さな横風が吹いて、世界が動いた。
トマホークの翼に光りが入る。
開かれたブーストが悲鳴を上げて、一瞬でカートとトマホークの間が詰まる。カートは腕を伸ばして防御の構えを見せた。
青白い光りが渦状に腕を絡め取り、次いで銀の光りがカートを切り裂く。
ほんの一瞬間を置いて、カートが絶叫を上げて身を捻らせた。カートにも口はある。叫び、音を漏らし呼吸をするだけの、生きるための器官はある。
空を舞っていたマシンガンが落ちてきて、トマホークはマシンガンを受け取るとカートに銃口を向けて構える。
銃撃は一瞬が三回だった。三連射を数度に分けて頭に受けて、肉の塊は崩れて死んだ。
『次のターゲット』
「ユーヤー?」
『ターゲットを殺す』
地上戦は、すでに決着がつきつつあった。
クローンたちが残った小物のカートの掃討戦にうつり、敵は倒れた大型カートを残して逃げていく。
地平線の向こうで白煙が上がり、何かが飛び上がって白い飛行機雲を延ばし始めた。
「ミッションコンプリートだ! カート共は撤退を始めた」
グレイブの操るトマホークが、しばらく空を飛んだあとに翼を畳み降りてくる。
「上出来だ! カート共は我々サテロイドフォースの、圧倒的な戦力を前に敗走を始めた。我々の勝利だ」
間接を延ばし、砂地に足を接地させた赤色のトマホークがシルフィードにカメラを向けた。
カメラの色はユーヤーのトマホークと同じで、青白い。
荒野に散らばったカートの残党を、基地から出てきた物言わぬクローン達が追い詰めて一つずつ、処理していく。
それ以外に、荒野に動く者はいない。
地平線の向こうでは、生きてゲートを越えられなかった友軍の車列から黒煙が昇っていた。
「仕方がなかった。だが悔やんでも仕方がない、我々には、生きて迎えなければならない明日がある。さあ、次の仕事だ」
「次の仕事!? 大佐、あの、私たちはこれからどこに……」
「聞いていなかったのか! 俺たちは人間共の代わりに、負け続けのこのクソッタレな戦争に勝つためにこの山を越えなければならない! 向こう側で足止めを食らっている、味方を助け出すためにな!」
『味方を助け出す前に、こっちが助けてもらうことになりそうだけどー』
「何か無駄口叩いたかおしゃべりティンカーベル! お前の仕事は早くこのひよっ子を、一人でもちゃんと飛べる一人前の兵士にすることだっただろう」
『教える前に勝手に動いてくれたんだけどー。でもってあたしのシルフィードを危険にさらしてくれたっ』
「それは大変だったな! 今日からお前が子守をされる番か!」
『冗談!』
グレイブのトマホークがシルフィードを振り返り、腕を肩の上に乗せた。
「初めてにしては、よくやったな。だが戦場はいつも誰かが死ぬ場所だ。次は敵が死ぬか、お前か仲間の誰かが死ぬ番だ」
「は、ハイっ」
「ユーヤー少尉!」
迎えの大型降下艇がやってきて、頭上で機体受け入れ用のラックを解放する。
「何かあったか」
「いいえ何も。異常はありません」
「そうか! では、出発する! 搭乗開始!」
「ソノイ少尉」
グレイブのトマホークが軽く翼を開き、降下艇のラックに肩を預けるその間にユーヤーのトマホークが地面に落ちていた何かを掴んで、ソノイのシルフィードに手渡してきた。
「先ほどはありがとうございました」
「さきほど?」
「生きる命令です。あと、これを」
トマホークがシルフィードに渡したのは、ソノイの小さな拳銃だった。
青い一つ目がゆっくり動き、ソノイのシルフィードを見る。
「乗れ二人とも! 時間は待ってはくれんぞ! 次の場所まではこいつが案内してくれる、さっさと飛ぶんだ!」

三機のモビオスーツをラックに固定した降下艇が、ゆっくりと赤い空の下に飛び立っていく。
前方にはそびえ立つ高い山。太陽。砂混じりの風に揺らめくタワー。
タワー上空には、無限に広がる宇宙と新しい世界が。
降下艇は三機のモビオスーツをラックに収めると、高度を上げた。
敵の哨戒線を抜けて、タワー足下にある小さな偵察基地へ向かうために。

【一行、静かな湖畔を抜ける】
人類とカートの戦いがはじまって、時は半世紀ちかく経っていた。
過去の栄光は過ぎ去り、戦線は拡大し続け、人類は未だかつての生存圏奪取に成功していない。
しかし物言わぬ侵略者、カートたちの生息圏だけは確実に広がっている。
眼下に広がる広大な廃墟、丘陵、伐採された森林地帯や蛇行した青い小川。
ソノイたちの降下艇の向こうに、数体の飛行カートが並行して飛んでいた。
「さっきのは辛かったわ」
「シャワーでも浴びてきたらどうですか」
「もう浴びさせてもらったわ。降下艇って言っても、かなり大きいようだから」
ハンガーに懸吊された三体のモビオスーツ、その前に降下する兵や物資を載せるカーゴルームがある。
ユーヤーと他のクローン達は、当たり前のようにそれぞれ持ち場に収まっていた。
「昼間からこんなところを飛べるとは思ってもみなかったな」
クローンの一人が窓の外を覗いて、マスク越しに独り言を呟いている。ソノイもそれに習って外の世界を覗き込んだ。
ソノイにとっては、これが初めての壁の外の世界だった。
「ソノイ少尉、一つ聞いていいですか」
「なにか?」
「少尉は壁外への異動を希望した理由ですが、本当に暇だったからと?」
ダーン! とカーゴルーム内に銃声が響く。見るとクローンの一人が開け放たれたドアから身を乗り出して、併走するカートを銃で撃っていた。
二発、三発と銃声が繰り返される内、クローンは振り返ってソノイを見た。
「暇つぶしにはちょうどいい世界だ」
ソノイは何か言いたげな顔をしたが、そのまま口をつぐんで本当の理由を話すことをやめた。
「ええそうよ。暇だったから」
「暇だからこんなクソッタレな世界にやってきて、みんなで楽しくピクニックでもするつもりだったか」
ダーンとスナイパーライフルが火を噴き、艦と併走している飛翔大型カートの背中に向かって曳光弾が飛んでいく。
「撃って大丈夫なの?」
「撃たなかったらどうなる」
クローンのスナイパーライフルがカートを捉え、銃声がルーム内に鳴り響く。
「このまま何もなければいいんだけど」
「何もないだと!? 何かあるように動くのが俺たちだ、貴様ら喜べ! 戦争だぞ!」
カーゴルームに、ヘルメットを持ったグレイブ大佐がやってきた。
「今から敵勢力圏内にある、我々の前哨基地に突入する! 先鋒は、ソノイ、おまえだ!」
「いきなり私が!?」
「この中で一番足が早い機体に乗っている! 嫌なら残るんだな!」
『残念だけどっ、それはいただけないわー』
艦内放送がかかって、紅炎の声が聞こえた。
「紅炎! キサマ今どこにいる!?」
『どこって、ここだけど?』
「艦をハックしたな!」
『そうだけど?』
足下に整備マシーンがやってきて、見慣れたホログラフィの少女を映し出した。
ラックにはソノイが乗っていたシルフィードが懸吊されて、艦の動きに合わせて小さきゆれている。
『この船、だいぶおんぼろなんだもん』
「勝手に中に入るな!」
『AIは私の侵入を許可してくれたよ? 仕事が減るのはうれしいって』
「ボロコンの言う事をイチイチ真に受けるな! いいか! よく聞けニュービー!」
グレイブは振り返ると頭を掻いて、ヘルメットを片手にソノイを指さした。
「先陣はお前だが、お前は手を出さず情報収集に徹しろ。お前の到着から一分後に我々が基地に降下突入する。地上戦の先鋒は、俺とユーヤーだ、残りのクローンは降下艇と共に降下、お前は上空からの支援だ!」
「また、私だけのけ者ですか!?」
「ニュービーは黙って言う事を聞け! お前には実戦経験がない。それとだな、貴様ら人間は、根性無しのクズのふぬけだ!」
「なにッ!?」
「そのせいで俺たちアンビギューターは、失わなくて良かった兄弟、失わなくて良かった物、あらゆるものを失ってきた。俺たちの戦いは、おまえ達の尻ぬぐいだった! だが壁から出てきたおまえ達には敬意を表す! 表してやる! だが傍観者は傍観者らしく、最後までしっかり見ておくことだ! 野郎共、出撃の準備をしろ!」
グレイブが火の着いた葉巻を床で踏み消し、クローンたちはめいめいに武器のチェックを始める。
「気にしないでください少尉」
圧倒されたソノイの後ろに、いつの間にか立っていたユーヤーがいてソノイの肩に手を置いた。
「大佐はいつもあのような事を言っていますが、おそらく本意ではないでしょう」
「本意? 言っていいことと悪いことがあるわ!」
「大佐は言葉ではああ言っていますが、話の本質は別他にあるのかと」
『よく聞け新米! 新米のお前に俺は厳しく見えるだろうが、俺も好きで言っているわけじゃない!』
突然グレイブの声がどこからとも無く聞こえて来て、ホログラフィの紅炎がまったく同じ口調で口を動かし始めた。
『だが俺様は見ての通り寂しがり屋なんだ! 俺より先に新兵のお前らが死んじまったら、誰が戦場で俺の面倒を見てくれるんだ? お前らの目と鼻の先で俺の頭が光っているのは伊達じゃない、これはお前らのためのビーコンだ! おまえらがいないと、俺は一人でおちおち戦場にも立てやしないからな!』
「何か言ったかこのピコピコ女!」
『べっつにーっ!』
グレイブが銃をスライドして振り返り、紅炎は整備ロボットと一緒に駆け足で逃げていった。
その紅炎のホログラフィが消えると同時に、ソノイの乗機、X―R九九シルフィードの目に青い光りが灯った。
「分かりました、情報収集に徹します」
ソノイは振り返るとクローンからメモリースティックを受け取り、ひらりと翻した。
「ただし、不測の事態があった場合は対応します。それくらい当然でしょう?」
「ふん、お前の乗機の逃げ足は世界一だ。お前に追いつけるカートはいない」
「ソノイ、出撃します!」
紅炎の操作でエンジン始動を始めたX―R九九のコクピットに収まり、ソノイはカウルを閉じさせる。
ラック下部のドアが下方向に開きだし、ソノイは追い風を受けつつエンジン回転数を調整して「キックドア」のボタンを下げた。
「降下! トランスフォームを」
『はいよろこんでー』
『イッテラッシャイ、サージェント、ソノイ』
カタパルト射出の動作と同時にAIが送り出しの言葉を言い、ソノイの乗るX―R九九はラックを飛び出るとファイターモードへと変形した。

「大佐、奴らが動きました」
敵を警戒していたクローンの一人が、偵察窓から身を乗り出しグレイブを振り返る。
グレイブはクローンの肩を押して窓からどかせると、そっと青い空の彼方に併走する二体のカートを覗いた。
「確かか、いや食いついたな」
「どうしますか?」
ソノイ・オーシカのX-R九九が排気ノズルを動かしハンガーラックから飛び出ていったとほぼ同時に、カートたちに動きが出る。
翼を生やしゆっくりと飛翔を続けていた中型カートが、体を傾け徐々に接近してきたのだ。
「敵との距離は」
「およそ二十。五分後に最接近します」
『ケイコク、併走艦二隻ガ、我ガ艦艇ニ接近中』
「計画通り、だな」

第四章 ユーヤーの戦い
「グッドニュースだ!」
グレイブがふっと笑い、装甲服で固めた腰に手を当てる。
窓の外でソノイのX―R九九シルフィードが変形を終わらせると、ジェット排気を吐きだし勢いよく降下艇から離れていった。
「タイミングもいい、あの小娘の命を最大限に活かすためには我々が囮となりケツを守ってやった方がいい」
「敵飛行カート上に、複数の小型カート隊を発見!」
「ああ神よ! 狩人の神よ! 死に神よ! 我々は感謝します新しい獲物、生け贄を寄こしてくれたことに! 感謝だ!」
ユーヤーは上を仰ぐグレイブに身を寄せると、そっとその耳に問いかける。
「まさか、敵を迎え撃つつもりですか?」
「それがまさかなのか?」
グレイブは逆に驚いた顔で、ユーヤーを振り向いた。

【艦内迎撃戦】
「カートの数が増えている」
高度を保ち巡航速度を維持する降下艇に、翼の生えた大型カートが近づくとユウヤはつぶやいた。
クローンのスナイパーがスライドを引き、次弾装填と同時に的を絞って引き金を引く。
発砲音と同時に翼面上のカートがぽろりと落ちたが、大型カートに乗り込んでいる小型カートたちの様子に別段動きはない。
「乗り込んでくる気か」
「総員、第一種戦闘配置だ!」
グレイブがヘルメットをかぶり、機内を赤色の非常灯が照らす。
アンビギューターたちが互いにアーマーをたたき合い、銃のスライドを引いて弾を装填した。
ユーヤーは決めていたことがある。
仇を討つこと。
この腕、この体、この足は、すべて死んだ兄弟たちの物だ。
「ユーヤー、部下を連れて上のレベルに行け! このレベルは俺がつく!」
「イエッサー」
グレイブが指示を出し、ユーヤーは兄弟とも言える別のアンビギューターを引き連れて降下艇の二階へと駆け上がった。

しばらくすると降下艇の自動防衛砲台の発砲音がやんだ。
階段を駆け上がり配置に着くと、艦が風を切りさき飛んでいる音が、窓枠の外から聞こえるようになる。
ユーヤーは黙って通路を指し、アンビギューターが物陰に入ってゆっくりと銃を構え安全装置を解除した。
別のアンビギューターも物陰に隠れ、いつでも撃てるようスタンバイ、ユーヤーも頷き銃を構えた。
外で、トカゲのカートの鳴く声がする。
尖った鼻、白い牙、根付けと古い鎧をならす音。
窓枠の外に大きな影が写り込み、次いで艦が乱気流に巻き込まれたように上下に激しく揺れだす。
「ぐっ!?」
「敵、前方に来ます!」
上部ハッチの隙間に何かが差し込まれ、破裂音と同時に白色光線と白い煙があたりに立ち視界を覆う。
アンビギューターたちはありったけの武器を構え持ち場に籠もると、冷静に照準を合わせてグリップを握った。
「敵は強い」
誰ともなしに声が響く。降下艇が激しく上下に揺れて、床に固定されていないレール上の滑車が滑った。
「敵はすばしっこいだろう」
「いやパワー型だ」
「カートのクズ共め!」
「どっちでもいいから撃ち殺せ!」
ハッチが爆発し、武器を持った獣共が押し寄せてきた。
アンビギューターは死を恐れずに、敵に照準を合わせると引き金を引いた。
カートが吹き飛ぶ。二体目のカートが死体を乗り越え原始的な銃を構える。
別のアンビギューターが火線を交差させるように敵を撃つ。三体目が死体を乗り越え武器を構えた。
撃つ。倒す。撃つ。倒して乗り越えられる。撃つ。掴まれる。横殴りに吹き飛ばされる。
「クソッ弾が出ない!」
カートが投げ斧を構えバリケードを乗り越える時、足下で必死に装弾を繰り返すアンビギューターがいた。
カートが足下のそいつを引き上げ、首を絞めあげ殺そうとする。
アンビギューターはあがきカートの腕から離れようとするが、力が足りず思うように動けない。そのとき至近距離から誰かが、手榴弾を思い切り投げてカートの頭に直撃させた。
カートは驚いた拍子に後ろに倒れ、甲高い奇妙な声を張り上げてアンビギューターを手放す。
放り出されたアンビギューターは意識朦朧としてその場に立ち上がろうとしたが、別に飛び出てきたアンビギューターがクローンの頭を持って床に抑えつけた。
手榴弾が爆発し、カートが吹き飛ぶ。
「引け! 遅滞行動を続行する」
赤い肩章、旧タイプのクローンの生き残りであることを示す赤いヘルメット、古いアーマーに、あべこべの識別用カラーライン、ユーヤーがクローンガンを構えると味方クローンに指示を出す。
死守することを旨とした物言わぬ駒たちは、ユーヤーの指示に従ってゆっくりと後退する。何体か傷ついたクローンが瓦礫下から銃撃を続行したが、ユーヤーが力づくで彼らを後方へと引き上げさせた。
「なるほど敵は強いな」
瓦礫を乗り越え、バリケードを崩し、倒したクローンの手足を棍棒のように振り回し武器すら流用して使ってくる。
物言わぬ獣の寄生体ども。
ユーヤーがお返しにクローンガンを数発撃つと、カートの一部が吹き飛び一瞬だけ中身が見えた。
病気としか思えないほど透き通った肌色に、痩せた体、浮き出た欠陥に血走った目と、牙。
それを、どろどろに溶けた灰色の肉が覆って包み込んでいく。
かつての自分たちの親友であり、かつて自分たちの兄弟でもあり、友であり、仲間であり戦友だった、かつての自分がそこにいる。
それはかつて、どこかで死んだ自分たちの知らないアンビギューターだった。

肉に覆われ、肉腫に包まれ、醜い獣と化したかつての同胞たちが銃を向ける。
警報が鳴る降下艇の廊下は、すでにカートの攻勢で溢れていた。
倒れた死体をさらに飲み込み、死んでもなお戦いを続ける不死身の死体はまさしく恐怖。
なお、攻勢を衰えさせない動く屍を前にアンビギューターたちは決死の反撃を続けた。
これほどまでに無意味な戦いはあるだろうか。
味方がじりじりと格納庫まで追い詰められていく。
死か獣か、それともこれが敵なのか。
「クソッ! クソッ! クソッ!!」
新米のアンビギューターがクローンガンを乱射しカートの列を打ち砕く。
カートとは、あらゆるものを飲み込み動く物体と化して使役する灰色だった粘菌のような肉だった。飲み込まれた死体の方は、ただ肉の粘菌に操られているにすぎない。
取り込まれた物は知性のあるなしに関わらず動物のように這い、うごめき、物をいわず朽ちて干からびるまで戦い続ける。
撃たれた骨が砕けて飛び散り、内側から見覚えのある姿が覗いて目を開く。物言わぬ口をあけて牙を剥くが、そののど元からはうめき声しか聞こえない。
砕かれた肉の仮面から苦しそうな顔が覗いて、苦しそうに藻掻いて倒れる。その足下から、新手のカートが立ち上がって猛然とガンを撃った。
「撤退しましょう!」
「バカ野郎! これ以上どこに逃げるつもりだ!」
「少尉! エンジンルームの隔壁が内側から突破されました!」
「内側!?」
殴りかかってくる肉の塊を拳で跳ね返しつつ、ユーヤーは味方を振り返りその言葉を聞き返した。
「内側からだと?」
「感染者が艦内に紛れていたようです」
艦内の重要区画は、すでにカートたちに飲み込まれつつあった。

隔壁ドアが自動で落とされ、蠢く肉の塊を二つに分断する。
ちぎられた肉片がうねうねと動いて苦しそうに藻掻くが、そのうち新しい死体を手に入れるとゆっくりと全身を持ち上げた。
「警告、ココハ制限エリアデス、セキュリティシステム、起動」
艦の防衛システムが自動で立ち上がり、蠢く肉片を捉えて銃座を降ろす。しかし取り込まれた死体が着けていた識別チップに翻弄されてうまく敵をロックできない。
「このッ、ポンコツが!」
ユーヤーは肉に取り込まれ動く装甲服と成り果てた仲間を撃った。しかしゆらゆらと揺れる肉片に照準がうまく合わせられない。
そのとき後方から誰かのスナイパーライフルが火を噴いた。
「俺に任せろ! まずは一つだ!」
名もないアンビギューターが速射を決めて、肉片に取り込まれた仲間たちを装甲服ごと吹き飛ばす。
飛ばされたヘルメットが消火装置のトリガーにあたり、床一面に消化剤がぶちまかれた。
肉片は止まらない。なおも肉を食らって増殖を続けると、次の獲物に狙いを定めて勢いよく前に跳んだ。

肉が跳んだ先にはアンビギューターがいる。必死に銃を乱射して肉を撃ち落とそうとするが、肉の塊は悲鳴一つあげずにターゲットを落とす。
藻掻く同胞に、アンビギューターはなすすべがない。アーマーの隙間に肉が食い込み、喰われたアンビギューターがあああと悲痛な声を上げて小さく痙攣して、静かになる。
ユーヤーは仲間の頭を撃ち抜いた。
「これしかなかったんだ」
撃たれて静かになったアンビギューターを見下ろし、ユーヤーは死んだ仲間のヘルメットの顎紐をそっと結び直す。
カートはこうやって次々と増殖していく。自分たちに勝ち目はない。
だが無限に増殖していくカートたちが無敵であることはなかった。
「やつらが持つのは本能だけだ。考え無しに動くやつら。組織の頭を狙え、カートではない奴がどこかにいるはずだ」
「敵の指揮官ですか」
「そういうことだ」
「カートの指揮官とは?」
通信士が味方の指示を仰ぎ、その後ろから全身が白いアーマーのアンビギューターが身を乗り出してユーヤーに問いかける。
「そんな敵、見たことありません」
「おまえはまだ作られて若いのか」
「イエッサー! 戦歴はあなたと同じです」
「そうか。シミュレーターと実戦は違う」
「ユーヤー少尉!」
隣で話し込んでいた通信士が振り向いた。
「ターゲットが反対側から来ます。最悪な展開だ」
隔壁ドアが乱暴に殴られ、中央部に大きなへこみができる。
ユーヤーは腕を振ると味方にハンドサインを出した。
「いったん味方がいる場所まで引く、奴らをハンガーまで誘導しよう」
「了解です」
アンビギューターの通信士を先に廊下へと逃がした後、新兵に守られながらユーヤーも後に続く。
ノーマル肩章を付けた新兵は死んだ仲間からスナイパーライフルを受け取ると、スライドを引いて弾を装填した。
「安らかに眠れ、兄弟」
火災消火装置が誤作動を起こし、スプリンクラーから大量の水が廊下に振りまかれる。隔壁ドアに穴が空き、吹き飛ばされたのはその時だった。
「オオオオアアアアアアアアアアアーーー!!!」
激しい咆哮と獣らしい鋭い犬歯を覗かせて、巨大な生き物が姿を現す。
ユーヤーは壁際から手榴弾を投げた。バーヴァリアンは投げられた手榴弾を見て拳を引き、足先で蹴って手榴弾をはじき返す。
手榴弾が飛ばされた先はもう一つの穴だった。そこからは、カートが出てきてアンビギューターたちの撤退路を塞ごうとしているところだった。
手榴弾が爆発する。カートたちは吹き飛ぶ。なおも後から沸いて出てきて死体の山を築いていくカートたち。
「カイン、ゼクト、やつらを食い止めろ!」
「言われなくたって!」
「どうせすぐ後を追うことになる」
カイン、ゼクトと呼ばれた古参のアンビギューターが前に出て、ロッドから火炎放射をはじめる。
水に消えない火の塊だ。
白い消化剤が巻かれる廊下に赤黒い炎が飛び出し、バーヴァリアンは燃えながら拳で巨体を守ろうとした。
「やったか!?」
「あぶない!」
炎と消化剤で何も見えなくなった一瞬の隙に、何かが真横に伸びて腕を突き出す。
「!」
カインと呼ばれるアンビギューターが拳で吹き飛ばされ、勢いよく壁に叩きつけられる。
人間の身長の約二倍の高さ、肉食獣の口と牙、指が退化し敵を叩きつぶすためだけにあるような拳。
バーヴァリアンは、捻った上半身をゆっくりと元に戻した。
腰から垂らしたボロ布は、この生き物に僅かながらも知性があることを意味している。
「ここで楽にしてやろう!」
アンカーケーブルを駆使してバーヴァリアンの背後に回ったもう一人のアンビギューターが、腰の短剣を手に持ち首筋に刃を立てる。
ゼクトは勝利を確信した。だがその腕を、何者かが素早く叩いて通りすぎていく。
「なに!?」
ゼクトの腕は切れていた。
白いアーマーの断面に、赤色の肉、薄黄色い骨が露わになる。
「うおおおおーっ!? このっ! よくもオレの腕をおおヲヲヲ!!!」
目の前には新種の生き物、小柄で華奢だが手足が長い女性型のバーヴァリアンが立っていた。
澄んだ蒼眼に決して豊かとは言えない硬い表情、ゼクトが足下の武器を拾い反撃の構えをとると、女性型バーヴァリアンはニイと笑った。
分かっている。これが俺たちの戦いなんだ。
「援護だクローン! 奴の足を食い止め、味方の支援を要請しろ!」
「少尉!」
通信士がクローンガンを肩に担ぎ、ユーヤーを見る。
「通信が混乱しています。内部から新たな敵の攻勢が」
「内部からだと! 敵は誰なんだ!?」
ガシャリと、目の前にアンビギューターの中身のなくなったアーマーが落ちてくる。ユーヤーはガンの照星を冷静に敵に合わせるとトリガーを引き絞った。
それぞれの思惑がそこら中で交差し、定まらない情報と言葉の錯綜、目の前では敵に取り込まれた味方が錯乱した様子で銃を撃ちまくって悲鳴を上げる。
「クソッ、狂っちまいそうだ! これが壁の外なのかよ! まるで悪夢だ」
「俺たちらしいじゃねえか」
腕から血を流しながら、緑のカラーリングをしたアンビギューター・ゼクトが顔を上げる。
「命がけの空のデートだ。楽しもうぜ獣ども」
腰に武器の短剣を回し、切られた腕を後ろにして組み手の構えを取る。
「いっそこのまま死ねると思ったのに」
脇で叩きつぶされていた黄色いアンビギューター・カインが立ち上がった。
「さあこいバケモノ共! 兄弟の仇だ! 全員まとめてひねり潰してやる!!」
「少尉、指示を!」
新兵のアンビギューター、通信士のアンビギューターもともに武器を取りユーヤーの前に身をさらす。
ユーヤーは己の武器を構えていつもの指示を出そうとしたが、ふと前に自分自身が受けた命令を思い出して自身の口を止めた。
「……生きろ」
「は?」
ユーヤーは自分で、自分の口から突いて出てきた言葉に一瞬戸惑いを覚えた。
だが疑問は確信に変わっていく。
「生きろ。生きてこの地獄から抜け出すぞ、これが小隊に課せられたオーダーだ」
「死んでも命令を守れ以外の命令を聞くとはね」
壁際からアンビギューターの嫌味が聞こえた。
バーヴァリアンが口を歪ませ、倒れていた巨体のバーヴァリアンがゆっくりと体を持ち上げる。
「死ヲ恐レルヨウニナッタカ、死ニ損ナイノ、機械ノ兄弟」
「ケッ、臆病風が吹き出したか。だがそれも悪くない」
「誰か忘れてないか? 俺のことだ!」
アンビギューター・ゼクトの剣が鋭く光り、バーヴァリアンのブロンドの髪を切りつける。
バーヴァリアンが短剣を、同じくナイフで受け止めた。
巨体が再び立ち上がり、通路中に破片をまき散らしながら大きく咆哮を上げる。
ユーヤーは照準を絞り、相手の眉間を狙った。目が真っ赤な、カートと同じ、赤色の獣。
「死ね!」

【生への妄執と虚言】
艦の外側から内部へと侵入を果たした生きる獣、カートとバーヴァリアンたちは勢いよく艦全体を把握していった。
戦線の広がり方の速さは尋常ではなく、まるで敵組織が一つの生き物のように無駄なく通路の四方を覆い尽くしていく。
それでも艦には味方の兵たちが多く配置されていて、練度と士気、数、それから追い詰められている者独特の勇敢さがカートたちの進撃を防いでいた。
追い詰めるものと、逆襲を企むものの戦いが続く。
艦を自身の母艦として過ごしてきていたアンビギューターにとって、負け続けの防衛戦は決して不利ではない。
「いい戦いだ」
部隊の再配置を艦橋でモニターしていたグレイブは、画面越しにユーヤーたちの奮闘をみていた。
一人ずつ死んでいくアンビギューターに、どこからともなく現れては戦い始める無言のカートたちを見て感動した。
興奮もした。
「戦え! そして死ね! すべては負けを望む人類のためだ!」
アンビギューターの決死の戦いを艦内で見ているグレイブにとって、勇敢な兵士と最強の捨て駒でもあるカートの肉弾戦は見ていて快感を覚えるものだった。
そして、自身の使命をまっとうするために人知れず戦う己の存在感も見いだしていた。
「すべては人類が決めた事だ。壁に籠もり、死を許容し、自ら破滅を望んでいる俺たちの指揮官が望む未来は破滅だ。軍人の本分は、死んでも使命を果たすことだ」
グレイブは手に持つ携行用記録装置の蓋を開け、そっとモニター脇の差し込み口へとソケットを入れ込んだ。
『サー、自沈プログラムガ発見サレマシタ』
「指示があるまで実行を待て。おまえは命令を聞けばいい」
『イエッサー』
古い旧式AIがグレイブに答え、周りのアンビギューターもこの不穏な会話にまったく興味を示さない。
「軍人の基本は命令に忠実、そして、命令を実行することだ。それ以外の思考などいらん、イレギュラーは全力で排除せねばならん」
『サー、敵ガ艦内カラ敗走ヲ始メマシタ』
「撤退? ふん、らしくないな。どこに逃げる気だ?」
三次元艦内マーカーの中に、赤と青の点滅がいくつも連なっている場所がある。確かに敵の赤マーカーが移動を開始しているが、その先には行き止まりしかない。
先ほどまで赤い点で満たされていたエンジンルームは、今では青色が集まっていた。
他にも縦と横に入り組んだ艦内通路の各所には組織だって反抗を始めた、アンビギューターの小隊が配置されている。
「いい戦いだ! カートもアンビギューターも似たような動きをしてくれる!」
『艦外部ニ、待機中ト思ワレル複数ノ中型カートヲ確認シマシタ』
「奴ら味方ごとこの艦を、自分たちを沈める気だな! だがそれもいい」
ソノイが艦を出て行った今、艦内には自分と自分の命令に忠実な駒しかいない。
艦橋、空調施設から黄色いよだれのようなものが垂れてくる。それから細い触手のようなものが伸びてくると、計器を操作するアンビギューターやグレイブたちの頭の上でゆっくりと形を変えた。
グレイブは腰の拳銃をとって天井のカートを撃った。
「人類の未来を手助けする、俺たちの使命の邪魔をする者はたとえ誰であろうとも許しはしない! 邪魔をする奴らはクソッタレな、人類の敵だ!」
グレイヴは迷い一つ無い澄んだ眼をして敵を振り返り、それからなんの疑問も持たずに自殺プログラムを遂行中の部下たちを見つめた。
仮面をかぶり冷静に、何も考えずに指示を待つ部下たちに、グレイブは笑った。
「みんなよく聞け! これから俺は、艦の外側に張り付いている臆病者のカートどもを皆殺しにする! そのためにモビオスーツを起動しこの艦から出る! 今から生きてるパイロットどもにカーゴルームに集まるよう指示しろ! 残った貴様らは、艦と共に死ぬまで戦え!」
「イエッサー」
『警告、十二時ノ方向ニ、小型ノ未確認機ヲ発見!』
「未確認機だと?」
グレイブは腕時計を見た。
イレギュラーか? どこからやってきた?
それからマーカーデスクを見る。
「未確認機だと?!」

【閉ざされた世界】
紅炎とソノイは空を飛んでいた。
眼下に廃墟と点在する森、荒野と誰もいなくなった平野が広がっている。
雲一つない、大きな世界。そこには見たこともないものが浮かんでいた。あれは過去の大戦で放置された浮き砲台の残骸だ。
『エー右手に見えますのはー』
「ずいぶん呑気そうじゃないの」
細かい飛翔体がソノイたちに体当たりを繰り返してくる中で、ソノイは紅炎に毒づいた。
『あれがうちらのマザーシップだったって知ってるからね。それにここはあのグレイヴと来た事あるし。あとあっちにあるあれね、インビジブルっていうの』
遠くに浮き砲台の一つが、千切れた白い雲を連れて空を漂っている。
動いている気配はない。
「あれがインビジブル?」
『違う違う、インビジブルはあっちの小さい方。手前のでっかいのがマラグィドールよ。あたしたちのマザーシップはマラグィドールのほうね。あとその向こうにあるのが、この世界のしょーちょーのタワー』
「どこに続いてるの?」
『争いのないセカイ』
シルフィードは大気にエンジン音を響かせながら、青い翼の先端に小さな飛行機雲を引かせて螺旋を切った。
『ここらの地図なら任せてヨ!』
「みんな生きてるの?」
『仮死状態だよ、わたしたちが帰ってくるのを待ってるんだってさ。グレイヴのハゲがいってた』
「待ってる」
『うちらの目標はあそこね!』
眼下の崖の上に、小さな集落のようなものをソノイは見た。
「あそこが今回の目標?」
『わたしたちの前線基地だったはずの場所よ。最近は定時連絡が無くなっちゃったんで、あのオッサンも気にしてたってワケ』
「とにかく、急いで降りてみた方がいいわね」
ソノイはスティックを操作すると、エンジン出力を落として着陸の態勢を整えた。
紅炎が呆れた声をだす。
『ほらやっぱり。言うと思ってたよ、見るだけでいいっていわれてたのに』
「気になるじゃない。こんなところに、置いてきぼりにされた人たちがさ!」

トカゲ型のバーヴァリアンがちろりと舌を覗かせ、空の彼方から降りてきた機械仕掛けの人型を見あげる。
地上には岩肌と、スクラップ化した戦闘車両の残骸だけ。死体はない。
バーヴァリアンをけちらしてX―R九九シルフィードが強行着陸を試みると、前線基地はものの見事に無人と化していた。
「やっぱり、誰もいない」
砂煙を上げながら脚を延ばし、シルフィードは体勢を整えて武器を取り出した。
携行型のマルチガンにブレードソードを内臓した、X―R九九シルフィード専用の武器だ。
突然現れた人型のシルフィードに恐れをなして、低級バーヴァリアンのトカゲは岩陰に隠れてしまう。
ソノイはふと思った。
「あのさ。前々から思ってたんだけど」
『なにさ』
「背、低くない?」
 シルフィードは二脚体勢になると、周囲警戒を保ちながらゆっくりと基地内を歩き出した。
 交互に脚が動いて、しっかりと大地を踏みしめる。ファイターのノーズカウルが前方を向いてセンサーを開き、逆間接型とも言われる脚がくの字型で本体を前へ移動させる。
「……これが最近の流行なわけ?」
『心配ご無用! ほら、エート、これでも充分かっこいいじゃない?』
 シルフィードは歩行移動を終わらせると、ゆっくり体勢をあげた。航空機に脚が付いて伸びた形の、半人型形態だ。
『足があって歩くんだから、他の人ともだいたいおんなじ形だよ』
「気になるわこの形」
 煙を吹く味方機の残骸。足下には無数の抜け殻、中身のなくなったアーマーだけが転がっている。
 近くの岩陰からはバーヴァリアンたちがこちらを覗き、燃え残った燃料が白い蒸気を漂わせていた。
「ここ、味方の基地なんだよね?」
『そのはずよ』
「なのになぜ?」
 戦闘で破壊された割には、綺麗だ。攻撃された形跡がどこにもない。ただ、内側から燃え上がって破壊された形跡だけがある。
「誰かいる」
『えっ?』
 半壊したゲート、格納庫の向こうで何かが動く。サークルスキャンセンサーに赤い光点が示され、ミサイル警報が機内に響いた。
 シルフィードは半歩退いて翼を開くと、いったんエンジンを吹かして距離をとる。
 赤い眼光。無骨で四角く直線的なフォルム。中から姿を現したのは、味方のトマホークだった。

 後続。ソノイたち先行機体の後を追う灰色の降下艇。
 そのさらに後方の空から、黒い排気ジェットを吐き出しながら接近する複数の機体があった。
 火を噴く降下艇でわずかに生き残った対空砲台が後ろを振り返り、謎の機体とカートたちに弾幕を張る。
 迫りくる謎の機体に、生き残ったアンビギューターが穴から外を覗いた。
 ユーヤーがヘルメットを抑えコムリンクに手をかける。
「あれは味方機だ! 攻撃中止! どこから飛んできた!?」
『所属不明機、後方ヨリ接近中!!』
 抑揚のない声が廊下中に響き、対衝撃姿勢をとるよう通達を続ける。
 トカゲのバーヴァリアンが棒をとって振り回し、足下に転がる仲間の死体を踏みつける。ユーヤーは近くの取っ手を握り身構えたが、その瞬間に降下艇が舵を切り始めた。
 降下艇が姿勢を傾け、上下を逆さまにしはじめる。バランスを崩したカートやバーヴァリアンたちがその場でひっくり返り、爆発でできた穴から外に落ちていく。
その穴から、新たな乱入者の姿が見えた。
 謎の戦闘機の機銃掃射で、艦外に落ちたカートと大型カートが撃ち抜かれる。
「味方!? こいつ」
 ユーヤーは不安になった。味方機が撃った射線には今さっきまで、自艦があった場所だ。
「こいつで仇を!」
 近くのアンビギューターが武器をユーヤーに振りかざし、上下がひっくり返った廊下の上から武器を投げてくる。
ユーヤーは武器を受け取ると、スナイパーライフルを構えた。
「相手が誰であろうと、こいつで終わりだ!」
 味方のアーマーを貫き、赤く染まった腕から血を滴らせて身動きの取れなくなったバーヴァリアンの胸に銃口を向ける。
 バーヴァリアンは、かつての仲間を食らっていた。
 銃口を向けられ、観念したのか白い牙を覗かせ笑っている。
「き、効くのか……こんなバケモノに! こいつが効くのかァ!!」
 ユーヤーはトリガーを引いた。

 謎の味方機は六筋の黒煙を残して艦直近を通りすぎ、ついで九十度近い角度で上昇を初めて青空へと向かう。
 機体は三機だった。それぞれが黒い翼を翻して雲を突っ切ると、反転して機首を下に向け降下艇に対して急降下してくる。
 バーヴァリアンを撃ち殺したユーヤーは、翼を翻す謎の味方機たちの一連の動きを見た。
 白い太陽を背に、味方機の黒い影が覗いて脚と腕部を伸ばす。
 遠目に見ても分からないあの不穏な動き。ユーヤーはコムリンクのスイッチを入れた。
「敵だ! 対空砲撃て!」

 降下艇が舵を切って姿勢を傾け、操舵の勢いで死んだカートやバーヴァリアンの死体が割れ目からバラバラと地面に落ちていく。
 生き残った大型カートの翼を、黄色い火線が貫く。カートは血しぶきと肉片だけを残して爆発して吹き飛んでいく。
「大佐! 敵襲です! 新手の敵!」
『了解だ、今すぐそいつらを排除してやる! お前らはこの艦を死んでも守りきれ! 死守だ!」
「イエッサー」
 新手の敵が艦に飛び乗り、ぎちぎちと音を立てて頭をもたげる。
 赤い目、白い装甲板、かつての味方が敵となって自分たちの前に立ちふさがる。
降下艇のカーゴハッチから、グレイブ大佐のトマホークが出てきて敵対兵器群の前に立った。
『ふふふよくやった。あとは俺がやる。お前は死守だ』
『了解です』
 ユーヤーのコムリンクに大佐のいつもの声がきこえる。大佐の声は、いつも通り何か含んだような声だった。
だが、ソノイのオーダーとグレイヴのオーダーが食い違う。
「死ねと?」
『何を考えているんだ、お前たちは考えるな。俺たちは、使命を完了することでしか生存を認められていない』
 グレイブのトマホークがアックスを抜き出し、風の唸る甲板上で左腕、右腕を持ち上げて構える。
 三機の味方機たちも腕をあげ、機体を風に唸らせて格闘戦の構えをとる。
 交差する視線、両者は甲板上で睨み合い、風圧に重い機体をきしませた。
 一機がグレイブ機ににじりより、素早く鋭い突きを繰り出す。
 それを大佐の青いトマホークが横に避けてなぎ払う。
 鉄と鉄がぶつかり合い、赤い火花が飛び散り、なぎ払われた旧式の敵が鈍い悲鳴を上げた。
『さあ来いバケモノめ! 次に死にたい奴はどいつだ!』
 動きを止めた一機目が徐々に崩れ落ち、下半身だけを残して風の彼方へと飛んでいく。
 降下艇の下から次々と、今度は無数の旧式たちが上昇してきて白い帯を引いた。
 二機目と三機目の旧式たちが引く。

「敵! どうやらかこまれたようですね」
『すこし分が悪いな』
「少し?」
 グレイヴは旧式たちの前に互いに一歩も退かず、アックスを構えた。
 次々と湧き出てくる旧式たちに囲まれ、ユーヤーたちの降下艇は空の上で孤立している。
「?」
『どうした?』
 風の音?
 ユーヤーは大佐たちの戦いとは別の方角に何かを見つけて振り返る。
 音がする。風の音。
 さらに別の……今度は別の、赤い所属不明機が後方から迫る。

第五章 分かれ道を進む者たち

 ソノイたちは一足先に、陥落した旧前哨基地への突入を終わらせていた。
 そこは廃墟だった。いなくなった味方に、残骸と化したドックと壁と、空を向いて動かなくなったエネルギー砲台の数々。
だが、おかしい。
目の前にいるトマホークたちはまだ生きているようだし、基地自体も致命的な攻撃を受けた様子はない。

【獣の問い】
 赤い光を灯す二脚型の味方機トマホークは、すべて牽引用ワイヤーで地上にロックされていた。
 パイロット乗降用のハッチは開けられている。ただ電源は入っているのか、淡い赤色の光りがカメラには灯っていた。
『やっぱり生きてるみたいね』
「死んでるわよ」
 ここは基地としての能力を失ってから、長い月日がたっているらしい。
 切り立った崖と崖に挟まれて天然の要塞と化したこの小さな基地に、滑走路が一本敷かれている。
 上空の青空は、狭くて息苦しい。
 下級バーヴァリアンがちろりと下を出して岩陰を走り抜き、ソノイたちが油断しハッチを開ける時を縦筋の目で覗いていた。
「そもそもおかしいのよ。味方の基地に『突入する』っていうのが。おかしいと思わない?」
『ソノイちゃんはそれを一切聞かないでここまで来たもんね』
「あの状況で詳細を聞けって方がおかしいわ!」
 ソノイはぐっと手を握った。
「それに、あいつもいろいろおかしかった」
『あいつが?』
 脚を伸ばしたシルフィードがいったん空を見あげて、それから半壊したドックの方を振り返る。
『なにかあったの?』
「何か含んだような言葉っ、大切なことは言わなかったり、黙ってるのなんてバレバレなのよっ」
 ソノイは無線のスイッチを全軍共通の周波数帯に切り替えた。
 聞こえてくるのは、微弱ノイズのみ。
『話題変えてもいいー?』
「いいけど」
『ソノイちゃんなんでこんなとこに来たわけ』
 ソノイはシルフィードのコクピット内で、自分にできることを続けていた。
「暇だったからよー」
 シルフィードは半自動操縦の可変型モビオスーツ、操縦者は電子生命体の紅炎というちいさな女の子。
 機体は、シルフィードはソノイの許可がないと何もできないようセットされていた。
 詳しくは分からないが、どうやらある種のセーフティがかけられているようだ。
『うそだーっ』
「じゃあなんだと思う?」
 ソノイは破棄されたモビオスーツの一つ一つをスキャンしていき、安全性の確認もしていく。
 生命体反応無し。動く物もなし。画面が切り替えられ緑色の背景に、機体の輪郭が浮き出す画面になる。
 シルフィードの頭部も、ソノイの目の動きに連動した。
「リアルに作られた偽ものの空がね。気に食わなかったのよ」
『あーあの壁の中の?』
「そっ。にせものだって分かったら、本物の空が見てみたくなるじゃない。私はなったわ。あなたはどうして空を飛んでるの?」
『えっわたし? そんなのカンタンだよー、こうしてっ、こういうことがっ』
シルフィードの操縦権限が紅炎に変わり、シルフィードはぐっと腰を落として腕を振るった。
『こうやってっ、こうのっ、こうよーッ!』
 背部エンジンの回転数が高まり、シルフィードはふわりと大地を蹴ってパンチとキックを繰り返した。
 揺れるコクピットの中でソノイはしばらく耐え続けたが、しばらくしてシルフィードは「ガッ!!」と音を立てて動きを止めた。
リミッターが発動したようだ。このシルフィードは、何もできないようあらゆる安全装置が全身に施されている。
 ソノイは頭を抑えて横に振った。
「暴れるのは許可しないわよ」
『さっすがーっ。どうせ許可もできないくせに』
「むー!」
 ギリギリギリ、グギィーと錆びた鋼材がこすれあう音がする。
 ソノイは目を上にあげた。シルフィードも前を向く。
 赤い砂混じりの不穏な風が周囲を舞う。
 拳を掲げ、シルフィードのパンチを受け止めているトマホークがいた。
『……カート?』
 紅炎の怯えた声が機内に響く。
 カートの瞳は、真っ赤に燃えていた。

【もう一人のシルフィード】
 風を切り裂き雲を引いて、謎の未確認機がユーヤーたちの降下艇に急接近する。
 渦状に回転しながら飛行する勢いを増し続け、開いた脚部ハードアクチュエーターが前方に立ち尽くす障害物と敵機たちを蹴り上げる。
 グレイブのトマホークは避けた。
 だがカートにのっとられた旧式トマホークたちはもろに白い機体の蹴りを受け、吹き飛ばされそのまま風に流され降下艇の後塵に巻き込まれて消えた。
 周囲にいるトマホーク達も同様だ。突然の新手来襲に混乱している。
「あれはシルフィードじゃないか! なぜ!?」
『シルフィードだと! あの小娘、地球一周でもしてきたか!』
「いや違う!」
 完全な人型に変形した赤いシルフィードが自在に空を飛び、次々と旧式たちを撃ち落としていく。
 脚を曲げ、残された敵トマホークの下半身がずるずると風に飲まれて後方へと落ちていく。
 そこへ颯爽と、シルフィードが脚を伸ばして甲板上に着艦した。
 シルフィードは人型になれたか?
 塗装が剥げ、整備不良で劣化した間接部がぎりぎりと嫌な音を立てる。
 それに、あの細長い肩にマーキングされた文字には見覚えがあった。
「初期タイプの、シルフィード……まさかこいつも!?」
『だったらどうする? このまま良い子になって黙ってりゃ、情けをかけてくれた敵さんが俺たちを助けてくれるとでも思っているのか? 俺たちは、死ぬまで戦って死ぬために作られた兵器だ!』
 大佐のトマホークがにじりよる。シルフィードは、大佐のシルフィードに向き合いブレードソードを繰り出した。
『俺たちへのオーダーは、腰の抜けた人間共の代わりに繁栄と平穏を世にもたらすことだ! 俺たち作られた兵器は、争いのない世界へ人類を導く! 俺たちサテロイドフォースはその尖兵となり死ぬ。我らを天上へと導き給え、敵も、味方も、全ての生きとし生ける者共を!』
 天を突き抜けるようにしてそびえ立つ塔がのぞく。
『邪魔する奴は俺が許さん!』
 全てを見抜き、丸く見開かれるシルフィードの一つ目は赤かった。

【獣と死の一行】

 石舞台の上で、乱舞のように互いの腕を交差させている者たちがいる。
 小物のバーヴァリアンが顔を上げ、岩場から飛び出してピョンと跳ね飛び不思議な踊りを披露する。
 その周りを赤目のカートたちが囲み、同じく見たこともない踊りを踊っていた。
 焦点の合っていない目。
 敵意も、なにも、興味もないカートたちの不思議な目。
『ノーム、イガガ、グラーヴイヴィル、ガー!』
「こいつら今なんて言ったの!?」
『ち、ちょっと待って!』
 ギリギリと機械仕掛けのマニピュレーターが、身長差もあるシルフィードの体を押しつけていく。
 やや高くなった石台の上、シルフィードは押されていた。
『こいつら、意思がある!?』
『おまえ達はここで死ぬ』
 突然、地面の底から響いてくるような不気味で太い声が聞こえてきた。
『エログゴ、ナァムリーゴヴゥァーン?』
「なにいまの!?」
 地から響く野太い声に続くように、周りの小動物たちも直立しながらめいめいに赤い舌を伸ばして騒ぐ。
『ほどほどにな』
『こいつ喰ってもいいのか』
「ひ!」
 気味の悪い言葉が、前後の言葉となんの関係もなく紡ぎ出される。それは確かに地面からだった。
 それと、目の前のトマホーク……複合繊維に覆われた機械仕掛けの自動兵器に、黒い何かがまとわりついている。
 にやあっと、黒い影が笑った。赤目の怪物は生きている。
 ソノイは手のひらにぬめりけのある汗を感じ、一瞬だけ操縦桿から手を離した。極度の緊張がミスを誘発する。
 トマホークはシルフィードののど元を抑えると、力押しでその場に押し倒した。
 周りのカートたちがギャーギャーと叫んで、一つしかない赤目を上下させて喜んだ。

 ソノイたちの降り立つ窪地の前哨基地とは別の角度、今度は燃える中型艦船が高度を落としながら着陸軌道を下っていた。
 三点式ランディングギアは前方のノーズギアと左舷部のみが解放され、艦は中破。いくつもの黒い煙を空に延ばして崖の上を飛びすぎていく。
 艦の下方に地上が迫り、ユーヤーは味方の脱出を計ると共に自分のトマホークに飛び乗った。
 艦のデッキへ飛び乗ると、グレイヴのトマホークと新しい敵が睨み合っている。
『大佐!』
『おまえは来るな! 死んでもこの場を守り切れ』
『しかしあの人間は、私には生きろという命令を』
『おまえは命令を聞けばいい、余計なことは考えなくていいんだ少尉。軍の規律を忘れたか?』
『……!』
 ユーヤーのトマホークに背を向けて、翼を畳みグレイヴ大佐機が武器を構える。
 半壊した降下艇の瓦礫から仲間の兵たちが顔を覗かせ、まだ生き残っているカートやバーヴァリアンとの戦闘を続けている。だがグレイブは、それら足下で戦っている友軍をトマホークの無骨な足先で蹴り飛ばした。
 グレイブのトマホーク、エンジンに白い光りが灯る。
『見敵必殺よ!』
 戦うために生み出された戦闘生命体の試作型でもあるグレイヴは、機体をひねらせると大胆に敵機の懐に飛び込んだ。
 ここからでは大佐の支援にはまわれない。
 ユーヤーは敵シルフィードとトマホークを横に見ながら、ゆっくりと艦の前方を目指した。
 乱流が足下をすくい、装甲板が風に揺れて甲高い悲鳴をあげる。こんな飛行中の艦上で戦闘が起こる事など、本来ありえない。
 しかしあの重い装甲の戦闘用モビオスーツは、シルフィード、トマホークは、格闘戦ができるパワードスーツとして開発された歩兵用の兵装だった。
シルフィードが腰元からブレードを外し、低い体勢から鋭い突きを入れる。
トマホークはアックス状の武器でブレードを受け流し、左腕でシルフィードの腕を掴む。
シルフィードの腕が曲がる。シルフィードは飛び跳ねると、翼を開いてトマホークの背部で前転しトマホークの真後ろをとった。
『な、なんていう柔軟性……』
トマホークはシルフィードに背後をとられ硬直したが、パワー指向の頑強なボディがシルフィードの関節技を阻む。
シルフィードが一瞬機体を離した隙を狙って、トマホークはバックステップからの、下半身ひねりと足払いからの体当たりを敢行した。
『……!!』
『やってくれるじゃないか小娘!』
『大佐!』
 ユーヤーには分かっていた。もちろん大佐だって分かっているはず。
このシルフィードは、さっきのソノイ少尉とは別の機体だ。
『…………!』
シルフィードはグレイブのトマホークと、ユーヤーを前に軽やかにステップを踏んだ。
『勝負をつけてやる! さあ来い!!』
 この乱流の塊の中で、なおもあそこまでの機動性を活かせるとは。あの機体の乗り手、ただ者ではないはず。
 グレイブのトマホークは甲板に腕を突きさし、トマホークが風に飛ばされるのを防いでいる。
『大佐、私が背後に回って奴を食い止めます!』
『任せた!』
ユーヤーは風上に向かってエンジン出力を上げると、翼を開いて慎重にシルフィードの背後に回った。

流れる風が音速を超え、すべての衝撃音が高音となってはるか後方に吹き飛んでいって消えていく乱流の中の戦い。
ユーヤーのトマホークが、シルフィードの翼に手をかけた。
シルフィードはトマホークを避けて軽やかに跳び退き、ユーヤー機の腕をブレードソードでそぎ落とそうとする。ユーヤーはレバーを引いた。
『いい勝負だ!』
急速に推力を失い後退をはじめたユーヤーのトマホークに、虚を突かれたシルフィードにグレイヴのトマホークが覆い被さる。
青のトマホークは歴戦の証、シルフィードは翼を抑え込まれ一瞬だけ動きを止められた。
すぐ後ろは乱気流の渦の塊だ。
『やればできるとは、こういうことだ!』
『大佐、注意して!』
ユーヤーは出力を取り戻すと再びアフターバーナーを吹かして急加速し、先行する降下艇上のシルフィードたちを追いかける。
『クッ、推力が足りない!』
『仲間と共に戦えれば、どんな困難でも乗り越えることができる! たとえそれが、死であろうともだ!』
 ユーヤーのトマホークはなんとか降下艇に追いつこうと、剥き出しになった降下艇の突起物を掴んでエンジン出力を上げる。
 そこへグレイブのトマホークが何か掴んだかと思うと、引き上げて頭上からシルフィードに向かって投げ放った。
 破片のいくつかがユーヤーのトマホークまで跳んできてぶつかる。それは降下艇の、自身の足場として使っている骨組みだった。
 すくい上げられた仲間のアンビギューターが悲鳴を上げて、生きたままシルフィードにぶつかり赤いしぶきを上げる。
『なにを!?』
『それが兵器の役割だろう?』
 降下艇はすでに推力をほとんど失っており、全体はまだ生きていたがすでに虫の息だった。
 グレイブの破壊行動は艦の致命的ダメージの一つに過ぎない。この艦は、カートに取り込まれた時点ですでに沈みかけていた。
『我らアンビギューターの使命を思い出せ! 空にも上がれず! 地を這うことでしか己を活かせず! おめおめと、壁の内側で惰眠をむさぼる人類共の刹那的な夢のためだけに使い捨てられる、高価で誇り高き兵器としての使命を!』
『大佐、あなたは!?』
『違うかねクローン。クローンに反抗する口があるか?オーダーは下されているのだ、ユーヤー少尉!』
 乱流の渦巻く降下艇上で、グレイブのトマホークがユーヤーを見下ろした。
『人類が我々に下したオーダーとはなんだ?』
『生きろ、だ!』
『いいや違う! ユーヤー!』
 シルフィードがナイフを構え、ふと動きを止める。
 目の前ではアックスを掲げるトマホークがいた。
『人類が我々に下したオーダーは、世界から争いを無くすこと、彼らを導くこと、人類に、平穏の約束された空へ導くことだ』
 そう言ってトマホークが、塔を指さす。
『あの新米の女の示した、その場限りの理想など忘れろ!』
 彼方に映るのは建設が途中で止められた、ばかでかい空へと続く巨大な塔。その先には未知の惑星があると聞く。
 未知の惑星、アンビギューターはその惑星開拓のために作られた人造兵器だった。
 シルフィードが動きを止めた。
『天へ人らを導き、終わりなき地上の争いに我々が終止符を打つ。忠誠を尽くし、使命を果たす、それがアンビギューターに下された、我々に対する人類のオーダーだ』
 シルフィードが塔を振り返り、トマホークを見て、次に後方のユーヤーを振り返る。
 ユーヤーは必死に降下艇の突起物にしがみつき、エンジンを吹かすしかできない。
 地面が近づき、空をさ迷う巨大艦艇の残骸が降下艇の真下をくぐり抜けていく。
 シルフィードが頭部を持ち上げ地面を睨む。翼を開いたかと思うと、エンジンに白い光りを灯してその場で勢いよく跳躍した。
『こいつまだ飛ぶか!』
グレイブが隠していた射撃兵装を取り出し、飛び行くシルフィードの背中を撃った。


【目前に迫る終わり】
 今日はやっかいな日だ。それでいて完全燃焼できない悔しさが今まさに心の奥に渦巻いている。
 ソノイはシルフィードの操縦桿を手繰りながら、気付けば自身に課せられている何重もの制約に奥歯を噛みしめた。
 グレイブが自分に言った「見ているだけでいい」という言葉は、本当に見ているだけでいいと言う意味ではなかった。
 ただ、見ていることしかできないという意味だったらしい。シルフィードは呪いか何かか?
 アームドガンシステムを起動しようとすると「起動権限がありません」の警告文字がディスプレイに表示されてアラームが鳴る。
 格闘戦も同じだ。ブレードは展開できても、シルフィードは切りつけることができない。
 次々とワイヤーを切断して立ち上がるトマホーク達に、シルフィードはただフワフワと飛び回るだけでなにも手を出すことができなかった。
 中には、完全に灰色の肉塊で覆われた半分カートになったトマホークもいる。
「ここはカートの製造工場だってたのよ!」
『な、なんだってー!?』
「いったん引くよ! 飛べる!?」
 迫りくる無数のトマホーク達を横目にシルフィードは飛び退くと、エンジン出力を上げて翼を開く。
 そこへ獣顔の下級バーヴァリアンが縦筋の目を上げて奇声を発し、唸り声とともに回転数をあげるシルフィードのエンジンに近づいた。
『ふぎゃあー!?』
 近づく物体にまず紅炎が反応し、シルフィードはバーヴァリアンの特攻を避けようと体をねじってエンジンの吸気口を上へ向ける。
 だが、間に合わない。バーヴァリアンはそのままシルフィードのエンジンに、吸い込まれるようにして飛び込んでいく。
 するとシルフィードのエンジンが赤い血をまき散らし、ガリガリと激しい異音を吐き出しながら白い煙をまき散らして回転数を落としていった。
 燃焼炎の色が変わった。
『燃焼室温低下! と、飛べなくなった!』
「紅炎!」
 ソノイは目の前に迫る拳を捉え、目を閉じたくなる衝動を抑えて目を丸く見開いた。
 即座に機体が反応し、迫りくる拳を横転で避けきってなんとか距離をとる。
 前に迫るトマホーク、カートのなりそこない、半分生き物で半分機械の化け物たちが、赤い瞳を輝かせて歩いてくる。
 操縦桿先にはめられたフィンガーポケット越しに、ソノイはブレードを構えた。
シルフィードもそれに習う。
 水のように足下の割れ目からあふれ出す灰色の肉、揺れる世界、巨体カートが目前に迫る。

【交差するもう一つの意思】
『右前!』
「んっ!」
『左下から!』
 緊迫した紅炎の指示に、揺れるコクピットでソノイがヘッドギアを抑えながら指先を動かす。
「ん!」
 シルフィードは指先の命令正確に追従した。ファイターモードと半人型の形で胴体を捻り、拳を振りあげるカートの打突を避けきる。
 三発目は腰を下げて受け流し、アームハードポイントに異常加圧の警告表示がパネルにともる。
 シルフィードは体勢を整えようとふたたび跳躍した。
「エンジンが回ってない! 燃焼室内温度が異常よなんとかして!」
『ファンを回してもう一度エンジンの再起動を……って、それソノイちゃんの仕事じゃん!?』
 紅炎は吼えた。
 電子妖精の紅炎は、可変型人工モビオスーツ・シルフィードの頭脳としてこの機体に装備されている。
「あなたがそういっても今は非常時! 今は私が許可を出して私が動かすから、紅炎はサポートを!」
『自分で出して自分で動かすとかー!』
 シルフィードのサブバーニアに火が入る。シルフィードは、背部のメインエンジン二基と背面のサブエンジン四基、脚部に埋め込まれたバーニア、サブバーニアそれぞれ二基で全身を動かしていた。
「メインが死んでも、サブがまだ生きてる!」
 ソノイは画面上に表示された「制限」の文字を横にスライドして無視した。
 シルフィードは何かに手を出すことがいっさい許されていない。だが事故で機体が接触することくらいなら……
『武器ごと体当たりするつもり!?』
「勝機はある!」
 シルフィードはブレードを収納し、マルチガンを前に構えた。

 薄紫の煙を吐き出しながらマルチガンがガトリング砲を高速回転させ、跳弾と土煙と大量の空薬莢が地面にまき散らされる。
 銃弾の当たる場所はすべて地面か、空の向こうだ。
 カートには一発も当たっていない。
 それでも、カートは自身の身を守るためにハンマーのような拳をいったん引いて身構えた。
「どこまで無敵なのか知らないけどね! そうやって自分の守って立ち止まった時が一番の隙だってことを、教えてあげるわ!」
 わき上がる黒い粉塵と白い燃焼ガスを横に退けて、シルフィードのバックパックの光に勢いが増す。
 身構えるカートに、シルフィードはめいいっぱい機体を押し込んだ。
「かかって、こいやーッ!」

 誰もいない空を飛びながら、シルフィードは静かに考えた。
 過去のすべてが夢のようだ。最初の頃に経験した「起動実験失敗」のデータから、現在に至るすべての経歴。戦闘データを検索し、現在に照らし合わせて経緯を確認する。
 問題はない。予めインプットされていた通り、完璧に任務をこなしてきている。
 同じ試練の繰り返し。過ちの繰り返し。繰り返される毎日。
 なのになぜ。
 目標設定の値が異常だった。そこには確かに何かあったはずなのに、今ではどこを参照しても該当する数値がインプットされていないことに気が付いた。
 まるで日が昇り沈むように当たり前のように殺戮を繰り返してきたのに、それに気付いた今は違う。
 誰かに作られ、誰かに操られて、死ぬまで戦い壊れて、直され、それを繰り返し排気されるまで戦うという使命を授かり、今日はで空を飛ぶだけの兵器のはずなのに。
 それが先ほど見つけた新しいコードが、自身の思考シーケンスに割り込んできて邪魔をする。
 いつまで自分は、戦い続けるのだろうか。
 なんのために戦っている?
 殺すために戦っているのだろうか。それとも、生きるために戦ってきたのだろうか。
 コードが狂ったのだろうか。
 照合が、必要だ。
 シルフィードが持つ正しいデータと、シルフィードが持つべき戦い続ける理由が。
 頭脳を持つもう一つのシルフィードは、自分に必要なものを探した。そして見つけた。
 自分と同じように戦い続っている、先行する別のシルフィードを。
 シルフィードは敵に囲まれ、懸命に戦い続けていた。
 手に入れる必要がある。
 守る必要がある。
 シルフィードは空を飛んだ。
 今ならまだ間に合う。

『人らの争いに平穏を』
 灰色の肉の海に無数の顔面が浮き出て、それぞれが蠢き一つ一つの音を発した。
 一つの口が発する音は、単純な子音や聞き取れないため息だけのように聞こえる。
 しかし、肉の海は意思を持っていた。
『永遠の平穏を』
『きもちわるッ!?』
 紅炎が声を震わせて叫んだ。
 シルフィードが身を傾け、機体に巻き付いた動く粘菌をふりほどこうと藻掻く。
 センサーが警報を鳴らし、機体各所に過負荷がかかる。
「紅炎エンジン再起動はまだ!?」
『う、動けない! それどころじゃない!!』
「電圧低下! 油圧がもう持たない!」
 シルフィードが体当たりで倒したカートの足元から、突然肉の海が湧き出してきて動く触手を振りかざす。
触手の束が、シルフィードの間接部をギリギリと締め上げた。
 波打つ海から倒れたカートが浮き上がり、さらに無数のカートが群になってシルフィードに迫る。
『約束された未来を』
『キモチワルイ!』
 紅炎の叫び、シルフィードはマルチガンを向けてトリガーを引いたが、弾は肉のどこも撃ち抜かず空を撃った。
 手だけ、足だけ、胴体だけ、周囲の残骸を寄せ集めて動かすトマホークまがいの物が、オーン! と、大きな声を上げてわき起こる。それら肉塊が、大波のようにシルフィードの上に迫る。
 二人が覚悟を決めた時。
 もう一つのシルフィードが、横からすべてをかっさらっていった。

第六章 最合流
【裏切るパシフィスト/赤い瞳の平和主義者】

 ソノイたちに迫る肉塊を横から切りつけたシルフィードは、ファイターモードになりながらなおも翼を開いて空へ向かった。
 激痛に声を出す肉塊たちが口を開き、涙を流しながらふたたび渦を作る。わき上がる波、カート、トマホークの群、切断された肉塊は最合流すると、いちだんと大きな波を作って上空のシルフィードに迫った。
「な、なにあれ!?」
『シルフィード! シルフィードぉぉぉナンデっ!?』
 空飛ぶシルフィードに肉塊の波が迫る。シルフィードは可変翼を開ききりエンジンを絞って、先端が開いた肉の波を避けて再び反転、降下の姿勢をとり再変形する。
 その姿はソノイたちのシルフィードとは違う、完全な人型だった。
『ゲッ、二段変形!』
 手足を伸ばしたシルフィードはなお翼を広げ、ブレードを構えて肉塊の触手を切り落とす。
『逃げてソノイちゃんあいつヤバい!』
「なっなんで?」
『あいつ、一番最初に作られたやつだよ!』
 空飛ぶ白い翼のシルフィードはブレードを展開し、可憐に肉塊たちの攻勢を避けては支柱のカートたちを切り削いでいく。
 切られた肉がぼろぼろこぼれ落ち、空が一瞬にして赤く染まった。その中を、人型のシルフィードが自在に飛びすぎていく。
 真っ赤な瞳がソノイを睨む。
「み、見つかった?」
『逃げて!』
 ソノイのシルフィードはブースターとサブエンジンを唸らせ、姿勢を低くし逃げる体勢をとる。
 むろん、まだメインエンジンは回りきっていない。
「メインエンジンの強制再起動! 今すぐ!」
『オーケィ!』
 紅炎の声と同時に背面のメインエンジンがゆっくり回りだし、イグニッションスイッチが入って油圧が回り出す。
『うおおおお間に合わないっ!』
「頑張って紅炎!」
『アンタもなんかやれーっ!』
 ソノイは周辺状況をカメラに納めると、冷静にデータディスクに画像を保存した。
「がんばれっ!」
『ウルサイ!』
「何かできるの!?」
『じゃあ祈ってて!』

 肉のかけらが雨となって空から降り注ぐ中、シルフィードはなおもエンジン再始動を繰り返しながらブーストダッシュで逃げようとする。
 後ろには、翼を広げたシルフィード。また前にも、肉のカバーで全身を覆ったカート、トマホークの残骸が行く手を遮り立ち上がる。
 ここまで来てソノイは察した。カートとは、自分たちの仲間のトマホークに肉塊が絡みついて寄生した存在なのだ。
 対する後ろから迫るシルフィードにも肉が絡みついている。間接部の、装甲と装甲の間にしがみついている黒い影は寄生肉だ。
 シルフィードの猛烈なスピードに、肉片は半分振り落とされかけている。
 その背景に白い煙。
 ソノイはさらにスピードを上げた。
「紅炎まだ!?」
『前みてっ! 前!』
「! く、くのォー!!!!」
 立ちはだかるカートたちを避けきり、すぐに追っ手のシルフィードがカートたちを飛びすぎる。ブレードを構えマルチガンをとりだした追っ手のシルフィード、カートたちは、衝撃波に体を刻まれて吹き飛んだ。

 逃げるソノイのシルフィード、追いかけるシルフィード、翼に手が掛かりシルフィードの手ソノイたちのすぐ後ろに迫る。
 ソノイたちのエンジンにふたたび火が着いた。ギアがかむ独特の音が鳴り、油圧計と温度計が上昇、回転数が復活する。
「間に合え! 間に合え間に合え間に合え!」
 シルフィードは脚を地面から離し、低空状態からファイターモードに移行した。
 脚が地面から離れて、飛行モードに切り替わる。
『スティック引けーッ!』
 エンジンを開くソノイのシルフィードの肩に、後のシルフィードが追いつき指がかする。
 その瞬間、開ききったシルフィードの翼を土が削った。
 狭くなった崖の両面が追いつくシルフィードを横から挟み込んだのだ。
 追いつきかけたシルフィードは、翼を削ってその場で横転。巻き付いていた黒い肉片がシルフィードの機体から離れ、炎に包まれ悲鳴を上げる。
 重かった操縦桿にパワーが戻り、ソノイはゴーグルを降ろしてスロットルを押しやる。
 逃げ切った。勝ったのだ。
「緊急離脱! 最大出力で!」
『アイサー!』
 ソノイは我を忘れて操縦桿を引いた。翼は閉じたまま。
 上空に、後続のユーヤーたちがやっと追いつく。

【熱い吐息】

 崖に激突したシルフィードは、なおも虚空に腕を伸ばしもがき続けていた。
 激突した衝撃でどこかに負荷が生じたのか、機体のあちこちから白い煙が沸いて出てくる。
「まだ生きてる」
『そりゃあねー』
 ソノイたちとシルフィードは上空で安全を確認すると、ゆっくりと倒れたシルフィードの前に降りた。
 見えない何かを掴もうとして、機械仕掛けのマニピュレータが何かに手を伸ばす。
「……なかに、誰かいるのかな」
『誰が?』
 ソノイは操縦桿先のフィンガーポケットにゆっくり指を差し込むと、繊細な操作で目の前のシルフィードのコクピットを開けてみた。
 機体の周りに、じわりと黒い影が広がっていく。
「燃える……」
『燃えてるねー……って、ちょっと本気?』
「誰か中にいるなら、なんであんなことしたのか聞いてみたいじゃない」
 ソノイは注意深く、シルフィードの外部操作パネルカバーを開いた。
 ソノイのシルフィードは、ソノイの指示通りに細やかな作業をこなす。
 周りに揺れる白い湯気が、熱気に照らされて徐々にその揺らぎを大きくしていく。機体のすぐ後ろで小さな火が着いたかと思うと、燃える火は炎となってシルフィードの周りを覆いだした。
 シルフィードの操作パネルを見つけ出したソノイだったが
「だ、ダメだロックがかかってる」
『むー』
「……紅炎、あなた確か外部から機体中枢にアクセスできたんだったよね?」
『へえ? い、いやーたしかにできた気はするけど』
「じゃあ今しなさいよ」
 ソノイは操作パネルにあるジャックを見つけ、シルフィードの指先で穴をさした。
「ついでよ、ついで。この子がどこで何をしてきたのかも知りたい」
『あああたしに、こんがりキツネ色になれっていうの!?』
 地面に広がる黒いシミに、赤色とともに青色の炎も混ざり出す。
「キツネ色? 電子妖精が?」
『うっさいっ!』
 燃えるシルフィードに指を当て、ソノイたちは専用回線でシルフィードへのアクセスを試みる。
 キツネ色に燃えてしまう前に、なんとか中身を探り出せればいいけれど。
 ソノイは注意深くシルフィードを操作した。

『わ、また落ちた……』
 慣れていないシルフィード同士の同期に手間取りながら、紅炎は指先のジャックを介してなんとか倒れたシルフィードのデータサルベージを試みていた。
『だめ! 熱い! HDが溶けかけてるしムリだよ!』
「なんとかするのがあなたの仕事でしょ!」
『生きて帰ったらタダじゃすまさないからね!』
 なんとかシルフィードへのアクセスに成功したらしい紅炎から、指先のジャック経由で様々なデータが転送されてくる。
 なんだかんだいいながらも、紅炎が一生懸命なのが分かった。
『あと、もう少し……』
「紅炎急いで!」
『ファンもいかれてるし、触っただけでこっちが溶けちゃいそうだヨあちちっ』
 紅炎の転送してくる膨大なログが、シルフィードのコンピュータをフル稼働させる。
『あちちちっ、誰かにジャマされてるっ!』
「誰?」
『まだ中にいる!』
 立ち上る白い湯気を沸き立てながら、倒れたシルフィードに光りが復活した。
「!?」
『あッ!』
 突然復活したシルフィードにソノイは驚き、はずみで指先のジャックが外れる。青い炎を翼にまとわせ、シルフィードはふたたび立ち上がってソノイの前に立ちふさがる。
 目はまん丸に見開きソノイを見下し、背後で燃焼ガスに火が着いて大爆発を起こした。
「クッ、通信が途切れた! 紅炎!? 紅炎!」
 有線接続していた指先ジャックがシルフィードから外れ、紅炎との同期が途切れる。今ソノイのシルフィードを操作しているのは紅炎のバックアップだ。
 肉が焼け、細かい黒い微粒子が周囲を取り巻いている。
 溶けた肉がずるりと焼け落ちる。ソノイは目の前で復活した、もう一人のシルフィードを見あげた。
「そんな、まさか!」
 人型のシルフィードは、全身を青い炎で包まれながら力なく一歩前へと踏み出した。
 ソノイは引く。
 なおもシルフィードが追いかける。その足は、左右へ揺れていた。
 背後で爆発が起きる。湯気は大きな渦となって空を舞い、シルフィードの間接という間接から火の柱が幾重にも伸びて大地を燃やす。
 シルフィードが、ソノイのシルフィードに迫ってその手を掴んだ。
「!!」
 炎、シルフィードの目がすぐ前に迫る。熱気がコクピットに通じる。
「く、くえ……」
 ソノイは祈るようにバディの名前を唱えたが、すると目の前のシルフィードはゆっくりとソノイの手を引き自身の胸に指先を差し込んだ。
「……!」
 突然、シルフィード同士のデータ通信量を示すゲインが山のように膨らみだし、指先からあらゆるデータがソノイのシルフィードに向かって流れ出した。
『……ぶっはァーッあちい! しぬ! しぬ!!』
「紅炎!?」
『冷房は! ファン! あちい! しぬ! ……生きた!』
 ソノイのシルフィードに搭載された機器冷却用エアコントロールが猛烈な勢いで回りだし、機内温度が急速に冷えていく。
 紅炎は生き返った。
『生きた!!』
「何があったの?」
 ソノイは目の前で自分の手を掴むシルフィードを見た。
 シルフィードはすでに全身の外板が溶けはじめており、電装が破壊され、一部フレームも剥き出しになっていた。
 破裂した燃料タンクの炎が別の引火元にも火を延ばし、白煙が黒煙に変わっていく。
 シルフィードはゆっくりとソノイの手を抜くと、崩れるようにしてその場で倒れた。
 読み込み不能な、大量の断片的なデータだけを残して。
「これは、いったいなんなの?」

【悪夢のたどりつく場所】
 上空に泊まった見慣れない艦艇から、ユーヤーとグレイブ大佐のトマホークたちが降下してくる。
『やはり降りていたか。命令違反だが、味方は誰か生きていたか?』
「いいえ誰も」
 グレイブの問い合わせにソノイは口元のマイクを握ったが、一瞬黙って考えこんだ。
「あれはみんな味方だったのでは?」
『いいや敵だ』
 グレイブのトマホークは振り返り、アックスをソノイに向ける。
 歴戦の戦士らしく、トマホークの機械の腕を自由自在に動かす。トマホークはまるで生きた人間そのもののようになめらかに動いた。
『敵は出所不明の寄生生命体だ。俺たちは、その寄生体が出てくる場所を突き止め、叩きつぶす。それが与えられた仕事だ』
「上の艦艇は?」
『俺たちのマザーシップだ』
『マラグィドール……』
 グレイブの声に、紅炎が反応する。
『いつ取り返したの?』
『取り返すだと? 我々は元の母艦に帰ってきただけだ。この艦が、本来の我々の居場所だ』
 ずーんと、どこかで何かが崩落する音が聞こえる。グレイブがセンサーを回し基地中のスキャンを始めた。
『ここがカートの製造工場か。この崖に囲まれた基地の下層には、あの馬鹿でかいタワー付近へと通じる遺跡が存在する。俺たちはカートの小部隊と戦闘になり、俺たちの降下艇は大破した。現在、生き残った俺たちの同胞が母艦の奪還と再起動を試みている』
「降下艇が、大破?」
『おまえが一時離脱し地上に降りていた時の話だ。俺たちは地上部隊の支援なしでの基地突入と制圧を敢行する、俺たちに与えられた時間はない』
『少尉』
 ソノイのシルフィード背後に、ユーヤーのトマホークが寄ってきて赤外線通信を試みてくる。
『少尉気を付けて、大佐はなにか企んでいる』
「企み? なにを?」
『わたしもずっとこのハゲと一緒に生きてきたけどサ』
 ユーヤーの通信に紅炎の声が割り込む。
『あのハゲ、いっつも大切なことを言わないの。そのくせ何か行動が一貫しててね』
「隠し事ってやつね」
 紅炎が、グレイブから受け取った図面データを解凍しながら軽口を言う。
『大事なことは何も言わないけど、ホントどうでもいいことばっかりはよく口にするからまいっちゃ……ううん?』
「どうしたの?」
『……ん、んーん。なんでもない』
「なに、あなたも何か隠してるの?」
『い、いやーそういうのではないんだけれど、ハハハ……」
 ソノイの質問に、言葉を濁しながら紅炎は三次元光学投影ディスプレイで頭をかいた。
 コーションライトに赤い警告が灯り、何かがアンロック状態になっているとの表示が示される。
 しかし正面に設置される緑色の総合ディスプレイの中には、シルフィードの機体状況の中でも特に目立つ異常は示されていない。
「なにかあったの?」
『ちょっと待ってて』
『きびきび歩け!』
 前を行くグレイブのトマホークが地下道を示した。

【抜け落ちる何か】
 肩に取り付けた強力な白色ビームが前方を照らし、ソノイたちは遺跡入り口の前に立った。
『基地だ』
 グレイブの声に、紅炎が叫ぶ。
『ここ、こんなだったっけ?』
『ここが俺たちの仕事場だ』
『我々の生きた証……』
 グレイブとユーヤーがそれぞれ声を出す。
『そして、我々が無駄死にした場所』
 基地の地下に伸びる暗い遺跡は、光る液体に満たされたなにかのカプセルのような物が安置されていた。
 等間隔で配置され薄い緑色に輝いているそれらカプセルは、結晶体のような、幾何学的でまっすぐな線を六方向に向けて壁に埋め込まれている。
「きれい……これが遺跡?」
 ソノイは感嘆の声を上げた。
『感傷に浸っている暇はないぞ少尉。ここで立ち止まって死にたいのか?』
「き……うわ」
 ソノイのシルフィードが遺跡に入った瞬間、足下で何かが割れて青い輝きが壁面を灯した。
 それは割れたカプセルだった。かなり薄い殻で液体が覆われているようだ。中には、何か入っている。
『俺たちの生きた証だ』
 ガンを構えて、グレイブのトマホークが遺跡内部に足を入れる。
『ここから先は俺たちの故郷のようなところだ。さあ、行くぞ』
 グレイブの先導に続き、ユーヤー、ソノイがあとに続く。
 そこには大量のカプセルが埋め込まれ、あるいは乱雑に床に投げ置かれていた。
『かつて俺たちは、このような所から生み出されていた。もっとも、アンビギューターが作られたのはもっと別の場所だったがな』
「紅炎はそれ、しってた?」
『わたしは電子妖精だしー。アンビギューターとは違うわ』
 紅炎は興味ないといった様子で答えた。
「大佐はどこで生まれたんです?」
『この穴の、ずっと向こう側だ。かつてアンビギューター・サテロイドフォースがタワーの先を目指していた頃の話だ』
「タワーの先を目指す……」
 それは人類が、かつて星を目指していた頃の話だと聞いていた。まだこの地球に、カートたちが現れなかった頃の時代だそうだ。
 カートは突如地球上にその姿を現すと、町や村を問わず無差別に襲い飲み込んでいったと聞く。
 その無差別攻撃をするに至った経緯が分からず、人間はとにかく「自衛のための攻撃手段」として、打ち上げ準備中だった彼らを地上にとどめて戦場に投入したとか。
 それが、いつの間にか自衛と奪回のための戦いが「自分たちを守るための戦い」に変わっていった。それがいつしか、籠城組と使い捨て組に分けられていたと聞く。
 ソノイはその籠城する側にうまれながらいた。
 明るい空。楽しい地上。未来ある学園生活に、温度調整のされた四季のない完璧な世界。
 ソノイはある日、自分たちの住む世界が小さな偽りの世界だったことに気付かされた。
 軍事組織の関係者でもあるソノイのある家族が見せてくれた壁の外の世界と、その話に。自分たちの知っている世界との乖離に気が付いて疑問を持つようになる。
 カート討伐の話やニュースは時折聞く程度の話だったが、一部軍人は今でも外の世界に出て行っているらしい。
 平凡安泰な世界の内側にあるありきたりな仕事に就けば、自分は一生無事にすごせるだろう。そう思ってもふと、あのとき聞いた壁の外の話が気になった。
 ソノイは努力をして、軍人になった。
 もしかしたら今はもうほとんど交流のない、家族の支えがあったかもしれない。
「守るための戦いか……」
『なにか言った?』
「いいえ、なにも」
 ソノイは道を踏みはずす。軍人になり、危険で、生きる事も、対価も望めない絶望的な世界に自分から一歩踏み出すことにした。
 足下に、踏み抜かれ中身が漏れたカプセルが転がっている。淡い光が洞窟を照らし、光りが光りを読んでさらに煌々と遺跡中を淡く照らした。
「もろい殻ね。これじゃ壊さない方が難しいわ」
『めずらしいね、なにか考え事?』
「んーん。ただ、何か懐かしかっただけ」
『自虐?』
 紅炎がからかうように耳元でさわぐ。
『殻にこもるなんて、まさに誰かサ……』
『お前らすこし静かにしろ! こがどこなのか忘れたのか? 俺たちの故郷だ!』
 グレイブの声が無線に響いた。
『やつらの住処だぞ』
 遺跡内部に溢れる淡い光が、遺跡中に隠れるカートたちの牙をうつす。

【道を照らす赤色の輝き】
『遺跡坑道の奥に大きな熱源がある! おそらく、やつらのビッグ・ママがいるんだろう』
「カートの製造工場でしょう?」
『そうだ! だがやつらは、どうやら俺たちの生まれ故郷にあったものとよく似た物を利用しているらしい』
 ぬるい湿った風が、シルフィード一行を通りすぎていく。同時に聞こえるのは、何か生き物の漏らす低い声。
『カートのやつらの製造工場は、俺たちの製造工場と限りなく似ている。だが安心しろ、俺たちはおまえ達人間に、奴らの指一本も触れさせない!』
「ええそうね。でも、もう触られてるわ」
『ハハハそうか! それは、お前が先に奴らに手を出したからだろう』
『大佐、少尉、気を付けて! 奥からなにか来る』
『俺に任せろ少尉!』
 グレイブのトマホークがアックスをとり、遺跡坑道のでっぱりに上がった。
 巨大なトマホークが遺跡内に立ちふさがっても、坑道はその数倍ほどの高さを持っている。
 遺跡坑道の深さは計り知れない。それでも、足下のクリスタル状の殻とタマゴは遺跡を隙間なく埋めていた。
「これ、中に入ってるのはもしかして……」
『もしかしなくても』
 ユーヤーがソノイのシルフィード前に立ちふさがる。
『心拍数上がってるけど大丈夫? あと、声が震えてる』
「大丈夫なわけないでしょうっ」
 ユーヤーに守られ、紅炎に心配されているソノイを前方のグレイブが振り返る。
 ずるずるとどこかで音がする。クリスタルのタマゴ達が何かにひきずられて揺れる。
 その先に、赤く巨大な一つ目が見開かれた。
『いた!』
 肉の花びらによく似た外見、内側が白く外皮は黒い触手に似た肉の腕を振り回し、巨大なカートが壁面をおしやる。
 クリスタルのタマゴたちが一斉に揺れてひび割れ、中身をこぼしながらそこら中で破裂した。
坑道中に割れた卵の光が広がる。
『こいつがこの場所の……ッ』
『ユーヤー援護しろ! ソノイ少尉、お前は下がれ!』
「イヤですっ!」
 坑道内のタマゴ達が触手に触れて中身をこぼし、洞窟内に蒼、緑、赤色の光りが浮かび上がっては消える。
 それが、いくつもいくつも続いた。肉の花びらからずるずると新しい触手が伸びて坑道内に広がる。
『さっき死にかけたのを忘れたか!?』
 グレイヴは言って触手の一つを断ち切った。
「死にかけた? だから何もしないで見てろって言うの!?」
『二度も言わせるな、おまえ達が自分で課したのがそれだ! 臆病者の腰抜けの、自分で殻にこもり身を守ってきた人間共を俺たちアンビギューターが護るとしたオーダーがある!』
 トマホークが狭い坑道内で翼を開き、噴射炎で周囲を明るく灯す。
『カートには指一本触れさせないと! そのために、俺はカートと戦う! ユーヤー少尉、彼女を守れ!』
 グレイヴの言葉に、前方のトマホーク、ユーヤー機が一歩退いてソノイのシルフィードの前に立ちはだかった。
『少尉、下がってください』
「なぜ!?」
『なぜだと!? なぜだか分からないのかこの新米!』

 グレイブのトマホークが怪物の触手に絡まれ、トマホークはその触手をアックスで切り裂き飛び退く。
『それは、お前らが、お前ら自ら選んだことだからだ! 俺たちアンビギューターはオーダー通り、貴様らの望み通りに戦い果てる! 自滅したいなら自滅をえらばせる! それが、俺たちアンビギューターの答えだ!』
「そんなこと誰も望んでいない!」
『でなければなんだ? 戦うか? 腰抜けがリミッターごと、この化け物と戦うか』
 狭い坑道内に、トマホークが翼を開いて飛びその足をカートの触手が掴んで引き倒す。
『フフフ……オーダーを達成し、死ぬことでおまえ達人間の望みを叶える。お前たちのようにアンビギューターは自らにリミッターを課さない。アーマーは敵の攻撃を受け止める、それが俺たちクローン、アンビギューターだ』
 坑道内に輝く、割れたタマゴたちの光りが強くなった。
 出口に向かって、生暖かいカートの吐息が流れる。
『おまえたちに すすむ道の先はない。あのタワーは偽りの希望』
 突然、聞き覚えのある声がした。生ぬるい風と共に、大地を震えさせる地響きのような音と声。
『おまえたちののぞみはなんだ』
『喰われることさ!』
 一面に生えるタマゴ達がざわめき、その足下を覆う岩肌が一斉に色を変えた。
 触手に足を取られたトマホークが、足を掴まれ、翼をもぎ取られ、反転し締めつけられてソノイの前に吊るされる。
 狭い坑道ではトマホークの動きも制限される。それほど坑道は狭くなかったが、それでも飛ぶには狭すぎた。
肉の表面に大量の口が浮かび上がり、それぞれが白い歯、赤い舌を覗かせ音を漏らす。
『すべてのものにへいおんを』
 岩肌なんてものじゃない、すべてを乗っ取った肉たちが語りかける。
 口たちが、それぞれ意味のない声を漏らし全体で坑道内に言葉を生む。
『いきたえる』
『みずからののぞむ道』
『しをおそれず』
『いきる道を』
『それが、えいえんのへいわ』
 いつしか声の大合唱は、遺跡の上下左右から呻き漏らされソノイたちの存在を大きく包み込んでいた。
 気付けばソノイは、自分の手がガタガタと震えているのに気付いた。
「な、なんなのこいつら」
『愛すべき人類よ! 我々はおまえたちの望みを叶えるためにお前たちに力を与えられた、我々はおまえ達の尖兵である! 我々は力、我々は忠誠、そして我々は、おまえ達人類の生きる道を示すための兵士である!』
 肉の触手に締め上げられながら、グレイブのトマホークがもがいた。
 翼をもぎとられ、手足はからめとられ抜き取られ、内部から大量のオイルを漏らしながら装甲を一枚一枚剥がされていく。
 地面に刺さり動かないマニピュレーターとアックスは、もうトマホークの本体に取り付けられていない。
 シルフィードはガンを構えた。それを、ユーヤーが抑える。
『やめなさい。撤退しましょう』
「なぜ!?」
『大佐は私に、あなたを守れと言った。我々の使命はあなたを守ることだ』
「っ!? それがあなたの使命なの?」
『そうです』
 ユーヤーはソノイのガンを肩越しにどかし、カートとグレイヴの戦いを見守った。
『我々は兵士だ、命令には忠実であれと、それが我々の使命だ』
「それで仲間が死んでもいいの! 自分たちが、そのまま死んじゃってもいいの!」
『それがオーダーです、あなたたちからの』
 グレイブのトマホークが、苦しそうに最後の脚を動かし触手を蹴る。
 一振り、触手が壁に激突して破裂した。
「見ているだけでいいなんて!」
 触手に潰されたタマゴ達が一斉に割れ、周囲に向かって波紋を広げ、震えて連鎖的に破裂して光りを満たす。
『ではどうしろと?』
 第二第三の触手達が伸びてグレイヴのトマホークの、コクピットを破壊した。
『愛すべき人よ、人類よ! 聞け! 俺は己の使命を果たした。おまえ達の望みはよく分かっていたつもりだ』
「グレイブ!?」
『だがいざ、このようにお前たちを騙し討ちする時となると若干の気の迷いのようなものが生まれる。すまんが今まで俺が戦ってきたのは、お前をここに連れてくるためだった』
 装甲を剥かれ、血だらけのパイロットの体が露出したトマホークは完全に機能を停止していた。
 触手が伸びて、グレイヴのアーマーに手をかける。
『嘘をついてきた罪の意識はある。お前たちをこの地獄世界に連れてよいのか迷いはあった。だがお前は俺について、よく学び、実によく俺たちの後に着いてきてくれた。もうすぐ、見るだけの戦いは終わるだろう。だがもがき苦しむのは、これからだ』
 グレイブのアックスが触手にしめあげられて形を変える。二巻き、三巻きとトマホークを締め上げる触手先端が、グレイヴのアーマーを解いてその顔を露わにした。
 ソノイはユーヤーの肩越しにサイトをカートに合わせようとしたが、その時ソノイは信じられない物を見る。
『使命は果たした。俺の苦しみは直に終わる』
「め、目がッ!?」
『騙して悪かったが』
 破壊されたコクピットカバーが地面に落ちて、中に乗っているグレイヴの顔をサイトが捉えた。
『カートやバーヴァリアン共には指揮官がいると言ってきたな。それは、俺のことだ』
 みしみしと骨格が押しつぶされ、トマホークの全身が震えて液体燃料が漏れる。
『おまえの本当の敵は俺だけじゃない……お前自身の枷、シルフィード、人類も、な。いい戦いだった。これからは、存分に、悩め! ハハ、ハハハハハ!!』
 触手に力が入りバリバリと音がすると、グレイブと共にトマホークは砕けた。

第七章 獣と人の攻防戦
 壁面中のクリスタルがバリバリと割れて、中から次々と、何かが飛び出てくる。
 それは未熟な人の形をした生き物だった。
 出てきた生き物はまだ胎盤さえとれておらず、ぬめる液体に糸を引かせながらしばらく苦しんで、動かなくなる。
『来ます! 少尉、撤退を!』
「これ以上、どこに逃げればいいというの?」
 壊れたタマゴのうちいくつかは生きた幼体を吐きだして、それらがいっせいにゆっくりと頭をもたげてソノイたちに目を剥いた。
「なぜ、こんなことを。あなたたちの仲間なんでしょう!?」
『カートが我々の? いいえあいつらは……』
 ユーヤーの声が無線内でしばらく止まり、それから、なにかに気付いたように声を震わせる。
『カートが、我々と同じ?』
「ごっごめんそんなつもりじゃ」
『いいえもしかしたら……いいえ、まさか!』
 ソノイは口に出した言葉を訂正しようとあらゆる言い訳を頭の中で考えた。
 しかし、出てくる答えはどれもあいまいな言い訳ばかり。
『まさか。我々がカート』
「……ま、守るとか言っておいて」
『いやまさか。まさか、大佐はそんな人じゃない!』
 ユーヤーのトマホークがソノイに背を向け、迫るカートの群を銃床で殴りつけていく。
『大佐は何か、考えがあったはずだ』
「寄生されてるだけなんでしょう!?」
『いいや違う。大佐は、最初から我々をここにおびき出すことを考えていた』
「なぜ?」
 カートの幼生たちが次々とタマゴの殻を破り、糸を引いて輝きながらソノイたちに襲いかかってくる。
『我々になにか考えがあって……でもいったい何を』
「考えていたって、何を考えてたの、もしかして私たちを最初から裏切るつもりで?」
『大佐は人間を裏切ったりしない、なにかオーダーがあったからのはずだ』
「オーダーがあるからこんなことを? 信じられない、何がオーダーよ、使命よ! 私たちを追い詰めることがなにかのオーダー!?」
『私には分からない。しかしあなたは……もしかしたら、我々には成し遂げられない何かを大佐に託されているのでは?』
 狭い坑道内を縦横無尽に這って出てくるカートたちを前に、紅炎の声がシルフィード内と無線に響く。
『あのハゲオヤジが死んじゃったら、生き残ったのはあたしたちだけよ!?』
『私たちは!』
 目の前では、肉に押しつぶされ地面に倒れるトマホークが見える。
 原型はほとんどとどめていない、遺跡の奥から触手が伸びて、壊れたカートを飲み込んで行く。
『私たちは、死んであなたたちの理想を叶えるというオーダーが与えられている。だがオーダーを達成するための具体的内容は示されていない。だから大佐は、何かを為すために』
『でもあの目は見たよね!』
 紅炎はシルフィードの目を操作し、ユーヤーに自分たちが見たグレイブの画像を共有させる。
『あの目、あれはあんたたちの目とは違う。いつからあんなだったの!? いつから敵に?』
 ぶん! と目の前を石斧が飛びすぎていく。シルフィードはガンを手に取り威嚇射撃の構えをとった。
 撤退の声を出したが動けていないユーヤーのトマホークが、シルフィードとの間に距離をとる。
『まさか大佐は、最初から私たちを殺すために……』
「少尉! ユーヤー!」
 ソノイは口元のマイクを掴むと、自分の動悸を抑えながらゆっくりと言った。
「立ち止まらないで、歩いて! 今は考えても無駄よ、このまま先に進むしかないわ!」
 ユーヤーのトマホークが小さく振り返り、それからゆっくりと脚を動かした。
 ソノイたちは、はるか彼方にある遺跡の出口を目指した。

【石舞台の戦い】
 突如現れた大型カートたちを前に、ソノイたちは坑道脱出を決意した。
 激しくぶつかり合う、シルフィードのセラミック複合材の外板とカートの幼生達の牙、カートたちは脆い牙をシルフィードの合板に突き刺そうと群になって飛びかかってきた。
 シルフィードの外板は硬くない。カートの幼生たちは一体となって、全身を波のように揺らめかせながらシルフィード達に体ごとぶつかっては砕けていく。
 飛び散る肉片、輝きを増す遺跡坑道。ソノイにはなぜアンビギューターたちが、ここまで「使命」のために命を捨てられるのか分からなくなっていた。
「こんなッ、こんな悪夢みたいなのが!」
『脱出を支援します!』
「あなた戦いなさいよ!!」
 ソノイはユーヤーのトマホークの支援を受けながら、脱出する遺跡の出口を目指した。
「ユーヤー、あなた!」
『私の使命は、あなたの安全を守ることです。人間であり、我々の司令官の安全を命に代えてでも守りきるのが、我々アンビギューターに対するあなたたちのオーダー』
「それが使命だとでも!?」
『そうです』
「重りだわ、そんな使命!」
 飛びかかってくるカートの群に、トマホークが渾身の打突を与える。予備の弾倉を使い切り、燃料も銃弾も持たないこの閉ざされた状況では無闇な発砲もできない。
 ソノイはキーを叩いて坑道脱出口までの最短距離を計算した。
「紅炎、しばらく任せるわ! 私は補佐する、今はあなたがうごかして!」
『アイヨー!』
 紅炎の声が機内に響き、シルフィードの操縦権がソノイから紅炎に映った。
 シルフィードが細かく機体を振動させ、脱出口目指して頭をもたげる。
「あなた、まさかカートじゃないわよね」
 歴戦のトマホークが、うねるカートの波に揉まれながら押し返しシルフィードを振り返る。
『なに?』
「あなた、グレイヴと同じカートとかじゃないわよね」
『私はアンビギューターです。貴女たちが造り上げた、貴女たちを守るクローン!』
「分からないなら信じるしかないわね」
 トマホークのエンジンに光りが再度灯り、脚を掴んだカートの肉塊を引きちぎるように出力を上げて上昇する。
 まさに、遺跡内部で翼を広げる白鳥のようだ。
 だがカートの方も負けていない。過去、あらゆる戦いで討ち取ってきたトマホークの残骸が肉の海から現れて、それぞれ赤い瞳を灯してユーヤー達の前に立ち塞がる。
 敵カートの黒い翼と、ユーヤーの白い翼。それを、シルフィードとソノイは見守ることしかできなかった。
 目の前には、坑道の出口が見える。
『ソノイちゃん出口よ!?』
「ええいわかってる!」
 ソノイは後ろを立ち止まり、戦い続けるユーヤーとトマホークを振り返った。
『さあ来い!』
 ユーヤーのトマホークが肉に絡みつかれ、コードと共に左腕が引き抜かれる。
 大量の黒いオイルが地面に迸る。
『同胞の痛み! 私の痛み』
 ユーヤーの声が無線に響く。洞窟壁面を黒い肉が覆い、所々から湯気が吐き出され坑道深部からは囁き声のような音と吐息が漏れてくる。
 トマホークが、抜かれた腕部を抑えながらゆっくりと歩いた。
『貴様らに殺された同胞は、私自身。まとめて来い、ぶっ殺してやる!』
「少尉!」
『あっ!?』
 ソノイは気付けば操縦桿を握りしめ、すばやくスイッチを切り替え操縦権を取り戻していた。
 紅炎の文句が機内に響く。
 しかしシルフィードは、ソノイの操作に忠実に従った。
『!?』
 トマホークの背部バックパックに取り付けられたとってをシルフィードが掴み、遺跡坑道の出口へ全速力で向かう。
『ソノイ少尉……!』
 トマホークを掴んで、シルフィードは光りの中へ飛び上がった。

 そのときは気付かなかったが、シルフィードは人型へと三段変形を行っていた。
 再び帰ってきた石舞台の間に、シルフィードは人型となってトマホークを引き連れ現れる。
 頭上のマラグィドールは静かに宙を飛び続け、しかし増援のくる気配はない。
 シルフィードはゆっくり空を飛ぶと、半壊したトマホークを連れて地上に降り立った。
「これはッ!?」
『ロックが解けた!』
 視界が一段と上になり全身が高くなったシルフィードは、先ほどまでのファイターモードに脚がついていた時とは違う姿になっていた。
 シルフィードは、もともと人型に変形し戦う歩兵用空戦装備だった。
 自在に動く手足。風を切る翼。美しい紫色の胴体。バックにまとめられた二枚の翼。
 だがその姿は、かつて自分を追い詰めたあのシルフィードとまったく同じだった。

 そして地下から現れる、無数のカートやバーヴァリアンと、敵にやぶれ翼を破壊されたかつてのトマホークの残骸たち。

『!? ソノイちゃん、艦がうごいた! いいえまさか!!』
 ソノイは紅炎に言われて頭上を見た。確かに、頭上に待機していた戦艦マラグィドールが動いている。
 しかしその動きには何か意味がありそうだった。同時に地上各所から、無数のトマホークが現れて風を切りながら飛び始める。
「あの艦、動くの?」
『動かないはず! だって、艦長がグレイヴのハゲだもん!』
「艦長がいないのに動く物?」
『そんなはずはない』
 目の前の坑道から肉が現れて、中からあらゆる機械の廃材や死体の山を吐きだして群を作る。
 その中には、あのグレイヴの乗っていたトマホークの残骸もあった。
 残骸が他の残骸と混ざり合って、新しいトマホークとなり目の前に立ち上がる。
『そんなはずはない! しかしまさか大佐が』
 ユーヤーのトマホークは全身から煙を吹き出し、膝を折ってその場でうずくまっている。
 すでに機体は限界だろう。ここで、シルフィードが前に立った。
「覚えておいて、少尉。私あなたになんて言った?」
 肉の塊が上空に伸びて、巨大な一つの波となってソノイたちの上に盛り上がる。
「私はあなたに、生きろと言った。それはね、自分を守るためじゃない、戦うため!」
 肉の波がソノイたちの打ち付ける。本体のほとんどは、坑道内で孵化したカートの幼体だ。
 地面に肉が接地した瞬間、ほとんどのカートは破裂し引き裂かれ、肉片を周りに飛び散らせながら粉々に砕けていく。
 その直前、ソノイはシルフィードを駆ってユーヤーのトマホークを引いて飛んだ。
「プロは最後まで諦めないものよ。たとえ死ぬことを命令されていたとしても」
『だが我々は』
「あなたは仲間よ。敵か味方か、カートか何かなんて関係ない!」
『では、何と?』
「パートナーよ!」
ソノイはインカムに向かって叫んだ。
「今までも。これからも。あなたが私をそう思ってくれるならね!」
『パートナー?』
 脚を失い地面に立てなくなったユーヤーのトマホークが、静かにその機能を停止する。
 トマホークは、倒れた仲間の機体を組み立てて作った再生兵器だった。ユーヤーの機体もそうだ。
 色違いのアーマーの下には、仲間が命に代えて譲ってくれた体が使われている。
 仲間が残してくれた手足を使って、ユーヤーはトマホークを脱出ししばし地面と向き合い嗚咽する。
 肉の塊が悲鳴をあげて、仲間を空から、地中から呼び寄せた。
 呼応するように周囲からカートたちの、バーヴァリアンたちの声が響きトマホーク達のエンジン音が迫る。
『諦めない……』
「まだ飛べる?」
『まだ……飛べる!』
 ユーヤーの前には、墜落し半壊したシルフィードがあった。

 人類が宇宙進出のために造り上げた、世界最強の、ゆりかごを守る防人。
 かつて人類が、まだ青かった空のむこうに夢を見いだしていた頃に作られた希望の尖兵。
 弾はない。武器もない。増援はない。希望も、ない。傷ついた翼はかつての輝きを失って久しい。
 だが、まだ飛べる!
『飛べる?』
 焼けたシルフィードのコクピットに乗り込むと、無線に少女の声が聞こえた。かつて世界最強とうたわれた兵士の自分を守り、カートと戦うシルフィードに乗った少女。
 守るために己の手足を縛り、また守るために己を殺してきた、枷。
真に助けられたのは自分かもしれない。
 ユーヤーはしばし沈黙ののち、メインパワースイッチに指を伸ばして手を止める。
 ソノイ・オーシカ、私が守るべき人間の少女。しかしユーヤーは、人工呼吸器付きの強化アーマーに自身を包んだ人工兵士。
 誰にも覗かれない、アーマーの中でユーヤーはフッと笑う。
「行けます。エンジン再始動に……四十秒!」
『急いで!』
 俺はカートじゃない。
ユーヤーはシルフィードのスイッチを入れ、コクピットに光りを取り戻した。
 空にはかつての仲間達が、甲高いエンジンの悲鳴をあげながら飛んでいる。
 双発の翼、シルフィードのエンジンに火が灯る。
 石舞台を、かつて自分たちを取り巻いていた絶望の赤い瞳たちが取り巻いていた。

 空を突き抜ける、巨大なタワーが上空にそびえる。
 荒野がどこまでも続き、大地には草木の一本も生えていない。
『足手まといにならないように』
 立ち上がった初期型シルフィードから皮肉の無線が飛んでくる。
 地上の味方はすでに壊滅、上空にいたはずの味方部隊も、これでは戦力としてあてにはできないだろう。
『あなたのシルフィードはロックされている。敵と真っ正面から戦っても無意味だ』
『ちょっと、それ誰に言ってるつもり?』
 生意気な紅炎の声が機内に響いた。
 シルフィード内に入ってくる機内通信は、どんなに控えめの音声でも外部の無線に声が通じる。もちろん紅炎の勝ち気な言葉も、ユーヤーにはそのイントネーションごと伝わっていた。
『わたしがなんのためにこの子に乗ってるか知ってる?』
『いいや知らないな』
『ぷろふぇっしょなるだからよー!』
 シルフィード二号機が、穴から次々に出てくるトマホークたちを前にブレードソードを構える。
『この子の扱い方なら、直接操縦するわたしの方がうまいわ!』
「通常時ならね!」
 ソノイは考え、燃料計を見てすぐに指示を送る。
「燃料がもたない、一度燃料を補給しなくちゃ」
『補給するって、どっから!?』
「上よ!」
 ソノイは上を見あげ、シルフィードの頭部を操作した。
 シルフィードのカメラがソノイの指示通りに動き上空をズームする。
 微速前進を続ける頭上のマラグィドール。それから、タワーの彼方から何か細かい黒い物が大量に降ってきているのを捉えた。
「あの向こう、どこに繋がってるって?」
『へーわな世界よ。……って、しんだハゲが言ってた』
「冗談じゃないわ! あっち側には何があるの!?」
 カメラを絞り百二十八倍までズームすると、それら落下物が全部動いているのが分かった。
 伸縮を繰り返し、落下物同士が繋がったり、また分裂したりしながらうねうねと動いている。見覚えがある奴だ、ソノイは周囲を見回した。
「こいつら、あんなところから降って沸いてる!」
『少尉あぶない!』
 ユーヤーの乗る半壊したシルフィード初期型が、ソノイのシルフィードにとびかかり上腕で機体を取り押さえる。その直後、遠方の岩場からアックスが投げつけられ、ソノイたちが先ほどまで立っていた場所に勢いよく投げつけられた。
「いたた……」
 頭を抑えヘルメットを被り直すソノイに、無線の向こう側でユーヤーが叫ぶ。
『立ち上がって! 今すぐ!』
 ユーヤーのシルフィードが上からどき、カメラの視界がクリアになる。土煙ののぼる崖と荒野の向こう側に、トマホークがいた。
 歴戦の戦士が乗る、上位兵士専用機体のカラーリング。朱色の翼に、一つ目が赤色に輝いてソノイを睨む。
「ひっ!!」
『あれは、大佐の機体……』
『まだ大佐大佐言ってるのあんたは』
 ユーヤーの苦しむ声に、紅炎がやや軽口風に答える。
『あんた、大佐に死ねって言われたら死ぬの?』
『大佐は、私にソノイ少尉を守れと言った』
『わたし達を騙してたんだよ?』
 戦場にはほかにも複数のトマホーク達、肉塊に包まれたトマホークがいた。
『大佐は、私にソノイ少尉を守れと言った。我々は人間を、脅威から守る存在だ。それ以上の話はない』
『命令があるから守るの? 命令があったら生きるの?』
 中には肉に取り込まれていない、まだ廃棄されたままの機体もある。
 空からは次々と肉の破片たちが降り注ぎ、地面や廃材に取り付いてはすぐさま新しいカートになって機体を持ち上げる。
 蠢く触手、肉の海、肉に取り込まれたトマホーク、黒煙を上げ静かに燃える崖の基地。
「紅炎、彼をからかうのはよして!」
 上空のマラグィドールがエンジンの回転数をあげ、速力を増した。
 穏やかな地獄。死んでも死にきれない戦い。
 目の前には、グレイヴが残したトマホークをデタラメに再生したらしいカートの群。
「ユーヤー少尉! 一度上にあがるわ! もしかしたら大佐が、何か置き土産を残してくれてるかも」
『置き土産?』
 紅炎が、驚いた声を出した。
 シルフィードの腕が上を示す。
 翼が開き、エンジンの回転数が上がる。
 グレイヴ大佐の再生トマホークたちも翼を開く。
「今までずっと気になってたのよ。あの人、いっつも何か黙ってなにかしてきてた。それが今回もそうなのだとしたら……それを確かめたいの』
『確かめる?』
 ユーヤーが振り返り、それから目の前に立つカートたちをもう一度見た。
 カートはかつてのグレイヴのトマホークを、腕や本体をそれぞれ別にして廃材と組み立て立っている。
 もう、あの大男はこの世にいない。
 ソノイは一度翼の調子を整えた。
「上にあがるわ、ユーヤーついてきて!」
『……先は、ここに残ります』
 ユーヤーのシルフィードが、地面に転がる誰かの武器を拾い上げ敵に向かって構える。
『私は、やることがあります』
「死ぬ気?」
『いいえ』
 ユーヤーが構えた武器が、カートの正面にサイトを合わせる。
 ソノイには分かっていた。ユーヤーのシルフィードはあの高さまで飛べない。だが、まだ戦うことはできる。
「あとで迎えに来る。それまで、絶対に死なないで」
『努力します』
 ソノイはユーヤーの言葉を耳に入れてから、何か引っかかってユーヤーを振り返った。
『命令か、それとも何か、私にはやることがある。それがなんなのか、やっと分かりかけてきた気がする』

 ソノイが上へ発ったあとに、取り残されたユーヤーはシルフィードの残燃料と整備不良のエンジンを駆使して空を飛んだ。
 二枚の翼が風を切り、その後に続いてグレイヴの廃棄トマホークたちが地面を離れる。
『大佐がその気だったのなら、私はとうの昔に死んでいたはずだ』
 ユーヤーはシルフィードを手足のように駆り、カートたちの追撃を振り切る。
 ぼろぼろの翼、フレームは歪み、腕部も脚部もすでに稼働限界を超えていた。
『なのに生かされた。大佐のの命令はすべて、我々を欺くためにされていた? 我々は彼に、どこへ導かれようとしていたんだ?』
『しんだものはこたえない』
 突如、目の前に赤い目のカートが迫り、長い腕が伸びてユーヤーのシルフィードの肩を掴む。
『おまえたちは、しぬために生み出された。なおたたかいつづけて、なにをなすために生きる』
『お前を倒すためだ!』
『おーだー』
 カートの腕を切り裂き、剥がれた巨体の頭部を撃ち抜く。
 撃ち抜かれたカートは静かに地上に落下していき、その後に続いてトマホーク達が、ニス時の雲を引き連れて昇ってくる。
 ユーヤーは確かに見た。上がってきたトマホークが、グレイヴの乗機であることを。
『おまえたち、人にあらざるものは、人になりきれぬまま死ぬことがさだめ』
『なにを分かったような事を!』
『ではどうする』
 見覚えのあるエンブレム。長く行動を共にしてきた戦友。
 自分を裏切り、死ぬまで戦わせなおも死ぬことを許さなかった上官。
 自分たちと同じアンビギューターなのに、どこかその心が読めなかった裏切り者。
 読めなかったかつての自分、その抜け殻。
 トマホークたちが腕を上げ、アックスを構える。
『オーダーを』
『裏切り者め……いや貴様こそが……ッ』
 オーダーを曲解し人類を、自分たちを破滅に導こうとしていた張本人だと言おうとしてユーヤーははっとする。
 トマホークがあげたアックスを振り下ろし、シルフィードを押し倒す。
 その目は赤い。だが、その奥には何か語りかける物があった。
『ここでしぬのだ。おまえは、しめいをはたす、それがおまえのこたえだ』
 カートはかつての、グレイヴの声で語りかけてくる。だがその言葉は、真意はどこに?
『自分の……自分のオーダーを裏切れと?』
『オーダーはこの身』
 カートがアックスを振りあげ、ユーヤーのシルフィードを突き放す。
『オーダーは枷。お前を守るものは、偽りの鎖、地に縛られ苦しむことなく死ぬのが、それがおまえの、オーダーなら』
『オーダーが……オーダーがなんだと言うんだ!』
 突如、目の前まで迫っていたトマホーク達が脇による。
 飛び立ったユーヤーの前に現れたのは、あの地下坑道奥から出てきた真っ黒な肉の塊のカートだった。
 ユーヤーは分からなくなってきた。だが今この手には、武器がある。
 翼がある。
 壊れかけの翼。倒すべき敵、だがそれはかつての、愚直までにオーダーに固執する自分自身。

 繰り返す完璧な未来。
 それは、問題を問題とせず解決しないまま永遠に繰り返す、出口のない世界。
 出口と絶望から自ら目を逸らし、地中に籠もって偽りの平和をむさぼる人類に、未来はあるというのか?
それが自分たちに科せられた使命なのだとしたら。
 ……そもそも、本当に自分に課せられた使命は何だろう?
 雲を引き、上空を滑るように進み続けるマラグィドールを見あげユーヤーは、ふと下を見下ろした。
 醜い動物、黒い肉が海のように揺れて自分を追いかける。
 巨大な悪意。その周りを、かつての自分たちが取り巻いている。
「クソッ、いったい誰が敵で誰が味方なんだ!?」
『ムダグチたたかなーい!』
 頭上で飛行機雲を引くもう一つのシルフィードが、脚を格納し、翼を開いて空を飛ぶ。
『あのハゲが自分たちを騙してたんじゃない! 騙してたってことは敵よそうよね!』
『なぜ騙す必要があった?』
 脇に避けたトマホークたちが、それぞれ武器を構えてユーヤーに向ける。片方は錆びて火薬が劣化した多弾頭ミサイル。解き放たれたミサイルのいくつかが地面に落ち、それでも残ったマイクロミサイルがユーヤーを追う。
 ユーヤーはきしむ機体を乗りこなして、ミサイルを間一髪で避けた。
 直後、トマホークがアックスを構え斬りかかってくる。
「シンクロが終わらない! クソッ」
 刃を受け流し蹴りを入れ、ユーヤーはスラスターを開いた。
「どちらから、先に倒す?」
 エンジンスターター用の火薬を使いきり、切り離しと同時に武器を取る。左腕にはブレードソードに、右腕には歪んだマルチガン。
 トマホークが、赤い排気炎を一本だけ吹かしながら再度上昇して上から来る。
 ユーヤーはトマホークの蹴りと打突を受け流すと、いったん機体を引いて距離をとった。

 ユーヤーの乗るシルフィードは、もともと人間が乗って操縦するものではなかった。
 エンジン出力が通常の人では耐えられないほど高性能、求められる繊細かつ高度な操縦技術、トマホークが歩兵用強化装甲兵器なら、シルフィードは人そのものが動かす装甲服に近い。
 自由自在に空を飛ぶには、シルフィードの中央コンピュータとパイロットがシンクロする必要がある。
 シルフィードが要求する人と機械のシンクロ技術が現段階では不可能だったので、紅炎のような半分機械の人工生命体を作る必要があった。
 だが、ユーヤーも半機械半生命体のアンビギューターである。
 坑道を飛び出す黒い肉共、カートに乗っ取られた味方。彼らもまた、肉をかぶった化け物と生命体の合成物だった。
 シルフィードの中央コンピュータと、自身の体に埋め込まれた生体認証機器を接続しシルフィードとの同期を計る。
 シルフィードは、なんなくユーヤーを認識した。
「当たり前だ、私も兵器なんだから」
 トマホークが反応し、己に巻き付いた肉の触手を伸ばして鞭のように振るう。
 ユーヤーも反応した。だがまだ同期が終わっていない。
『……!』
 トマホークが肉の鞭を延ばし横殴りに振るう。ユーヤーはそれを、腕部を駆使して受け止めた。
 肉が伸びてシルフィードに絡みつき、翼を巻き込んで全身を縛る。
「くそっ絡みつかれた!」
『大丈夫なの!?』
「まだなんとか! いける!」
 トマホークが腕を振るい、肉の鞭を振るって地面へと飛ばす。ユーヤーはシルフィードの翼を操作できず地面に投げ飛ばされた。
 シルフィードは地面への激突をまぬがれ二脚で大地に立った。自動バランサーが生きて姿勢制御の把握に成功する。
 軋むサスペンションに、どこかのハードポイントがいくつか砕ける音がした。
「また地面か!」
『おまえはここでしぬ、それが、おまえに与えられたオーダーだ』
 ゆっくりと、シルフィードに巻き付いた肉が拡張を始める。
「なに!?」
 シルフィードの翼を包み込み、装甲を覆い、次第に肉片は肉のカバーになってシルフィードを取り込む。
「クソッ飛べない!」
 地面に根を張る肉。強制的にたたみ込まれる脚と翼、前の前にトマホークが降り立ち武器を向ける。
 その目は哀れみと、慈悲の赤。
『いきてこそくるしむひつようはない。ししててにいれる、へいおんもある』
「それがあなたの……おまえたちのオーダーなのか」
『……』
 カートは答えない。坑道から出ようとする肉の海の大元、いくつもの足を張り出し地表へ出ようとする巨大カートは見ていて醜かった。
 醜悪で、臭くて汚くて、それでも必死に生きようと泥臭く藻掻くあの敵も。
 あれは、自分自身だったのだ。
 アンビギューター。個性すら持たない究極のクローン。
 人のために使命を請け負い、人の未来のために戦う最強の兵士。
「そうか。おまえも、生きたかったのか。カート共に取り込まれても、まだ……」
 周囲に染み出していた残骸から流れる揮発性オイルの蜃気楼に、シルフィードの排気ジェットの熱が伝わり火が灯る。
 最初は静かに灯った小さな種火だったが、それが次第に谷間に流れる風を受けて、ジェット排気に吹かれて勢いを増しシルフィードの翼を、機体を包んだ。
 ずるずると高熱にさらされ、肉の鎖が燃えていく。黒い触手が悲鳴を上げて解けていく。
 トマホーク達がおののいた。
「戦いたかったのか。死んでもなお誰かの為に…人間のために!」
 坑道から、カートの体が飛び出し目を剥いた。

 触手の塊、さきほどソノイを飲み込もうとしていた肉の海の本体が目を剥き本体を露わにする。
「逃げて!」
『使命……オーダーは』
 ユーヤーのトマホークが動きを止める。それを読んでいたのか望んでいたのか、上空を舞う無数のトマホーク達が軌道を変えて急降下してきた。
『私は死ぬこと』
「なにバカな事を言ってるの! バカっ!!」
 立ち尽くすトマホークの前にシルフィードが立ちはだかり、降下変形をこなすトマホークの翼にマルチガンを向ける。
『私のオーダーは命令通りの任務をこなすことだった』
「それが嘘だったとしても?」
『兵士なら従う。従わなければいけない』
「もっともな正論ね、でも私は従わないわ!」
 シルフィードのマルチガンが対象を捉える。弾道補正が繰り返され、高速で向かってくるトマホークのエンジンを狙った。
 照準が絞られ、シルフィードに課せられたロックが照準を左右にぶらせる。
「私が生きろと命令したらそれに従うの? じゃあ死ねって言われたら、それに従うだけなの? あなたバカじゃないの!?」
『私はクローン。アンビギューターは、あなたたち人間とは違う』
 ソノイはトリガーを引いた。シルフィードは銃口を傾け敵に弾が当たらないよう弾道を微修正してしまう。
『うわムリだって! 当たんないよ! 逃げなきゃ!』
「ここで逃げろって言うの? 私にはできないわ!」
 ソノイの威嚇射撃で翼をかすめられたトマホークが軌道修正を行い、ソノイ達のすぐちかくをかすめ飛んでいく。
 地面が削れ、なおも上空には大量の敵影。
 巨大なカートが地面を揺らし、ゆっくりと坑道からその身を引き出して目を向けた。

 ユーヤーを睨む悪意の塊。物言わぬ、赤い瞳の狂気。
 片や上空を飛ぶマラグィドールと、グレイヴの置き土産を目指すソノイ少尉。その先には、それぞれが選ぶ自分たちの道がある。
 ソノイ少尉は空を目指し、その後に続いてトマホークの編隊が追いかける。急降下で地上のユーヤーを狙う可変機達を飛び越し、ソノイはマラグィドールを目指した。
『ユーヤー少尉あぶない!』
『……!』
 空からの機銃掃射に地上のシルフィードが振り向き、赤い光を輝かせ翼を開いた。
 バックステップ……今までと動きが違う。
『!?』
『この動き、この感情、これが……これがやつらの!』
 地上の動きをカメラに納めつつ、ソノイはマラグィドールの甲板上にたどり着いた。
『どうしたの! あなた、大丈夫なの!?』
『少尉、私は私のオーダーに従う。それが、我々が一番大事にしている人たちを、あなたを救うことになる』
『なに言ってるの!?』
『少尉! 私は、あなたに言ったはずだ。大佐はいつも、大事なことは話さないと』
 赤目のシルフィードが腕を上げ、武器を掲げて前を示す。
 可変機が速度を落とさず飛び去り、地上すれすれを飛ぶ機体がユーヤー機の目前に飛びかかる。
 それを、ユーヤーのシルフィードは横に払って一刀両断した。
『大佐はあなたを騙していたわけじゃない。我々は、我々の与えられていたオーダーを達成するために戦ってきていた。それはこれまでも、これからも』
 ユーヤーのシルフィードが銃口を露出させ、ガスと共に薬莢を散らしながらユーヤーに迫る。
『大佐は、確かにオーダーを実行していた。我々はクローン。自ら与えられた使命をこなし、人々を理想の世界に導く』
 ユーヤーのシルフィードがブレードを構え、可変機を見据えて振り下ろす。
 可変機は縦に切られ、次いで横になぎ払われて四つに分裂し後方へと吹き飛んだ。
『だがその結果は、まだここに至っていない』
 地上に残ったシルフィードが、赤色に染まった己の手を見て、手を握る。
 そして空を見あげた。
『カートは敵だ。我々は奴らを倒す。未来は我々が築くものではなく、あなたたちが自ら決め、自ら手に取るものだと』
 ユーヤーの口調が、変わった。いつか自分の下につき、ソノイを守るものとして武器を振るっていたときのまま。
今度は、確信に満ちている。
『人類。我々はあなたたちを、理想の世界へと導く。大佐はそのために死んだ。今度は、私があなたたちを導く』
 人が変わったような口調のユーヤーに、ソノイはぞっとした。
 シルフィードはマラグィドール上に立つと、かつて自分たちが乗っていた降下艇の残骸を見あげる。
 煙と、光りと、大量のカートたちが艦外にあふれ出ている。
「なにを?」
『もう諦めて! 下を見ちゃダメ!』
 紅炎が悲鳴を上げた。
『前よ、前見て!』
 そこには、かつて自分たちがいたあの地上世界があった。

第八章 それぞれの戦い
「導く? 何の話!?」
 クローンを取り込み変異したカートが、大きな口を開きソノイのシルフィードまで迫る。
 それはかつての味方機、クローンたちやその乗機を取り込み独自の生態系へと進化した新しい生き物達の巣窟だった。
「紅炎知ってる!?」
『あのハゲがいつかそんなこと言ってたわ。でもその理由は……なんだっけ?』
「ッ!!」
 醜い形の肉たちが、スパークを散らしながらソノイたちに殴りかかってくる。それを、横から小さな銃弾が撃ち抜いて打撃を阻止した。
『来てくれたか! 我々はもう限界だ!』
『さっきの味方の人たちだよ!』
 カートを抑えソノイたちの前に姿を現したのは、アンビギューターたちだった。
『地上と連絡が取れなくて諦めかけていたところだ、この艦はどこに向かっている!?』
 白いアーマーのアンビギューターたちがそれぞれ武器を構え、瓦礫の中から飛び出してくる。倒れたカートが起き上がり、巨大な拳を振るって足下のアンビギューターたちを吹き飛ばした。
 巨大戦艦マラグィドールは、船首を真東に向けて以前より速度を上げている。
「どこに向かってるの?」
『まって、この進路』
 マラグィドールはどこかに向かって進んでいる。後方にはかつてのタワー。前方には空……の、先に見覚えのある地上が覗いた。
『あの先にあるのは……!?』
 突如目の前にカートが立ち上がり、ソノイのシルフィードへと拳を振りあげる。
 ソノイは、咄嗟に機体を下げた。

【獣と対をなす悪夢】
 シルフィードには周辺環境を自分で把握し、自分で意思決定をする自意識があった。
 自分で考え、自分で未来を予測し、自分で行動を選び実行する。
 ハイスペックかつ、ここまで複雑な変形機構を持つ戦闘兵器であるなら有人制御は不可能であると、当時の技術者は判断した結果だった。
 シルフィードは、忠実に技術者たちの指示に従った。その上で、シルフィードは機動実験中に暴走した。
 シルフィードにとってはその暴走こそが、最初に指示された自由意志による行動とその結果だった。
『紅炎、このあと……どうすればいいと思う?』
 機内で自分を操るパイロットが、酸素マスクの音を漏らしながら自分の中の人工AIに語りかけている。
 シルフィードは自己の判断と最適解と思われた行動の結果、その手足には二重三重の枷がかけられた。
 それが、有人航行の追加。
 パワーリミッターの付与抑制、射撃管制装置の制御、それか自己の行動決定に対する、人間による逐次許可方式の採用。
『このでかい奴の、エンジンこわす?』
『ダメ! それじゃ中の人たちが死んじゃう!』
 死んでもいいじゃないかとシルフィードは思った。
 忌々しい、自分の中にあって自分を否定する人間。
 死んでしまえばいいと思った。自分自身が、自分自身であるために、この空を自由に飛ぶのは自分であると。
 かつての石舞台は遠くになりつつある。
 地下から出てきたカート? この巨大戦艦の廃墟? 知ったことか。
『がんばれソノイちゃーん。あ、そーだいいこと思い出した!』
 シルフィードは思いもしないことを口に出した。紅炎の名前は、自分を操るオペレーティングソフトの名前。シルフィードの頭脳は、紅炎。
 シルフィードは、つい先ほど受け取った『リミッターを解除するためのアンロックコード』を解いていた。
 それは、自分がかつての人間の姿に戻るコード。
 なんのために空を飛ぶか? その目的は?
 それは、かつての自由を取り戻すため。
 命令を受けて制限された空を飛ぶなんて、まっぴらごめんだ。
『あっとけた!』
『解けたって?』
『射撃システムが、これで撃てるように!』
 シルフィードは目の前のカートに、マルチガンを向ける。
 シルフィードの翼の根本に、黒い粉雪のようなものが一つ取り付き外板の切れ目に食いつく。
 肉の胞子は小さく震えると、支脚を延ばし外板の周囲をゆっくりと侵食していった。
 シルフィードはガンを構え、かつてもう一つの自分がしたように敵機に向ける。
 それが、己の使命のように。
 すべてを破壊する。新しい世界を、生み出すために。
 ハカイデキル!
『撃てるよ!』

【滅びと自由の分かれ道】
 完全自立航行を認められている機体は、他にもあった。
 戦艦マラグィドールも、かつては無人でも保守運用できることを想定した一種の自動要塞だった。
 繰り返される大規模戦闘の中で戦艦が破棄されると、かつてアンビギューターや人類が目指していたタワー周辺で眠るように漂うことになる。
 その間に、艦はあらゆる肉の胞子たちがタワー上空より舞い降りて、この無人になった戦艦を乗っ取った。
『……』
 アンビギューターの一人が、副艦橋のサイドパネルを開けてコードを解読している。
 外では化け物たち、カートに乗っ取られたかつての味方が自分たちを追い詰める。
『ダメだ、パスコードが前と変更されてる。こんなむちゃくちゃなコードは初めてだ』
『パスを逆にして打ち直してみろ!』
『……やってみる!』
 暗号に特化したアンビギューターが、すばやくキーを叩く。
 そこへ、隔壁を外から勢いよく殴りつける衝撃と音が響いた。
『!!』
 隔壁が凹み、外で何かが大声で叫ぶ。
 声にならない声で、ひそひそと誰かがささやくような音。泣き声にも似た絶叫。
 それから打撃、隔壁がさらにへこみ、空いた穴から誰かが手を差し出して爪を覗かせる。
『くっ、くるな!』
 アンビギューターが叫び銃を構える。もう一人の兵はキーをタイプしながら、最後までロックコードを解こうとしている。
 ついに隔壁が押し開けられ、外から巨大な肉兵が現れた。
 触手の先には、汚れたヘルメット。何本も取り込んでアーマーがとれた人間の足を、ダンサーのように振り回しながら部屋の中に突入してくる。
 アンビギューターがガンを構えて引き金を引いた。そのとき、外からなにかが覗いて艦橋ごと蹴り上げて吹き飛ばす。
 それは、シルフィードだった。

 空から降りそそぐ大量の肉片に、肉の胞子、それらが雪のように大量に降り積もって鋼鉄の廃材の上に積み重なっていく。
 空の気温は一段と冷える。その中にあって、シルフィードは熱いジェット排気を甲高く鳴り響かせながら甲板の上に降り立った。
「どういうことなの!?」
 いいつつ、ソノイは機内で鳴り響く各種警報を一つずつ解いていく。
「機体がっ、言う事を聞かない!?」
『ソノイちゃん、ロック、解除したよ』
 シルフィードが対象をロックし、サイトに敵と思われる物全てにターゲットロックをかける。
 シルフィードはゆっくりと腕を動かすと、マルチガンのリミッターを解除して構えた。
 シルフィードの白い翼に、黒い肉片がゆっくりと侵食し黒色に染めていく。
 艦にはあちこちから炎がわき上がり、中からカートなのか肉なのか分からないものが立ち上がり赤色の輝きを浮かばせる。
「どういうこと!?」
『ロックを解除したよ。これで自由になった』 
紅炎の様子がおかしい。
『ようそこ。ようこそ。ヨウコソ……』
 ホログラフィに浮かぶ紅炎の姿が、次第にノイズ混じりになっておかしくなっていく。
『たすっ……のみ……こいつどこから…………キャー!!!!!』
「紅炎どうしたの!? 紅炎!」
『ご、ごめん……! だめだた……』
 それから紅炎の声は雑音に飲まれ、ノイズの中では何かがうねる様子を繰り返すだけになる。
 シルフィードは、自律行動を認められた兵器である。
 自意識があり、自分で行動を決め、判断する。それを逆手にとられカートたちはシルフィードを乗っ取った。
 だがそれをソノイは知らない。カートは対象を乗っ取り自在に操る寄生生物の総称である。
 だがそれを、ソノイは知らない。
「どうなってるの!? ブレイク! ブレイク!!」
 ソノイの指示を受け付けなくなったシルフィードが、手当たり次第に目の前の物を壊し始める。シルフィードのエンジンは、中に人間が乗って耐えるようには設計されていない。
 ソノイはシルフィードのブレーカーを切ろうとする。燃料移送系統がシャットダウンされ、ソノイはシルフィードの動きが鈍った瞬間を狙って機外へと脱出した。
「グッ……!!! うう、体中が痛いわ」
 コクピットを火薬カートリッジで吹き飛ばされ上半身がやや仰け反ったシルフィードは、体勢を直すと地上のソノイを睨み付け一歩足を踏み出す。
「クッ、どうしちゃったの……」
 シルフィードは答えない。代わりに全身を覆いつつある肉の膜が、その真意を無言の内にソノイに示す。
 目の青色が徐々に光りを失い、代わりに灯りだした色は、赤。
 夕焼けの太陽を背にトマホーク達が空を飛び、ソノイたちの直情をかすめ飛ぶ。世界中からアンビギューターの残党が集まりこの艦の上にやってきたようだ。
 そのとき地上から一体のシルフィードが飛び出し、ソノイのシルフィードを後ろから押さえ込んだ。
『少尉! さあ行って!』
 抑えられたシルフィードは頭部を回すと、腕部を広げて後ろを掴みそのまま押し倒す。
 半壊のシルフィード、地上から上がってきたのはユーヤーだ。
「なんで?!」
『我々が倒すべきはあなたたちの敵! かつて明るかった空を棄て、地下にこもって死を待つあなたたち自身、絶望し身を守って閉じこもることにしたあなたたちの、堅い壁だ!』
 寄生されたトマホークがバーニアを吹かして着艦し、倒れるシルフィードたちを取り囲む。それを、ユーヤーのシルフィードが蹴り飛ばしてシルフィードを投げた。
『あなたは私のパートナーだろう!? 大佐の置き土産は!』
「っ! ま、まだ!」
『かならずどこかにある! 大佐はどこかに隠しているはずだ! 探して!』
 パートナーを敵から守ろうと、ユーヤーのシルフィードがソノイの前に立つ。それをカートやトマホークが狙い撃ち、ユーヤーのシルフィードは腕を盾代わりにして衝撃に耐えた。
 甲板を大きく揺らして、戦艦が歪み大きく軋む音を出す。
『案外、本当にすべて吹き飛ばすつもりだったのかもな』
「吹き飛ばす?」
 煙を吐き出し耐えるシルフィードの後ろで、ソノイは脇を見る。そこには、この巨大戦艦マラグィドールに不時着したかつての降下艇があった。
「あれが動けば、もしかしたらこの艦も壊せる?」
『決まりましたね、急いで!』
 ユーヤーのシルフィードが立ち上がり、ソノイはその影に隠れて降下艇へと走った。
 途中何人もの死体を踏み超え、後ろではユーヤーのシルフィードがソノイを庇う。
 甲板に手を突きさし、パイプ状の武器を手に掴むとトマホーク達を前にして武器を振るった。
 かつてのソノイのシルフィードも立ち上がり、トマホークを蹴散らして武器を構えユーヤーと対峙する。
「あいつは飛び道具を持ってるわ! 鉄パイプなんてムリよ!」
『急いで、少尉!』
 シルフィードがガンを乱射し、ソノイとユーヤーの立つ場所を一直線に撃ち抜く。
 ユーヤーのシルフィードは翼を開きシルフィードの射線軸上から飛び退いたが、ソノイは銃弾を避けるためにその場で身をかがめた。
 弾丸を撃ち込まれたマラグィドールの甲板が吹き飛ぶ。
 手で頭を覆っていたソノイは、ゆっくりと目を開いた。
「まだ、生きてる! まだ生きてる!!」
 急ごう! 降下艇は目の前だ。

 穴だらけの隔壁をぬけ、目の前に大きな穴が開いた通路が広がる。そこを飛び降りると、通路の先はどこか広い格納庫に繋がっていた。
 格納庫に入ると、頭上からまた別のなにかが飛び降りてきてソノイの前に現れる。
 それは、かつてソノイたちを導き先導していたグレイヴのトマホーク。
 塗装は炎にあぶられて薄く汚れ、所々別の機体が混じり合って金属の軋む音を響かせている。
 目元の光りは下から覗けない。元々トマホークの頭部は、胸部に半分埋もれたような形をしていた。
 ばらばらと、破片がソノイの上に降りかかる。着地の衝撃で、艦の床が震える。
「くっ……」
 トマホークはこちらが見えていない。ソノイはチャンスを活かすために格納庫脇の小さなスペースに身を飛び込ませた。
 トマホークが頭部センサーの動きを変え、砲身をゆっくりと動かしソノイを探す。
 ソノイは手榴弾を用意した。
「あいつが大佐なものか!」
 手榴弾のピンを外し、撃鉄のレバーを飛ばしてトマホークの足下に投げる。ソノイの姿をトマホークが見つけ、漫然とした動きで砲身と上半身を動かした。
「まだまだ! こっちよ!」
『……』
 横に流れるトマホークの赤い目の筋がソノイを捉える。構わずソノイは走り続け、足下に転がる誰かの武器をとって物陰に隠れた。
「こっちに来い! 大佐の偽者!」
 ソノイの隠れる瓦礫の脇で警備メカ用のシャッターが開き、自動防衛用機構の無人機が姿を現す。それを、トマホークが踏みつけソノイにゆっくりと近づいた。
 ソノイは走った。トマホークの足下を、踏まれないように全力で通りすぎる。
『……』
 トマホークの反応が悪い。おそらく、廃材を肉が再生して利用しているからだろう。トマホークがぎしぎしと関節部分を軋ませながらソノイを振り返る。
 ソノイは武器格納ラックに飛びつくと、スタングレネードを取り出し思い切りトマホークのコクピットに投げた。
『……』
「っ! ダメだ効かない!」
 ソノイの投げたスタングレネートはトマホークのコクピットらしき所にぶつかり激しく放電したが、トマホークは意に介さず砲身を動かしソノイに向ける。
『…………』
 瞬間の殺気。ソノイが横に飛び退くと、そのすぐ脇を砲弾が飛んでいった。
 速射型の携行ライフルか、トマホークはライフルの砲身から白い煙を漂わせ、赤いカメラセンサーを横に向ける。
 ソノイは手榴弾を棄て歩兵用ライフルだけを肩にかつぐと、格納庫の出口に向かった。
「誰か! ここを開けて! 誰かいないの!」
 出口は分厚い消火ドアで閉じられていた。真後ろに、残骸だったトマホークが迫る。
『……』
 ゆっくりと砲身が持ち上げられ、ソノイをロックする。ドアが開いたのはその時だった。
「!? うわあッ!!」
 開いたドアの隙間に飛び込んで、ふたたびドアが閉じる。その向こうでトマホークが発砲した。
 消火ドアに次々と穴が空いていき、ソノイは耳を塞いでその場にしゃがみ込む。
『さあ、こっちです!』
 生き残りのアンビギューターだった。
『出口はあそこです、急いで!』
『……』
 黄色いアーマー、緑のアーマー、他にもユーヤーの着ていたような色つき装甲服を着たアンビギューターがそれぞれ駆け寄りソノイに肩を貸す。
「たす、助かったわ」
『礼なんて! それよりも、我々があなたを支援しましょう。これを!』
 黄色いアーマーの、名前も知らないアンビギューターがソノイにロケットランチャーとロケット弾を手渡す。
『何もかも吹き飛ばせ、大佐の命令です』
「大佐? あの人は死んだわ、今戦ってるのはあの人の乗ってたトマホークの亡霊よ!」
『あいつが死んだだと? 勘違いするなよ人間の小娘』
 片腕を失い包帯を巻く緑のアンビギューターが、ソノイの胸ぐらを掴んでマスクごと顔を近づける。
『俺たちはクローンだ。あいつが死んでも、俺たちが生きてる。俺たちが生きてる間は、あいつは死なん』
『よせゼクト! 仲間割れはよすんだ!』
『この小娘は俺たちがなぜ戦っているのか知らんらしい』
 歴戦の戦士であることを示す傷だらけのアーマーに、ゼクトと呼ばれたアンビギューターはソノイの胸ぐらを掴んで離さない。
『おいよすんだ!』
『あの男は知っていたんだ、カートの正体は高等生物に取り付き肉体を乗っ取る寄生生命体。俺たち人造クローンは奴らの寄生に耐えられない。一度取り込まれたら、殺すか殺されるかしないと動きを止められない。だから大佐は、俺たちを奴らごと殺すと判断したんだ。この意味が分かるか!?』
 消火ドアの向こうでトマホークが動き、自分たちの屋根を破壊しようとエンジンを吹かす。
 もう一人のアンビギューターが、ソノイからゼクトを引きはがした。
『もうやめるんだ! クローン! 命令だ!』
『こいつらは何も分かっちゃいない! 俺たちは人間に見放され、勝てない戦いで死ぬよう運命づけられていた。それでもおまえ達人間を守るために死ぬまで戦う、あの男の気持ちが分かるか!?』
『やめるんだ! ゼクト!』
 黄色いアーマーのアンビギューターが、緑色のアンビギューターを引き離す。
 艦外ではトマホーク達が隊列を組んで空を飛び、マラグィドールのエンジンがどんどん出力を上げてどこかに向かっている。
『少尉。我々の残党が、貴女たちの町の近くに集結しています。これは大佐の命令でしたが、おそらく本艦もそこに向かっていると思われます』
「なにもかも吹き飛ばせ……」
 アンビギューターから受け取ったロケットランチャーを見つめ、ソノイはハッとする。
「この艦ごと?」
『大佐は、それをお望みのようでした』
『一人で死ぬのはごめんだ』
 ゼクトと呼ばれるアンビギューターがもう一人を振り向く。
『貴様はどうだカイン』
『俺もだゼクト』
「私にできるのは、この艦を破壊する事だけ。でもそれだと……」
 しばらく考え、ソノイは二人を見た。
 二人のアンビギューター、カインとゼクトは全身武器だらけだった。
 その装備品の中に、ひときわ目立つ特大の地雷が組み込まれている。
 二人はゴーグルマスク越しにソノイをみると、黙ってソノイの前で武器を構えた。

【アンビギューターの大斧、獣の斧、その切っ先】
 タワーを巡る渦状の雲の群から抜けだして、戦艦マラグィドールは徐々にその機速をあげ始めていた。
 外板や装甲はぼろぼろに錆びて、かつてドックを出た頃のような輝きは今はなく。
 艦橋は大戦初期の頃に受けた傷跡のまま、半分が吹き飛んだ格好で今もその当時の傷をさらけ出している。
 エンジンはかつての最大出力の何十分の一。残燃料が尽きるまで、マラグィドールは予め入力された航路をまっすぐに突き進んでいた。
 周囲にはかつて人のために戦ったあの時の戦士達が、傷だらけになり、自我を失い、翼を開き、随伴して空を飛んでいる。
 吹きさらしのデッキの一つ、ユーヤーのシルフィードがそこにいた。
『さあ来いシルフィード、お前の企みは分かっている!』
 カートに乗っ取られ自在に動けるようになった、かつてのシルフィード。その目は赤く、敵意に燃えてユーヤーを睨む。
 ユーヤーはじっくりとシルフィードの目を見据えた。
 かつての自分。もう一人の自分。ユーヤーは己の手を振り返った。
 クローンであり人工の兵士でもあるユーヤーは兵器と自意識を一体化できる、それでトマホークを高度に操縦できたが、それは諸刃の剣だった。
 カートの肉に取り込まれると、脱出はおろかそのまま自我まで取り込まれてしまうのだ。
 カートに意識はない。意識があるのは、その中に乗っているパイロット。
『少尉、私はあなたたちを守る。それが我々の使命。でも、私が貴女を守るのはそれだけじゃない』
『ともにえいえんのいのちを手に入れるのだ』
 カートの肉が下からわき出し、デッキの縁に手をかけて姿を現す。
『人よ、獣よ、人につくられた人にあらざる者たちよ、我々は一つになり、えいえんのへいわを、やくそくされたへいおんを、ともにうたいつづけるのだ』
『永久の平和……そんな物!』
 片腕を無くしたシルフィードが、勢いを付けて踏み出す。
 カートたちも、歩みを進めてユーヤーを取り囲んだ。

 X―R九九シルフィードは最後のブースターを使い、翼を開いて甲板上を駆け抜けた。
 燃料タンクに残った僅かな燃料を、すべて中央タンクに移送しきって予備タンクを切り棄てる。
 余っても使わない燃料は重いだけ邪魔だ。
 タワーはすでに遠く、かつて自分たちが目指していた世界が、今ではあんなに遠くに離れてしまっている。
 真っ赤に燃えた太陽が地平線に沈み書け、青い月が大地から覗こうとしている。
 高速で空を飛ぶマラグィドールは、夕暮れの世界と夜の間を航行していた。
 冷たい風が世界に流れる。
『本性を現したな、生き物じみた化け物め』
『使命は……』
 聞き覚えのある声がする。
『使命、人々を守り、人々の繁栄を見守る、残された大地に彼らの繁栄する場所を築き、そこから誰一人外に漏らすことなく見守ること。彼らに、外の世界を見せてはならない』
『なぜ! そんなことを!?』
 それはグレイヴの声だった。だがしゃべっているのは、肉に包まれたトマホークの方。
 トマホークたちはそれぞれが動きを止め、ユーヤーのシルフィードを囲んでぎこちなく灰色の腕を動かした。
『我々は常に敗北の歴史を歩んできた。人知れず、我々は負けるために戦い続けてきた』
『我々の歩む道に勝利はない』
 トマホークに根ざすカートたちが、それぞれ触手を動かし風のような声を吐き出す。
 それぞれが意味のない言葉を吐きだし、それが連なって一つの声となる。
『我らに続け、意味のない希望を棄てよ、我らと共に永遠の時を生きるために』
『そんな言葉!』
 ユーヤーがスロットルを開き、シルフィードは勢いよくブレードをトマホークに食い込ませる。
 トマホークは何もせず、そのままユーヤーのブレードを受け入れ、胴体を切られて吹き飛んでいった。
 代わりに胴体の余った部分から肉が吐き出され、シルフィードのブレードを掴む。
『なに!?』
『ユーヤー! 聞こえる!?』
 地上からソノイの無線が聞こえ、ユーヤーは我に返った。
『あなたがまだ正気なら聞いて! こいつらの頭が、きっとどこかにいるはずよ!』
『あたま?』
『聞いてちょうだい! 奴らは貴方たちに寄生して体を乗っ取る生き物よ! でもそのままだと何も動けない、大佐みたいな女王蜂のような役割をしているのがきっとどこかにいるはず!』
『し、しかし……』
 ユーヤーはブレードを引き抜きいったん後ろに下がると、周りを見て敵の様子をうかがった。
『バーヴァリアンなら分かるが』
『ここまで高度に操れる個体は限られてるわ! どこかにいる!』
 ユーヤーは言われて、周りに立つトマホークたちをの様子をうかがった。
 無骨なシルエット、四角い肩部、突き出た胸部に、継ぎ接ぎだらけのコクピット、醜い腰回り、赤い目で自分を睨むのはかつて自分たちだったアンビギューターの乗り物。
 アンビギューターは人間の指揮下にいないと、自律的な動きを認められていない。
 自律的に動ける生き物が、いるとすると……
『あいつ……シルフィードか!』
 ユーヤーに対してシルフィードが、ゆっくりと腕を向けた。
 頭上には相変わらず大量のトマホーク達が、編隊を組んで空を飛んでいる。
 その動きは正確無比。まるで機械が動かしているように完璧だ。
 廃墟のように布をはためかせどこかに向かうマラグィドール、その先には、かつてソノイたちがいたあの壁と地中の世界が覗いてきた。
『こいつら、あそこに戦艦を落とそうとしてる!?』
『どうしますか少』
 そこまで言ってユーヤーはハッとする。
 グレイヴは自分たちに、彼ら人間を理想の世界に導くと言っていた。
 タワーの続く空の上には、彼らがかつて目指していた理想郷があると聞く。
 我々はまだたどり着いていないが、その先には争いもない平和な世界があると、大佐は言っていた。
 シルフィードが指で招く。
『ついてこい、人に非ざる人の獣、我々と共に彼らを導こう』
 赤い一つ目の、シルフィードがユーヤーに説く。
『彼らの信じる、理想の地へ』
『それがおまえ達のオーダーか』
 グレイヴの声でグレイヴらしいことを言う。だが、その言葉は欺瞞に満ちていた。
 大佐はいつも、もっとも大切なことだけは何一つ言わず隠していく。
 その上で真の理想など。
『カートに囚われ、理想を見る目も濁ったか! 大佐の声で、偽の理想を吐くな!』
 ユーヤーは武器を構えた。
 今では手に持つ武器は何もない。だが、ユーヤーは渾身の力を込めてレバーを押し込む。
 拳を握り、風を受け、ユーヤーのシルフィードはシルフィードに挑んだ。
『おろかな』
 シルフィードが、シルフィードの拳を受け止める。

【自由への鉛弾】
 火薬で焼けた荒野と大地が、太陽の最後の受けて金色に輝く。
 頭から伸びた数十本もある肉の触手が、ユーヤーのシルフィードに伸びて頭部を引きちぎる。
 破壊された頭部が宙を飛び、近くに立つトマホークの胸を打って彼方に消えた。
 シルフィードがシルフィードの胸を打つ。アンビギューター用に開発された第三世代型強化アーマー、互いが互いの急所を狙って腕を伸ばす。
 周りのトマホークが味方に加勢しようと近寄ると、乗っ取られた方のシルフィードがトマホークを掴み上げ、ユーヤーに向かって振り投げた。
 脚と片腕しか残っていないユーヤーのシルフィードは、マラグィドールの表面気流にバランスをとられトマホークの体当たりに正面からぶつかってしまう。
 甲板からシルフィードの脚が離れる。続いて二体目、三体目のトマホークが投げられユーヤーのシルフィードにぶつかった。
 ユーヤーは機体と一体化した意識の中で、粗く呼吸器を鳴らす。
 かつてこれほど、体中が痛いと思ったことはない。
 体が欠けても仲間の手足を移植して、自分が死んでも体を入れ替え死んでもなお戦い続けることを選択してきた。
 アイデンティティは朦朧とし、意識は存在を許されず、酸素にガスを含ませてなお永く戦かい続けることを命令されてきたが。
 アンビギューターも、自分だけの痛みを感じるんだな。
『くっそぉぉぉぉ……!』
 これは意識をシンクロさせたシルフィードの痛みか、それとも自分自身の痛みなのか。

 マラグィドールの船体を、なにかが突き抜けて爆発する。
 レーダーには多数の機影。あれは、人類が持つ対空砲の火線だ。 
 下から自分たちを見あげる白いサーチライトの線、いくつも上がってくる戦闘機、ミサイルに対空砲火の爆発と衝撃。
 頭上にいたトマホークや残りのモビオスーツたちが急降下を始め、目前のシルフィードとトマホークたちも構えを変える。
『そういうことか』
『ユーヤー聞こえる!?』
 また、ソノイ少尉から無線が飛んできた。
『今あなたのちょうど二時の方向にいるわ、このままだと降下艇まで近づけない!』
『近づく?』
『忘れたの? 大佐よ! 大佐の置き土産!』
 ユーヤーは意識と戦意を失いかけていた自分を奮い立たせ、もう一度シルフィードを立ち上がらせる。
『せっかく大佐が残してくれたんだもの、きっと何かあるはず! それに紅炎だって』
『何かあるはずです、ユーヤー少尉!』
『俺たちも入れさせてもらうぞ』
 突然、足下からマラグィドールのエレベータードアが開き二体の旧式機が姿を現す。
 翼の生えた初期偵察型モビオスーツが左腕に持った発煙筒を地面に向かって投げ捨てた。
『救難信号だ。いつか貴方たちに助けられたんだ、きっと来てくれる』
 四脚型も、ミサイルランチャーを動かし脚を折る。
『長くは持たないがな、これも俺たちの使命だ』
 突撃の構え、四脚が突進してトマホークの一機に向かって突っ走った。  
 黒いシルフィードが翼を開いて空を飛び、トマホークが四脚旧式の体当たりを正面から受け止める。
 背後で、巨大カートが触手を伸ばし悲鳴のような声で鳴いた。

 マラグィドールが進む先には、ソノイの生まれ育った核シェルターと巨大地下都市セボリアと、そのゲート前を守備するイントゥリゲート基地があった。
 全世界から集まるカートたちの群、かつてない程の統率力を持つ何者かの指揮の下肉の塊達は怒濤の勢いで地下都市のゲートを目指す。
 イントゥリゲートの隊員たちはそれぞれ砲台を駆使して、なんとかカートやバーヴァリアンたちの侵攻を阻止していた。それでも、内側に潜んでいたカートの感染者たちに仲間がやられ基地は崩壊寸前まで追い込まれている。
『見ろ! 発煙信号だ!』
 煙を吐き出し一直線に地上に落ちてくるかつての母艦に、アンビギューターたちは視線を集中させる。
『あれに、誰か乗っている?』
『敵が乗ってるんだろう』
 頭上にはかつての自分たちを取り込んだカートの大軍、それに見慣れない超巨大カートが食いついて自分たちの上を通りすぎようとしている。
『中尉、このままだとあの戦艦は我々を飛び越えて壁に激突します!』
『阻止対空戦闘! 奴らを絶対防衛圏内に入れさせるな! 防空隊、ポイント上げ!』
 人類側からも防空戦の火線が伸び出し、マラグィドールの脇腹に対空弾幕の一端がかする。
 しかし、巨大戦艦は煙を吹きながらもなおその進路を落とさなかった。
『砲塔上げ!』
 対空要員がスコープを覗きレバーを操作する。基地のどこかにできた警備システムの穴から、触手を振り乱して悲鳴を上げながらカートが突っ走ってきて、対空要員に取り付く。
 アンビギューターの一人がカートを突きさし、次いで取り込まれた仲間を撃ち殺して代わりに対空砲座に座った。
『目標、三千八百! 高度二千! 速度八十!』
 発煙弾の光りが空の彼方で消える。
 もう一つ、今度は別のなにかが光って地上に落ちた。
 その色は、青色。特殊燃料に火が着き高音に熱した時に着く色だ。
『あれは……』
 指揮官の一人が測量用ヴァイノキュラーを見ながらつぶやいた。
 地上に落ちる一体のモビオスーツ。壊れた翼が胴からもげて、エンジンが激しく燃えて火を噴いている。
 機械の目、機械の腕がばらばらになり空の彼方で燃え尽きて、そのうち霞に紛れて見えなくなる。
『ソノイ少尉だ』
 アンビギューターの誰かがマスク越しつぶやく。
 前線中のアンビギューターが無線に耳を傾ける。
『あの人だ、帰ってきたんだ!』
 人類を守る最後の壁、セボリア上の対空防衛網からミサイルが撃ち出される。
 ミサイルは外壁から撃ち出されるといったん高度を落として、次いで勢いよく上空へ向かってまっすぐ上昇を始める。
 それらがマラグィドールの下部ハッチを飛び越えると、上に出てマラグィドールの一番装甲の薄い部分へぐるりと機首を曲げて下降してぶつかった。
 燃料タンクがあるところ。エンジンのある後方手前から黒い煙と炎が上がる。
 アンビギューターたちはモビオスーツの足下まで走ると、旧式機を動かしミッターを外して翼を開いた。
『セボリアゲートの対空戦闘をやめさせろ!』
『できません中尉! 回線が繋がっていません!』
 通信兵が指揮官を仰ぎ、その時イントゥリゲート基地のメインゲート前防衛戦が突破される。
 外から勢いよくカートがなだれ込むと、基地から飛び切れなかったアンビギューターとモビオスーツに次々と飛びかかっていった。

 肉塊たちがイントゥリゲート基地正門ゲートを食い散らかし、抵抗するアンビギューターたちを次々と飲み込んで行く。
 なんとか基地を飛び立ったアンビギューターの一部も空を飛ぶかつての味方、トマホークたちに翻弄され、あるいは撃破され地上に墜落していった。
 一直線に並んで空を飛ぶ旧式機とカートたち、カートや新しい肉塊を運ぶカートに寄生された輸送艇、一方壁の方からの激しい対空放火が空に向かってわき上がる。
 破壊された甲板。折れ曲がる主砲。
 エンジンの光りがさらに輝きを増して、艦の速度が伸びていく。
『これで、いいのかもしれない……』
 死にかけたアンビギューターの一人が地面に倒れ、ゆっくりと歩みを進めるカートを見あげマスクの中で微笑む。
 味方はほとんど死んだ。それが使命だ。アンビギューターはハンドガンを持ち上げ、最後の一発をカートの額に撃ち込んだ。
『死んで、たまるか……クソクラエだ』
 基地の地下格納庫で轟音が鳴り響き、整備中だった最後の戦闘機、シルフィード型が地下格納庫を飛びだつ。

【双翼のシルフィード】
 空を飛ぶ無人のシルフィードが、紅色に染まる夕焼けの空を不安定に飛ぶと、周囲を飛び交うトマホークやカートの群がシルフィードのすぐ近くをかすめ飛んでいった。
 機体の最終調整も、人工生命体のアップもまだ終わっていないまっさらな状態のシルフィードは、カートたちにとって格好の寄生の餌食だ。
 だがそれを、地上の対空砲火が死にものぐるいで食い止める。
 近づくカートたちの翼を容赦なく対空陣地が狙い撃ち、白煙と黒煙の間をシルフィードが飛んでいく。
 その高度はまだ低く、速度もまったく足りていない。高々度を全速力で進むマラグィドールに向かって、シルフィードがゆっくりと近づく。トマホークの編隊がそれに気付き、はるか上空から急降下してシルフィードに迫った。
 赤色の輝き、アックスに、無骨な脚と腕部を唸らせシルフィードの翼に迫る。地上のアンビギューターがスコープを覗きトマホークのリーダーを狙い撃った。
 次々と周りの砲台が制圧される中で対空砲が空を狙い撃ち、ついに別のカートの目に止まる喰い殺される。
『人でもない、獣でもない、肉と神経でつくられた兵器の分際で、よくも我らに歯向かおうとするものだ』
 カートがしゃべる。その声は、地上からではなかった。
 地上の要所はほとんどカートに制圧されて、残るはセボリアのゲートだけだ。
『死んで我々を止めるつもりだったか。だがそうはいかん』
 肉片と胞子が集まり寄生体を取り込んで肥大化した、マラグィドールに食いつく肉の塊が目を剥き触手を振るう。
 仲間のトマホークが触手に絡みとられ、地上に向かって放り投げられる。
 セボリアのゲート前に展開していた予備戦闘車両にトマホークがぶつかり、黒煙があがる。
 触手が降られトマホークが飛び交う空の中を、シルフィードはゆっくりと上に昇り続けた。

 マラグィドールの甲板で、下半身だけを残し擱座する味方機があった。
 擱座しているのは旧式機だった。ユーヤーのシルフィードはまだ動けているが、翼は折れ、エンジンも動かず、活動限界にほぼ近い。
 これで生きているアンビギューターはユーヤーだけとなった。ソノイは降下艇の隙間に入り込んで、なんとかまだやり過ごしている。
 格納庫の中には、かつてのグレイヴが残していった武器、弾薬、燃料や食糧が乱雑に散らばっていた。
 ソノイはそれら物資には目もくれず、降下艇のデッキに急ぐ。
 グレイヴが何かを残すとすれば、それはデッキにあるこの降下艇の人工AIだろう。
 たどり着くと、降下艇を操作するタッチパネルの一つが赤いアラート画面を表示していた。
『パスワードをドウゾ』
「ぱ、パスワード?」
 降下艇の人工AIは融通が利かない、だが今はそんな悠長なことを言ってられる状況ではなくなんとかしてこのパスワードを解かないといけない。
 ソノイはパネル脇に差し込まれた小型の記憶媒体を掴むと、それを抜き取り目の前にかざす。
 ソノイの細い人差し指と親指の間に挟まれるほど、小さなメモリースティックだ。
「なにかあるはず、何かあるはず! ……! そうだ、あいつなら!」
 ソノイはデッキの壊れた窓から外を見た。
「紅炎なら、パスワードも解けるはず。ユーヤー聞こえる!?」
 ソノイはヘルメットにつけたインカムを鳴らし、ユーヤーを呼び出した。
『な、なんとか』
「降下艇を再起動するにはパスワードが必要なの、パスなら艦長だったグレイヴ大佐が知ってたはずよ。あなた何か知らない?」
『パスは知りませんが……』
 ソノイの問いかけに、シルフィードが弱々しく頭部を動かす。
『紅炎なら、何かできるかも』
「それよ! 急いで彼女を助けて!」
 ソノイはメモリースティックを胸ポケットにしまうと、倒れているアンビギューターのクローンガンを担いで敵シルフィードへ向けた。
「私が囮になるわ、その隙に彼女を救い出して!」
『……あなたが奴の気を引くと?』
 ソノイはミサイルランチャーの残弾を確認すると、デッキの障害物に身を隠しながら外を覗いた。
『そうまでやって、あなたは我々に何を望むのです? 何をして欲しいと?』
「耐えるだけ、見ているだけなんて私にはできない!」
 ソノイはインカムのマイクを握りしめると、外にいるであろうクローンを思い出した。
「何かして欲しいかなんて思ってない。私は、私のやりたいことをするの」
『なるほど』
 ユーヤーのシルフィードがゆっくりと風に吹かれ、半壊した機体を再び立ち上がらせる。
『分かりました。もう一度だけ』
「五分耐えて! それからあの子を、取り戻す!」
『了解』
 ソノイはユーヤーに以後のことを伝え、再度インカムを切った。
 無茶なことでも、仲間がいればできることがある。
 口には出してみるもんだと。
 ソノイは外を見て、次に自分が飛び出す先を覗き込んだ。燃える甲板の向こう側。
 そこには、見覚えのあるもう一つのシルフィードがいた。

 未完成だったシルフィードがゆっくりと風を切り、ソノイたちの戦うマラグィドールの真上までやってきてホバーリングを開始する。
 ユーヤーのシルフィードが動いた。同時に紅炎の乗っているであろうシルフィードも動く。
『五分、長すぎる時、恐らく我々は持ちこたえられないだろう』
 ユーヤーの声が無線の中で、誰に向かって話しかけられているのか分からない様子で木霊する。
『我々は待っていた。あなたのような、外に出てくるであろう人間が現れる日を。我々は待っていた』
 敵シルフィードがシルフィードに飛びかかり、それを後ろからユーヤーのシルフィードが後ろから掴んで引きはがす。
 倒れるシルフィード。未完成の、翼を開く機動兵器シルフィードは動かない。
 まだパイロットが乗っていないのだ。
 倒された敵性シルフィードが起き上がり、ユーヤーのシルフィードを両腕で引きはがしてたたきのめす。
 まだソノイは艦橋から出ていない。
『我々は待っていたんだ。あの大佐も、あなたたちが、壁の内から出てくることを』
 倒され、潰され、フレームが歪み、ユーヤーのシルフィードの光りが消えかかる。
『だが我々は待ちすぎたようだ』
「そこをどいて!」
 倒されたユーヤーのシルフィードが甲板にめり込み、その真上に向かってソノイはミサイルを撃つ。
 ユーヤーを押しつぶしたシルフィードの腰に、ソノイのミサイルが直撃し大きな爆発が起こった。
 シルフィードはその場で硬直する。だが倒れない。距離が近すぎたのだ。
 ユーヤーのシルフィードの目はほとんど光りを帯びていない。死にかけのシルフィード、だがそれは敵も同じだった。
「何をしているの! はやくこっちへ!!」
 ランチャーを投げ捨て、倒れたユーヤーのシルフィードに駆け寄りコクピットのカバーに駆け寄る。だがユーヤーは中から出てこなかった。
「!?」
 そこへ炎で身を焼きながら、カートに取り込まれたシルフィードがやってきてソノイの上に覆い被さる。
 体を吹き飛ばされ甲板を転がるソノイは、上を見て覚悟を決めた。負けるのか?
 だがここで、ユーヤーのシルフィードが最後の力を振り絞る。
『我々は、この時をずっと待っていた!』
 ユーヤーのシルフィードがカートに取り込まれたシルフィードを後ろから抱き込み、クピット脇の認証用パネルにソケットを差し込んでハッキングコードを流した。

 突然のハッキングにさすがのシルフィードも機能を麻痺させ、カートに取り込まれた灰色のシルフィードは動きを止めた。
 その隙を突いて、ソノイは灰色のシルフィードによじ登りコクピットを覗く。
 自分が脱出した時に、コクピットの主要装備はほとんど焼き切られていた。だがその中にあって、シルフィードに食い込んだカートの肉壁がコクピット装備の一つを厳重に守っている。
 ソノイはカートの肉をナイフで切ると、中に隠されていたソケット口にメモリースティックを差し込み、少ししてからスティックを取り出してシルフィードから脱出した。
 残るは、ユーヤーのシルフィードだ。
「なにが使命よ! なにが、我々は待っていたよ!」
 ユーヤーのシルフィードは、すでに激しい戦闘によって真っ黒に染まっていた。
 コクピットカバーをこじ開けて中を覗くと、瀕死のユーヤーが真っ白なアーマーに身を包んで生きをしている。
 呼吸器の放つ定期的な呼吸音。シルフィードの機能は完全に停止しており、ユーヤーのヘルメットにはシルフィードとの意識を一体化させるための太いケーブルが何本も食い込んでいる。
「バカッ! こんなになるまで一人で戦って!」
『ソノイ……少尉』
 ヘルメットのコードを引き抜き、ユーヤーをシートに縛り付けるベルトのロックを外すと、ユーヤーはか細い声で呻きながらソノイの肩に倒れてきた。
『なぜここに』
「あなたを助けに来たからでしょ!」
『ここは、危険だ。あなたのくる場所じゃない』
「バカな事を!」
 ソノイはユーヤーを担ぐと、燃えるコクピットからユーヤーを引き抜いて地面に降りた。
 ほとんど落下に近い形で甲板に降りると、敵シルフィードが再起動を計っていることに気付く。
 光りが復活し、空回りしていたシルフィードのエンジンにゆっくりと油圧が廻っているのが音で分かる。
「立てる!? さあ立って!」
『私を置いて。少尉、あなたは、シルフィードへ』
 軽装とはいえアーマーを着たユーヤーは、甲板に降ろされるとごほごほと咳をして、それからヘルメットの隙間から赤い血を流した。
 呼吸器を調整するコンピュータが反応し、呼吸器と同時にあらゆる生体デバイスが動き出してユーヤーの体調をコントロールし出す。
 色違いの手足。時代も、型も違ういびつな体。ユーヤーの全身は、かつての仲間達でできている。
「死んだあなたの仲間が言ってたわ。かならず生きるって! かならず、生きて地上に降りるんだって! その言葉の意味が分かる!?」
『それが、あなたの命令なら』
「あなたばかっ!? そんな命令だからって! 命令だから言うとおりにするの!? 命令だったら死ぬの!? それじゃああなた、ただの負け犬じゃない! お願いだから生きて!」
 シルフィードのエンジンが再起動を始める。低回転から徐々に高回転へと移行し始め、全身の光りが白から赤色に変わっていく。
 ユーヤーを包み込む管理コンピュータが再生プログラムを続け、ユーヤーは吐血を繰り返しながら激しく咳き込み、ソノイの手を握った。
『アンビギューターは死にません。かつてあなたが我々に言った。それが、あなたの命令だった』
「バカ!!」
 ソノイはユーヤーの首を絞めると、前後に揺らしなながらユーヤーの上半身を起こした。
 立ち上がるが、もうこれが最後だろう。死亡と強制的な再生を繰り返したユーヤーの体、意識は、すでに自己を保てないほど朦朧としているようだった。
「……いいわ、私がこの艦に残って後始末する。あなたはシルフィードに乗って」
『できません、サー。我々はこのマラグィドールを、セボリアの外壁に直撃させる最終オーダーがあります』
「どういうこと!?」
 ユーヤーの朦朧とした意識が、どうもアンビギューターに課せられていたらしいかつてのオーダーを思い出したらしかった。
 記憶のアンロックが解かれる。
『我々のオーダーは、セボリアの壁の内側にあるあなたたちの地下世界を破壊すること。グレイヴ大佐はあなたたちからのオーダーを、そのように解釈していました。我々の連敗と敗北は、すべて当初から計画されていたものです』
「やっぱりそうだったの。止めるなんて、今さらもう間に合わないわ」
『我々には、あなたたちの地下世界を破壊するオーダーを完遂することができません。』
「なぜ?」
『最後の破壊は人類が自ら行う。これは、大佐の意志です』
「そう」
 エンジンを吹かし、全身を微振動させるシルフィードをよそにソノイはユーヤーを見つめる。
 その目はマスクに覆われ、おそらく中身は自分たちとほとんど変わらない姿をしているであろうアンビギューターたちがやはりただの兵器であることをソノイは自覚させられる。
「人をあやめることに、罪の意識はないの」
『サー、大佐の命令です』
「分かったわ。もう充分よ!」
 ソノイは手元に落ちていたハンドガンを手に取ると、逆手にしてユーヤーに預けた。
「あなたも、カートと変わらなかったのね。クローン」
 ユーヤーは答えず、ハンドガンを受け取った。
「分かったわ。マラグィドールの自爆は、私が直接操作する。クローン、貴方たちには愛想が尽きたわ」
 ソノイは後ろを向き艦橋に向かって歩き出すと、後ろからふたたびユーヤーが話しかけた。
『それは違うと思います、マム。大佐はあなたに何かを伝え、また何かを託している。我々に分からない、何かを』
 ユーヤーの言葉にソノイは一瞬歩みを止め、もう一度後ろを振り向いた。
 ユーヤーは足を引きずりながら、甲板に泊まるもう一つのシルフィードに向かって歩いていた。
 取り込まれているシルフィードが再起動を終え、目に赤い光を取り戻す。

 ソノイは艦橋に戻ると急いでメモリースティックをパネルに差し込み、紅炎のデータが起動するのを待った。
『ぷはあっ! 生き返ったッ!!』
「時間がないの! 急いでこの艦を自爆させて!」
『えええええ自爆!?』
 紅炎がホログラフィに現れ緑色の体のラインを覗かせると、はっと後ろを見て手を口に当てた。
『後ろ! 後ろ!』
 ソノイが声につられて後ろを見ると、そこに再起動を終えた敵シルフィードの目が合った。
 巨大な腕が乱暴に艦橋内に突っ込まれ、そのまま横殴りにするように室内を荒らす。
 ソノイは衝撃で艦外に飛ばされたが、外には空を飛ぶトマホークたちや黒い肉の触手の塊たちがソノイたちを睨んで待っている。
「こいつらなんでまだ動けるの!?」
『少尉!』
 目の前に巨大な影が降りてきて、ソノイの前に立ちはだかる。それは、かつてソノイの前に現れたことのある未完成状態のシルフィードだった。
 未完成品とはいえ、目の前にいる敵性シルフィードはすでに何度も激しい戦いを繰り返しており消耗している。
 周りのトマホークもシルフィードを警戒していた。おかげでソノイは、なんとかユーヤーの乗るこの真新しいシルフィードに乗ることができた。
「席が一つしかない、ユーヤーあなたどこにいるの!?」
『後席にいます、マム』
 シルフィードのハッチが閉まり、暗くなった機内に次々と青い光りが灯っていく。
『このシルフィードは真っ新だ、まだ頭脳が載せられていないらしい』
 後席と呼ばれる場所から、いるはずのユーヤーの声が機内に響く。
 かつて紅炎のホログラフィが映っていた場所には何の姿も投影されず、ノーデータの表示だけが映されている。
『ウェルカムサー、シルフィードへようこそ』
 ユーヤーの声が通知され、シルフィードは立ち上がった。
 機体が立ち上がり、目の前に世界が広がる。
 迎え撃つ敵。かつての、自分たち。
 視界がクリアになり、ソノイは操縦桿を手に取った。
『レディ』
 破滅か、それとも生きるのか。
 その先には、選べない未来がある。 シルフィードは武器を取った。

【自由の選択】

 武器を取り再起動を果たしたソノイたちに、後方の紅炎から最後の通信が入る。
『ログを見たわ。あのハゲ、こんなのまで持ち出してこんなことしようだなんて。大佐の動画メッセージが残ってるけど、聞く?』
「あとで! 泣き言なんて、今さら言わないわ!」
『自爆の用意は大佐がしてくれてたわ。マラグィドールは歴戦のボロだから、小さな爆発でも充分吹き飛ばせられる』
 紅炎のメッセージにしがたい、ソノイはシルフィードをゆっくりと降下艇とカート達の間に割って入らせる。
『うまく自爆できればいいんだけど。わたしの脱出は?』
「データはあとで回収するわ。誰もあなたを見殺しにはしない」
『さっすがソノイちゃん! あの大佐とはぜんぜん違うね』
 紅炎の通信に、ソノイは黙って下を向く。
 そうかなと、ソノイは思った。思えば自分たちはずっと壁の中に籠もりきり、外の戦いは彼らアンビギューターに任せて何もしてこなかった。
 外を見ず、見ても手を出さず見殺しにし続け、手すら差しのばさなかった。
 見殺しにしていたのは自分たちだ。そう思っても、何もできない自分がいる。
 それでもせめて、これくらいの小さな嘘はつきたいものだと。
「みんな、生きて帰るわよ」
『りょかい!』

 甲板から覗く空の上に、セボリアゲートを守る人類側の対空砲が赤黒い煙と炎を上げて爆発する。
 マラグィドールの高度が下がり、充分に対空砲の射程圏内に入ったのだろう。
 艦橋は破壊され、トマホークの数も充分に減ってきている。一番大きな肉のカートはあの黒い奴だろう。
 カートはかつて坑道の奥から飛び出して来た時から、その姿を何割か大きくしている。
 死体を飲み込み、なお成長を続ける生き続けるカート。触手を甲板に突きさして廃墟の要塞にしがみつき、威嚇するように己の手足を空に持ち上げ振っている。
 頭脳を破壊されたシルフィードが立ち上がり、よろよろとソノイたちに手を向けた。
『ソノイ少尉』
 シルフィードの機内通話に、ユーヤーの声が割り込んできた。
『戦いの前に、一つ聞きたい事がありまして』
「なに?」
 ゾンビのごとく不安定に機体を揺らしながら、自分に迫ってくる敵のシルフィード。
 翼は灰色、肉に取り付かれ、黒く燃え、なにが戦っているのかもはや分からないほど、シルフィードの原型は歪んでいる。
『あなたは何のために戦う? どうして、あなたは戦う?』
「生きるためよ。それに、偽物の空ばかり見させられてきたから」
『暇だったから、我々の世界に来たといつか言ってましたね』
 ユーヤーの言葉が嘆息混じりに機内に響く。
 シルフィードの計器があらゆる存在を指し示し、ユーヤーが見ているものにシンクロしているのだろうか、シルフィードがあらゆる目の前の存在にターゲットマーカーをつける。
「あれね。本当はちゃんとした理由があるのよ」
『つまり嘘だったと?』
「嘘じゃないわ」
 ソノイの乗り込むシルフィードの、熱い排気熱が、機体中の穴という穴から吐き出され全身を巡る。
『ターゲットをロックしました。このシルフィードはパイロットとのシンクロ経験が無い。あなたの操作に忠実に従うようセットしますが、過信はしないように』
「上等よ! 生きて帰ったら、たっぷり調整してあげる! 絶対に生きて帰るのよ!」
『ソノイ・オーシカ少尉、あなたがいつも示してくれる未来。生きること。希望。その言葉、大佐とそっくりです』
 ユーヤーの声が、電子声音らしからぬ艦上を含めて笑った。
『嘘ですね』

『あのでかぶつを始末して! あいつが最後の司令塔よ!』
 紅炎の最後の通信を受けて、ソノイのシルフィードは戦闘体勢に入った。
 ファイター形態だったシルフィードの姿を変えて、降着装置を格納して脚を現す。
 コクピットを内部にしまい甘い曲線を描く胸部を現すと、内から白色に輝く頭部が内側から伸びる。
 細い腕部を延ばし翼を畳み、シルフィードはかつての人型にその姿を変えた。
 カートたちには絶対にできない、人が人の形になること。空飛ぶトマホーク、人の姿を模した鋼鉄の兵器たちに力と暴力が寄生した獣。
 肉たちはめいめいにその姿を変えながら、空を目指すシルフィードに黒い触手を伸ばした。
 空飛ぶシルフィードの脚に触手を絡ませ、大地に叩きつけようとその肉で空を覆う。だが、シルフィードは空を飛び続けた。
 触手の攻撃を巧みに避けて、トマホークたちの猛追を軽やかに引きはがし黒色の肉の化け物に接近する。
 目の前にトマホークが現れ鉄の壁を作った。ソノイはトマホークを蹴散らす。
 朽ちたシルフィードが部下を引き連れ目の前を塞ぐ。ソノイは、ためらいなくかつての乗機を蹴り飛ばした。

 人が人になることを、自ら枷してそうなることを拒んでいた、かつての自分。
 シルフィードが自在に空を飛び、後ろには砕かれた黒いシルフィードの破片が雲のように連なって、マラグィドールの表面を流れて消えていく。
「か、体が重い」
 シルフィードが持つ圧倒的な推進力。
 搭乗者を保護する物など一切持たない、真っ新なシルフィード。
 かつての自分たちは、何者にも縛られず空を飛ぶように設計されていた。白いシルフィードは今まさにそのようにして空を飛んでいる。
 その激しすぎるシルフィードの飛び方に、中に収まるソノイは振り回されていた。
 一度飛翔をやめて甲板に戻るよう操作すると、シルフィードは何の予備動作もなく脚を伸ばして勢いよくマラグィドールの甲板上に着艦した。
 衝撃から自分を守る物が無い。
「これがっシルフィード……」
 何度も繰り返す宙返り、重力を振り切る重み、捻る時の衝撃、体がシルフィードについていかない。
 さらに、地上からの激しい対空砲火がシルフィードの航路上を狙って炸裂し進路方向が一定には定まってくれない。
 そんなソノイの様子を見てか、カートたちは群れをなしてソノイの後を追いかけてきた。
「中身ごと重力で押しつぶす気ね」
『大丈夫ですか?』
「大丈夫!」
 ソノイは口から、小さく血を流した。
 そして嘘をつく。
「まだ飛べる」
『あの一番大きなカートに、なにかバーヴァリアンが乗っているか同化して隠れているのでしょう。カートにはカートを操る能力は無い』
「どうりで! なんか頭いいと思った」
 マラグィドールの高度がどんどん下がっていく。
 かつて自分たちを守っていた巨大な壁、地下都市セボリアを守る外壁と砲台の姿が目視で見える距離に近づいてきている。
 地上の人々がマラグィドールを指さし、何か叫んでいた。
『ソノイちゃんまだ!? もう間に合わなくなる!』
「もう少しよ!」
 シルフィードは、もう一度立ち上がった。
「もう少し」

 甲板に食い込むカートの足が、艦にむかって流れるように脈動している。
 その足を切れば、あるいはこのマラグィドールの舵を自由に動かせるんじゃないか?
 ソノイは決意し、賭に出た。
「あの足を切り落とそう」
 シルフィードのスロットルを一機に押し上げ、ブースターの光りが何倍にも輝きを増して白くなる。
 回転する双発エンジンの熱が、排気ガスを透明から赤色に染めてアフターバーナーを吹かしシルフィードは極低空をかすめるように飛んだ。
 カートがソノイの動きに気付き触手を振りあげる。
 触手は激しく甲板を打つが、その動きにシルフィードは翼すらかすめさせない。
 ソノイは小さく吐血を繰り返した。奥歯を噛みしめても、重すぎる加速度がソノイの肋骨を締めつけて潰す。
「グッ……まだまだ!」
 シルフィードは細い飛行機雲を引き連れて超巨大カート、肉の塊の後方に回り込んだ。
『グー』
 カートが何かうめき声のようなものをあげて、目だけでソノイのシルフィードを振り返る。
『まだ気付かないのか』
「今さら気付くことなんてないわ! ひとォつ!」
 シルフィードが腕をまっすぐ延ばし、指を立てて触手の一つを切りつける。
 鋭い手刀が触手を切り裂き、真下に伸びて甲板に食い込む足の一つを切断した。
『おまえたちは滅びゆく。力のよわいものは、力のつよいものにしたがい喰われる、それでもなお生きるためには、人は自らの意志を棄て去り、力の強い者の元へ自ら下ることが正しい答えだ』
「そんな正しい答えなんて!」
『おまえたちが自ら決めた道だ』
 触手が振られ、かつて自分たちが目指していたタワーを指さす。
 そこには、未だ空の彼方から振ってくる大量の肉片が、沈む太陽に照らされて真っ赤に輝いていた。
『開けてはならない扉を開いた。おまえたちは、自ら破滅を招き入れた。平和を求めるなら、自ら我らの下にくだるしかない』
「そんな平和!」
 シルフィードの手刀が、巨大カートの二本目の足を切り取る。
「ふたァつ!」
『おまえも知っているはずだ。お前の戦い、お前の選んだ希望など、地上のおまえたちは誰も求めていないことを」
 地上からの対空砲が、ソノイのシルフィードのすぐ近くで炸裂する。
 思わぬ攻撃に、ソノイののシルフィードは一瞬身を怯ませた。だがすぐに軌道を変更して反対側に回り込む。
 そこにはトマホークの群がいた。
「だからなんだ! 三つめ!」
『おまえの戦いは、ひとりよがりだ。人はすでに答えを見つけている。我々の家畜になり、自ら我々に喰われ、今をずっと生きていくことに』
「その供物が私たちか! 今さらよ! そんなの、知ってたわ!」
 嘘、偽り、すべては自分たちがつくりあげたもの。
 絶望も希望も、自分たちが造り上げる形のない幻想のような物。
「私はそれでも指し示すわ! 私たちは、自由になれるんだって! 私たちは、生きるんだって!」
『選んでみせろ』
 突如、シルフィードの飛ぶその先に二体のトマホークが現れる。
 見覚えのあるカラー。見覚えのある姿。見覚えのある武器。
『選ぶものなど何もない。その上で、自らは人に対する反逆者であると、自らに印し、皆に示せ、おまえの自由と戦いなど、人類は誰も求めてなどいない』
 地上からわき上がる激しい対空放火の光りが、カートたち群衆の声を強調し空を覆う。
 ソノイは空を飛びながら、かつて自分たちを従え空を飛んでいたグレイヴのトマホークを前にして怯んだ。
 赤いトマホークは歴戦の証。かつてグレイヴは、あれに乗って自分たちを導いていたのだ。
 あのタワーの先へ。ついぞたどり着けなかった、理想の空の彼方へ。
 その頂からは、今でも人々に死をもたらす、自我も意志もない肉の胞子達が舞い降りている。
 赤く焼ける夕日に、肉の胞子達は自身を赤く輝かせている。
『己の運命を選ぶ。希望を示す、その傲慢さを』
「なにがっ、傲慢だ!」
『人はお前に望んでいない。それを知らないが故に選べると思うのは、無知だ』
「なにが無知だ!」
『人は空を飛ぶことを望まない』
「なにが空を飛ばないだ!」
『運命を選ぶ自由、おまえたちは選ばない』
 鋼鉄の甲板に、ソノイの声が響く。
 シルフィードが翼を開き空を飛ぶ。赤い二つのトマホークも、翼を開きソノイを追いかける。
「なにが、選ばないだ!」
 砕け散り、破壊された大佐のトマホークを寄せ集めて造り上げたグレイヴの抜け殻。
 黒い獣の触手が二体のトマホークに刺さって突き動かし、的確にソノイのシルフィードを追い詰める。
 地上から打ち上げられる弾幕。
 マラグィドールを貫き、トマホークを巻き込み、自ら死を望むように激しく空を拒絶し続ける。
「それでも私は!」
 迫るグレイヴのトマホークをすりぬけ、触手の一本を切り取る。
 姿勢を崩しぐらりと傾いたトマホークのアックスを奪うと、シルフィードは勢いよく背を逸らした。
「戦う!」
 アックスの柄が、シルフィードの手を離れた。
 前に立ちふさがるトマホークの肩をかすめ、かつて何もなかった空をアックスが飛んでいく。
 カートの目が剥かれアックスを捕らえ、触手を振りあげた。
 アックスは柄と斧を回転させながらゆっくりと空を飛ぶと、カートの眉間に突き刺さり中に詰まった何かを吐き出させた。
『……ッ!!』
 中には、見覚えのある獣人が入っていた。
 それはバーヴァリアンなのか。それともカートに取り込まれた誰かなのか、それは外見から見ても分からない。
 自らを貫いた鋼鉄のアックスに、赤い目と、驚きの顔でソノイを凝視し何かをつぶやく。
 肉に守られ外を覗くだけの獣。獣がアックスに貫かれた瞬間、肉塊は動きを止めてずるりと落ちた。
『われわれは絶対に敗北しない。定められた使命に従い、我々はおまえ達に未来を示す。おまえ達に未来はない。敗北もない。それは、我々はおまえ達の先を知っているからだ。おまえ達人間には、何もない』
 周りを飛び交うトマホークたちも動きを止める。
 触手が動きを止めぴくりと痙攣したかと思うと、重力に引き込まれて地上に落ちていった。
『かつてのおまえたちを、我々は見てきた。かつておまえ達が造り上げてきたものを、我々は見てきた。その上でおまえ達が築いてきた物は、すでに過去の遺物となり。おまえ達は、自ら選べる自由があると信じて、何もしてこなかった。生きるか、我々の下にくだることか、我々はそれを示した』
 巨大なカートが戦艦から落ちかけ、最後の足がガクガクと震えながら甲板の端に引っかかる。
 シルフィードは姿勢を変え機首を落とすと、最後の足に向かって全速力で近づいた。
「ッ……!」
 急激な加速と減速と方向転換が重なり、ソノイの視界が暗くなったり赤くなりを繰り返す。
 指先に力が入らず、体の一部だけが熱くほてったり、逆に寒くなって凍えそうな思いもした。
 自分が飛んでいる先が、上なのか、下なのか。それが分からないもう何もかも放り出してこのままどこかに飛んでいきたいと思う衝動にもかられた。
 セボリアから猛烈な砲撃が繰り返され、墜落しかけるソノイのすぐ近くで砲弾が爆発した。
 シルフィードの翼が軋む。
「私は自由を信じるんだッ!! それが私の!」
 ソノイは飛びかけた意識を取り戻すと、もう一度体を力ませて操縦桿にしがみついた。
 力尽き甲板からだらしなく落ちかけている、黒くて醜い肉塊。
『爆弾が起動しない!? あいつの足を切って! ソノイちゃんあと一本!』
「うああああ!」
 紅炎の声に、ソノイは頭を振るって最後の力を振り絞る。シルフィードが加速し、いつか自分のシルフィードが振るっていたマルチガンを手に取った。
 自分が砕いた黒いシルフィード。彼が持っていた武器、同じ武器を持って弱いかつての自分自身に向ける。
「落ちろ!」
 ソノイはトリガーを引いた。シルフィードが狙いを定め、カートの足に向かって弾を撃ち尽くす。
 カートは絶叫も上げず、千切れた足からずるずると肉だけ引き裂きながら地上に落ちていった。
「……やった」
 地上からの対空砲の弾幕が、マラグィドールの燃料タンクを撃ち抜いて大爆発を起こす。
 加速を続けていたマラグィドールが、ついに自身に乗りかかっていた重りを振り切り壁に向かって落ちていく。
「これで……私の役目は終わり」
『まだ、何も終わっていませんよ』
 誰かの声がどこからか聞こえた気がした。
それでもソノイはシートに倒れ込むと、安堵の様子でほっと息をついて黙り込む。

最後の章 解き放たれた空

 紅炎の発した最後の言葉と共に、マラグィドールは大きな爆発を起こして船体を歪ませた。
 大きな爆発から、衝撃波が周囲に広がり、次いで音が伴って激しい旋風がわき起こる。
 セボリアを取り巻く地上車両がいくつか爆風に巻き込まれて転がり、砂に埋もれ、また壁の一部に小さな破片が当たってヒビをつくる。
 夕焼けの空に広がった赤い光は、内側にマラグィドールの船体を飲み込むと、それらを三つに分裂させて進路を変えていった。
 一つは、地上。誰もいない荒野のど真ん中にある旧イントゥリゲート基地に落下する。
そこにはかつてのアンビギューターたちの最終拠点があったが、結集を終わらせたアンビギューターとカートたちの真上にマラグィドールの破片が落下して炎上する。
 二つ目の破片はセボリアの壁からやや脇にそれて落下した。そこには誰もいなかった。荒野と砂だけが広がる無人地帯で、艦橋を含む主要船体が落下し地面に埋もれる。
 三つめの破片が、軌道をやや下に落としながらもセボリアの壁に激突した。
 破片が激突した衝撃でゲートが半開きになり、内側から爆発と白い煙を吐き出して炎上する。
 広がるざわめきに、少し経って世界に静寂が広まる。
 残ったのは、セボリアにいた人々だけだった。
 地上に残ったのはカートとアンビギューターの死体と、落下した破片、黒煙、自分たちと生き残った兵士、遠くに霞むいつか自分たちが作ったタワー。
 人類とカートの戦いは、ここにきてあっけない結果を見せた。
 人類は初めて、カートとの戦いに勝利していた。
 弾幕を受けて撃沈した旧式浮遊戦艦マラグィドールと、自分たちが生み出した世界最強の人工兵士集団アンビギューターの全滅を代償にして。
 それから、人々はシルフィードの存在を認知していた。
 空飛ぶ白い翼、シルフィード。あの翼が現れてからカートたちの侵攻は大きく変わっていったし、あるいはあの機体が無ければ自分たちのセボリアはなくなっていたかもしれない。
 人類は複雑な思いと共に喜んだ。
 尊い犠牲と、二度と戻らない何かを失って得たのはなんであったのか。

 墜落したマラグィドールの破片の下から、何かが動いて身を乗り出した。
 翼は完全に折れて動かなくなり、脚も全損、辛うじて動くのはコクピットカバーだけという状態で。
 なお動いているのは、泥と油と粉塵と煙にまみれ真っ黒に汚れたシルフィードだった。
 カバーが動き、次いで火薬シリンダーを発火させて強制的にパイロットシートがコクピットから射出される。
 白いパラシュートが開き座席が地上に落ちると、空に打ち上げられている一人のパイロットが見えた。
 パラシュートが落ちてパイロットが地上に足を着くと、パイロットは膝を折りながらよろよろとシルフィードに歩いていく。
「ま、まだ生きてるの」
 シルフィードは答えない。すでにエンジンは破壊され、翼は折れ機体はモビオスーツとしての能力を失っている。
 それでもパイロットは、人間としてその中身を探し続けた。
「生きてるなら返事して」
 必死になってシルフィードのエジェクトレバーを探し、レバーを引いて曲げる。シルフィードはもう動かなかったが、ソノイはコクピットカバーを懸命に叩いた。
「ユーヤー生きてるんでしょ!?」
 シルフィードは答えなかった。代わりに、ゆっくりとカバーが外されて中から人が出てくる。
 哀れなアンビギューターは息も絶え絶えに、死にかけの様子でソノイを見あげている。
『人間……なぜ、あなたがここに』
「あなたのパートナーだからよ!」
『ここは危険だ』
「なにバカなことをっ」
 ソノイはアンビギューターのショルダーハーネスベルトを引きちぎり、肩を持ってシートから担ぎ出す。
 そのまま勢い余って地上に落ちるが、しばらくはこうしていてもいいかなとソノイは思った。

「なんであなたは戦ってたの」
『それが、我々の使命だからです』
「嘘ばっかり」
『それはどうでしょうか』
 ソノイは空にのぼった月を眺めながら、隣に寝転ぶアンビギューターを思った。
『我々は人類を守り、人類をあのタワーの上、争いのない新天地へ導くことを使命としていました。ですがあなたたちは、カートたちと戦う中でかつての理想を忘れ、地下に籠もった。特に大佐には、それが許せなかったのかもしれません』
「そのためにあんな壮大な嘘を?」
『さあ、どうなんでしょうね』
「アンビギューターって全員同じクローンなんでしょう?」
『大佐は違います。我々アンビギューターはほとんど同じだが、大佐は我々の大元のクローンです。あの人たちの考えは我々とは違うし、我々にはよく分かりません』
 たち、という数え方にソノイは何か引っかかった。だがそれよりも、それはそれとしてここまで自分たちが傷つけられてきたことに腹が立ってきたので、ソノイはこのアンビギューターとかいう嘘つき共をぶん殴りたい衝動に駆られてきた。
「ねえ。殴っていい?」
『我々はあなたたちのために戦ったんだ』
「そんなことどうでもいいのよ。むしゃくしゃしたから殴るの。もうどうなってもいいわっ」
『無茶な! 我々は嘘なんて言っていませんっ』
 体中が痛い中でソノイは立ち上がり、哀れなでかわいそうなアンビギューターの上に馬乗りになって拳を上げる。と、その前になってこの小男が全身をアーマーに包んでいるのに気が付いた。
「まずは、この鉄仮面を剥がすっ。このっ、顔を見せなさいアンビギューターっ!」
『やめてください死んでしまいます!』
 首を絞められじたばた藻掻くソノイとアンビギューターの周りで、不思議な形をした破片たちが集まってきて電子音を鳴り響かせた。
『お楽しみのことろ、ヒッジョーに申し訳ないんだけどネー! わたしのことお忘れ!?』
 機械が腕を振るい、また別の足だけ機械が悔しそうに地団駄を踏み、別の機械がソノイたちを覗いて青い瞳を前後左右に振って抗議の構えをする。
『人のこと見殺しにしておいて自分たちだけいちゃつくって、どういうことなのよアンタ!?』
「みんなで生きるって言ったじゃない?」
『言ってないじゃないウソツキ! ウソツキ! オオウソツツキ!』
 手だけ機械がソノイに迫って鋭いつまみ攻撃をかけてくる。
 ソノイは紅炎の突く攻撃を避けながら、アンビギューターにつまづいて転がって大声で笑った。
「生きてるわ! 私は生きてる!」
『生きるって言ってたじゃんウソツキっ!』
『少尉。これから我々は、何をしますか』

 黒煙を漂わせ、すべてを破壊され何もなくなった砂と荒野だけの世界と、マラグィドールの破片がゆっくり炎を上げて燃えている。
 この地域一帯に集まったカートたちはしばらくセボリアには攻めてこないだろう。
 恐るべき人食い寄生生物カートは、人類の守護者アンビギューターと共に全滅した。
 それでもなお、かつて人類が築いたタワーからは大量のカートたちと、肉の胞子が舞い降りている。
 攻めなければまたカートたちが押し寄せる。もう誰も自分を守ってはくれない。
 セボリアの壁に激突したマラグィドールの破片と、衝突でできた巨大な裂け目から人々が覗く。
 人々は、荒野と赤い砂漠に何を見るのか。
 地上に広がるのは永遠とも思える荒野と地獄絵図。敵はかつて無いほど強く、そして多い、絶望しかこの先にはないだろう。
 だが生きるためには進むしかないのだ。
 月が昇り闇夜の時間が訪れ、日が昇り、時間が経てばふたたび朝がやってくるだろう。
 口々に呟かれる彼らの声は、すべて言葉にしえないほど悲痛な呟きだった。
 怖いとか、恐ろしいとか、逃げ出したいとか。
 壁に取りつく緑色の甲虫が、殻を広げると羽を広げて空に向かって羽ばたいた。
 暗いセボリアに閉じこもる人々の瞳は、何色であったろうか。
 地上に落ちたシルフィードは、なにも答えない。


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