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第三帝国の誕生 第7夜~恐慌・大統領内閣・躍進~

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『第三帝国の誕生 第7夜~恐慌・大統領内閣・躍進~』

■世界恐慌とブリューニング内閣の成立----00:00:07

[TIME]----00:00:07 世界恐慌
【N】メインストリームに戻りまして、世界恐慌ですが、実は全世界がこれで大打撃を食らった、という訳ではないんですな。
【D】おー、そうなんですか。世界恐慌というのに。
【N】影響の度合いは実は国によって違った。たとえば社会主義国ソ連はあんまり損害をこうむっていないです
【D】ふーむ、さすがですね。
【N】社会主義国ですからね(笑)
【D】そういうとき強いっすね(笑)
【N】しかしドイツはというと、モロに食らっちゃいます。というのも、さっき軽く触れたんだけれど、ドイツ経済はアメリカ資本に支えられていたので、震源地に巻き込まれる形になった訳ですわ。
【D】なるほど。
【N】まぁ実際シュトレーゼマンも言っていたしね。ドイツはアメリカの資本に支えられているからヤベえよ、って。
 そしてもともと増加していた失業者もこれで激増する。その数は翌1930年の1月には321万8千人に達する。実に労働人口の14パーセント。(カーショー『ヒトラー 上』p.344)
【D】14パー……。
【N】320万人でもすげーなってなるけれど、これ、倍ぐらいになりますからね……(笑)
【D】隣人は失業者って感じだね……。
【N】そうそう。

[TIME]----00:01:24 支持者の増加
【N】──そうした中で恐慌が徐々にナチ党の支持を増やしていくんですよ。
【D】はいはい、なるほどね。
【N】前年末のテューリンゲン州議会で選挙が行われた時に、ナチ党は躍進し、党員のヴィルヘルム・フリックが閣僚になっている。これ、地方政府ではあるけれど、ナチ党からは初の閣僚誕生です。
 このとき党員は公称20万人。多少盛ってはいるらしいんだけれども、着実に増えてはいる。
【D】うん。

[TIME]----00:02:01 ホルスト・ヴェッセル
【N】さてその頃、ナチ党では小さな、しかしのちの時代に大きな影響を与えることになる事件が起きていた。1930年1月15日、ナチ党・突撃隊SAのホルスト・ヴェッセルという男が、共産党の民兵組織「赤色戦線戦士同盟」の隊員にアパートで撃たれる、という事件が起きる。
【D】はぁはぁ、撃たれた。
【N】共産党に撃たれた。撃ったのはアルブレヒト・ヘーラーという人。
 しかしこれね、およそ政治的と呼べる事件ではなかった。ヴェッセルの下宿の家賃トラブルが原因で、共産党シンパだった大家さんがヘーラーにヴェッセルをとっちめてくれるよう頼んだんですよ。しかしヘーラーはアパートに乗り込むやいなや、とっちめるどころか、いきなりヴェッセルの顔面に銃弾をぶち込んでしまった。
 で、ヴェッセルはその場は一命を取り留めるんだけれども、2月23日に死亡する。

※ヴェッセルは娼婦のErna Jaenichenと同棲しており、彼女が家賃トラブルの原因であったようです。

【D】その場では取り留めたのがすごいわ。
【N】顔に撃たれているんだけれどね。でも、死んでしまう。そこから共産党とナチ党との間でプロパガンダ合戦が起きる。ヴェッセルは、党のためにいわば戦死した政治的殉教者として祭り上げられるんですよ。
【D】うん。
【N】このヴェッセル、生前はナチ党の新聞に詩をよく投稿していたんですよ。なんかちょっと意外な感じがするんですけれど……。これを元に『旗を高く掲げよ(Die Fahne hoch!)』という歌が作られたんですな。これがのちにナチ党の党歌になる。
【D】すごいえ。へえ。
【N】そして第2の国歌とも言えるほど歌われる曲になるんですよ。正式なタイトルは『旗を高く掲げよ』だけれど、『ホルスト・ヴェッセルの歌(Horst-Wessel-Lied)』というタイトルのほうが知られているね。
 これは非常に有名な歌なんだが、現在のドイツでは、公共の場で流したり演奏したりするのは禁止されておるようです。やっぱり。
【D】はぁはぁ、なるほど……。
【N】という、※割とささやかな事件が起きていた。

※殺人なので言うほどささやかではありませんが……。

[TIME]----00:04:17 ミュラー内閣の倒閣
【N】──さて、国内情勢だけれども、失業者が激増したことで失業保険が破綻してしまう。そして雇用主負担を引き上げるか否かで連立政権内が紛糾してしまうんですね。
【D】うん。
【N】政権内にはドイツ人民党などのブルジョワ政党、つまり企業経営者や財界を支持基盤に持つ政党があったんだけれども、これらが雇用主、企業側の負担を増やすような政策には反対する訳よ。
【D】ふむふむ。
【N】そうなると、労働者側の利益を代弁する左派と対立する訳だから、ますます右傾化する訳。
【D】うん。
【N】結果、3月にミュラー内閣が倒れる。ミュラー内閣はこの共和国では比較的安定した長期政権だったんだけれども、この内閣の終焉が共和国の終わりの始まりとも言われている。
【D】うんうん。

[TIME]----00:05:16 シュライヒャーの構想
【N】でもってこの頃、さっきチラッと触れたんだけれども、軍人で国防省官房長であったクルト・フォン・シュライヒャーが暗躍し始める。この人はグレーナー国防大臣の腹臣で、ヒンデンブルクの取り巻きとなり、影で影響力を持つようになっていた。
 このシュライヒャーたちは、すでに前年からミュラー内閣が倒れることを期待し、その次は国会の支持に拠らない新しい内閣を作ろうと画策していたんですよ。「国会の支持に拠らない内閣」これ、大事なキーワードです。
【D】国会の支持に拠らない内閣……?
【N】そんなこと、どうやってやんの? という話なんだが──。
【D】何かちょっと、意味すら分からねえような……(笑)
【N】それを彼らは作るんですよ。そしてこれがヒトラー政権誕生のルートを開いてしまう。
【D】うーん……。

[TIME]----00:06:10 ブリューニング内閣
【N】──そして、いよいよミュラー内閣が倒れると、3月30日、中央党右派のハインリヒ・ブリューニングという人物が首相に任命される。中央党というのはカソリック系の政党ね。その中でも右寄りだった政治家。このブリューニングという人が首相になるんだけれども、これはヒンデンブルクやシュライヒャーの反議会主義、反マルクス主義の意を汲んだ内閣。さっき言った「国会の支持に拠らない」新しい内閣のための首相なんですよ。
【D】うーん。
【N】そもそも中央党は多数派ではない。国会内に支持基盤を持たない内閣というのは、まさにそういうこと。──それでどう政権が維持されるというのか。
【D】ねえ。よく分からない……(笑)
【N】そこでこのブリューニング内閣はヴァイマール憲法第48条、いわゆる大統領緊急令を使って、議会の賛成の得られない法案でも押し通そうとするんです。
【D】議会の意味……(笑)
【N】そうそう(笑)。──実はこの国にとって重大なターニング・ポイントがやってきた。さっき言った、「終わりの始まり」ですな。なので、これはあとで詳しく話をします。
【D】はい。

■指導者は死ぬが理念は不変----00:07:30

[TIME]----00:07:30 オットー・シュトラッサーの反抗
【N】と、ここでまたナチ党──。共和国が運命のフェーズを迎えた同じ頃、ナチ党でも大きな内紛が起こっていた。
 これまでさんざん名前が出てきていたナチ党左派の領袖、グレゴーア・シュトラッサー。その弟であるオットー・シュトラッサーが、ヒトラーたちへの反発をあらわにする。
【D】うん。
【N】これまでの流れで、ヒトラーは企業や財界との結びつきを強めているんだけれども、党内左派で社会主義寄りのオットー・シュトラッサーにとってみれば、ブルジョワにすり寄って革命を捨て去る路線としか思えない。
【D】はい。
【N】オットーは自前の新聞などを使って、公然と党の方針を批判するようになる。
【D】あら。
【N】そしてさらには4月、ザクセンで金属工業の労働者たちがストライキを起こすんだけれども、オットーと彼の新聞がこれを応援するのね。
 こうなるとヒトラーも困ってしまう。労働運動を支援などすれば、党のスポンサーである企業が怒るからね。
 しかしオットーにしてみれば、ナチ党は国民社会主義を標榜した労働者党なわけで、ブルジョワを叩いて労働者を応援するのが何がイケない、と。
【D】そっちのほうが真っ当な気はしますな……(笑)
【N】まあ、本来の原則に立ち返っているわけだからね(笑)
【D】うん。
【N】──まあヒトラーも困っちゃうんだが、何だかんだいって穏便に済ませたかったようで、すぐには行動を起こさなかった。それどころかオットーを懐柔しようとする。「まあまあ」と。
【D】へー。
【N】やっぱりこの兄弟は侮れなかったのかね。
【D】うーん。
【N】しかし党の中では、特にゲッベルスがシュトラッサーたちの追放を求めるんですな。もともとゲッベルス自身はシュトラッサー兄弟の子分だったんだけれども、ヒトラーに取り立てられて出世してからは、最も対立するようになっていた。まあ、ありがちな話ですわね。自分が出世すると元親分とは険悪になるという……。
【D】うん。
【N】こうした流れの中でヒトラーとオットーは直接の話し合いをするんですな。ここでオットーは、本来の党の社会主義を取り戻すことを主張し、党の「指導者原理」を批判したようです。ヒトラーの指導者としての決断が全てにおいて優先されるという党の方針、いわゆる「フューラープリンツィプ」
【D】はいはい。
【N】オットーに言わせると、「人間である指導者は死ぬし過ちを犯す。しかし理念は不変である」そんなふうに主張するんですよ。人間は間違えるけれど、理念は間違えないわけだから、あなた1人の方針だけですべて決するというのはアブねーと。
【D】真っ当です。
【N】うん。だから指導者個人の独裁ではなく、党の原則である綱領を守るべきだと──。
【D】うん。
【N】まあ、結果、ヒトラーはオットーを説き伏せることができなかった。
【D】お、珍しい。

[TIME]----00:10:29 離党
【N】その後、今度はオットーとゲッベルスの対立が激化すると、さすがにヒトラーもオットー一派の追放を決意するんですな。
【D】うん。
【N】そして7月4日、オットー・シュトラッサーとその支持者たちは、ナチ党を離党することになる。
【D】へえ。
【N】のちにオットーは反ヒトラー的な路線で国民社会主義運動を展開するため、「黒色戦線(シュヴァルツェン・フロント)」を結成する。
【D】くろいろの戦線ですね。
【N】そうそう。ドイツ語で「シュヴァルツェン・フロント」カッコいいですね(笑)
【D】はい。
【N】──まあ、別組織になったと。こうしてナチ党は、党に残っていた社会主義成分を除去し、右派としての色合いをより鮮明にしていくわけ。
【D】うん。
【N】ところで、オットーの兄貴のグレゴーアですが、彼も弟と思想的には近かったんだけれども、自身はヒトラー個人への忠誠は捨てなかった。なので、ここで弟とは袂を分かち、党に残ることにする。結果としてそれは彼に悲劇をもたらすんですよ……。
【D】あらら……。
【N】長生きしたのは党を追い出されたオットーの方だった。
【D】あ、ふーん。

■大統領内閣----00:11:51

[TIME]----00:11:51 大統領緊急令による政治
【N】まあ、そんな感じで、オットー・シュトラッサーの追放という形で内紛にカタがついたナチ党だけれど、その直後、国内情勢はそれどころではない展開を迎える。
【D】なに。
【N】ブリューニング内閣が国会を解散させたんですよ。
【D】ほうほう。
【N】7月、政府は世界恐慌にやられた財政を再建するため「救援法」という法案を提出する。増税と支出削減による緊縮財政でこれを立て直そうという法案なので、いわゆるデフレ政策ですな。ところがブリューニング内閣は、ただでさえ議会に基盤がない政権のうえ、政党間の調整もしようとしなかった。なので、この法案は国会で否決されてしまうんですよ。するとブリューニングは、今度はヒンデンブルクの大統領緊急令によってこれを立法化しようとする。
 ヴァイマール憲法第48条の大統領緊急令、これ、遥か昔に説明しましたが、憶えていますかね……(笑)
【D】憶えていますよ。
【N】非常時の治安維持などに際して、大統領が国会での手続きなしで法令を繰り出せる、という裏ワザ。
【D】一存でイケるという。
【N】そうそう。ブリューニングは否決された財政法案を成立させるためにこれを使った。(緊急令自体は)エーベルト時代から使われていたという話はしたんだけれども、否決された法案を緊急令で実現させようとしたのは初めてのことで。(カーショー『ヒトラー 上』p.350)
 もちろん濫用されると危ない権限だから、国会で過半数の賛成があれば、出された緊急令を廃止できるという規定があった。「やっぱナシ」ができる。
【D】うん。
【N】実際ここでもキレた国会、とりわけ社会民主党が緊急令廃止の動議をかけるんですよ。で、これは可決される。だから緊急令は出せなくなるはずだった。
 ──が、ブリューニングはさらにヒンデンブルクの大統領権限を使い、次の一手を繰り出すんですな。それが国会の解散。
【D】はいはい(笑)
【N】大統領は国会の解散権を持っているから、これを行使した。解散させたうえで、選挙までに再度緊急令を出して、潰された法案を成立させちまおうという話なの。
【D】(笑)……へえ。
【N】こうして7月18日、緊急令廃止が国会において議決されると、即座に国会解散が宣言される、という……。
【D】うーん、なるほど。
【N】そして解散すると、否決されたはずの法案に少しだけ手を加え、あらためて緊急令として発布する。
【D】おぉ……。
【N】ブリューニング以降、平時の政策でも非常時のていで大統領緊急令を繰り出し、これを押し通すことが常態化する。
【D】うん、なるほど、なるほど。
【N】何でこんなことができるかというと、緊急令を出せる非常時の定義が曖昧だったから。
【D】あー、そうかそうか。どういう時が非常時か、よくわかんねえんだ。
【N】そう。それの明確な規定をしようという話はあったんだけれど、結局しないまま来ちゃったのよ。なので、「非常時です」って言っちゃえば、もう非常時だったということ。
【D】うん、なるほど。
【N】ここで一旦おさらいするけれど、ヴァイマール共和国の大統領権限には首相の任免権、大統領緊急令、国会解散権があった。この3つの権限が絡み合う訳ね。
・議会で支持されない者を大統領が首相に任命する。
・多数派を形成していないがゆえに法案を通せない場合、大統領緊急令として半ば法律化する。
・国会がこれを拒否しようものなら解散をする。
 こうして各政党の支持を取り付けなくても法令を押し通せるわけ。 
 ──ひとつ補足しておくと、大統領緊急令というのは、もともと大統領が発する命令なんだけれども、この時期になってくると法律と同じであると見なされるようになっていた。だから大統領緊急令と言いながら、それをほぼ法律のように運用してしまうということになったわけ。だから通常の法律を作りたいときも、この大統領緊急令を使うという状況が生まれてくる。

[TIME]----00:16:13 大統領内閣
【N】こうしたことをやるようになって、このブリューニング以降の内閣は議会の信任ではなく、大統領の権限に依存した内閣ということで、歴史的に「大統領内閣」と呼ばれるようになる。
 これがヴァイマール共和国史における1つの画期になっていく。
 そして、この大統領内閣が、ヴァイマール共和国の議会制民主主義の「終わりの始まり」とみなされたわけ。
【D】はいはい、なるほど。
【N】ただ前にも話したけれど、緊急令そのものはエーベルト時代に130回以上出されているんで、これ自体が即共和国の議会制を壊していった、という訳ではないんですよ。むしろ初期の混乱期には必要であった部分もある。
 なので、短絡的にこれだけがヴァイマール共和政における民主主義の死の原因、とは言えないんだけれども、運用次第でこうなってしまうだけの問題は孕んでいた。
【D】なるほどね。

[TIME]----00:17:10 民主主義を破滅させる選挙
【N】ともかく、9月14日、共和国選挙が行われることが決定した。これがイアン・カーショー曰く「ドイツの民主主義を破滅させる選挙」となる。(カーショー『ヒトラー 上』p.350)
【D】おぉ。

■突撃隊の反発----00:17:32

[TIME]----00:17:32 突撃隊の要求
【N】──そして1930年の夏、ナチ党も自身の運命を変えることになる第5回共和国選挙に臨む。
 ……が、その前にまたまた党内で不穏が動きがあった。
【D】うん。
【N】直前にオットー・シュトラッサーら党内左派が離反したけれども、今度はSA──突撃隊のほうで問題が起こる。
 もともと反独立勢力で、ヒトラーでも抑えきれないところがある組織だったんだけれども、この時期いっそう自己主張するようになってきた。
 この度の共和国選挙でナチ党も候補者を立てることになるんだけれども、突撃隊最高指導者のフランツ・プフェファー・フォン・ザロモン、ヴァルター・シュテンネスらが突撃隊隊員の立候補者をもっと増やしてくれと、ヒトラーに要求するんです。選挙に出る立候補者を突撃隊からもっと出してくれと。ようは突撃隊から議員を出したいということ。
 これをヒトラーは拒否。ザロモンは突撃隊指導者を辞任してしまう。
【D】なぜ?
【N】要求が通らなかったからね。
【D】そんなに簡単に……(笑)
【N】あ、もちろん相当な交渉があって。

[TIME]----00:18:36 シュテンネスの暴発
【N】──すると当然、突撃隊の不満が高まり、8月30日、シュテンネスが暴発。ゲッベルスが持っていた党の機関紙、新聞『デア・アングリフ』これの出版社に殴り込みをかけるという挙に出る。
【D】おぉ。
【N】内輪で喧嘩になっちゃったと。
 ヒトラーの説得でこの騒動自体は沈静化するんだけれども、突撃隊の不満はなかなか抑え込むことができない。

[TIME]----00:19:08 レームを呼び戻せ
【N】そこでヒトラーはエルンスト・レームを呼び戻すんですよ。呼び戻して彼を指揮官に任じることにする。
【D】うん。
【N】彼は一時期ヒトラーと袂を分かち、南米ボリビアに行っていた。南米のリーグに参加していたんですね(笑)
【D】そうですね。南米リーグから戻ってきた。
【N】これで突撃隊の件は一件落着──という訳にはいかず、その後も不満はくすぶり続ける。実際、シュテンネスはこの翌年にも反乱を起こして、追放されていますからね。
 突撃隊というのはヒトラーが政権を獲ったあとまで厄介な存在であり続けるんだけれども、それはまた別のお話ですな。

■躍進----00:19:51

[TIME]----00:19:51 選挙戦
【N】まあ、そういうゴタゴタがあって、──さていよいよ選挙。
【D】はい。
【N】ナチ党は全力でプロパガンダ攻勢に出る。この時期のヒトラーの演説だけれど、かつて盛んであった反ユダヤ主義は控えめになっていた。
【D】あら。
【N】これはもちろん思想に変化があったからではない。戦術として、訴えるターゲットの階層によって主張を使い分けていたからだと考えられています。あんまり露骨な反ユダヤ主義には眉をひそめる人々もいたから。(エヴァンズ『第三帝国の到来 下』pp.43-44)(トーランド『アドルフ・ヒトラー 2 仮面の戦争』pp.27-28)
【D】うん。
【N】この時の選挙もそうだった。

[TIME]----00:20:25 民族共同体による統合の理想
【N】──といって他に具体的な政策や公約というのもさほど押し出さず、分裂する社会をフォルクスゲマインシャフト(民族共同体)によって統合し、克服する──、というなかなかふわっとした理想を掲げます。
【D】抽象的な話ですね……。
【N】そうですね。しかし、それが切実に刺さる人々もいたんですな。
【D】そうなんだ。
【N】国会にしても小党分立。それぞれが特定の集団、階層の利益を代弁する党ばかりだから政治は停滞する。そういう状況で、ヒトラーは「ナチ党ならそういうことはない」というアピールをしたのよ。
【D】うん。
【N】この時期のナチ党というのは、主に中産階級の支持を得ていたんだけれども、さらに職業とかコミュニティ毎に実に多彩な下部組織を持っていた。労働者や教師、学生、自営業者、農家、とそれぞれを包摂する団体があった。
 これは政権獲得後にさらに拡大しましてね、第三帝国の国内統治の特色になっていく。国民の生活レベルの隅々にまで党の組織が作られていたと。
 ──それはさておき、そうした多彩な下部組織を通して、各コミュニティをもれなくフォローするような選挙活動ができたわけ。
【D】うん。
【N】そして、他の政党が特定の団体の利益をのみ追求するのに対し、ナチ党は個別の利益を保全しつつも、民族共同体の公益としてそれらを高次元に消化できる、という理想をアピールした。つまり実に曖昧です。
【D】うん。
【N】ようは、個人とか小さいコミュニティの利益も守るけれど、それと矛盾しないように全体として皆アガれるよ、みたいなことを言ったの。それがなぜ可能かというと、俺たちは「民族共同体」の理想を掲げているからだ、というの。
【D】ふーん……(笑)
【N】まあ、曖昧(笑)。──が、刺さったんです。
【D】うん。

[TIME]----00:22:27 歴史的な勝利
【N】そして9月14日、選挙は行われる。開票結果は驚くべきものでした。
【D】お。
【N】ドイツ史にとっても重大なターニングポイントです。
【D】うん……。
【N】結果、第1党はこれまで同様ドイツ社会民主党(SPD)だった。しかしSPDは10議席ほど失った。
【D】あら。
【N】そして第2党はナチ党ことNSDAP。107議席。
【D】107議席……。
【N】前回28年の選挙の時にナチ党が獲得した議席は12ですよ。だから95議席増えたのよ。
【D】すごいね。
【N】これ、本人たちもある程度手応えがあったらしく、まあ数十議席は行けるかもな、ぐらいに思っていたらしいんですよ。が、蓋を開けてみれば当人たちの予想をも大きく超えた大勝利だった。107議席だからね。
【D】すごいね。
【N】これはひっくり返ったんじゃないかと。
【D】へー。
【N】そしてもう1つ特筆すべきは第3党がドイツ共産党(KPD)
【D】共産党……!
【N】77議席とかなり躍進しています。
 これ、結果を見ると、社会民主党は第1党のままではあったけれど力を落とした。議席が減っているんで。全体を通してみると伝統的右派と中道が得票数を大きく減らし、それら敗退した諸政党からの票がナチ党と共産党に流れたのよ。
【D】なるほど、なるほど。
【N】だからこれ、経済の混迷が支持を極端に左右に振り分けたの。
【D】さっき言ったような感じですね(笑)
【N】そうそう。「真ん中ちょっとな……」となっちゃった、という……。
 まあ、それにしてもナチ党の躍進は驚異的で、これはいよいよもって国政に影響を与え得る政党になった。ミュンヒェン一揆で解散させられてから6、7年の話ですよ。
【D】すごいっすね。泡沫候補のような感じだったのにね。
【N】だったのにね。

[TIME]----00:24:28 失政への抗議
【N】──まあ、もちろんナチ党が全面的に熱い支持をもぎ取った、というよりは、政権に与ってきた他の政党に深く失望した人々が流れ込んだ、という側面が強いんだとは思うんだけれども、これがまあ、地すべりをもたらしたわけですな。
 なので、リチャード・J・エヴァンズはこんなことを書いている。
「実のところ、有権者は1930年に、ナチ党から何か具体的なものを得ようと思っていたわけではなかった。そうではなく、ヴァイマール共和国の失政に抗議していたのだ」(エヴァンズ『第三帝国の到来 下』p.54)
【D】うーん……。

[TIME]----00:25:06 海外からの目
【N】──さて、晴れて国会第2党になったナチ党ですから、海外の報道からも注目されることになる。この時期から外国にも知られるようになる、と──。
【D】うん。
【N】そこで党員のハンフシュテングルを対外報道部の責任者にし、外国プレス向きの広報活動もこの時期から展開するようになる。
 そしていわば反乱の前科持ちであったナチ党が、今後は合法路線を遵守することを国内外でアピールするようになる。今や俺たちは、暴力で権力を奪取するようなならず者ではない、という訳ね。

[TIME]----00:25:46 NSDAPという選択肢
【N】──ということで、第2党になった以上、内閣はナチ党とヒトラーを無視することはできない。
【D】うん。
【N】まして共産党が3番目に居座っているという状況下では、むしろ反マルクス主義政党たるナチ党の協力が必要になってくる。いきなりナチなんて奴らがボカンと出てきちゃったけれど、共産党が出てきているのも怖い! そうなったらナチ党と組むしかねえじゃん──という状況になってくるわけ。
【D】77議席取っていますからね、共産党は。
【N】そうそう。すごいよな、極右と極左が第2党と第3党だよ?(笑)
 ──という混迷の時期を迎えましたよ。
【D】そうですね。

[TIME]----00:26:26 ブリューニングとの会談
【N】──さてさて、選挙で歴史的大躍進を遂げ、国会第2党に躍り出たナチ党。そして今や政府にとって無視できない存在になったヒトラーです。そこで1930年10月、首相ブリューニングはヒトラーと会談します。とうとうヒトラーも首相と会談するようになります。
【D】うん。政治的に偉くなったもんですな。
【N】そうですね。首相ブリューニングとしては、目下進めつつある外交交渉に水を差さないよう、ナチ党には賠償金問題などに関して大人しくしてもらいたい──、というような話を振る。賠償金に関しては「全部破棄!」「条約破棄!」って言い続けているから。バランスのいい外交をするうえで、国会第2党の人がそういうことを言い出すとややこしいことになるから、ちょっと大人しくしておいてくれと。
【D】なるほど。会談をして釘を刺したわけですね。
【N】そうそう。その代わり、一応条件とかを出してそれぞれにメリットのあるようにしていきましょうよ、となるんだけれども──、会談は途中からヒトラーの一方的な演説が続くばかりで、結果妥結はしませんでした。
【D】あー、そうですか。さすが。
【N】しかも、会談場所の外ではわざとらしく突撃隊を行進させていた(笑)。途中、窓の外で突撃隊が歌を歌いながらずっと行進しているという……。まあ、威圧をしていた。
【D】なんかそういう心理戦には長けているんですかね?
【N】そうね。基本的に威嚇するというスタイルなので。
【D】ふむふむ。

[TIME]----00:28:10 第二党の登院
【N】──まあ、水面下の交渉だけではなく、同じ月には選挙後初の国会が開かれるんだけれども、ここで100人越えのナチ党議員が登院することになる。このとき、みな制服だったらしく、議場にかなり威圧的な一角を形成したという……。
【D】なるほど。制服というのは、僕らがよく知っている例のアレですか?
【N】褐色のやつね。土色みたいなやつ。映画なんかで見たことがある人も多いんではないでしょうかね。
【D】他の人というのは? 他の党員は。
【N】普通のやっぱり背広ちゅうか。
【D】スーツスタイルですね。
【N】スーツスタイルで。だけれどナチ党はみんなで制服で固めていくという(笑)
【D】おー、なるほど、なるほど。(笑)
【N】まあ、威圧ですね。──そして国会周辺ではやっぱり突撃隊がデモを行い、警察に排除されると街へ繰り出して、ユダヤ人商店やデパートのガラスを叩き割るなんていう乱行に出ます。
【D】すごいですな……。
【N】一応、国会第2党の中の団体なんだけれどね……。でも、そういうことをやっていた。
【D】うん。

[TIME]----00:29:27 レームの復帰
【N】という感じで不穏なんですが……年が明けると、前年11月に帰国していたエルンスト・レームが党に復帰します。1月5日には突撃隊幕僚長のポジションに就く。この時、突撃隊最高指導者はヒトラーが兼務していたので、幕僚長は名目上トップではないんだけれども、実務のリーダー。
【D】うん。
【N】レームはこのポジションに就くことで突撃隊を制御することを期待されていたが、前年の選挙に際して突撃隊からは不満が噴き上がっていた。彼らは、ヒトラーたち党首脳から充分な待遇を受けていない、ナチ党運動に対する自分たちの貢献が認められていない、と感じていた。そもそも彼らは暴力と直接行動を旨とし、国軍に代わる国民軍、つまり正規軍になることを目指しているような集団だったわけで──、穏便に政権を獲るなんて悠長なことを言っていられないわけですよ。
【D】もともとそういうスタイルだったんですね。
【N】そうそう。しかし、曲がりなりにも合法路線にシフトして国政に進出できたヒトラーたちにしてみると、こういうならず者のイメージの突撃隊がぐいぐい前に出てくるのは正直困るわけ。ちょっと厄介になってきたと。
【D】合法的に行こうというのと、力で行こうというのが分かれてきたわけだ。
【N】そうそう。ということでレームが呼び戻された。こいつだったら抑えられるんじゃねえかと。
 で、昔の親分のレームが戻ってきたとなれば突撃隊も大人しくなるかと思いきや、ですよ。やっぱり隊内には反レーム派もいて、一筋縄ではいかない。それに何より、レーム自身が暴力革命路線と国民軍創設という思想を持っているから、ヒトラーにしてみれば妥協してでも実を取る、という人事だった。
【D】うん。

[TIME]----00:31:38 シュテンネス、再度暴発
【N】そして3月になると、今度はブリューニングが国内における政治活動の締め付けを強化し始め、合法路線で行きたいヒトラーは当然これに従う姿勢を見せる。なので突撃隊・親衛隊にも法令の遵守を命じる。我々は合法路線なので、これからは政府の命令には従ってくださいよ、と子分たちに言うんだけれども──、またも突撃隊のヴァルター・シュテンネスらが反発する。このシュテンネス、前年にゲッベルスの出版社を襲った男。選挙の立候補者に突撃隊の隊員を加えてくれ、と怒った人ね。
【D】うん。
【N】ヒトラーはシュテンネスを解任するんだけれども、4月1日、彼は再度反乱を起こす。そしてやっぱりゲッベルスの出版社を占拠するという……。2回目ですね、やられるのは。まあ、フライデーみたいな感じになっている。
【D】そうっすね。まさにそれを今考えていたけれど……(笑)
【N】しかし、反乱自体はすぐに鎮圧された。この鎮圧行動では親衛隊が活躍し、その存在感を増していく。もともとは突撃隊の下部組織だったんだけれども、ここからどんどん親衛隊が表に出てくる。
【D】親衛隊はSSでしたっけ?
【N】SS。突撃隊はSA。
【D】うん。
【N】そしてそんな突撃隊なんだけれども、レームが組織を再編し、それからしばしのあいだ大人しくなる。しかしそれでも根本的に解決した訳ではなく、この集団の潜在的脅威はレームの元で政権掌握までくすぶり続けることになる。
【D】うーん。
【N】ここのところ突撃隊の話を引っ張っているんだけれど、ずーっと続くんですよ、この状態。
【D】うん。

■続く経済危機----00:33:40

[TIME]----00:33:40 独墺関税同盟
【N】さて、そんな時期の国政だけれども、ブリューニングは大統領緊急令によって財政再建を目指すが、3月オーストリアと関税同盟を結ぼうとする。このことでフランスを怒らせる。
【D】おー、どうして、どうして。
【N】この関税同盟というのは、モノの輸出入に際して自分たちだけはお互い関税かけるの止めましょうね、とか、軽減しましょうね、みたいなことを約束する条約なのよ。
【D】ふむふむ。
【N】これに対してフランスが、お前ら合併する気じゃねえだろうな、と抗議する。ようはドイツとオーストリアが関税同盟を結び、それからどんどん一体化していくんじゃないか、とフランスは思った。
 実際、ドイツとオーストリアの併合はヴェルサイユ条約とサンジェルマン条約で禁止されている。
【D】ふーん。
【N】ヴェルサイユ条約はドイツと連合国が結んだ条約だけれども、サンジェルマン条約というのは、それと同様にオーストリアと連合国が結んだもの。オーストリアもドイツと組んで戦った国、敗戦国だから同じような条約を課されていた。
【D】はい。
【N】そこでフランスが激オコ、「お前らなに、合体する気?」となっちゃって、オーストリアの銀行への借款──資金提供を拒絶するぞ、ということになりまして、まあそこまで言われたんじゃ仕方がないってことで、この条約は流れる。
【D】うん。

[TIME]----00:35:12 支払い能力はない!
【N】そのうえブリューニングは、今の経済状況ではもはやドイツに賠償金の支払い能力がないということをアピールするの。「俺たちもう無理だ、払えませんよ。こんな経済状態では……」と。それによってどうにか支払い停止に持って行きたかったわけだ。
 で、実際これが将来の実質的な支払い停止に繋がるんだけれども、この時点ではむしろドイツ経済の信用を失わせることになる。
【D】ほうほう、そうっすね。
【N】ようは、投資家たちが「なんだ、ドイツ経済はそんなにやべえのか」と思った訳。そうしてドイツから外資が引き揚げられてしまって、さらに経済は悪化することになるという。
【D】まあ、引き揚げるわな……(笑)
【N】そうして大銀行が次々に破綻。ドイツは恐慌に輪をかけて苦境に陥ることになる。
【D】うん。

[TIME]----00:36:16 フーヴァーモラトリアム
【N】そんな状況の中、6月、アメリカが自分への借金返済と、ドイツの英仏に対する賠償金支払いを1年間猶予する、という政策を打ち出す。これを「フーヴァー・モラトリアム」と言うんだけれども、これは当時のアメリカ大統領フーヴァーが、「モラトリアム」──つまり支払い猶予を繰り出した、ということね。ようは、この返済猶予の期間中に経済を立て直してくれ、ということ。いったん待ってあげるからと。
【D】なるほど。

[TIME]----00:36:49 銀行危機
【N】しかし、それでも悪化を食い止めることはできなかった。そして7月、ドイツ国内のすべての銀行が数日間業務を停止することになる。
【D】おぉ……ほうほう。

[TIME]----00:37:02 飢餓宰相
【N】ブリューニングはかかる経済危機に対する有効打が打てなかった。その緊縮財政──デフレ政策から、ブリューニングはのちに「飢餓宰相」と呼ばれるようになる。そうして大いに信頼を失っていった。
 ブリューニングはなんか、童謡にすらなったらしいですね。
【D】歌?
【N】わらべ歌みたいなもので、「ブリューニングがやってくるぞ」みたいな歌があったそうですよ。

※ちょっと待って、ほらすぐに見えるよ

ブリューニングが寄ってくる
 九つ目の緊急令を持ってね
 それでお前を挽肉にしちゃうんだ
(エヴァンズ/訳・山本孝二『第三帝国の到来 下』)
【D】不名誉だなァ……(笑)
【N】それだけドイツ国民の生活を追い込んだ、というふうに当時の人からみなされてしまったという……。
【D】ふーむ、なるほどね。

■ゲリ・ラウバル----00:37:40

[TIME]----00:37:40 ゲリ・ラウバル
【N】──さて、そういう大変な時期なんだけれども、ヒトラーのプライベートでも重大な事件が起きていた。 
 ヒトラーには異母姉──母親違いのお姉さんがいたんだけれども、その娘で、ゲリ・ラウバルという姪がいました。ゲリというのはあだ名で、本名はアンゲリカとも、あるいは母と同じ名前のアンゲラとも言われる。これ、不思議なことにハッキリしないんですな。なので、ゲリと呼ばれることが多い。
【D】ふむ。
【N】この姪っ子のゲリが1931年9月18日、自殺します。
【D】うん。
【N】ヒトラーはこの姪をあれこれ世話して大事にしていたんだけれども、それは叔父さんとして以上のものであったと言われている。
【D】あらら……。ちょっと……またまた。
【N】まあ、それどころか、ヒトラーが女性として最も深く愛したのが彼女であったと推測されておる。
【D】へえ、そうなんだ……。え、いくつぐらいの人ですか?
【N】えーと、このときいくつだろうな……。19歳ぐらい離れているんじゃなかったかな。

※このときゲリは23歳。ヒトラーとは19歳差です。

【D】またァ……やるな。
【N】肉体関係があったかなど、その度合いはハッキリとはしない。実際、2人の関係というのは謎が多いんだけれど、ヒトラーが最も執着し、束縛したことは確かなように思われますな。
 これ、普通の叔父さん・姪っ子よりも若干血が遠いとはいえ、一応、近親者ですよ。
【D】まあ、そうですね。お母さんが違うんですね? お母さんが違う姉の娘か……。
【N】そうそう。──で、ゲリは確かにヒトラーの好みを体現した女性に思われる。基本的にヒトラーは、少女といっていいような若い娘で、どちらかといえば丸みを帯びたふくよかな容姿。知性があるというよりは陽気で天真爛漫。悪くいうとちょっとおバカな人を好んだらしい。
【D】うん、なるほど。
【N】ゲリも写真で見ると世間一般の美人という感じではないし、性格も移り気で飽き性。思慮深いともいえず、楽しいことは好きだがめんどくさがり──。という、まあ言ってしまえば軽薄な子だったらしいです。ただ、明るくて魅力的だったらしく、結構好かれてはいたらしい。
【D】うん。
【N】だから、ちょっと前に出てきたマリア・ライターやエーファ・ブラウンも、容姿とかがゲリとちょっと共通点があるような気がする。何よりみんな超年下だしね。
【D】そうですね、それが一番の問題点。
【N】問題点なんですよねぇ。ただ、すごく年の離れた人と結婚するというのは割とある時代なので、今の基準ともまた違うとは思うんだけれども。──実際、ヒトラーのお父さんがそうだからね。
【D】そうなの?
【N】うん。ヒトラーのお母さんとお父さんはだいぶ歳が離れている。
【D】うん。

[TIME]----00:40:49 女性観
【N】よくね、ヒトラーは対等な女性との恋愛を求めなかったと指摘されているのよ。基本的にプライベートな交流が乏しい内気な人間であって、女性に対しては、対等で双方が敬意を払う、あるいはそれゆえにぶつかるというような関係は望まなかったように思われる。
【D】うん。
【N】となれば、それに見合うのは子供のような相手、もしくは子供ということになる。まあ、もっともここらへんは感情の話なので、他者による証言と推測に頼る他はなくて、慎重さが必要だけれども、よくそのように考えられている。
【D】なるほど。
【N】さて、こういうヒトラーはゲリに情熱を傾けるわけだけれども、過剰なほど彼女を束縛していった。

[TIME]----00:41:40 ゲリへの束縛
【N】特に彼女の行動だけではなく、恋愛に関してはアウトなほど介入している。
【D】一応、恋愛関係だったのかな……?
【N】「愛している」というようなことを言っていたという証言はあったりするんだけれども、関係としてハッキリそうだと言っていたわけではない。が、ただそういうふうに考えられている。で、ずーっと保護者として振舞っていたの。
【D】うん。
【N】だから彼女に恋愛話というものが持ち上がったとき──、たとえばヒトラーの※専属運転手がゲリと恋愛関係になるんだけれども、ヒトラーはこの男を殺しかねないほど猛烈に激怒している。
【D】あっ、そうですか。
【N】この相手はエミール・モーリスという人だけれど、殺されるとマジで思ったらしい。で、執拗なパワハラを加えた挙句クビにしている。まあ、ほとぼりが冷めてから復帰はさせているけれどね。
【D】うん。
【N】だから、そうした束縛がゲリを追い詰めたのかもしれないと考えられていてね。実際、この運転手は喜んでもらえると思って報告したらブチギレられたと(笑)
【D】(笑)
【N】だからあくまで周りは保護者──ちょっと度の過ぎた保護者ぐらいに思っていたのかもしれないな。近しい人たちはもっと知っていたんでしょうけれど。
【D】うん。

[TIME]----00:43:04 その死
【N】そういうことがあってから──9月、彼女はオーストリアのウィーンに戻ろうとするが、ヒトラーは許さず、それがきっかけで2人はミュンヒェンのヒトラーのアパートで口論になる。
【D】うん。
【N】これはあまりハッキリした話ではないんだけれども、彼女にはウイーンに芸術家の恋人がいたとも言われていて、いずれにせよヒトラーの束縛に耐えられなくなったと考えられる。
 その後、喧嘩別れし、ヒトラーがニュルンベルクに向かったあと、彼女は拳銃を使って自殺した。しかもヒトラーのアパートでね。
【D】うん。
【N】この自殺は遺書もなく、目撃者もいなかったので、色々な疑惑が生じた。というのも、このスキャンダルをヒトラーの政敵たちが採り上げ、新聞もあれこれ書き立てたから。
【D】なるほど。
【N】まあ、大スキャンダルですよね。だから中には、ヒトラーの仕業を匂わせるような報道もあった。
【D】まあ、そうなるでしょうね。

[TIME]----00:44:08 絶望と再起
【N】で、ヒトラーは政敵やメディアによる追及を恐れ、しばし知り合いの家に隠れている。ナチ党出入りの印刷屋さんであるアドルフ・ミュラーの別荘に隠れるんだけれども、そこで深く絶望に打ち沈んでいたらしい。
【D】うん。
【N】この絶望がゲリを失ったからなのか、スキャンダルに対するやっちまった感なのかというのは、実はちょっと解釈に揺れがあるっぽいです。まあ、両方なのかなとは思うけれど。
【D】うん。
【N】で、彼は9月24日にはオーストリアのゲリのお墓に墓参りに行っています。
 しかしこれも、アドルフ・ヒトラーという男の奇妙な特徴なんだけれども、この墓参りのあと、ふっと立ち直るんですな。
【D】あ、そう(笑)
【N】この人ね、すごい凹むんだけれど、何かのきっかけで元に戻っちゃうのよ。で、ちょっとパワーアップするという、サイヤ人的なところがある。
 この時もそうだった。立ち直り方が早かったと言われている。
【D】うん。
【N】事件は政敵に利用されるんだけれども、さほど彼の名誉を傷つけはしなかった。彼はプライベートで打撃を浴びても、政治の世界で息を吹き返すような習性があったんで、政治的に死ななければ大丈夫だったのかもしれない。
 たとえばヒトラーの伝記を書いたジョン・トーランドは、この事件を大戦の敗北、ミュンヒェン一揆での投獄以来、彼の3番目の復活、と書いている。あるいはよりクールなイアン・カーショーも、ヒトラーはこれ以来、政治活動で得られる充実によって、よりいっそう私生活の空虚さを埋め合わせていったと推測している。
【D】うんうん。
【N】なので、いずれもこの事件が彼の政治キャリアの中で重要な出来事だとみなしている。控えめに言っても、彼の政治活動をもう一段上のギアに入れる出来事であったと考えられているわけ。
 本当はね、この件はバッサリいきたかったんだけれども、これは切れなかった。
【D】なるほどね。しかし、プライベートが鉄人を完成させるというのは、ありがちな感じがするからね。
【N】うーん。まあ、よりいっそう政治にのめり込ませるというのはあるかもね、実際。
【D】うん。

■ブリューニングを下ろせ----00:46:32

[TIME]----00:46:32 シュライヒャーの接近
【N】──1931年10月、緊急令に頼っていたブリューニング首相なんだが、ここで閣僚を入れ替えて第2次ブリューニング内閣が発足する。
 そしてこの頃になると、ヒンデンブルク大統領の取り巻き、クルト・フォン・シュライヒャーたちがヒトラーを抱き込み、右派ブロックを形成しようという動きが顕在化していく。
【D】うん。
【N】共産党の脅威が迫る中、議会主義を壊したいとなったときに、これはもはやヒトラーを味方にしたほうがいいのではないか、という動きが出てくる。
【D】そうですね。なかなか大きな存在になってきましたね、ヒトラーは。
【N】そうですね。

[TIME]----00:47:12 ヒンデンブルクとの初会談
【N】──そこで、このシュライヒャーの手引きにより、10月10日、ヒトラーとヒンデンブルク大統領との初会談が実現する。
【D】ふーん。
【N】さすがにヒトラーもこの時はブルったようですよ。何せ彼はゲフライター──兵卒でしかなかったわけですからね。
【D】ああ、そうですね(笑)
【N】相手は元帥。軍人の最高位で、名目上とはいえ、大戦中は帝国の戦争指導に就いていた人だから、通常であれば同じテーブルで言葉を交わすことなんてあり得なかった。
【D】うん。
【N】しかしヒンデンブルクもこの扇動屋のゲフライターをあまり気に入らなかったらしく、この会談はあまり実りあるものにはならなかった。
【D】演説とはいかなかったわけだ。
【N】なかなかできなかったみたいですね。お得意のやつは。
 しかし大統領周辺では、ヒトラーを引き込もうという方策は生き続ける。
【D】うん。
【N】という流れでなかなか右派の大物となってきたヒトラーだが──。

[TIME]----00:48:15 ハルツブルク戦線
【N】その翌日、バート・ハルツブルクという町で、右派の政党や政治団体による集会が開かれ、ブリューニング政権に反対すべく「国民的反対派」という同盟が結成される。これはのちに「ハルツブルク戦線」と呼ばれるようになるんだけれども、これの中心になったのはドイツ国家人民党のアルフレート・フーゲンベルク。これはかつてヤング案反対運動を仕切った男ですね。なので、ここでもまた同じような同盟を結成しようとしたわけね。
【D】うん。

●バート・ハルツブルク

【N】その他に「鉄兜団」──これは退役軍人団体ね。それと元皇帝ヴィルヘルム2世の息子たち。そしてハンス・フォン・ゼークト──このときは失脚していたけれど、かつての国軍のトップ。あとはリュトヴィッツ──昔、カップ・リュトヴィッツ一揆を起こした……。
【D】あー、はいはい。
【N】──などなど、懐かしい右翼、保守の仲間たちが勢揃いした。右翼のみんなで今の政権を倒そうよ、というわけ。
 そしてヒトラーのナチ党もこれに参加する。
【D】なるほど。
【N】しかし、この時点で他の右派よりも台頭していたヒトラーとしては、さほどノリノリであったわけではない。「俺たち、もうイケてるからさ」という状態になっていた。そもそも自分の影響力が薄まるようなら大同団結みたいなことは避けたい男だから。──なので、なかなかギクシャクした同盟だったらしいですね。
【D】うん。

[TIME]----00:49:52 シャハトの協力と実業家たちの思惑
【N】しかし注目されるのは、ヒャルマル・シャハトなんかも集会に出席していたこと。
【D】誰だっけ?
【N】これ、アレです、レンテンマルクの発行によってハイパーインフレ克服に功績のあった財政家。
【D】あー、はいはい。
【N】実はシャハトもこの頃にはヒトラーとコンタクトを取るようになっていた。そうしたやり取りの中で、ヒトラーはフリッツ・ティッセンなどの大企業の経営者といっそう接近するようになっていた。シャハトたちの人脈によって企業家とつながるようになったと。
【D】うん。
【N】実業家たちの中には、政権が自分たちの商売をやりづらくしていると感じて右傾化する者もいたから。ただこれ、全体的な傾向とは言えなくて、ナチ党支持は大企業よりも、どちらかといえば中小企業に多かったとも言われている。ただ大企業の中にも、ヒトラー支持に回るものが出てきていた。
【D】うん。
【N】ここで何で企業なのかというと、企業にとって一番恐ろしいのは左翼による革命──共産主義革命なので、結果、反共右翼に接近するというのは道理ですよね。
【D】なるほど、そうだよね。
【N】だから革命を防止してくれる右翼に援助するってことね。
【D】うん。
【N】しかし、ナチ党はもともと一部に社会主義を掲げていたじゃないですか。無論、これまでの活動を見れば超反共なんだけれども、やはり企業の中では、信用してよいものかどうか……、と評価は割れていたようですね。ヒトラーたちを完全には信用できない企業もいたらしい。
【D】うん。
【N】なので、ヒトラーもシュトラッサーら党内左派を抑え込んでいかなければならなかったわけですよ。「俺たちアンタたちの味方だから」という姿勢をとらなければならなかった。
【D】うん。

[TIME]----00:51:47 不信任案
【N】──それはさておき、あまり緊密な統一とは言えないハルツブルク戦線だけれども、ナチ党と国家人民党らは早速、ブリューニング内閣への不信任案を動議する。──が、これはあえなく否決される。
【D】はいはい。

[TIME]----00:52:02 社会民主党の「寛容」方針
【N】実は、当初ブリューニングのやり方に反対していた社会民主党が、ナチ党などの右派から議会を守るため、むしろブリューニングに対して融和的な姿勢をとっていたの。
【D】ふむふむ。
【N】ブリューニング自体は気に喰わないんだけれども、ナチ党とかがどんどんせり出している今、これはちょっと政権を支えたほうがいいのでは、ということになり、この時期は社会民主党がブリューニングの味方をしていたの。
【D】なるほどね。かぎカッコ付きというか、ナチよりかはマシだと。
【N】そうそう。なので不信任反対の方向に動いたわけ。
【D】うん。
【N】こうしてブリューニング内閣は延命する訳だけれども、12月には第4次財政緊急令を公布し、もう緊急令がデフォになっている。
【D】おぉ……。

■大統領選挙----00:52:49

[TIME]----00:52:49 大統領選へ
【N】──で、年が明けて1932年。想定されていた重要トピックといえば、大統領選挙でした。実はこの1932年の5月5日に、ヒンデンブルク大統領の任期が切れる。ちなみにヴァイマール共和国大統領の任期は7年。
【D】うん。
【N】つまり選挙が行われねばならないんだけれども、大統領周辺ではこの選挙を回避したいという思惑が出てきた……。選挙したくねえって……(笑)
 だから、選挙ではない信任によってヒンデンブルクに続投させようという計画が持ち上がっていた。もう本当に民主主義もへったくれもないんだけれどね(笑)
【D】そうですね。
【N】しかし、当然それには憲法を改正しなければならないので、ナチ党らの協力も必要になってくる。第2党ですから。──が、それも得られなかったので、この話は流れる。ヒンデンブルクさん、渋々この選挙に出ることになった。御年84歳ですよ。
【D】おぉ、すごいね。

[TIME]----00:53:53 出馬
【N】そしてこの選挙では、ヒトラー自身の出馬を求める声も上がる。
【D】お、ついにそこまで来ましたか。
【N】押しも押されもせぬ第2党ですから、支持者たちの期待も自然なことでしょう。
【D】うん。
【N】しかし、ヒトラー自身はあまり乗り気ではなかった。相手は何せ戦争の英雄で元帥ですよ。国民的名声は断トツ。しかも右翼たちが最も支持する英雄だから、同じ右派の票も持っていかれる。
【D】うん。
【N】とはいえ、周囲の推す声を拒んでまで出馬をやめれば、自身の支持さえ失いかねない。ここでヒトラーもいっちょやるかと。1931年2月、彼はドイツ大統領選挙への出馬を表明する。
【D】おー、はいはい。

[TIME]----00:54:42 国籍が、ない
【N】しかしここで1つ問題がありまして、大統領選挙に出るには当然「ドイツ人」でなければなりません。が、ヒトラー氏、この時まだドイツ人ではない。
【D】あ、……そうなんだっけ?
【N】ドイツ国籍を持っていなかったんです。
【D】ありゃ。……オーストリア?
【N】そうそう。今となっては懐かしい話だけれど、彼はもともとオーストリアからドイツに渡り、バイエルン陸軍に入隊した人ですよ。
【D】なるほど。
【N】で、オーストリア国籍も失っているものとみなされていたんで、つまり無国籍状態だったんだが、今日まで正式に国籍を取得していなかった。
【D】ほー。「ドイツ、ドイツ」と言っておきながら。
【N】そうそう。確か何回か取ろうとして失敗していたんだよね、国籍……。
【D】あ、そうなの?(笑)
【N】とにかく、ここでちゃんと取らなければならない、ということになったので、彼は※ブラウンシュヴァイク州のベルリン駐在参事官に任命してもらう。で、その手続でドイツ国籍を取得すると……。まあ裏技みたいなものね。それを使ってどうにかドイツ国籍をゲットする。
【D】うん。
【N】まあ、そんなこんなで晴れて正式な「ドイツ人」として大統領選を迎えることになる。

[TIME]----00:56:03 立候補の顔ぶれ
【N】ちなみに、この選挙で立候補したのはヒンデンブルク、ヒトラー、共産党(KPD)からエルンスト・テールマン、鉄兜団からテオドール・デュスターベルク、「インフレーション被害者同盟」のグスタフ・アドルフ・ヴィンター、という人物が出馬する。
【D】被害者同盟……(笑)
【N】そうそう。これなかなかマニアックな団体でね(笑)。

[TIME]----00:56:26 支持のねじれ
【N】──しかしこのメンツからして、当初からヒンデンブルクとヒトラーの一騎打ちという様相を呈していた。
【D】うん。
【N】まず、同じ右派のフーゲンベルク──少し前にハルツブルク戦線でヒトラーと組んだはずのブルジョワ右派だけれど、この一派がヒンデンブルク、ヒトラーいずれの支持もしなかった。同じ右派なんだけれども。で、代わりにテオドール・デュスターベルクという人を擁立するのね。
【D】うん。
【N】なので、右派が3派に分かれちゃったってことね。
【D】なるほど。
【N】そのうえ、社会民主党や中央党が極左極右を抑えるため、本来相容れるはずのないヒンデンブルク支持に回ったりと、色々なところでねじれが生じていた。中道派は、極左とか極右に国を渡したくないわけですよ。だから、たとえ右翼の親玉みたいなヒンデンブルクでも、彼がヒトラーたちのような極端な姿勢を打ち出していない以上は、現状維持という点で無難なのよ。まして帝政支持者でアカは嫌いなわけだから、左翼も抑えてもらえる。
【D】ふむふむ。
【N】そして、極左である共産党のテールマンは自分たちの党だけで戦うしかない。支持基盤が自分たちの党しかないという状態になったから。そうなってくると、これはもう必然的にヒンデンブルクとヒトラーしかいない。しかし、今言ったように非常にねじれた展開であった。
【D】うんうん。
【N】ちなみに「インフレーション被害者同盟」のグスタフ・アドルフ・ヴィンターというのは泡沫候補なので、可哀想だけれど勘定に入っていない。
【D】はいはい(笑)
【N】ヘタしたら歴史の本とかでも書かれていないですからね。
【D】泡沫候補まで書かねえだろうな(笑)

[TIME]----00:58:17 一次選挙
【N】──という状況の中で、3月13日、第1次選挙が行われる。こりゃ前にも話したかな……。この時期の大統領選挙というのは、1回目の選挙で過半数の票を取った候補者がいない場合、2回目が行われる。そこで一番票を取った者が当選となる。
【D】ふむ。
【N】そしてこの1次選挙の結果だけれど、1位ヒンデンブルク。ただ、得票率49・6%
【D】49.・6……。
【N】まあ過半数じゃない、と。
【D】ギリ追いつかん。
【N】で、2位はヒトラー、30%。3位テールマン、13%、4位はデュスターベルク6・8%、グスタフ・アドルフ・ヴィンター0・3%。
【D】嗚呼、被害者……。
【N】「被害者同盟」は消えちゃう……(笑)。──で、やはりヒンデンブルクが1位という結果だった。しかしさっきも言った通り、過半数に達しなかったので、これは2次選挙です。
【D】うーん。あと0・4?

[TIME]----00:59:29 二次選挙
【N】そうそう。──そして、4月10日に行われた2次選挙では、やはりヒンデンブルクが53%を得票して第1位。ヒトラーは変わらず2位。で、ここにヒンデンブルクの再選が決定した。
【D】うん。

[TIME]----00:59:44 不愉快な勝利と悪くない敗北
【N】ただ、ヒンデンブルク自身は満足できる勝利ではなかったらしい。
 というのも、彼は右派の支持を集めたかったのに、実際に支持したのは中道と中道左派であったと──。
【D】なるほど、なるほど。流れもんやないかと。
【N】なんで俺は敵から票を入れられているんだと。しかも身内が離れていった。色々な状況が、前回の大統領選から反転していたんです。
【D】うーん。
【N】──で、ヒトラーはというと、初め大統領選に消極的だっただけに、この結果はむしろナチ党にとって悪いものではなかった。何となれば2次選挙は1次よりも得票数が高く、今やナチ党とヒトラーは右派、民族主義サイドだけでなく、ドイツ政局にとって重要なキーパーソンになった、ということが示されたからね。

[TIME]----01:00:38 新時代の選挙戦術
【N】ナチ党はこの選挙でメチャメチャ大規模な宣伝活動を展開し、ヒトラーは11日間12都市で演説をするという超ハードなスケジュールをこなした。
【D】さすがですねえ、すごいなー。ライブ・バンドでもなかなかキツいぞ。
【N】キツイよ。そのため飛行機を使うようになったのね。これは「ドイツ飛行」と言ったりするんだけれど。
 あとはね、映画といったメディアまで動員した。
【D】お、プロパガンダ。
【N】上映会とかをやっていたみたいね。
【D】ふーん。

[TIME]----01:01:11 今度は州議会選挙!
【N】ここに大統領選挙は終わるのだけれど、そのすぐあと、1932年4月にはドイツの各州で州議会選挙が行われる。なのでナチ党は、休む間もなくこれらの選挙戦に突入する。
【D】うーむ。
【N】結果はこれまた大きな躍進だった。ドイツ最大の州、プロイセン州では得票率36・3%で第1党。
【D】おーすごい。
【N】バイエルンでは32・5%で第2党。
【D】うーむ、なかなかいいじゃないですか。
【N】その他の州でも30パー前後を獲得していた。

[TIME]----01:01:51 NSDAP支持者の割合
【N】これは直前に行われた大統領選挙においてヒトラーが得た得票率に近い数字なのね。
【D】うんうん、そうっすね。30%だったね。
【N】なので、ナチ党及びヒトラーはこの時期、有権者たちの間で3〜4割の支持率があったと考えられる。
 もちろん大きい数字よね。しかしこれ、政権を獲る時期まで維持されていて、ナチ党の支持って過半数を超えたことはなかったのね。
【D】ああ、そうなんだ。
【N】これ、かなり重要なことなのだけれども、ドイツ人の半分以上は実はギリギリまでナチ党に票を入れていない。のちに第1党になった時もナチ党は過半数を取っていない。
【D】あ、そうなの?
【N】そうです。なので、この状態が(政権獲得まで)維持され続けたと言っていい。
【D】じゃあドイツは全く一枚岩ではなかった。
【N】なかった。ほとんどが支持した、とかではないのよ。
【D】皆で「ハイル・ヒトラー」と言っているイメージがあるけれども。
【N】実は過半数いっていなかった。
【D】うーん、なるほど。
【N】まあ、それはまた少しあとの話ですかな。
【D】はい。

■ブリューニング内閣、倒れる----01:03:05

[TIME]----01:03:05 突撃隊・親衛隊禁止令
【N】──さて、その選挙のさなか、勢いづくナチ党に水を差す動きが政府にあった。
 ドイツ各州の要請で、ブリューニングと国防大臣兼内務大臣のグレーナーが、ヒンデンブルクにナチ党の突撃隊と親衛隊を禁止するよう進言する。
【D】うん。
【N】活動停止に追い込もう、と。そして4月13日、これらを禁止する緊急令が出される。
【D】うん。
【N】ただ、準軍事組織を禁じるということであれば、他の党も同様だったはずなの。他の党にもそういう組織があったから。
【D】ああ、そうなんだ。そんな一般的なんだ。
【N】たとえば共産党だったら「赤色戦線戦士同盟」、あるいは社会民主党だと「国旗団」というのがいたり。
【D】はいはい。
【N】けれども、突撃隊と親衛隊以外は特に問題を起こしていないということで、ほぼ狙い撃ちにされたわけ。
【D】うんうん。
【N】これは確かに、度重なる暴力行為に各当局が激オコだったから、ということもあるんだけれど、突撃隊の内部にクーデター計画があるらしい、という疑惑が生じたから。
【D】ふーん。
【N】ヒトラー自身は突撃隊の暴発を抑え込み、公には合法路線を強調し続けてきた。しかしヒトラーが選挙に勝利したとき、むしろ共産党などの左翼勢力が反乱を起こすという噂もあって、突撃隊はそれに備えていたと言われているのね。
【D】はぁはぁ。
【N】なので、暴力を行使する準備はしていただろうと。それを指摘されてしまったんだね。
【D】うん。

[TIME]----01:04:42 シュライヒャー、動き出す
【N】そしてこの出来事によって、ヒトラーにある人物がいっそう接近してくる。これがクルト・フォン・シュライヒャー。
【D】あー、はいはい。
【N】それまでもヒンデンブルクの周辺で政権に影響を与えてきた軍人さん。ヒトラーを抱き込もうという計画を立て始めている。
【D】うん。
【N】彼は国防大臣グレーナーの教え子にあたり、いわば子飼いの腹心だったんだけれども、ここにきて恩師から離反しようとする。
 グレーナーはナチ党の突撃隊や親衛隊を禁止するように働きかけたんだけれども、ここへ来てシュライヒャーが突撃隊禁止令に反対する。
【D】ほう。
【N】禁止するんだったら、国旗団などの他の準軍事組織も同じように禁止すべきだ、と大統領に主張するの。他の党にもいた私兵集団──、それだって規制すべきだろう、そのほうが平等だろうと。
【D】はいはい。
【N】そして、さらに彼は4月28日と5月7日にヒトラーと秘密会談を持つ。
 そこで、ブリューニングを下ろして新内閣を作ることを告げる。ヒトラーと取引をし始めるの。
 その結果、ヒトラーの求めに応じて突撃隊・親衛隊禁止令を解き、国会を解散して選挙を開く──、という計画を立てる。
【D】かなり重要人物ですな。
【N】そうそう。これからメチャクチャ暗躍しますよ、この人。
【D】うん。
【N】──で、その見返りに、ナチ党は新政権に対する反対や攻撃はしない、という条件を付ける。まあ、取引だね。
【D】うん、なるほど。
【N】しかし、別にこの2人は信頼し合っている訳ではない。シュライヒャーとしては、大衆の支持の厚いナチ党を抱き込み、国会に右派の基盤を作りたいという思惑だった。ヒトラーそのものに政権を与える気なんかないわけ。ヒトラーも、彼との取引は自身が政権を獲るまでの布石と見ていたはず。
【D】はいはい。

[TIME]----01:06:48 新内閣へ向けた策謀
【N】ここからヒトラーと大統領周辺の右派・保守派との駆け引き、取引が本格化する。そして内閣を引きずり下ろす策謀も始まる。
【D】お。うん。
【N】で、5月10日、国防大臣グレーナーが突撃隊・親衛隊禁止令に関する答弁を行うのだけれど、ナチ党議員団の轟然たるヤジに飲まれ、追い込まれてしまった。
【D】うん。
【N】これによって、傍目にはグレーナーがナチ党に言い負かされた格好になってしまい、彼の立場が悪化するのね。
 そしてそこに教え子のシュライヒャーがとどめを刺す。グレーナー閣下、あなたはもはや軍の支持を失った、と告げられるんですな。そこでグレーナーは国防大臣を辞任する。
【D】半沢直樹ですな。
【N】そうですよ。観てねえけど(笑)
【D】あ、そう(笑)
【N】そして国防大臣の後釜にはシュライヒャー自身が収まる。
【D】おぉ、ほうほう。

[TIME]----01:07:48 辞職勧告
【N】そして次のターゲットはブリューニングですな。
【D】うん。
【N】1932年5月29日、ヒンデンブルク大統領はブリューニングに辞任を勧める。大統領は、左派の社会民主党頼りになりつつあったブリューニングに対して、かなり不信感を持っていた。──ほら、社会民主党がナチ党を抑えるためにブリューニングに味方していた、という話をしたじゃないですか。その状況がヒンデンブルクとしては気に喰わない。
【D】うん。

[TIME]----01:08:19 東方での農地政策
【N】最後の一押しとなったのは農地政策だったと言われている。
【D】ふーん。
【N】ドイツには「ユンカー」という地主貴族──大地主がいたんだけれども、東プロイセンの地主たちがその頃かなり困窮していた。
【D】うん。
【N】そして耕作する小作農も不足しており、手つかずで荒廃している土地というのが結構あった。そこでブリューニングは、これらの土地を買い上げ、失業者などを入植させて分配し、畑を耕させる、そうすることによって失業者に行き場を与える──。そういう政策を進めようとするんだけれども……、これにユンカーたちが怒る。
【D】なぜ。
【N】これはボリシェヴィズム的な政策──社会主義的なやり口だというんですよ。
【D】うん、なるほど、なるほど。
【N】まあ、地主から土地を取り上げて人民に分配する、というふうに受け止めたんですな。
【D】うんうん、なるほど。
【N】実際、取り上げる、ということではなかったんだけれども。
【D】うーん。
【N】そして自身、東プロイセンに土地を持つヒンデンブルクの下に、彼らの苦情が届いた。ヒンデンブルクって東プロイセンのユンカーたちと仲がよかったんでね。ていうか自身もユンカーだし。
【D】うん。
【N】彼らの苦情を受け入れ、ヒンデンブルクも「おい、ブリューニング、お前ふざけんなよ」ということを告げるわけですよ。

[TIME]----01:09:39 ブリューニング辞任
【N】こうして5月30日、ブリューニングは首相を辞任。シュライヒャーたちの目論見が当たったわけ。
【D】うーむ。

 第8夜に続く──

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