ミンタカ、アルニラム、アルニタク

夜空をふと見上げれば見つけられたオリオン座も、もうそろそろ出番を終えて、春の星座にその立ち位置を譲ります。
ベテルギウスが源氏でリゲルが平氏なら、ベラトリクスは誰なんだろう?三ツ星としてくくられるわけでもない、1等星として一番明るく照らすわけでもない、女戦士の名を冠する君は、いったい何になって、どこを目指すんだ?
そんなオリオン座の中で、オリオンの腰に輝く3連星のベルトは、今日も仲良く並んでいます。

地球は太陽の周りを、特に当てがあるわけでもなくぐるぐると回っていますが、同じように地球自身もくるくると回り続けています。月はそんな途方もない旅をする地球を護るように、あるいは導くように、付き従います。
昔から月には不思議な力があるとされていますが(今も?)、その光の出所は月自身ではなく太陽なんですね。でも月の光は月の光だから意味があるんだよな。月の光の下なら、呪いでもなんでも解けそうな気がします。月からすればそれはさもできて当然なのかもしれないですが、東から西へ何度でも昇って沈んでを繰り返すのは、実はとても大変なことなようにも感じます。

古の波動(光)といえば、星の光は何年、何万年も前に出発したものを見ているというのは有名な話ですが、例えば今どこかの星が発したその光と、何年も旅をしてやっと私の目にたどり着いたその光は、果たして同じ光なのでしょうか?
少なくとも出所は同じですが、そうであっても私は違う光だと主張したいです。光がその旅路で何かを経験して……というとカルトみが増してきてしまう(これは怪しい通販じゃないので!月の力を封じた石とか売ってるわけじゃないです!)のですが、その旅路がどれだけ無価値に見えようと、祝福があることを願わずにはいられません。

じゃあ果たして、あなたの目に映るその光と、私の目が捉えたその光は、果たして一緒なんでしょうか。

オリオン座で仲良く並ぶ三連星は、傍から見たら似たような光なのかもしれません。でも、立ち位置も、私がいる場所から見える見かけの等級も当然違うこの3つの星が、この太陽や月、地球ともに私に観測できることはある種の奇跡なのかもしれません。別々の星がたまたま3つ並んでいたから、オリオン座はオリオン座でいられるんだな。

夜空から肉眼で見える星、あるいは望遠鏡をのぞきこんで見える見えない星には人がほぼすべて名前を付けています。でも、もし星たちが自分の名前を我々に名乗るのなら、どんな名前を名乗るのでしょうか。
人の名前も星の名前も、外部の人間が勝手に決めたものでしかないですし、そういう点からみると、「私が決めた私の名前」は名乗る機会はおろか持ち合わせていることすらとても稀で貴重なのかもしれません。

かの3連星本人たちは、いったいどんな風に自分たちが見られることを望んでるんでしょうか。あるいは、どんな風に我々にふるまってほしいんでしょうか。

星座をなぞる行動に意味がないとしても、数多ある星の全部を愛せなかったとしても、夜空の旅路を巡る星々を、オリオンがベルトに光らせるその3個全部を愛せるように、指でその軌跡をなぞらずにはいられない。

願わくばその光が駆け抜ける路に多くの祝福があらん事を。


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