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音楽体験は輝くその日を待っている


アリアナ・グランデをご存知だろうか。彼女は世界中にコアなファンを抱える一大アーティストの1人として名高い。しかしながらひょっとすると、名前を聞いたことがない、もしくはその名を耳にしたことはあっても実際には聴いたことはない、街中で音楽を聴く機会があってもアーティスト名と紐付かない、そんな方もきっとおられるだろう。

アリアナ・グランデはアメリカで活躍する歌手であり、一言で言うならポップ・ミュージックを歌っている。アコースティック路線というよりは打ち込みやシンセを前提とした楽曲を主なレパートリーとしており、アリアナ・グランデと同様に著名なゼットとコラボした「Break Free」は世界的なヒットソングとなった。

私がアリアナ・グランデを最初に聴いたのは確か大学1、2年生の時、2017年あたりだった。「Break Free」はクラブシーンで流れていそうな縦ノリの強い曲で、思わず踊り出してしまうような楽曲である。たちまち私が頻繁に聴く音楽のひとつとなった。しかし、詳しくdigることはなく、ひたすら「Break Free」だけを聴くに留まった。

10年代は洋楽にとって殿堂的時代だったと私は認識している。アリアナ・グランデをdigることはなくとも、その他の同年代のアーティストはしばしば聴いていた。マルーン5やブルーノ・マーズ、カーリー・レイ・ジェプセンやヘイリー・スタインフェルドといったアーティストを聴いていた。

かつて、知人友人におすすめの音楽を紹介してもらっていた。音楽というのは誰しも絶え間なく新曲に出会えるわけではない。新曲リサーチを彼・彼女らに依存していた私もまた同じように、恒久的に新曲に出会えるわけではなかった。私が彼・彼女らを介してアクセスできる楽曲に限界が見えていた。2020年頃の話である。最初からそうすればよかったものを、私は重い腰を上げてやっと自力で音楽を探す旅に出た。

そこで取り上げたアーティストがアリアナ・グランデである。手始めに「Positions」といったアルバムを聴くと私の琴線に触れる音楽がかなり多いことに気付いた。そこから今に至る4年間、毎年相当の時間をアリアナ・グランデを聴く時間に充てていたようで、Spotifyの年末まとめには毎年彼女がランクインしている。自他ともに認めるアリアナ・グランデファンとなったのである。



2021年に入ると「Into you」に出会う。大ヒットソングであるにも関わらず、私の中で数年遅れの熱狂が巻き起こった。エコーを効かせたサウンドを前提に、Aメロは音数を控えて場を制し、サビに向けて緊張感を高め、たどり着いたサビで炸裂する。ありきたりな構成であるが、そのありきたりな構成に乗せている音響が私を強く魅了した。重厚なサウンドと強いビートが私の体に刻み込まれ、やむを得ない脊髄反射のようにいつの間にか拍子やシンコペーションを体で取っている。

私にとって10年代洋楽のナビゲーターはレディー・ガガだった。中学1年生の時、ニコニコ動画の中で私はレディー・ガガに出会った。彼女が紅白に出演したことを記念して投稿されたミックス動画を毎日観ていた時期がある。MVも衝撃的ではあったが楽曲があまりにも新鮮で、ふとメロディラインを口ずさむほど楽曲を気に入ったことがレディー・ガガを聴き始めたきっかけだった。レディー・ガガにも著名なアルバムは複数あるが、中でも初期のアルバム「The Fame Monster」は華やかな10年代の幕開けを力強く宣言していた。このアルバムが好きなのであれば、レディー・ガガに続くアーティストたちを好むことになるのはある意味自明だった。そういう意味で、レディー・ガガは私を10年代洋楽へ誘い門戸を開いてくれた。ゆえに、レディー・ガガは私にとってのナビゲーターのような存在であったと思っているのである。

私が示す10年代洋楽の特徴について、今読まれている方はおそらく具体的なイメージができていないだろうと思う。正直に打ち明けてしまえば、私自身もよく掴めていない。これまで音楽について何かを書き記す機会は度々あったが、いずれも個人的な思い出話を書くまでに留まってきた。直感的に漠然と音楽の傾向を捉えることはできても、言語化するのはなかなか難しい。ゆえに、ピンポイントをピックアップできずに心苦しいが、一度私がイメージしている10年代洋楽の特徴を書き記したい。

ちなみに、10年代洋楽とざっくり申し上げるときっとお怒りになる方はおられるだろう。10年代に流行った音楽は決して単一ジャンルに限った話ではないからだ。たとえばワン・ダイレクションがロックであることは自明だが、アリアナ・グランデがロックであると一言で言い切れないだろう。だからこそ、私がここで言及していく10年代洋楽とは、「私が好んでいる10年代洋楽」と読み替えていただきたい。

・シンセ、打ち込みベース
・R&B
・全体的なエコー
・強いビート

この特徴だけでも10年代に流行した楽曲をある程度ゾーニングできるのではないか。

アリアナ・グランデを好んでいる私だが、今なおdigが甘い。アリアナ・グランデを語る上で基礎中の基礎といえるアルバム「Dangerous Woman」を通して聴いたことがなかった。この度、初めて通して聴いてみて、私は後悔した。「名曲を見逃していた!」。私がもし疲労困憊だったとしたら、きっとそんな叫びを帰宅ラッシュの満員電車の中で叫んでいたに違いない。あまりにもショッキングだった。これらの楽曲を当時オンタイムで終えていなかったことを悔やんだ。

Sometimes

アコースティックなイントロで開始される。改めて気付いたことだが、アリアナ・グランデは単に歌が上手いだけでなく、英語の発音が綺麗である。もちろん、英語の訛りは数多いため、何を綺麗な発音とするかは流派によって差が出ることだろう。したがって、これはあくまで私的な感想に留まる。英語の発音が不快に感じる場面として「sh」「f」「th」といった擦れるような発音がきっと挙げられると思う。アリアナ・グランデの歌声にはこういったザラザラとした耳障りが全くなく、即効性の高い軟膏のごとく疲れた耳に浸透する。

Touch It

この曲ははっきり言って、私の中では2021年の「Into You」との出会い以来の衝撃だった。重厚感が体を覆うことで安心感を得られる。エコーが効いて美声が天高く反響しているような、まるでコンサート会場でソプラノ歌手の歌声を聴いているかのような錯覚が、重厚感をただ苦しいものではなく心地よいものにしてくれる。私はこの曲を聴く度に泣き叫びたくなるような感情に襲われる。一方で、アリアナ・グランデが歌うためのものを残し、世界中から全ての酸素が失われてしまったような、胸に詰まるような感覚も同時に抱く。アリアナ・グランデが何かに差し迫って真に訴えかける悲痛な歌い方が私を強く揺さぶるのである。付け加えるなら、アウトローに差し掛かった時に、「この曲が終わってほしくない」と切実に願う感傷を与えてくれることもこの曲を気に入った理由のひとつだ。楽曲の世界が閉じられることを拒んでしまうのは、潜在意識の中でその楽曲に強く惹かれている証拠だろう。

これらの曲をオンタイムで楽しみ味わいたかったと後悔する一方で、このタイミングで出会えたことがかえってよかったのではないかと思うこともある。オンタイムに全ての楽曲を聴いていたとしたら、新曲に出会えない退屈さが私を鬱屈とした気分にさせていただろう。社会人生活、平日にはしゃぐような出来事はあまりない。反復性のある日常生活にとってスパイスとなるような体験をできたことに感謝している。

10年代が終わってしまったことを悲しんでいる。しかし、期待は放棄していない。今回のように今一度digった結果、知らなかった楽曲との出会いがある。そして、10年代洋楽の文脈はまだ途絶えていない。要素が付け加えられたり、あるいは何かしらの要素が抜かれていたとしても、今年においても10年代の文脈を継承した音楽は数多くヒットしている。だからこそ、私はまだ出会えていない楽曲との出会いをとても楽しみにしている。

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