空を飛ぶ①
昔々あるところに、一人の若者がいました。
彼は自分は何でもできると信じていて、大概のことは本当に自分でやってのけてしまうのでした。
彼は自分で何でもできると信じていたので、他人に助けを求めることなんてありませんでした。
そもそも助けを求められる人さえも。
そしてある日、彼も気が付いてしまうのです。
鳥は空高くへ飛んでいける。雲は遥か彼方まで優雅に旅する。
なのに、自分は?空へ飛んでいくことも、海を越えて新大陸に行くことも叶わない。僕は何でもできるんじゃなかったっけ?
上には上がいて、人には得意不得意があって、体格には個人差があって、待遇には格差がある。別に差別とかそういう話じゃなく、社会は良くも悪くも普通「標準的な人」を求めるので、「標準的じゃない人」は全体的にみると待遇が低くなる。下手したら高スペックの人でさえ叩かれる始末。
井の中の蛙は大海を知らないので、待遇は自分がいちばんよくあるべきだと思うし、実際人間は強欲だから、別に井の中の蛙じゃなくてもそうかもしれない。私だってお金は欲しいもん。
自分は何もできない。空は飛べない。一人ではやっていけない。きっとそれを知ることが大人になることの一つなんだろうなと思う。
思うけど。
空を飛ぶことはできないと知っているはずの自分の中に、空を飛びたいと思う自分がいる。
虹を作っていた 手を伸ばしたら消えてった
――BUMP OF CHICKEN「ハルジオン」
夢をあきらめることが大人になることなら、叶わない夢でも持っておけば子供のままで入れれるかな?
多分無理でしょう。社会は否応なしに「オトナノセキニン」を押し付けてくる。
というか多分大人になるってそういうことじゃない。
なんか、きっと、大人って「自分たちより後の世代」を見守って、そっと手助けしてくれるような存在なんだと思う。
路上で酒を飲み散らかしてる奴は大人ですか。子どもに八つ当たりしてストレス解消する奴は大人ですか。禁煙の場所で煙草を吸って平気でポイ捨てする奴は大人ですか。
ああもう
規則・約束は契約です。契約には義務と権利を生じます。大人でいるためには大人になるための義務を支払うのは当然じゃないですか。それなのに平気で権利だけ受け取ろうとしやがって。
この文章のタイトルに①ってつけましたけど②を書く予定はないです。
このくらいの横暴さがありますよね、人間って、人生って
ああもう
本当に嫌になる、だけどやめるわけにもいかなくなっている
人はみんな生きることに中毒しているのかもしれませんね